親指のうずき2
「──小林くん!!!!!」
「わあっ!?」
──先日の出来事の処分を待っていた小林は、気分転換をしようとお昼を買いに一人署を出ようとしていた。
警察署内の緊張感は最高潮だ。それは言うまでもなく再び爆破事件が起きた為である。その原因を作った芝崎と小林は暫く待機を命じられた。沼谷が上に掛け合いに行ってくれ、今日その結果が出るという。
玄関口を出たちょうどその時、背後から何者かにどつかれた。
「な、なんなんですかぁ!?」
背後にスーツの上からでも分かる筋骨隆々な男達。その容貌は分かりやすい悪人面だ。道を歩けば絶対に職質は免れない。にやにやと笑みを浮かべる様は悪巧みをしているように伺えた。
派手な柄のネクタイをした大男が小林の首に丸太のような腕を回した。
「随分大手柄だったそうじゃねぇか。白昼堂々住宅地で爆弾犯とカーチェイス!そうそう出来る事じゃねぇよな」
「は、はは……」
「謙遜すんなって!」
「い、痛いですッ!!!」
いかついサングラスをした一人が小林の頭をぐりぐりと撫で回した。小林は目に涙を浮かべてその手から逃れようともがく。
「この話を聞いちゃあ俺達も黙ってる訳には行かなくてよぉ。なあ、頼むぜ小林くぅん」
「はわ……」
ぶるぶると子犬のように震える小林。宛ら不良かチンピラに絡まれるいたいけな少年だ。
一番権力があるであろう、先の尖った靴を履いた男が小林の顔を覗き込むように──腰を折った。
「マジで頼む!!マル暴に来てくれ!!!」
「お、お断りしますって言ってるじゃないですか!!」
「君の力が必要なんだ!!」
人相の悪い男達──組織犯罪対策課。今回の事件は特別捜査本部が立ち上がっており管轄を超えて彼等も共に追っている。彼等は是と言わせようと必死だ。通り過ぎる警官達は哀れみの一瞥を残し、関わらないようにしようと距離を取りつつ足早に通り過ぎて行く。小林は「む、無理だよ……」と身を小さくさせた。
「そんなこと言われましても。だいたいあの時は無我夢中で……」
「いやいやいや、前々から小林くんはマル暴に向いてると思ってたんだよ」
「──おい、誰の許可を得て僕の子分を引き抜こうとしてるのかな?」
「────!ッ!この声は!!」
澄んだ清流のような通る声。圧倒的な体躯の男達に怯む事なく颯爽と現れた救いの手。
「ぬ、沼谷先輩!!」
「なにやってんだ小林」
呆れたと言わんばかりの溜息。小林は主人の帰宅を待っていた忠犬のごとく目を輝かせた。
「でやがったな!!」
「小林くんは俺達の物だ!!」
「やれやれ……マル暴の皆さんは粗野で困る。小林は僕が育てている大切な後輩。その半ばで連れてかれちゃたまったもんじゃない。勧誘してる暇があるなら此方を手伝ってもらいましょうかね」
沼谷はサングラスの男に大量の捜査資料を無理矢理持たせた。
「なんで俺達が一課の手伝いなんて……」
「同じ事件を追う仲間じゃないですか。え?……小林、外に出るなら僕の分のお昼も買ってきてくれる?焼きそばパン」
「は、はい!ただちに!!」
「ま、待って小林くん!!……あ〜行っちまった。……沼谷お前……」
「何か?」
「クソッ!!」
立ち去る名目を得た小林は、大男の腕を捻り上げて新体操をするような身軽さで残り二人の隙間をすり抜け走って行った。
「小林翔太……欲しいッ!!」
男達の咆哮。薄ら笑いを浮かべる沼谷。
その様子を偶然目撃した芝崎は
「極道・警官攻めの童顔総受けエロ同人がこんな近くに……!?」
と自身の生命力を回復させていた。どんな状況でも腐っても腐女子、腐っている。
──そんな日常の一コマがありつつも、下手をすると懲戒処分かもしれないと芝崎と小林は互いに不安を募らせていた。どの位の審議があったのだろう。回答を手に入れた沼谷が二人を普段は使われていない会議室に呼び出した。他の人間に邪魔されないよう、用心して声を顰め合う。
「改めて二人共、よく無事だったね。話を聞いた時はヒヤッとしたぞ」
「ご心配をおかけしました」
深々と頭を下げると、そういうのは良いからと顔を上げさされた。
「半分は僕の責任でもあるからね。だから頑張った。処分に関しては、お咎めなし。良かったな」
「え!?」
芝崎と小林は互いの顔を見て、沼谷を見た。流石に捜査から外されるくらいの事は覚悟していた。
「どんなマジックを使ったんですか、沼谷先輩」
「僕も気になります!!」
詰め寄ると、沼谷は得意げに説明してくれた。
「公民館での聞き込みを終えたお前等は、避難せず自宅に居る住民達にも話を聞こうと巡回していた。その際、偶然民家の窓ガラスが割れている事に気付いた。火事場泥棒というやつかもしれないと思い已む無く潜入。すると、その家は爆弾を制作していた総本山だったという訳だ!共犯者も帰って来て大惨事!……ってところかな」
「流石、勉強になります!」
「見習っちゃ駄目なとこですよ小林さん。大嘘じゃないですか」
「これが嘘を吐いてる顔に見えるかよ?」
爽やかな甘いマスクに不敵な笑みを浮かべ、態とらしく髪をかき上げた。そんな上司を尊敬の眼差しで見上げる小林。芝崎は安堵か呆れか判然としない大きな溜息を吐いた。
確かに現場が木っ端微塵になった今となっては、実際は芝崎自身が窓を割って鍵を壊した事も分からない。
「──ま、ともかく今は二人の手柄の解析中だ。爆弾の型や購入者リストが明らかになれば、他の現場で使われた物かどうか分かる。或いは、これから使われる可能性を未然に潰す事が出来る。これはかなりの前進だ。
指紋に関しては一部結果が上がってきている。採取された指紋は複数人居て、うち三名が該当した。実行犯ヴェン、ドー、それからあの白衣の女。彼女の身元もまだ調査中だ」
盛大に吹き飛ばされ命を落としたかに思われた彼女だが、全身に骨折などの損傷はあるにせよ奇跡的に命に別状は無かったらしい。強く頭を打った事で脳震盪を起こしたそうだ。
「話を聞けるようになり次第、聴取をとる。……うちに回ってくればいいがな」
この事件では公安がかなりの実権を握っている。沼谷の口振りからすると望みは薄そうだ。
話がひと段落したちょうどその時、芝崎のスマートフォンが震えた。電話の通知だったため、二人に「ちょっとすみません」と断ってスマートフォンの画面を確認した。仁井田朱子と名前が表示されている。
「もしもし」
『もしもし眞理!?あんたが爆発が起きた現場に居合わせたって一課の連中が話してるのを聞いたんだけど、大丈夫!?』
友人の声を聞いて思わず口元が緩んだ。
「うん、大丈夫だよ。心配してくれて有難う」
『なら良いんだけどさ。でさ、心配ついでに聞きたい事があるんだけど……』
ハッキリとものを言う朱子が珍しく口籠もっている。一応職務中なので折り返し掛け直すと提案すべき所なのだが、らしくない彼女への疑問が先行した。
「何?何でも言ってよ」
『海堂龍って奴、知ってる?』
──海堂龍。
何故、今になってその名前を聞く事になるのだろう。
芝崎は身を硬直させ、すぐに次の言葉が出て来なかった。そんな仲間の様子に沼谷と小林が怪訝そうにしている。
「……う、うん。あるけど。事件担当してたからね」
『刑務官の仲間がさ、あたしに言ってきたんだ。芝崎って友達の刑事でしょって。そうだと答えたら、伝言を頼まれちまってね。
“話がしたい”
……だってさ。眞理はなんでか分かる?』
分かる筈が無い。今更、会って何を話す事があるだろうか。ただでさえ多忙を極めているというのに、それどころじゃない。
しかしこの伝言を無視して良いものか、妙に引っかかった。
「……ちょっとすぐには思い付かないかな。でも、教えてくれて有難う。もし会う事になったら、朱子に頼めば良い?」
『そうしてくれる?じゃ、それだけだから。無理すんなよ』
「じゃ……」
プツリと通話を終了する。暗くなった画面をぼんやりと見つめる。
“死神の呟きをリツイートした者は呪いによって殺される”殺人アカウント。
そんな都市伝説を作り上げ快楽殺人に興じていた人物の名前だ。嫌でも覚えている。
「……芝崎ちゃん?」
沼谷に名前を呼ばれてハッと顔を上げる。
「大丈夫ですか?芝崎さん酷い顔色ですよ」
小林も気遣わしげに此方を見ていた。自分でも訳の分からない出来事を、二人にどう伝えたら良いものか逡巡した。否、ただでさえ山田の事で迷惑をかけているのだ。何もかも彼等に頼る訳にはいかない。
「……ちょっと困った事が。でも大丈夫です、仕事に戻りましょうか」
芝崎は一足先に会議室を出た。沼谷と小林は、同じ事を考えているようでやれやれと乾いた笑いを漏らした。
***
「……山田先輩、聞いてくださいよ。貴方がいない間に大変な事になってるんですからね。私、撃たれる所だったんですよ。拳銃を持った人に追い回されて車で大暴走。警察官になれた時にそれなりの覚悟は決めてましたけど、まさかこんな漫画みたいな目に遭うとは思いませんでした。勿論悪い意味で。……聞こえてます?」
芝崎は再び山田のお見舞いに訪れた。山田は相変わらず沈黙したままで、深い眠りについていた。
「今、沼谷先輩と小林さんと一緒に事件を追ってるんです。誰かさんの奇行に付き合わなくていい分、気合いも入るし職務に集中出来るってもんですよ。本当に良い方々で……私の事を凄く気を遣って下さってて。私、もっと頑張らなくちゃ」
答えない人間相手に芝崎は一人で話を続けた。
「……でも、良くしてもらってる分、気が抜けないっていうか。否、抜いちゃいけないんですけど。怖かったって、言える相手がいないのは辛いです」
“実に見事だマリエンヌよ……矢の如き弾丸も光の聖女の前では無力。流石は私が見込んだ聖女だ!!ファーッハッハッハ!!!”
──山田先輩ならきっと厨二病全開な賛辞を述べて、私の肩の力を抜いてくれるんだろうな。心配してくれてるんだかいないんだか分からないけれど、もしあの場に居てくれたならそうしただろう。
芝崎はそんな事を考えて、首を振った。
「……怖かったんです。明らかに自分の実力じゃ全然足りない場面が多過ぎて。運が良かっただけ。次も運が味方するとは限りません。……だから、先輩。早く目を覚まして、また指導して下さいよ」
何もかもが懐かしい。
「私のパートナーは、やっぱり先輩だけなんです」
口に出してから、恥ずかしくなって辺りを見回した。病室には山田と芝崎以外、誰もいない。部屋の前を通り過ぎる人もなくしんと静まり返っていた。
「……はあ。らしくないな。兎に角、聞きたい事、話したい事がいっぱいあるんです。早く良くなって下さいね」
山田がいない間に調べるべき事があるのは忘れていない。それでも早い回復を願わずにはいられなかった。
少しの沈黙、少しの逡巡。芝崎はそっと山田の髪に触れた。絹の様に艶やかな髪。彼は、静かに呼吸をするだけで微動だにしない。
早く会いたい──
***
病室には長居せず、三十分そこそこで病院を後にした。出動の無い今日が彼等の事を調べるチャンスだ。芝崎は阿笠が勤めていた高校を調べ、訪れてみようと決めていた。
「──御陵高校。石河県有数の私立校。阿笠さんが勤めていたのは六年前か。なら当時の事を覚えてる先生もまだ在籍してるよね」
度々不審人物として署に同行され、一応の調書が取られていたお陰で彼の経歴は比較的あっさりと明らかになった。
東判沢駅から車で十分。とはいえ芝崎にとって初めて来る土地であり、複雑な経路だ。カーナビを付けたものの上手く機能せず、一旦近くのコンビニ駐車場へ軽自動車を駐車した。飲み物を購入してから道順を確かめよう、そう思った所だった。
「え……」
赤みがかった黒髪に赤のメッシュ。灰色の着物に羽織を纏った和装姿の青年。見間違える筈のない、中性的なその見た目。
間違い無く、警察官達が今血眼で探している人物──安宅優也こと救世主が、芝崎の目の前に立っていた。此処は住宅や量販店が並んだ通りにある、ごくありふれたコンビニの飲料売場だ。何故こんな所に。
「おや、これはこれはお嬢さん。また会いましたね。お久しぶり」
芝崎が声をかける前に、相手が先に気付いて声をかけてきた。慌てる様子も無く、極めて穏やかな挨拶だ。
「…………安宅優也」
芝崎の声が震える。
「おっと、そういえば名乗っていなかったかな。僕の名前はロロ。安宅というのは別の方の名前だよ」
「……それって偽名ですよね。本名のほうを教えて頂けますか?」
捕まる事を恐れていないのか。本名を名乗らない辺りは一応は警戒しているのか。食えない人物だ。彼はそれ以上答えなかった。
「私は石河県警捜査一課、芝崎眞理。あの時はどうも」
「そう怖がらないで。ほら、芝崎女史はどれがお好みかな?僕は、ええと、サイダーにしようかなあ」
「…………っ!」
ふざけているのか。お客は自分達だけだが、店員達に迷惑をかける訳にもいくまい。一旦外に出て、ご同行願おう。逃げられないように最新の注意を払う。
「……以前ラムネを奢って頂きましたよね。奢らせて下さい」
「良いのかい?有難う」
サイダーを二本取って、会計を済ませる。少し話せませんかと訊ねるとまったりと頷いた。
「構わないとも。僕も、少しお話ししたいと思っていたところだよ」
ロロはコンビニの正面に設置されたベンチに腰掛けた。隣を勧められたが、その場に立って警戒を怠らない。
プシュッと炭酸が抜ける音がして、彼はペットボトルに口を付けた。
芝崎はそんな彼を横目に問いかける。
「……随分と落ち着いていらっしゃるんですね。貴方、判沢市内で同時多発事件の重要参考人として上がっている事、ご存知ではないのですか」
刺々しい口調になってしまう。ロロは気にした風もなく、少し目を丸くして芝崎を見上げた。
「おや、そうなのかい?」
「えぇ……?」
本当に知らなかったのか、おちょくっているのか。否、何も知らないという事は無いだろう。聖の証言通りこの男が救世主なのだとしたら、少なくとも人を洗脳している疑いがかかる事くらい気付いているだろう。
「恐ろしい事件が起こっている事は、ニュースを見て知っているとも。しかし、それ以上の事はとんと。いやはやお役に立てず申し訳ない」
「それで此方が納得出来るとでも?」
ロロはうーん、と困った様に首をすくめた。
「僕、本当に何もしてないからねぇ……」
「そんな訳ないじゃないですか!!」
いけないと思いつつも、つい感情的になってしまう。心神喪失にある阿笠の姿が思い出される。阿笠がこうなってしまった原因はこの男にあるのではないのか。
「……質問を変えます。あの日、侶湧村で狩谷尚志と阿笠図書という男性と会いましたよね。一体何をしたんですか?」
「ああ、それなら答えられるよ。狩谷さん……僕の目の前で御自害を。ご自身の境遇を吐露してくださり、そして、僕に願いを託した。必ずその御霊を救うと誓いましたとも。
阿笠さんも随分とお苦しみになっていらっしゃるご様子だったので、勧誘はしたね。我々の仲間に是非、と。
しかし、その勧誘も半ばにお加減を悪くされて。
お二人の事が気がかりではあったのだけれど、幸い警察が来てくれる事は分かっていたから。申し訳なかったけれど帰らせてもらったよ……分かってもらえたかな」
「では、同じ話を署でもしてくれませんか?」
「それは構わないけど……」
意外にも、すんなりと警察へ行く事を同意してくれた。何を考えているのかさっぱり分からない。
「その代わりと言ってはなんだけど、貴女にお願いがあるんだ」
「なんでしょう?」
煙に撒くようなら容赦しない。任意とは言え、これだけの事件を引き起こした張本人に違いないのだ。無理にでも引っ張っていく覚悟を決めていた。
「先の事件で入院しているレーさんの事が心配でね。気にかけてあげてもらえるかな?ヴェンさんや、ドーさんの事もだけど……皆、何度も相談に乗っていたからね。
理不尽な目に遭ったからといって、無関係な人を困らせて良い理由にはならない。罪は償って欲しいと思ってる。君なら彼等に会う機会があるだろう?心配していると伝えて欲しいんだ。悲しみの連鎖、僕は止められなかった。はぁ、まだまだ足りない」
「……えっと…………」
レーさんとは爆弾部屋に現れ芝崎達を追いかけ回した女の事だろうか。まるで自分は一連の事件に関わっていないとでも言いたげだ。目を伏せて俯く様は本当に胸を痛めているように見える。これが演技なのだとしたら、相当なものだ。
「──あの、お客様すみません」
彼に声をかけようとしたところに、コンビニの店員が中から出てきた。お会計が間違っていたので確認して欲しいとの事だった。店員の胸元には『研修中』の名札がついておりまだ仕事に不慣れなようだ。
「それなら僕はここで待ってるよ」
二人の会話を聞いていたロロが柔かにそう答えた。重要参考人、主犯と思しき危険人物を一人にするのは……と躊躇したその時、店員が突然力強く芝崎の腕を掴みコンビニの中に引き摺り込んだ。サイダーが地面に転がって炭酸が抜ける音と共に溢れていく。
「えっ!?」
自動扉が一時的に閉ざされる。ガラス越しに、ロロの驚いた顔が見えた。直後、猛スピードでバイクがコンビニの前へ乗り付け、ロロを半ば無理矢理乗せて急発進した。
「待って!!」
店員が追いかけさせないよう芝崎の腰にしがみついている。背後に引っ張られ、尻餅をついた。
「芝崎女史」
ロロが呼びかけた、気がした。
「また今度」
そう彼の口は動いていた。しかしその声はバイクの音にかき消され、瞬く間に連れ去って行ってしまった。
理解が追いつかないまま店員を見る。
「申し訳ありません、お客様。私達は救世主様を失う訳にはいかないのです」
──一体どれだけの人が、この事件に、否、ロロに心酔しているのだろう。
***
阿笠について調べるどころでは無くなってしまった。芝崎は一連の事を報告しすぐにロロの行方を追ったが、バイクのナンバーは盗難車両で追跡は不可能であった。コンビニの店員からも、調書を受けた他の信者の話以上の話は引き出す事が出来なかった。結局、振り出しに戻ってしまっている。
「ああもう!」
自宅のアパートに帰り、八つ当たりのように鞄を床に投げつけた。うまくいかない。全て掌で動かされているような感覚に陥ってくる。スマートフォンもやけくそに投げつけようとした時、通知音が鳴った。うっかり画面を触ってしまい、着信者を確認する間も無く出てしまった。電話の主に気付いて、芝崎は眉を顰めた。
「…………もしもし」
仕方なく応答する。
「もしもし眞理?やっと電話に出てくれた!何度も電話かけたのよ、あんたいっつも出ないから。今判沢の方でとんでもない事件が起こってるってニュースで見たわよ〜物騒よね、集団での放火に自殺、爆発も起きたんだって?まさか捜査に関わってたりしないわよね?まああんたじゃそんな訳無いか」
此方が言葉を発する間も与えず、捲し立てるように話す女性の声。キンキンと頭に響いて、眉間の皺を深めた。
「お母さん」
「いい加減こっちに帰ってきなさい。いつまでもそんな仕事続けてらんないでしょ?嫁の貰い手無くなっちゃうじゃないの。そうそう、あんたの同級生の里奈ちゃん結婚したんだって。相手はお医者様だそうよ。凄いわよね〜。眞理にも一応縁談しないかって話は来てるのよ。近所の今田さん、覚えてる?あの人の紹介でね。案外婦警さんって興味持ってくれる男の人いるみたいなのよ。お相手は旅館の経営者だとかでね、結構大きいところらしいのよ。旅館を手伝ってくれる奥さんが欲しいんだって。真剣に考えたらどう?こんな良い話なかなか来ないんだから」
だから電話に出たく無かったのだ。ずっと見ないふりをしていた。仕事を辞めて帰ってきて結婚しろ、それしか言わないのだから聞いても時間の無駄だ。
「お母さん、私今忙しいの」
「忙しいってあんたいつもそうじゃない。女はね、どんなに働いても出世出来ないし未婚だと恥ずかしいわよ。お母さんだっていつまでも元気な訳じゃないんだからそろそろ落ち着いてくれないと」
いつの時代の話だ。ただでさえ気が滅入っているというのに、余計にうんざりしてしまう。
「もう切るから」
「ちょっと眞」
まだ話したそうな母を無視して一方的に通話を終了した。そのままベッドにダイブする。
「はぁ……………」
うつ伏せのまま、目を閉じる。今日の出来事が順番に蘇ってきて、頭が休まらない。
“話がしたい”
──海堂龍が会いたがっている。芝崎は彼の事を思い返した。爽やかな見目で、犯罪とは縁遠そうな穏やかな家庭で育った青年。それなのに何人もの人間を手にかけた。彼と芝崎はほんの少しの会話をした事があるだけだ。
「会ってみようかな」
一種の思考のエスケープだった。今追っている事件、阿笠達の事とは全く関係は無い。切羽詰まった事は何もない──逆を言えば急を要しないからこそリフレッシュになるかもしれない。などと、殺人鬼との邂逅を息抜きにしようとしている異常さに気付いて頭を抱えた。
──でも。
芝崎は海堂龍に会う事を決めた。




