殺人アカウント3
芝崎はうんざりしていた。昨日は無残な殺人死体を見せ付けられ、塞ぎ込んでしまいたくなる衝動を抑え付け職務を全うした。だというのに、今日も今日とてその殺人現場の写真と睨めっこ、報告書を作成しなければならない。刑事というのは毎日凶悪犯を追い、華麗な手腕で逮捕へと導くーーそういうものだと、若き日の彼女は思っていた。しかし現実はテレビドラマの様に華々しいものではない。行く先々で目にも入れたく無い様な死体とご対面。いつまで経っても鼻にこびり付いて取れない死臭。そして署に帰れば『刑事は足で稼ぐものだ』とはよくも大嘘を付いてくれたなと思いたくなる程の書類作成に追われる事になる。追い回す方であったつもりが、デスクでは追われる方になる。落語にでもしたらさぞ面白い噺になるだろう。
朝早く出勤したというのに、気が付けば陽は落ち、捜査一課のデスクには芝崎一人である。書類の作成は得意な方だ。文章を書いたり写真やグラフをレイアウトするのも苦では無い。だが、こうも量が多いと流石にうんざりしてくる。それに、本来ならこれを書くのは沼谷の仕事である。それなのに「君の成長の為さ」と言って丸投げして来たのである。言葉とは裏腹に雑用はまるで下っ端の仕事だと言わんばかりの態度であった。小林だけが申し訳無さそうな顔をしていたが、沼谷には強く言えない様で帰宅する彼の後ろを付いて行ってしまった。彼は彼で、大変そうではあるが。
ーー線路に突き落とされ死亡した男性の名は、園田俊夫。21歳の大学生。彼は大学の講義に出る為電車通学をしている所だった。未だ自動車の免許は持っておらず、保険証や学生証も持ち歩かない様な無頓着な性格。彼の自宅のベッドの下から学生証を発見した程である。まあ、学生証など学内の図書館に入る時やお酒を買う時くらいしか使わないので、そういった場所に出入りしない限りは不便も無いだろう。聞き込みによると彼はオンラインゲームに熱を上げているゲーマーで、大学の授業にはきちんと出るが、それ以外の時間はゲームやネットに時間を費やしている様な人間であったらしい。友人はおらず、やや孤立している雰囲気であったという。
園田を突き落とした犯人は見つかっていない。テレビでは事件の内容と共に犯人の特徴も報道されているが、それらしい情報は全く入っては来ない。当然と言えば当然である。犯人は覆面に黒のレインコート姿だ。どんな顔をした男なのか。女なのか。何も分かっていないのだ。せめて犯人に繋がる情報さえあればーーと思うが、未だ事件発生から一日が経っただけだ。そう上手く行くものではない。
「精が出るな。お疲れ様。」
漸く提出する書類が書き終わり溜息を付く。芝崎はその声に視線を上げると、上司である山田がデスクに腰を掛け缶コーヒーを差し出していた。
「先輩。有難う御座います。未だ残っていたんですね」
「ああ。事件の事について課長と話していたんだが、やはり『殺人アカウント』の事は大々的に捜査する気は無いらしい」
「もう九人も被害者が出てるって言うのにですか?捜査に踏み切る為の明確な証拠が出なければ、でしたっけ。そんなものがあればとっくに捕まってますよ」
微糖のコーヒーを喉に流し込み、他にも愚痴を零しそうになるが液体と共に飲み込む事にする。先輩に当たっても仕方がない。芝崎は再び溜息を吐いた。
「まあ、例え『殺人アカウント』が本当に関わっていたのだとしても、警察は認めないだろう」
山田も自分の缶のプルタブを起こし、口を付けた。先日から積極的に上の説得を続けている張本人にも関わらず、悲観的な言葉を漏らす。
「如何してですか?」
「連続殺人だとして、その被害者は既に九人。この事実に気付くのにどれだけの時間がかかったのか?真実をそのまま報道してみろ、警察の信用は地に堕ちる」
「まさか、保身の為に認めないっていうんですか!?」
がたん、と思わず立ち上がる。山田は、渇いた笑みを浮かべて首をすくめた。
「そうさ。警察は、正義の組織なんかじゃ無いからね。そんな事くらい君だって分かるだろう?」
「そりゃ、まあ…。…だとしても、このままじゃ十人目、十一人目の被害者が出ますよ?どうするんですか!!」
「…そうなる前に、我々が逮捕するんだ。もう公にはされないだろうが…少なくとも、警察組織に恩を売る事は出来る。そうじゃないかい?」
「…先輩も、随分と打算的な物言いをするんですね」
組織が動かないなら自分達で捕まえてみせればいい。それは芝崎も山田に同意する所だった。だが、保身に走る上層部と山田の発想は同質の様に思えてならなかった。
「君は未だ若いからね。何物にも染まっていない。それはある種羨ましいが…、この組織では狡猾でないと、生き残る事は出来ない」
山田は一息に缶コーヒーを飲み干して、机の上に置いた。カツンと乾いた音が無音の室内に響く。もう夜も遅いからだろうか。昼間の様な無邪気な彼の姿は無く、年相応の大人の顔を覗かせる。芝崎は念願の刑事になって未だ一月程度。警察学校を卒業し、つい先日まで交番勤務をしていた彼女に上層部の事など知る由もない。特にこの世界ではまだまだ新米だ。
「この組織に蔓延る有象無象にある時は目を瞑り、ある時は利用する…それだけの器用さが必要だ。犯罪者の尻だけを見ていたら良いという話じゃないんだよ。…どの企業、会社にも理不尽はある。それは此処も同じ。ならば上手くやらないと」
山田の目が細まり、何処か遠くを見据える。芝崎の喉が、ごくりと音を立てた。言われている事は至極真っ当ーーそんな気がしてしまうから恐ろしい。
山田は、彼女に視線を戻した。彼の瞳には硬直した相棒の姿が映る。芝崎は次に何を言われるのかと身構えた。
「ーーとまぁ、私が言っても説得力無いけどな!何故か同期や部下には基本的にウザがられ避けられている!!」
「…それはどう考えても先輩の厨二発言が原因なんじゃ…」
先程までの真面目な表情がコロリと切り替わり、落ち込むでも無く軽快に自虐を笑い飛ばす。平生と変わらぬ上司に戻り肩の力が抜ける。真面目な話をする時と普段の落差があり過ぎる。
「この間新人歓迎会があったそうだな。…私は誘われなかったんだが君は行ったのか?」
「行きましたよ。面倒でしたけど、私の歓迎会でしたからね。…そういえば先輩が居ないと思ったら…ハブられてたんですか…」
「ク、クク…断罪の堕天使は一匹狼。孤独は付き物……」
以前、先輩刑事達の奢りで飲み会があった。皆の前で自己紹介をする羽目になり大層緊張したものだが、あれで芝崎は小林と話をする様になったし、他の先輩方にも良くして貰えた。結果行って正解だったと振り返った。しかしその先輩達の中にこの男の顔は無い。現実を突きつけられた山田は、右手で顔を覆い、無意味に格好を付けていつもの『病気』を再発させた。
「…私も、先輩に声をかければ良かったですね。気が付かなくてすみません」
「誘われた所で、私が人間共と食事などする筈があるまい?私の舌は低級な居酒屋如きでは満足させられん。晩餐は一人静かに揺らめく蝋燭の火を見つめ、上質の肉を食らう事こそが至高だと思っている」
「…もう私達コンビなんですから。一人じゃありませんよ。今度ご飯、行きましょっか…」
「ま、マリエンヌ…!貴様の正体は、聖女だったのかっ…!?!?」
如何にもこうにも、この先輩が憐れになった芝崎は最後まで付き合ってやる事にした。「聖女…なんでやねん。まあ、良いか、何でも…」と呟くと、山田は嬉しそうに目を輝かせた。彼の妄言に付き合ってくれる人間など今まで居なかったのだろう。
「断罪の堕天使は堕とされたかの地で聖女と邂逅す。そして目的を同じくした二人は共に正道を歩むーーうん。良い設定が出来た」
「今設定って言いました?」
芝崎の隣の椅子に移動し子供の様にはしゃいでくるくると回り出す。三周程した所で回転を止め、足を組んで向き直る。
「矢張り君とならやって行けそうだ。これからも宜しく頼むぞ、聖女・マリエンヌよ」
「はあ。此方こそ、山田先輩」
「ノン!此れからはギルバート・シュヴァルツと呼ぶ様に!!」
「山田先輩」
堕天使としての名前で呼ぶ事を拒否され、山田は笑顔のまま数秒黙り込む。しかしそれで屁古垂れる男では無いらしく、「さてーー」と話題を元に戻しにかかった。
「話を戻すが、今回の突き落とし事件。他の殺人に比べて、妙なだと思わんか?今迄の法則と外れている」
頭が痛くなりそうだ。彼の話題は右へ左へと振れ幅が大きく付いていくのが大変だ。此方のテンションも慮って欲しいものである。芝崎は何とか思考を昨日の事件の方へ持って行く。そして彼の言う所の『法則』について自分の見解を述べた。
「今迄の法則ーーというのは『被害者の居住地が大凡把握出来る』という事についてですか?八人目までの時点ではそれが共通点の様に思えましたが、今思えば法則性なんてそもそも無かったのでは無いかって気になっているんですけど」
「そうかもしれない。だがそうでは無いかもしれない。私は『死神』の正体について考えてみたんだが、どうも頭の良い人間だとは思えないんだ。自分の感情でやり方を変えてしまう様な、子供じみた人間なのではないかと思っている」
「先輩は、犯人は“今迄はこの法則を守っていたけれど、気が変わってそれをやめた”って言いたいんですか?そんな馬鹿な話ってあります?」
彼の考えを否定するつもりは無い。だが、その意見は余りに突飛なものだった。芝崎は首をひねり、口をへの字にさせた。
「ちゃんと根拠はある。今迄の被害者達は、ランダムで選ばれていた。石河県判沢市の被害者が多いのは、恐らく『死神』もその近辺の人間だからだ。無作為に選んだ中で、更に殺しに行き易い人物を選出したのだ。だがこの園田という大学生に関してはそういう選び方をしなかったのだ」
山田は芝崎のデスクに近寄り「貸してくれ」と平積みになっていた資料の中から園田のtbutterを印刷したものを引き抜いた。そしてそれを、芝崎に見せる。
「これを見ろ。被害者は『死神』の悪口を相当書いている。それにリツイートしたのも一度では無い。何度もリツイートしては、馬鹿にする様な呟きを繰り返しているだろう。彼は、『死神』の怒りに触れたー…そう解釈出来る」
今迄の八人は無差別殺人。しかし、九人目は報復として殺された。そう言いたいらしかった。しかし、そうだとして問題は片付かない。
「先輩の言う通りだとして、園田さんは自分の顔も居所も一つも公開していないんです。どれだけ悪口を書いた所で、特定し殺しに行く手段が分かりません」
「それはそうだ。私にもまだ分からん。しかし事実として、『死神』は現れた。自分のルールを破ってでも、殺したかった。これが子供じみていると言った理由だ。ーーなに、殺人の方法は捕まえて本人に聞けば良い。推理するのは刑事の仕事では無い」
その辺りは阿笠とポアくんに任せておけ、と匙を投げる。そしてニタリと口を吊り上げ、声を一オクターブ落として言葉を続けた。
「刑事は足で稼げ。ーー私達には、それしか無いのだよ」
「…………」
つい先刻、芝崎が心の中で貶し踏みつけにした言葉である。ドヤ顔で宣言されても、少しも心が踊る捜査線にはならないし、どんな名作も鼻で笑い飛ばせる心境だ。うっかりと白い目で山田を見てしまい、彼は締まらずに「ウッ」と呻いて体を小さくさせた。
「…こ、こほん。それは置いといてだ。明日は、聞き込みに行こうと思っている。何か目撃した人物が居るかもしれない。それから、被害者の行動範囲も調べるべきだな。何か気付く事があるかもしれん」
短く咳払いをして、気を取り直す。時刻は22時を過ぎ、長い針が六を示さんとしていた。山田は「そろそろ帰ろう」と息を吐いて立ち上がり、自分のデスクに戻った。必要なものを鞄に詰め準備をする。
「分かりました。…しかし、なんだかあれですね」
芝崎も帰宅の支度をし乍ら山田に話しかける。
「なんだ?」
「先輩にしては普通な方針ですよね」
「…私を何だと思っているんだ」
性格に難ありだが、山田はこれでも優秀に部類される刑事である。心外だとばかりに芝崎に非難の視線を送った。
「…君はバス通勤だったね。私の自家用車で送ってあげようと思ったが……必要なかったみたいだな」
「えぇっ!?すみませんって!御一緒させて下さい!!」
「別に馬鹿にしている訳ではなくて、先輩なら凄い奇策を思い付く方だと!!」とおべっかを使い機嫌を取り成そうとするも、山田はプイと外方を向いて芝崎の方を見ようとしない。「思い付かなくて悪かったな」とぶうたれて一足先に署を出ようとする。芝崎はそんな彼を追い掛けて、隣に並んだ。
働いている者は既に誰も居ない。二人の賑やかな話し声が沈黙した署内に響いては、遠く外の喧騒に消えていった。
***
翌朝、被害者の園田の使っていた同じ時刻の電車に乗り、彼の大学まで行ってみる事になった。山田と芝崎は署に寄らず野々宮駅で待ち合わせた。
芝崎は自宅の近くのバス停から野々宮駅へ行く便があったので、待ち合わせの時間より少し早いがそれに乗って駅へ向かった。到着して辺りを見渡すが、未だ山田が来ている様子は無い。そりゃそうかと自販機でお茶を買いベンチに腰掛けた。
「免許取ったのにバス通勤って不便だなぁ…あと何回お給料出たら車買えるんだっけ」
新社会人になると同時に車を買える若者がどれだけ居るだろう。仕事では公用車を使えるが、まだまだ駆け出しの部類の自分は、通勤は車を使うしか無い。頭の中で預金の残高と支給されるお金を照らし合わせ、スマートフォンで計算を始めた。ーー中古車なら、もう三ヶ月もすれば買えるだろうか。
それにしても、と芝崎は思う。昨晩山田に送ってもらった車は、車に関して無知な芝崎でも高級車と分かる車だった。黒のクラシックなフォルムの外車。中に入ると、座り心地の良い革のソファ。運転席は木目調で落ち着いた雰囲気。ゆったりとした車内になっており、庶民には無縁とさえ思える世界が広がっていた。芝崎が何年も働いてもそうそう買えはしない代物である。
「先輩、車お好きなんですか?」
「え?いや別に?」
…昨晩の車内での一幕である。こんな外車を持っていれば、自慢したくなるのが人情。しかし山田は車の話題など一つも振らず、最新のオーディオでアニソンを鳴らして鼻歌を歌っていた。芝崎は解せなかった。
「…あんな車、どうやって買ったんだ。……ハッ、まさか先輩は裏金を貰って…!?」
思わずスマホの計算機アプリにゼロを大量に打ち込む。警察の不正を黙認しようという話をした直後だ。あの晩彼は、課長に話をしに行っていた。賄賂でも貰っていたのかもしれない。脳裏に悪どい顔をして金をばら撒く山田の姿が浮かび上がる。自分だけは清廉潔白たれ、直訴すべきか頭を抱えた。
「んな訳あるか」
「っ!?せ、先輩!!」
いつの間にか山田が芝崎の前に立っていた。腕を組んで、呆れた様に芝崎を見下ろしている。
「全部声に出ていたぞ。あれは普通に自分の金で買った車だ。…しかし、あれもそろそろ買い換えようと思っている。いちいちディーラーに持って行かねばならんし、メンテナンスが面倒だ」
通勤に使うだけなら、国産の軽自動車で充分だぞ。と“お前が言うな”と十人中十人が言う様な事を言う。芝崎は知らない。四千万は下らない高級外車だと。Rが二つ重なったエンブレムの、あのメーカーのものである。
「そ、そうなんですか…でも勿体無いですね。凄く格好良いのに…」
「うむ。見た目や乗り心地は気に入っているから、悩み所ではあるんだがな。新しい車を買おうにも、山田の者が安い車には乗るなと…」
「…え?」
「…いや何でもない。ほら、そろそろ電車が来る時間だ。ホームに出ておこう」
何かとんでもない事を呟かれた気がするが、山田が急かすので世間話も程々に切符を買いホームへ向かう。ホームには既に学生やサラリーマンなどの姿があった。
「…それ程人は多くないんだな」
「混むとしたら、もう一本前のじゃないですか?会社や高校の始業時間を考えると、この電車じゃ少し遅いですね。」
被害者が利用していた電車の時間は八時二十四分。降車する『判沢駅』に到着するのは八時三十四分。そこから被害者の大学までは乗り換えで『東判沢駅』。一限目の授業に出るのなら、かなりギリギリである。しかし、これで間に合っていたから利用していたのだろう。もう一本前の時刻だと野々宮駅から七時十五分に出る電車に乗らなければならない。
ーー時間丁度、ホームに電車がやって来る。構内放送は鳴らない。到着を知らせる音楽が鳴るのみである。
山田は視線を動かしホームの様子を確認した。駅員は駅員室に待機しており、ホームに出て仕事をしている職員は居なかった。周囲の人達はスマートフォンの画面や参考書を見つめている。
「…誰かが背後から襲われても、気が付いて止めてくれる人は居なさそうだな」
事件が起こって漸く気が付く。『死神』の犯行は、この状況を分かっていた上での可能性が高い。一昨日、エレベーターの位置も確認したが初見では気付きにくい位置にある。ホームの南の端、柱に隠れた向こう側。『死神』は事前にこのホームに来て何度もシュミレーションをしたに違いない。
乗り込んだ電車も、中に居る人は少なかった。立って居る人も居るが、座席は充分に空いている。二人は適当な座席に腰を下ろし、外を眺めた。
「先輩、判沢駅の外も聞き込みしますか?園田さんは多分、直ぐに東判沢へ行く電車に乗り換えしていると思いますけど」
「行くだけ行っておこう。下校時に下車して遊びに行っている可能性もあるからな。無駄では無いだろう」
判沢駅は、石河県で一番大きな駅である。柬京へ一本で行ける新幹線も通っている程だ。駅周辺も店が沢山展開しており、若者達が遊ぶに最適な土地だ。引き篭もり気味のゲーマーも、寄り道くらいはするだろう。
「…て事は、その後に東判沢へ行って…二箇所で聞き込みするんですか。」
「三箇所だ。今他の連中がやっているだろうが、結果次第で我々も野々宮駅周辺で聞き込みをする必要があるだろう。
今日の所は東判沢まで行って、大学に寄ってから近隣で聞き込み。時間に余裕があればまた判沢駅に戻って来よう。」
どうやら一日で済む事では無いらしい。予定を甘く見ていた芝崎はげっそりした。
***
ーー結果だけ先に言うと、犯人らしい目撃情報は皆無、園田についても顔見知りであるという大学生には会えたがよく知らないから分からないという回答ばかりであった。彼が恨まれていた、喧嘩をしていたという話も聞かない。『死神』が園田と知り合いーーなどという可能性も薄そうである。
「園田と仲良い奴なんて聞いた事無いし、いつもギリギリに授業に出て終わったらすぐ帰ってるイメージだったな。ああ、でも俺の友達が園田を判沢駅の側のゲーセンでよく見かけるって言ってたぜ。…ていうか、あいつ殺されたってマジなの?」
…豊かな黒髪をワックスで纏めた大学生がプラスチックの箱型の鞄をぶらぶらさせて、言葉遣いのなっていない言葉でそう証言していた。山田と芝崎は前言通り大学周辺でも調査を行なったが、1日粘ったものの芳しい結果が得られなかった。翌日改めて、判沢駅の調査を行った。この男子大学生の言葉が本当なら、少なくとも東判沢で聞き込むよりも其方の方が有益だろう。だが朝から聞き込みを開始したものの成果は上がらない。気が付くとお昼時はとっくに過ぎており、陽が傾きかけている。芝崎は自身の腹の虫で朝から何も食べていない事に気が付いた。
「先輩、そろそろ休憩しませんか?動きっぱなしでお腹空きましたよ…」
「む、そういえば昼飯がまだだったな。何処か適当に入ろうか」
判沢駅周辺は居酒屋が多い。少し見渡せば一件は見つかるだろうという激戦区である。しかし今は昼なので、準備中の店ばかりである。ランチが出来そうな店といえば駅ナカやファッションビルの中のレストラン街だ。当然其方へ足が向く事になる。が、不意にパンの焼ける美味しそうな匂いが鼻を掠めた。
「良い匂い。…あ、こんな所にパン屋さんがあったんですね。知らなかった」
「本当だな。カフェスペースもあるし、入ってみるか」
駅前から少し外れた細い路地。其処にひっそりと佇むパン屋があった。小さな看板で、つい通り過ぎてしまいそうな外観だ。扉を開くと取り付けられた鈴が鳴り、ふんわりとパンの香りに包まれる。店構えの割に中はお客で賑わっており、知る人ぞ知る場所なのだろうという事が察せられた。
ちょうどその時、山田のスマートフォンが震えた。画面を確認し、ハッと眼を見張る。
「…芝崎君、私の分も適当に買っておいてくれるかい?先に食べていて良いから」
山田はそう言って、一万円札を芝崎に渡した。片目を瞑って「私の奢りだ」と笑ってスマートフォンを片手に再び店の外へ出て行った。…一体誰からだろうか。阿笠とポアが、何か見つけたのかもしれない。
「……いちまんえん……」
千円札が無かったのだと思いたい。格好付けようとする上司の金銭感覚に不安を覚えたが、有り難く使わせて貰う事にする。
白いトレイとトングを手に、どのパンを食べようか選別する。昔ながらの塩パン。餡ドーナツ。ベーコンエッグパン。チョココロネ。芝崎があれこれ悩んでいると、「失礼致します」と店員が焼きたてのパンを空いていたスペースに運んで来た。先程外で良い匂いがしたのはこのパンの様である。ガーリックトーストにしたフランスパン。その上にはトマトやバジルが乗っていて食欲を唆る。
「此方只今焼きたてです。当店のおすすめですよ」
隣で吟味していた芝崎に、店員がにこりと微笑む。さらりとした美しい黒髪を後ろで束ね、目尻に泣き黒子のある長身の男だ。爽やかな笑顔に柔らかな物腰、スタイルも抜群。所謂イケメンーーに話しかけられ、芝崎は「ひゃ、ひゃい」と吃り顔を朱に染めた。
「パンはまだ沢山あるから、慌てないでね」
彼の言葉にハッとして周囲を見ると、飢えた獣の様な顔をしたお客…女性達が居た。この男が焼いたのだとは限らないが、イケメンのパンを巡って戦争が起きそうな空気である。この店が繁盛している理由を瞬時に悟った芝崎は、慌ててパンを選び会計カウンターへと移動した。ゆっくり選んでいる余裕などありはしなかった。芝崎の背後で「ちょっとあんた!一種類三個までってルールなのよ!」「それって龍様ファンクラブが勝手に作ったルールでしょ!?守る必要なんて無いわ!!」「ねえ私の分はあるの!?」と大混乱である。そんな中にあってもイケメンは涼やかに笑っていたー…。その笑顔のまま、此方に向かって歩いて来る。
「げ」
「げ、とは酷いな。君、うちの店初めてでしょ。吃驚させて御免ね。これサービスしておくから、また懲りずに食べに来てよね」
イケメンはあろう事か、女性達の間を掻い潜って芝崎の所へやって来た。会計を担当していた店員さんはあっさりと交代して、中に入って行ってしまう。後ろで女性達が「しまったわ、この時間龍様のシフトはレジ担当…!」「あの女、羨ましい…!」「あんな風に話しかけて頂けるなんて」とひそひそ囁き合っている。丸聞こえであるが。
「あ、ありっ、有難う御座います…」
「1200円です」
山田から貰った一万円札と、自分の財布から二百円を取り出す。早く退散しようと慌てて財布を取り出そうとした所為で、ぽろりと警察手帳がカウンターに転がった。
「あっ、すみません…」
「…へえ、お姉さん、警察官なんだ?」
さっと芝崎の顔色が悪くなる。店内の空気が重く感じる。リア充と話すのも、イケメンと話すのにも耐性が無い芝崎には苦行でしか無い。早く山田が戻って来てくれる事を切に願った。
「はい。今職務中で…」
「あ、そういえばこの人駅前で何か調査だとか何とか言ってたっけ…」
女性達の中に、二人を見かけていた人物が居た。彼女の零した言葉に、イケメンは面白い事を聞いたとばかりに頰を緩めた。
「そうだったの。もし僕で宜しければ、協力するよ。この周辺の事ならよく知っているからね」
必要無いと切り捨てるのは簡単である。だが、とてもそれは許される様な空気では無かった。仕方なく、死亡した園田という人物について、そして加害者と思しき人物の風貌を伝えた。
「園田、さん…。折角話してくれたのに悪いね、知らないや。でも物騒だね。黒のレインコートに覆面の男……。情報も少ないし、捕まえるのは大変だね」
「そうなんです。少しでも手掛かりがあればと思って…」
「参考になるか分からないけど、大学生なら彼処のゲームセンターによく居るイメージだな。後は横町の方かな、最近ゲームの専門店?みたいな所が出来たらしいから、ゲーマーなら行ってるんじゃない?」
「ゲームの専門店…横町にそんな所が出来ていたんですね。それは知りませんでした、ご協力感謝します」
矢張りそう簡単に何か見つかるものではない。しかし横町まで行く事は考えていなかったので、充分参考になった。横町は若者の街。奇抜なファッションにアニメや漫画。サブカルチャーの街なので、園田が行っている可能性は高い。芝崎も同人誌やアニメグッズを買いによく足を運んでいるが、その店の事は知らなかった。
イケメンこと、龍様ーーからパンを詰めた袋を受け取り、外に出る。「有難う御座いました!」と笑顔を向けられて、会釈を返してから扉を閉めた。
「あれ、芝崎君?」
「先輩、もう電話終わったんですか?」
ちょうど通話が終わった様で、終了の画面が出ていた。予想通り、電話の相手は阿笠の様である。
「ああ。…しかし、何故君は外に出て来たんだ?カフェスペースで食べるんじゃ無かったのかい?」
「あ」
イケメンとその取り巻き達に気を取られていて、店内で食事をする事を失念していた。芝崎の手には持ち帰りにしてもらったパンの袋が握られている。
「店の中は、ちょっと…。ど、何処かで座って食べましょう!」
「別に構わんが…?」
不思議そうにする山田の視線を躱し、足を早める。芝崎は後ろを向かず、話題を変えようと声を張り上げた。
「それで、何の電話だったんですか?」
「それがな。阿笠が不法侵入で捕らえられた。この後飯を食ったら迎えに行くから、悪いが調査は君一人で続けて欲しい」
「は!?!?」
流石に言われた事の重大さに、振り向いて山田を見る。親友が捕まったというのに随分と落ち着きを払っている。
「なんでそんなに落ち着いてるんですか!!」
「よくある事だからな」
「よくあるんですか!?」
一体何があったんだ…と芝崎は独り言ちた。確かに阿笠は近寄り難く陰鬱な雰囲気があるが、女子高校生が絡まなければ普通の人だった筈である。
「呼び出された場所は西陣高校。…まあ、例の病気の所為だろうな」
「あ、ああ…やっぱりそれですか…」
彼にあの事件は荷が重過ぎたんじゃないですか?と言おうとして辞めた。「よくある」という事は過去にも何度もあったという事だ。今回に限らず、此れからもこういった事があるのだろう。阿笠のあの取り乱し具合を思い出して、気が遠くなった。
山田は、だからあいつには私が居ないと駄目なのだ、と事も無げに笑っていた。