上方から来るもの
「まったく、正気とは思えねえぜ。前々から、こっちに来た影響で、どっかおかしくなってんじゃねえかって疑ってたけどよ。いよいよ重症だな、こりゃ」
肩の上のクロスケがぼやき続けるのを、僕は若干イライラしながら無視した。なんだよ、もう決めたことをいつまでもぐちぐちと。
僕は、ニーナの村から南東に二十キロほどの場所にあるという、トーマスさんの妹さんの家に行くため早足で歩を進めていた。クロスケに、この間のように風の加護をかけて欲しいと頼んだのだけど、こんな馬鹿らしいことに俺様の力は使えんと言われて、すげなく断られてしまった。
「ケチ猫」
なじってやったけど、
「確かに、おまえは太っ腹だよなぁ。会ったばかりの泥棒に、五千ゴールド気前よくくれてやるんだもんなぁ」
クスロケは上手いこと切り替えして、痛いところを突いてくる。うぐぐ。
「あげるんじゃないだろ。ちゃんと後で返してもらうんだから」
「はっ、本気で信じてんのか? もうとっくに逃げちまってるに決まってるだろ」
トーマスさんは、空き地の草むらに隠れてもらっている。あそこには、村人もほとんど来ないし安全だろう。戻るのが遅れてもいいように、水とパンを置いてきた。
「トーマスさんは逃げないよ、絶対に。あんなに必死に、妹さんのために土下座までして、お願いしてたじゃないか」
僕は、彼を信じていた。トーマスさんの言っていたことに、嘘はないと思う。嘘だったら、あんなに感情を――後悔や、悲しみや、希望を込めて話したりなんてできないはずだ。
「もっともらしく語ってたけどよ、そもそも全部作り話だって可能性を考えたか? 逃げるために、口から出まかせ言ってただけじゃねえのか?」
「嘘じゃないって! 聞いてたらわかるよ」
無意識に、語気が強まってしまった。いけない、なにムキになってるんだろ。こいつの嫌味なんて、いつものことなのに。
「へー、泥棒ってのは嘘のプロだぜ? それをのほほ~んとしてるおまえが、聞き分けられるとはねえ」
「くっ」
クロスケのやつ、ほんと嫌な指摘ばかりしやがって。おまえは、嫌味のプロだよ。言われる通り、僕は騙されやすい。あとから思えばどうしてあんなことをって感じることを、無条件で信じ込んでしまったりする。それはつまり、相手のことを信用していたからで――
「いや、いや」
嫌な結論が出そうになって、僕は、それを頭から振り払うように首を振った。トーマスさんに書いてもらった地図を頼りに、足を進める。問題がなければ、日が沈む前には集落に着けるはずだ。
問題はあった。平地の間はよかったけど、山道に入ってから僕のペースは明らかに落ちた。おまけに道が入り組んでいて地図も大雑把なので、正しい道を探して右往左往している内に日没を迎えてしまった。
幸い満月に近い月明かりがあったので、一寸先も見通せない真っ暗闇というわけではない。さらに魔術で明かりを作って進むこともできたけど、僕は無理せず、今日は野営することにした。足を踏み外して崖の下に転落でもしたら、洒落にならない。
「この辺でいいか」
僕は、少し開けた場所の余計な物を払い除けて、スペースを確保した。枯れ枝を集めて山型に重ね、隙間に落ち葉を詰める。
「火炎」
それにガスバーナくらいの炎をイメージして魔術を使うと、焚き火ができた。
「ふぅ」
山だからか少し肌寒く感じて、僕は火に両手を近づけて温めた。クロスケは、平気そうに毛繕いをしている。
「一応、持ってきてよかった」
鞄から、リンダさんから貰ったパンを取り出す。僕はそれを、焚き火で炙って温めながら食べた。
「くるみパンか」
香ばしくて、美味しい。
パンを食べ終えたら、すぐに睡魔がやって来た。歩き通しだったのが効いている。
「ふぁ~」
見張りはどうしよう? クロスケが寝ないなら、任せちゃってもいいかな? そんな風に考えながら、心地よい眠気に身を任せてしまおうとしていた、その時、
「……っ」
山の静けさの中に異音が紛れ込んだ気がして、僕は耳をそばだてた。
「……ゃ……ぁ」
気のせいじゃない。甲高い、人の声。悲鳴だ!
僕は立ち上がって、音の方向を探った。
「上……?」
ここよりも上方から、駆け下りて来ているようだ。だんだんと近づいている。
「誰か、襲われてるのか?」
やがて、人影が僕の視界に入った。少女だ。なにかに追い立てられるように、走りづらい山道を駆け下っている。
「なにに追われてるんだ?」
少女の背後を見つめても、僕にはなに者も視認できない。
「ゴーストだな。山で死んだ人間の怨念ってところか」
クロスケが、僕の疑問に答えた。ゴースト――幽霊か。それを意識して目を細めると、半透明の足のない幽体が、三体? いや四体、彼女の背後に迫っているのが見えた。
「助けなきゃ!」
杖を握って魔術を発動しようとするけど、彼女とゴースト達との距離が近すぎてできない。女の子に当たっちゃうよ。
「きゃあぁぁっ!」
女の子が足を滑らせて、一気に下にまで転がり落ちる。今だっ!
「雷撃っ!」
僕は、少女と差が開いたゴースト達へ、青白い稲妻を叩き込んだ。