顔に張り付いたもの
女性は手を広げたかと思うと、僕を強く抱き締めた。
「家畜が襲われたり、手を焼いていたんだよ!」
ぎゅうぎゅうと、激しく締め付けられて、その……彼女の胸が、否応なしに僕に当たる。す、すごく大きいです……。
「よくやってくれたね、ありがとよ!」
バンバンと、無遠慮に背中を叩かれて、むせそうになった。よっぽど狼が憎かったのか、この人がオーバーリアクションなのだろうと思う。
まったく離してくれる気配がないので、どうしようかと思っていたら、
「にゃあぁ」
クロスケが、鳴いた。この黒猫が鳴き声を出したのを、初めて聞いた気がする。
「おや、可愛い子を連れてるね。その子も、無事でよかったよ」
そこで、ようやく激しいハグから開放してもらえた。
「あんた、冒険者かい?」
「えぇ、そんなところです……」
資格とかが必要なものかもわからないので、曖昧に答える。やっぱり、ギルドとかに登録するんだろうか?
「珍しいね、こんなところに一人でさ。なんか依頼でも、あるのかい?」
「いえ、そうじゃないんですが……」
異世界から間違えて呼ばれちゃいました、とは言えない。信じてもらえないだろうし、やばいやつだと思われるのは、嫌だ。
「まあ、いいさ。あたしは、リンダ。この先の村で、酒場をやってるんだ。お礼もしたいし、一緒に来ないかい?」
リンダさんは、改めて見ると、気風のいい若女将といった感じの人だった。きつい感じ、なんて思ってしまって申し訳ない。どうも僕は、初対面の人に勝手に苦手意識を持ってしまう傾向にある。
「僕は、トマルと言います。そうして頂けると、助かります」
どうやら落ち着けそうで、僕は安堵した。そういえば、お腹も空いているし。
「じゃあ、こいつら載せちまいなよ。解体、するんだろ?」
「いえ、僕は……」
リンダさんに狼の躯のことを聞かれたけど、僕は首を横に振った。皮を剥いだりとか? ちょっと無理だ。スキルも貰えなかったし。
「なら、貰ってもいいのかい? 毛皮とか重宝するんだよ」
「ええ、どうぞ、どうぞ」
僕は、ふたつ返事で答えた。役立ててもらえるのなら、嬉しい。
馬車の荷台に、躯を載せていく。重そうなので、腰を痛めないよう気を付けようとしたけど、思ったよりも簡単に持ち上げられた。非力だった元の世界より、力がついているのは間違いなさそうだ。リンダさんも割りと軽々と持ち上げていたので、大したことないかもしれないけれど。
「よいしょっと」
すぐに、七匹全部を馬車に積め終えた。無駄に殺してしまったと思った時は、可哀想なことをしたとへこんだけど、意味があったって知ったら、現金だけど心がだいぶ軽くなった。
「よかったじゃねえか」
クロスケが、耳元で囁いた。それが、馬車に乗せてもらえることなのか、狼が住民を悩ませていたことなのかはわからなかったけど、僕はクロスケの頭を、そっと撫でてやった。ありがとな。
僕は、リンダさんの隣に乗せてもらった。村までの道中でも、彼女はよく喋った。酒場の女将なら、そうでなければ務まらないか。
今日は、酒を買い付けに行った帰りだったそうだ。親から受け継いた酒場を、今はひとりで切り盛りしてるらしい。僕のことも色々訊かれたけど、あやふやな答えと、愛想笑いで誤魔化すしかできなかった。
馬車が丘を下ってしばらくすると、街道の両脇に麦やトウモロコシの畑が並んでいた。農作業をしていた男性のひとりが、こちらに気付いて声を掛けてくる。
「おっ、リンダ、そりゃおまえさんが仕留めたのかい? さすがだねえ」
「バカ言ってんじゃないよ。この人が、やってくれたんだよ」
リンダに、ぽんと肩を叩かれて、僕は、また作り笑いをして会釈した。
「ほー、魔術師様かい?」
ローブを着て、杖を持っていたら、まあそう見えるのだろう。逆に、この格好で他の職業というのも思いつかないし。
「それより、ひとっ走り先駆けして、村長に伝えておくれよ。この人が、狼を七匹も仕留めてくれたってさ」
「おぉ、そうだな、そうだ」
中年の男性が指示をすると、息子らしい若い青年が集落のほうに駆け出して行った。なにか、大事になってないだろうか……。
村は、周りに塀があるわけでも、入り口に立派な門があるわけでもなく、雑に民家が寄り集まって建っているように見えた。その周りに畑と、家畜の飼育場がある。
「ほら、着いたよ。ここが、あたしの村さ」
村に着くと、頭の薄くなった初老の男性が先頭で出迎えてくれていた。その他にも、老若男女、遠巻きには子ども達もいる。なんだか、お腹が痛くなってきた……。
「ようこそ、ニーナの村へ。私は、村長のヌガルと申します」
深々と頭を下げた挨拶をされて、僕が返せたのは、
「ど、どうも、ご丁寧に……」
もちろん、下手な愛想笑いだけだった。