ある男の結末
魔術の練習場に戻ると、すぐに草むらを掻き分けてトーマスさんが駆け寄って来た。
「トマル兄さん、おかえりやせえ! 妹には会えやしたか?」
期待に満ちた目で、僕を見つめている。ほら、ちゃんと待っていてくれたじゃないか。僕が信じた通り。
「ええ、五千ゴールド、ちゃんとお渡ししましたよ」
「おぉ、ありがとうごぜえやす、ありがとうごぜえやす。こんな俺のバカな頼みを聞いて頂いて、俺ぁ、なんとお礼を言っていいやら、わかりやせん」
トーマスさんは僕の手を取って、何度も何度も頭を下げた。それから、
「ところで、妹は……その……俺のこと、なにか言っていやせんでしたか?」
彼は恐る恐る躊躇いながら、僕に尋ねてきた。ギクリとして、心臓が跳ねそうになる。落ち着け、動揺するな。自然に笑え。マリアさんは、なんて言ってた?
『ずっと恨んでる』
違う! そうじゃない! 彼女はそんなことは、言っていない。トーマスさんが聞きたかったのは、そんな言葉じゃない。僕が望んでいたのは、そんな言葉じゃない。マリアさんは――
「ありがとうって、言ってました」
そう言ってた。そう言ってたんだ。だから、僕も滑らかに口にできた。笑顔も、いつもみたいに頬が引きつったりしていない。目もキョドってない。だって、事実なんだから。そう思い込む。
「そうですか……」
嬉しさを噛みしめるような、トーマスさんの顔。目も潤んでるじゃないか。喜んでもらえて、僕も嬉しい。行った甲斐があった。
「それから、いつか会いに来て欲しいって」
今は無理でも、トーマスさんが罪を償い終えたその時には、その時には、マリアさんだってわかってくれるはずだ。
「そうですかい……そんなことを……」
トーマスさんは、“マリアさんの言葉”を胸中で反芻しているようだった。
「ありがとうごぜえやす、トマル兄さん。これで俺の未練は、きれえさっぱりなくなりやした。さあ、今度は俺の番だ。役人を呼んで、引き渡してくだせえ」
トーマスさんは吹っ切れた表情で、そう言った。これでいい。これでよかった。これが正しいんだ。
「はい、村長さんのところに行きましょう」
僕は、トーマスさんと並んで、ゆっくりと歩きながら村長さんの家に向かった。
僕は、ヌガルさんに賞金首を捕まえたことだけを伝えた。トーマスさんは、移送の馬車が到着するまで、納屋に見張りを置いて監禁されることになった。
ヌガルさんは、本当に貴方は村の救世主だ、なんてオーバなことを言って感謝してくれた。リンダさんも、さすがだねえと褒めてくれた。村の人達も。けど僕は、嬉しいはずなのに、なんだか後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
それから僕は、魔術の練習もせず、宿のベッドの上で無為な時間を過ごした。その間、トーマスさんに会いに行くことも、僕はしなかった。
三日後、馬車が到着してトーマスさんが移送されると聞いて、僕は見送りに出た。
兵士に両脇を挟まれて納屋から出されたトーマスさんは、僕を見つけると深々と一礼をした。それだけで、言葉はなかった。なにか話せば、一時的にでも僕が彼を匿ったことが、露見すると考えたのかもしれない。
トーマスさんを荷台に乗せた馬車が、城下町へ向けて出発をする。僕は、だんだんと遠ざかって行く彼の姿をぼんやりと見つめながら、隣にいたヌガルさんに何気なく尋ねてみた。
「……トーマ……あの人は、どれぐらいで外に出られるでしょうね?」
「それは……」
予想外にヌガルさんが口ごもるので、僕は視線を向けて答えを促した。
「あの男は、窃盗の常習犯だと聞いています。それに加え、今回の脱走となると……」
「え、窃盗ですよね? それだけなら、出て来られますよね?」
雲行きを怪しく感じて、僕はヌガルさんを問いただした。そんな、まさか、そんなこと……。
「ほぼ間違いなく、処刑されるでしょう」
ヌガルさんは首を横に振った。処刑? それじゃあ、もう会えないじゃないか。僕も、マリアさんも!
僕は、考えるよりも先に走り出していた。馬車はもうかなり先に進んでいたけれど、大丈夫、まだ追い付ける。
「おいバカ野郎、止まれ!」
クロスケの忠告に、聞く耳を持つつもりはなかった。けれど、
「止まれって言ってんだろ!」
「いったっ!」
耳に鋭い痛みを感じて、僕は立ち止まらざるを得なかった。こいつ、思いっきり噛み付きやがった。血が出てるじゃないか。
「なにすんだよ、おまえ!」
僕は、クロスケの首根っこを掴んで怒鳴った。こんなことをしていたら、馬車に追いつけなくなる。
「それはこっちの台詞だ。追いかけてどうするつもりだよ、おまえ」
どうするって、それは……。
「兵士ぶっ飛ばして、あいつを逃がすか? それで、ふたり仲良くお尋ね者になるか?」
そんなこと、できるわけないだろ……。
「それとも、本当のことをあいつに言うのか?」
それは……それは……言うべきなのか……黙っておくべきなのか? わからない……考えたってわからないよ!
「まぁ、その必要はねえけどよ」
「必要ないって、どういうことだよ?」
「あいつの閉じ込められていた納屋、俺様の入れる隙間なんていくらでもあったからなぁ」
おい、おいおいおい、クロスケおまえ!
「おまえはあのざまだったし、暇つぶしに覗いてみたらよ。猫の大将なんておだててくるもんだから、つい喋っちまった」
「なにしてくれてんだよ、おまえ! せっかく、トーマスさんも満足してたのに!」
苦労して信じてもらったのに、全部水の泡じゃないか!
「やっぱり、だってよ」
「はぁ……?」
僕は、間抜けな声を出した。そんな、そんなはずないって。トーマスさんは、信じてくれてたじゃないか。あんなに感動して、嬉しそうで、僕に感謝してくれて。
「おまえの嘘な、致命的に下手だぜ。あんなんじゃ、ガキも騙せねえよ」
僕は、その場に崩れ落ちた。ぼろぼろと、子供の頃迷子になった時のように涙がこぼれ落ちる。じゃあ、なんでトーマスさんは、あんなにすっきりした表情をしていたんだ? たぶん、自分がもう死ぬってわかっていたはずなのに。納屋の中で、ひとりでなにを考えていたんだろう? 今、馬車に乗せられて、なにを?
「それでな、嘘をついてくれてありがとう、だとよ。あぁ、言っとくけど、これは嘘じゃないぜ」
涙が溢れ続ける僕の目には、馬車はもう滲んだ点にしか見えなかった。