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パリピ探偵ポア  作者: 吉良 瞳
42/50

堕天使の鏡像2

 



「救世主様について知りたい?それなら俺の弟だ、寿治っていうんだが」


「うんうん、確かにこの似顔絵、博史くんによく似てるねぇ」


「博史?誰だそれ。彼は私の息子の寛太だ」


「刑事さん、何言ってるの?この人は私の彼氏のまーくんよ。イケメンでしょ?」


「同期の佐藤くん」


「藤原充、俺の親友」


「なにいってんすか?この方はねぇ──」




「────一体どういう事なんだ!?」


 最後の重要参考人の取り調べを終えた沼谷は、堪らず調書を投げ捨てた。


「この似顔絵の男を庇っている風には見えませんでした。口裏を合わせる所かバラバラ……他人に成りすまして彼等と接触していたんでしょうか?」


 西聖の証言によって作成された『救世主』の似顔絵。小林は指先でピンと紙を弾いた。

 この男の命令で多くの人々が騒ぎを起こしたとみて、警察はその正体を問い詰めた。しかしどの話にも信憑性が感じられず、支離滅裂。実は女だという者も居たくらいだ。


「そういう事になるだろうな。まだ全員では無いが、彼等が口にしていた名前は実在する人物のもので、人間関係が修復不可能になった者、既に死亡している者だという話が上がってきた。まだ確認が取れない名前も、恐らくは似た様な感じなんじゃないか?人の心の弱い所に漬け込んで、洗脳していたって事か」


 まだ捜査は始まったばかりだ。時間が経過すれば、暴徒達の精神も落ち着いてきちんとした話を聞ける様になるだろう。しかし、待っている間にまた何か起こらないとも限らない。沼谷の眉間の皺は当分の間消えそうに無い。


「で、でもっ、顔は割れているんです。判沢を拠点としているのなら見つけ出すのは困難では無いはず。そうですよね?」


 小林が機嫌の悪い上司に気を遣う。彼は「まあそうだが」と区切ってから捜査資料を黙って眺めている芝崎を見た。


「芝崎ちゃんが奴に貰ったとかいうラムネの瓶。侶湧に残っている奴に探させている。指紋が残っていれば、顔と合わせて犯罪歴のある者と照合が可能だ」


 主犯を見つけ出すのは難しい話ではない。そう思うのに手応えを感じないのは何故か。この似顔絵の男は、顔を知られても問題がないから、晒しているのではないか?沼谷にはそんな気がしてならなかった。芝崎は返事も疎かに頷いた。


「──兎に角、僕等は命令通り担当区域の聞き込み調査に行くしかない。一桑は……外国人労働者が多く住む場所だな。芝崎ちゃんには悪いけど、そっちが優先だ。もう少し我慢してくれる?」


「……十分です」


 過去の山田を知るという元相棒に引き合わせてくれるという話だ。真実を知るのが恐ろしくもあり、知らなくてはならないという義務感。話を聞く前からあれこれ考えていても意味は無い。目の前の仕事に集中しようと、今までの事実関係を頭の中で整理する。


「一桑は火災があった地区ですね。逮捕されたベトナム人のヴェンとドーと名乗る男女が放火の実行犯。両者共ビザの期限が切れ不法在留である事が発覚している。動機については黙秘、似顔絵の人物に関しては男の方が同地域に住む安宅優也(あたかゆうや)だと証言。友人だそうですね。

 火災時に爆発が発生し、被害があった建物周辺はガス漏れの危険がある為現在も規制線が張られていると」


「そうだ。該当区域の住民は近所の公民館で過ごしているらしい。まずはそこで話を聞こう」


 署内に居ても意味は無い。パトカーに乗り一桑へ向かう。僅かな隙間も許さないという建築環境。住宅が(ひし)めいているとでも言うべき、圧迫感を感じる街並みへと変化する。判沢市民にとって決して治安が良いとは言えない土地だ。外国人退去と書かれた張り紙や幕が芝崎達の目に付いた。

 此処は過去には部落差別が問題視された事がある。今でこそ当時の事を知らない者達が多く住む様になり差別も薄れたかに思われているが、やはり問題を起こすのは外国の連中だと今回の事件で思われているようだ。住民達の不安も分からなくはないが、無関係の善良な外国人達にとって迷惑極まりない話だ。


 火災があった現場は土木工事を生業とする中小企業。建物は殆ど原形を留めておらず朽ち果てていた。鎮火して数日は煙が立ち上っていたという。

 その場所を遠巻きに通り過ぎて、住民達が一時身を寄せている公民館へ車を止める。古びた建物に押し込められた人々は陰鬱な雰囲気になろうものだが、子供達が無邪気に遊び回る声がそれを緩和させていた。


「こんにちは、おばあさん。避難生活だなんてさぞお辛いでしょう。良かったらこれ、召し上がって下さい」


 沼谷が人当たりの良い笑顔を浮かべ、道中購入した飲み物を差し出した。物資に困る様な避難生活では無いだろうが、こういうのは気持ちである。


「なんだい、あんた達」


 アジア系の顔立ちの老女が不審そうに三人を睨んだ。沼谷は顔色を変えずに視線を合わせる。圧力にならないよう穏やかに話し、手帳を見せた。


「僕達、こういう者です。今回の火災の事でみなさんにお話を聞きにきたんです」


「ああ、ヴェンとドーが放火したって話だろ。みんな知ってるよ」


 ヴェンとドーは近所の者達と面識があるようだ。彼等の事は容疑者として捕まったと既にニュースにもなっている。


「二人がどうしてそんな事をしたのか、心当たりはありませんか?」


「さあ、知らないね。知る訳無いだろ」


 貰ったばかりのコーヒーをぐびぐびと喉に流し込む。


「フン、酒の一つでも持って来るのが常識だろうよ」


 その言葉に小林の肩が跳ねる。ちらりと上司の顔色を伺う。沼谷の沸点の心配をしているらしい。いくら口が悪くても相手は一般市民だ。


「すみません、気が利かなくて。次はお好きな物をお持ちしますから……」


 沼谷は困った様に優しく微笑んだ。怒りを露わにする場面と堪える場面は心得ているらしい。完璧なポーカーフェイスで、仕事に従事する好青年を体現していた。小林が小さな声で「流石です先輩……!」と呟いた。


「男前過ぎます!」


「はは……」


 初めて彼等に同行した芝崎は、いつもこんな具合なんだろうかと苦笑した。


「もう一つ、質問させて下さい。似顔絵を見て頂きたいのですが……芝崎ちゃん、」


 沼谷に促され、芝崎は預けられていた似顔絵を老女に見せた。


「この似顔絵の人に見覚えはありませんか?」



「………………知らん。見た事もない。もういいだろ、あっち行ってくれ」


 ──あからさまに目を逸らした。そしてもう話したくないとばかりにしっしと手で追い払うジェスチャーをする。


「なっ!本当に知りませんか?よく見て下さい!」


 嘘を吐いている。芝崎は粘って彼女に似顔絵を差し出した。


「あっちへ行けと言ってるだろ!!」


 老女が怒鳴り声を上げた。近くに居た住民達が何事かと此方を見た。


「すみません、うちの部下が。芝崎ちゃん、もういいから次の人の所へ行くよ」


「で、でも……」


「いいから」


 本当にごめんなさい、と沼谷が謝った。芝崎の腕を引いて、一旦人のいない廊下に出る。


「本当に良いんですか!?絶対あの人、何か知ってましたよ!?」


 芝崎は沼谷に食いかかった。彼は溜息をついて、落ち着けととりなした。小林も困った面持ちでどうどうと彼女を宥める。


「何焦ってるんだよ?そんな事は分かってる、あの場で無理に口を割らせたりしてみろ、他の連中が萎縮して貝になるだろ」


 他に重要な事を知っている人物が居るかもしれない。それを不意にしてしまう振る舞いは避けるべきだ。


「ゆっくり懐柔してやれば良いのさ」


「ゆっくりだなんて、そんな悠長な──」


 反論しようとして芝崎は黙り込んだ。どう考えても彼の考えが正しい。「すみません」と頭を下げた。


「分かれば宜しい。早る気持ちも分からなくは無いがな。これは急がば回れ、だ」


 各地で警察官が対応に追われている。一つ一つの対応が遅れれば、それだけ主犯が逃亡する猶予を与える事になる。こうなる事を知っていればお祭りのあの時にと思わずにはいられない。


「切り替えて行きましょうよ。ほら、あそこにいる人なんか話しかけやすそうですよ」


 小林が外から中にいる人物を指差す。はしゃぐ子供を見守る母親。その隣では祖父らしき男性が新聞を読んでいた。

 男の子が公民館の床に貼られたテープの上をはみ出さない様に歩いている。反対側からもう一人歩いて来てジャンケンを始めた。負けた方が道を譲って「もう一回!もう一回!」と騒ぎ出した。──その子供の一人が褐色の肌をしていた。

 芝崎は小林に頷いて、保護者の方へ声をかけた。


「あのう、ちょっとお話宜しいでしょうか?」


「はい、なんでしょう……?」


 彼等は日本人のようだ。いつもの様に事件の捜査協力をお願いする。先程の老人よりも協力的に頷いてくれホッと胸を撫で下ろした。彼等も今回の火災が放火である事は知っており、捕まっている者達とは顔見知りであるらしかった。


「時々お見かけして挨拶をするくらいですけれど。こんな事をする方とはとても……」


「心当たりは無いという事ですね。ではこの似顔絵の人物には──」


「あ!優也兄ちゃんだ!」


「ほんとだ!そっくり!すげぇー」


 遊んでいた子供達が絵に反応してこちらにやってくる。芝崎が「優也お兄ちゃん?」と聞き返すと「そうだよ!」と元気に答えた。

 母親も知っているらしく説明してくれる。


「安宅さんですね。この辺の人達はみんな彼のお世話になっていますよ。外国から来ている家庭の子供達には日本語を、元々この場所に住んでいる日本人の子供達には英語を教えてくれる先生をしてくれていました。遊びの延長のようなものでしたけれど、皆喜んで参加していました」


「物知りなんだよ!なんでも知ってる!」


「……そうなんですね。今彼はどちらにいらっしゃるかご存知ですか?」


「そういえば、最近見かけませんね。……あの、彼がどうかしたんですか?ひょっとして、……ヴェンさんとドーさんが放火の他にも何かしたのでしょうか?」


「…………何故、そう思うのですか?」


「だって、二人は安宅さんの授業の手伝いをされていましたし。仲は良いように見えましたけど」


 似顔絵の男、安宅優也はヴェンとドーと繋がりがあった。彼の指示で放火をした可能性が濃厚だ。予想通り過ぎて少し拍子抜けする。


「……二人は不法滞在者だ、自分名義では家も借りられなかった筈だ。協力者が居て拠点を築いていたと考えるべきだ。それが安宅を名乗る人物だったのかもしれない」


 沼谷が芝崎に耳打ちする。


「よく分かりました。最後に、ヴェンさんとドーさんのご自宅は分かりますか?」


「そこまでは。この辺りなのでしょうけれど……お役に立てず申し訳ありません」


「いえいえ、お時間をくださり有難う御座いました」


 母親に頭を下げて、また他の人物にも聞き込みをしようと辺りを見回す。すると、芝崎の服の裾を誰かに引っ張られた。──先程の褐色肌の子供だ。


「おれ、ヴェン達の家知ってるよ」


「ぼく、本当?」


 しゃがんで目線を合わせる。まだ舌ったらずで不安定な日本語だ。


「本当ダよ。教えてほしい?」


「うん、お願い」


「お姉さん達は、どの家に行きたいノ?」


「どのって……?」


 ヴェンかドーのどちらかという事だろうか。日本語を間違えたのだろうか?



「────おい!!」


 ずっと母親の隣で我関せずとしていた祖父が厳しい声で少年を叱責した。


「余計な事を言うんじゃない」


「じいちゃん、ご、ごめんなさい……」


 怒られた少年は完全にしょげてしまい、母親にくっついた。よしよしと母親に頭を撫でられている。これでは話の続きを聞けそうに無い。少年には申し訳ない事をしてしまったようで、後味が悪い。しかし得られた事は大きい。


「──住んでいる家が複数あるという事なんじゃないか」


 再び廊下に出て周りに話を聞かれないよう沼谷は声を顰めた。


「もしもの時に備えてずっと同じ家を使っている訳では無いのかも。或いは、何かの目的の為に頻繁に利用している場所というところか」


「目的ですか?」


 小林は首を傾げた。


「無論、犯罪者達が密談をする場所だという事だ。偶然同じ時間に事件が起こるなんて有り得ない、この安宅とかいう男の差金だとするなら音頭をとる為の場所は絶対に必要になってくる」


「テロリストのアジトですか!!でもそんな場所を子供が知っているとは……、いえ、あの子は何をする場所かは分かっていない。むしろ知っているのはあのおじいさんの方?そして、みんなが安宅のお世話になっている話なのに知らないと言ったおばあさん。一枚岩では無いという事ですかね」


 大人達がいない場所であの子から話を聞く必要がある。もう一度芝崎は彼等の方を見た。褐色肌の少年は日本人の少年と共に母親にくっついている。父親が外国人なのだろうか、少し訳ありな家族なのだろうか。遠くから見つめていると祖父と目が合った気がして顔を背けた。


「──あの、沼谷先輩、芝崎さん。僕、やっぱり引っかかる所があるのですが……」


「なんだ小林」


「僕の頭が良く無いだけなのかもしれないんですけど、」


 自信無さげにおずおずと小さく手を挙げる。


「気になる事は何でも言ったほうが良いですよ」


 芝崎が促すと、小林は分かりました、と言葉を続けた。


「そもそも同時多発テロは何のために行われた事なのでしょう?計画が練られていたのなら、尚更何か成し遂げたい目的があったのでしょう」


 芝崎はあの日の事を思い出した。侶湧村で聖と山田が誘拐され、捜索を要請しようとしたタイミングで電波障害が発生し、村を降りた。しかし電話が繋がったがこの多発的事件の為に警官達が駆けつける事が困難な状況になった。そのまま考えれば、侶湧村に警察を寄せ付けない事が目的となるだろう。だがそもそも芝崎達があの村へやって来たのは聖の依頼があったからだ。この事を知っていたのは共に行動をしたメンバーのみ。聖が共犯者だとするにしても、狩谷を拒否し自らも被害を被った事を思えば可能性は低い。それに芝崎達を狙っての行動だとするには些か乱暴だ。足止めをするだけならば他に手段はあっただろう。しかも騒ぎに対しすんなりと逮捕された事、自分達の生活圏で事を起こした事。偶発的なものだとも考え難いが、計画が練られたにしては不自然過ぎる。その点にも意味があるのかもしれない。

 狩谷尚志は『救世主』及び『安宅優也』の為に親指集め。石山ら村人は村の風習の維持と死体処理。利害の一致により協力していたようだが、それも積極的である様子は無かった。石山達と救世主は繋がりがない。石山らの事情聴取でも電波障害は自分達によるものではない、同時多発テロには関わりが無いと証言している。嘘を吐いている可能性もあるが、今回捕まった者達は全く村とは関わりがみられない。とするならば、芝崎達を足止めする以外に理由がある筈なのだ。小林の疑問に思うのも頷けた。


「お前の疑問は尤もだ。だが、判断出来る材料が無い。あの探偵屋が話せるようになれば、或いは分かるかもしれないな。西聖は阿笠図書と狩谷尚志が救世主に会いに行ったと話したのだろう?」


 沼谷が嫌そうに阿笠の名前を挙げた。本当に救世主と会ったのならば、重要な事を知っているかもしれない。芝崎は精神病院へ会いに行った時の様子を思い出して表情を暗くさせた。


「……なんとしても、証言してもらわないといけませんね」


湿気(しけ)るな湿気るな。僕達は上に言われた通りに道端に転がった情報をかき集めるしかない。考えるのはその後でいい」


 その後も三人で事情聴取に走り回った。思った以上に黙秘の態度を取る者が多い事が気になった。


「……これは覆面で動いている奴等の方が実入りがあるかもしれないな」


 沼谷がぼやいた。どちらの役割も必要ではあるが、自分のポイントにしようという点ではいまいちだ。


「僕達、これでもう顔割れちゃいましたからね。でもアジトを見つければ大手柄ですよ!また改めて来ましょう」


 夜が迫まってきたため、一旦署に戻る事にする。明日朝一で会議がある。同じ班の捜査員と情報を共有し報告書にまとめ、発表しなければならない。これから作成をして出来上がった頃には深夜近くなるだろう。


「芝崎ちゃん、後の事は僕たちに任せて君は資料室に行くといい。話は通してあるから待ってくれている筈だよ」


「え?でも……」


 私情を優先させるなんて悪い、と言おうとしたが「君を紹介した僕の顔を潰さないでくれる?」と黒い笑顔で言われてしまえば承知するしかない。本当は早く話を聞きたいのを我慢していた。沼谷はそれを分かってくれているようだった。


「沼谷先輩、有難う御座います。……行ってきます」


「────」


 芝崎は足早に資料室に向かった。彼女の居た場所を、沼谷は数秒見つめていた。


「真面目過ぎるのも問題だな」





 ***




 ──資料室は警察署の地下にあった。芝崎はカードキーを差し込み入室した。些か薄暗く感じる白熱灯。過去の捜査資料の詰まった棚がずらりと並んでいる。奥を覗くとデスクがあり、その上は飲みかけの飲料や食べ終わったパンの包装に灰皿があり、大量に吸い殻が突き刺さっていた。お陰で室内は煙草臭い。


「……こんな締め切った部屋で煙草なんて、危ないじゃないですか」


 部屋の主人は自分の城だとでも言うように、閲覧用に置かれている作業机退かし、パイプ椅子を並べて眠っていた。


「誰?君。俺になんか用?」


 眠たげな低い声で返事をされ、芝崎は困惑した。沼谷が話を通してくれているのではなかったか。でなければこんなにだらだらしている筈が無い。


「捜一の芝崎です。沼谷から紹介を受けたのですが」


「………あ〜、今のアイツの相棒ね。なんだ、こんなお嬢ちゃんだったの。どうもはじめまして、勝浦恵三(かつうらけいぞう)です。あ、別に覚えなくていいよ」


 よっこらせ、とおじさん臭い事を言い乍ら起き上がる。ボリボリと頭を掻くと、フケが飛んだ。


「……………あの」


「ごめんねえ、暫く風呂に入ってなくて。えーと、なんだっけ?何を聞きたいんだっけ?最近物忘れが酷くてね」


 この人は捜査一課で優秀な刑事だった、と聞いている。随分とやる気が無い。ここが署内で無ければ浮浪者と見まごう身なりだ。シャツはいつ洗ったのかよれよれ、髭は伸びっぱなし。おまけに靴と靴下は方々に打ち捨てられ、ぺたぺたと裸足で自身のデスクまで歩いた。


「山田の事ですよ。勝浦さんが捜一にいらっしゃった時の彼の事が聞きたいんです」


「そーだそーだ、沼谷からお嬢ちゃんにビシッと言ってやるように頼まれてたんだっけ。しっかしまあ、随分長いこと続いてるらしいじゃないの。なんで?アレに惚れてるの?」


「はぁっ!?」


 歯に衣を着せぬ物言いに芝崎は思わずカッとなった。そんな浮ついた考えで仕事をしている訳が無い。──旅館での共寝、そして穴の中での出来事が一瞬浮かんだが、すぐに追いやる。


「そんな訳無いじゃないですか。職務をする上での関係性は、まあ良好だと思います。これからも共に仕事をする上で知っておくべき事があるのだと気付いたので、こうしてお伺いしているんです。……変な事言わないでください」


「あらそう。理由なんて興味無いけどね」


 この人と話をしていると、失言をしてしまいそうになる。既に目上の者に対する態度では無いが、向こうも指摘する気が無いらしく自由にヘラヘラと振る舞っている。


「それで、教えて頂けるんですよね?」


「まー焦りなさんなって。聞いたら嬢ちゃん、アイツの事なんて大っ嫌いになっちゃうと思うよ?警察自体辞めたくなるんじゃない?

 俺も出来る事なら辞めたいんだけどさ〜、生活があるから無理なんだよね。資料の整理の仕事には満足してるよ?楽だし身の危険も無いし」


「その話はいいので。お願いします」


 言葉に棘がついてしまった。


「へっ、最近の子はせっかちだねェ」


 勝浦は乾いた笑いを漏らし、何処から話そうか……と呟いた。眠たげな瞳がスッと鋭くなる。室内の温度が少し下がった気がした。


「──アイツ、山田がまだぺーぺーの若造だった頃。その頃は傍目にもまだ素直で可愛い後輩だったよ。俺の言う事にもいちいちクソデケェ声で返事をしてくれてよぉ、煩いのなんのって……。

 それが一転、悪名が聞こえるようになったのは山田が自分のエスを作り上げた頃からだな」


 エスとは、情報提供者、所謂情報屋の事だ。


「情報屋っつーか、アレの場合探偵と言った方が良いのか?頭の良いのが味方に着いた、と話していた。それから山田の成績はますます伸び、一課でも欠かせない人材となった」


 情報屋──探偵。それは、阿笠の事だろう。芝崎は黙って、男の話に耳を傾けた。


「どういう経緯があって探偵を味方につけたのかは知らねえ。俺が探偵──阿笠に会ったのは、俺が山田の相方になって暫くしてからだな。ある日、合わせておきたい奴がいるってな。普通自分のエスは仲間同士でも教え合ったりしない。自分の情報源を晒す事はリスクが高い。中には反社の人間や、犯罪を見逃してやる代わりに情報提供してもらってるなんて刑事も居るくらいだからな。……あ、今その事についての議論はナシな」


 警察は正義の組織ではない。芝崎が一課にやってきて初めて山田に教わった事だった。警察内部に必要悪が存在する事は、誰も何も言わないが周知の事実だ。時には悪を飼い慣らす事も求められる。末端の捜査員には基本的に関わりの無い事だが、見て見ぬふりも組織の一員として大切な事だ。承服できない人間は消えていく。それだけだ。


「山田先輩と阿笠さんは学生時代からの同級生だと聞いています。そういう理由かと」


 勝浦は「そんな事言ってたかもなぁ」と小指を耳に突っ込んだ。


「それなのに何故わざわざ教えたのかってのは、簡単な話だ。情緒不安定で挙動不審。事情聴取の常連さんだからだ。自分のエスだから手を出すなって言った方が守れるんだろうよ。面倒臭え話、コイツが何かしたら俺にもケツを拭かせるつもりだったんだろうよ。確かにその対価に余りある情報を引き出してはくれる。

 だったらしょうがねーか〜とは、俺はならなかった訳だ。そこがあんたと俺の違う所だな」


 耳の中に詰まっていた糞を、ぺっと払い落とす。芝崎は不愉快そうに眉を顰めた。


「私はそんな理由で一緒に居る訳では……」


「はぁ?そういう事だろ?奴等の言う事をハイハイ聞いてりゃ、手柄の分け前を貰えるわけだ。じゃなけりゃとっくに切ってんだろ」


 最初の頃は貧乏籤を引いたなと思っていた。それでも山田や阿笠の側に居たのは、刑事として有り続けたいと思ったからだ。──勝浦に言われて初めて、そうだったのだろうかと唇を噛んだ。


「多少頭のネジがぶっ飛んでても、俺は構わねぇよ?だが、ありゃあちょっとどころじゃ無いだろう。二人して、なんだ?気味が悪い……。居もしない人間を、そこに居るみたいに。俺の目が悪いのか?俺の頭の方が可笑しいのか?だんだん洗脳でも受けているような気になってくる」


 勝浦はジッ……と芝崎を見ていた。何も言えなかった。彼女の肌に嫌な汗が流れた。


「初めの頃は、刺激しちゃいけないと思って話に合わせてやったさ。だがそれもだんだん耐え難くなって……──あの時の事は一生忘れられないね。今でもあの時の山田の顔が夢に出て魘される」


 白熱灯がチカチカと点滅した。


 今から聞かされるのは、いつか自分の身に降りかかるのかもしれない物語。





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