猫=神獣
生暖かく、ざらざらとした感触で僕は目覚めた。子猫が、僕のほっぺたを舐めている。
「ようやく、お目覚めかよ。だらしない奴だな」
子供の声で、猫が呆れたように喋ったので、僕は口をあんぐりと開けてしまった。
「あ……おまえ、喋れるの?」
「あったりまえだろ。俺様は、神獣だぞ」
「まじか……」
本当だったのか? 完全に、ただの猫だと思ってたよ。
特に痛みはしないが、なんとなく頭を抑えながら、僕は起き上がった。
「で、ここはどこ?」
辺りを見回してみると、どうやら丘の上の街道で、背後には森、見下ろした先には畑が広がっていて、そのさらに先に集落らしき場所がぼんやりと見えた。
「ハッジ島。世界の端っこって、呼ばれる島で、凶悪なモンスターも生息してないし、治安もいい。まっ、世界一安全な場所だな。この場所に落としてくれたテトキネス様に感謝しろよ?」
クソ女神の名前を聞いたら、怒りが再沸騰した。
「あ・の・あ・まぁっ!」
誤解されたくないので断っておくが、こんな汚い言葉を口に出したのは生まれて初めてだ。でも、僕にされた仕打ちを知った人なら、納得してくれるだろう。
自分のミスで僕の人生弄んだくせに、厄介払いするみたいにポイ捨てしやがって! あぁ、くそぉ! もっとはっきり、クレーム付けておけばよかった! そうすれば、チート能力のひとつや、ふたつ貰えたのに。そうだよ、世の中ゴネ得なんだよ! わかってた、わかってたのに、なんで僕は、いつも泣き寝入りしちゃうのさ!
「あんまり悪口言ってると、罰が当たるぞ」
地団駄を踏んでいる僕に、自称神獣の子猫が警告する。
「うるさい、僕は断固として、謝罪と賠償を要求するぞ!」
「装備も与えてくれたんだぞ?」
「装備……?」
言われて初めて、身に着けている物が変わっていることに気が付いた。落とされる前までは、寝間着のジャージを着ていたはずなのに、今はローブ? 上下一体の、ゆったりとした黒い服を身に纏っていた。肌触りは滑らかで、着心地は悪くない。
「魔術師のローブ。魔術耐性、冷熱耐性のあるすぐれものだぜ。買うと、そこそこ値が張るからな」
「そこそこか……」
「武器は、もっとレアだぜ」
一方、右手にはいつの間にか、先が三日月のように曲がった、やや小ぶりな金属の棒が握られている。
「ミスリルワンド。貴重な金属で作られた、魔力を増幅してくれる杖。ここいらの田舎なら、家が買えるくらい高価だからな。盗られるなよ?」
う~ん、田舎で家が買えるくらいの価値――すごいは、すごいのかもしれないけど、なんか庶民的っていうか。もっと、振りかざしただけで光線がズビャーって出るような、そんなのがよかったな……。
「ん? ていうことは、僕は魔法使いってこと?」
「あぁ、この世界では魔術師だな。騎士や、戦士の素質はなさそうだったしな、おまえ」
「ガリガリで悪かったね」
ジト目で、猫を睨んでやった。まぁ、自分でもマッチョな職業は、向いていないとは思う。
「んじゃあさ、僕って、どれくらいの強さの魔術師なわけ? ステータスの確認は、どうやんの?」
「能力の確認なら、しようと思えばできるぞ」
「しようと思えばって……」
どうするんだよ、って毒づきそうになったけど、それよりも早く、目の前に数値の羅列が現れた。前方に浮かんでいるというより、網膜に直接投射されているような、そんな感じだ。
「魔術師、レベル20? レベルって、いくつまであるの?」
「99だ。普通はな。おまえ達、異世界人はレベルのキャップが外れてる。あと、能力値の上昇率も高い。だからテトキネス様は、異世界人を頼ったんだ」
「それで20か……]
弱くはないだろうけど、微妙なところだ。
「この島なら、おまえよりレベルの高い奴は、そう何人もいないだろうな」
なら、悪くはないか。わざわざ、安全な場所を離れるつもりもないしな。
その他の能力も眺めてみるけど、基準を知らないので高いのか低いのか、いまいちよくわからない。スキルは――
「魔術B。これは?」
「Eからあるからな、なかなかのもんだぞ」
「Aまで?」
上から二番目なら、自信が持てる。
「いや、トリプルSまであるぞ」
神獣の答えに、僕はずっこけそうになった。
「そう気を落とすなって、S以上なんて伝説級の達人だけだからな」
まっ、所詮僕は一般ピープルだ。地道にいこう。世界を救うのは、僕じゃなかったんだから。
「他には、なにもないな……スキル」
「必要か? 魔術が人並み以上に使えたら、それで十分だろ」
「いや、でもさ、ほら、なんかこう、個性的なやつがあったら、それを使ってさ……」
「おまえって、個性的なやつなのか?」
そう言われたら、それ以上なにも言えなくなってしまった。
「……」
「おまえも、いきなりで大変だったかもしれないけどよ。俺様が付いていてやるんだから、元気出せよ」
僕が無言になったのを落ち込んだと取ったのか、子猫が励ましてくれた。異世界に、たったひとり。その境遇を知っていてくれる人がいるのは、正直ありがたかった。猫だけど。
「ありがと、えっと……」
そこまで言って、まだ名前を聞いていなかったことに思い至った。
「名前、なんていうんだ?」
「名前は、まだない」
文学作品みたいなことを言う。
「ないって……?」
「必要なかったからな、外界に下りるのは初めてだし」
そういうものなのだろうか。でも、
「ないと、不便だな」
「なら、おまえが決めてくれよ」
猫は、思いがけない提案をしてきた。
「いいのか、僕、センスないぞ?」
それは謙遜ではなくて、昔からペットの名前や、ゲームのキャラの名前を決めるのは苦手だった。
「いいさ、おまえが死ぬまで付き合ったって、神獣の俺様からしたら、ほんの一時のことだからな」
「そっか、じゃあ」
名付ける対象を、じっと見つめる。真っ黒い、小さな子猫。
「……黒助」
我ながら、安直すぎる。
「クロスケ?」
「あー、嫌だよな、やっぱなしで」
「いいや、悪くないぜ。今から俺は、クロスケだ!」
なんだかドヤ顔でクロスケが言うので、僕も嬉しくなった。
「おまえの名前は、なんだっけ? マヨイマクルだっけか?」
「真宵当麻流!」
僕が突っ込むと、クロスケは舌を出して、わりいと謝ってくれた。どこかの女神と違って、子猫がすると、堪らなく可愛らしい姿だ。
「トマルでいいよ。よろしくな」
「おう、よろしくな、トマル」
クロスケが右手を上げたので、僕はしゃがんで、その小さな手を優しく指で摘んだ。肉球が、なんとも柔らかい。根拠はなにもないけど、どうにかなるんじゃないかって、そう思えた。
その時だった。背後の森でガサガサと、いくつも物音が重なって聞こえてきた。