堕天使の鏡像1
芝崎眞理…刑事
山田太郎…被害者
阿笠図書…被害者
西聖…芝崎の友人。被害者
仁井田朱子…芝崎の友人。刑務官
沼谷亮司…刑事。芝崎の上司
小林翔太…刑事。芝崎の同期
丸井ポア…unknown
芝崎は病院を訪れていた。侶湧村の一件で、友人の西聖と上司である山田太郎が入院を余儀無くされてしまったからだ。
「心配をかけてしまって、ごめんなさいね」
「いいえ、大した事が無くて良かったです」
聖の頭には痛々しくも包帯が巻かれている。頭を打たれた為精密検査も行われたが、幸いにも異常はなく軽い外傷のみで済んだ。現在は検査入院の最中で、まもなく退院が出来るとの診断が下りた。
「私の事よりも、山田さまの方が心配ですわ。まだ、お目覚めにならないのでしょう?」
「……………はい」
「眞理ちゃんも、根を詰め過ぎては駄目よ。お願いだから、貴女もゆっくり休んでね」
「分かっています」
一方で山田は頭部を強打に加え、背骨や足に骨折が散見された。一晩過酷な環境に身を置いていた所為で酷く衰弱しており、命に別状は無かった事がせめてもの幸いだ。目覚めるまで時を要するのは致し方ない。それほどの重症だった。
芝崎は、無言の山田に暫し寄り添った。無機質な電子音が彼の生を肯定してくれていた。花ひとつ飾られていない病室で、それが一層寂しさを募らせていた。こんな事なら花の一つくらい持って来てあげれば良かった、と後悔するも彼女の心にはそんな余裕すら残っていなかった。
「山田さん、よっぽど嫌われたもんだな。誰も見舞いに来ないとは」
おっと一応ここに二人か、と耳馴染んだ声が扉の方から聞こえてきた。眉目秀麗な顔に皮肉げな笑みが浮かんでいる。
「沼谷先輩……」
「父親の方には連絡着いたそうだよ。政治家として第一線を退いたとはいえ、まだまだお仲間が手を離さない。流石の大御所も多忙でも息子の見舞いには来るだろうが、まだ県内の混乱も大きい。止められているのかもしれないな」
山田の父親は全国でその名を知らぬ者の方が少ないであろう、大臣クラスを務めあげた政治家だ。要人を重大事件が起こった場所へ向かわせるべきではない。
「…………そうですか」
あの日、侶湧村で起こった事は一週間経った今でも解決されていない。村長である石山悟と、村人の数十名が死体遺棄・損壊などの罪で逮捕された。死亡届を偽造したとして、侶湧村出身の医師も捕まったのだという。しかし、一連の事件の裏で親指を収集していた狩谷尚志は、村から離れた廃トンネルで遺体となって発見された。親指は依然として見つかっていない。
その傍らには芝崎と行動を別にした、阿笠図書もまた昏倒し意識を失っていた。彼は現在、目を覚ましているがとても口が利ける状況では無いらしい。警察の監視の元、精神病院に入院している。
同日に起こったテロ的同時多発事件に関しては、不法滞在の外国人、身元不明の老若男女。低所得者が大半を占めた。自殺、暴動、立て篭もり、何も警察の人員を裂き、引き留めようとする意図が見受けられた。取り調べを受けた者たちは、口を揃えて『救世主様の御意識』と答えたらしい。その救世主様の正体に関しては、どうにも要領を得ず特定には至っていない。今後も同様の事案が発生する可能性が否めない。刑事課のみならず、公安も動き始めた。危険思想を有した組織の存在を警戒しているようだ。
芝崎は帰ってからも殆ど休んでいない。状況を報告出来る人間が、彼女しか居なかった為だ。県警に缶詰になり何度も証言し、数多の質問に答え、逮捕者達の取り調べにも同席した。その表情にはかなりの疲労が滲んでいた。
「……あー、芝崎ちゃん。山田さんがこうなった以上、これからは暫く僕に付いて行動してもらう事になる。ただ、この件は公安に本庁も出張って来ている。サイバー・テロ対策課が主導で指揮を執るらしい。当面は逮捕者達にその目的と主犯の居所を吐かせろとか、現場検証に行けとか、面倒な部分を押し付けられるだろうね。特に君は、あの探偵から何があったのか、聞き出す役目を負わされると思うんだけれど……」
沼谷が話す最中、芝崎は最初に一瞥してからずっと虚空を見つめていた。ベッドの脇の椅子に座り、何か考え事をしているように見えた。
「…………疲れているだろう。無理にでも休むんだ。どうせ、今動いた所であの男は会話が出来る状況ではないし。隣で倒れられても迷惑だ。最初の上司命令だ。兎に角、寝ろ」
沼谷は芝崎の両肩をバシンと叩いた。彼女は小さく震えて、漸く彼を見上げた。
「…………教えてください」
「ん?」
「私はずっと、何も知らないふりをしてきました。疑問に思ってはいけない、聞いちゃいけないって自分に言い聞かせて。もし知ってしまったら、今ある平穏が全て無くなってしまうような気がして。
でももうそれでは駄目なんです。きっと」
沼谷は何のことか分からず目を丸くした、しかし芝崎の視線が山田に行き着く事に気付き、理解して頷いた。
「…………随分心境の変化があったんだな。何か言われたのか?」
穴の中で語られた、かつての相棒の話。どの相手とも長続きしなかったのは、山田のその性格と不運さが理由だと思われていた。──芝崎の中では。しかし、周囲の様子や言葉を思い返してみると、他の理由が浮上する。それは彼を邪険に思う人々の虚言では無い。それを山田は自ら肯定した。
『私たちの世界を壊そうとしたからだ』。山田は確かに、そう口にした。芝崎が考え得る限り、その心当たりは一つしか無い。
「──丸井ポア、とは何者ですか?」
──山田に一度だけして、有耶無耶にされた質問。この問いかけだけは、タブーなのだと肌で感じていた。
質問に答えず質問で返す芝崎を咎めるでもなく、沼谷は口を開いた。
「山田さんの相棒になった人達は皆、その疑問を飲み込めなかったが為に人生をめちゃくちゃにされた。…………確かに、邪魔されない今が真実を知る絶好のチャンスだ。仕事の合間に、手伝ってあげてもいい」
「沼谷先輩は知っている訳では無いんですか?」
「断面的な部分だけだな。もし知っていたら、僕も粛清対象だっただろうし。山田さんの事は嫌いだが、こう見えて事勿れ主義なんでね。見るからに危ない橋を渡る気は無い。……でも、気が変わった」
もう一度、その背を叩く。
「困ってる人を助けるのが、警察官の仕事だもんな」
「…………はい」
これからも一緒に居る為に、知っておかなければならない。
あなたのくるしみを。
芝崎の唇に、僅かな微笑が浮かんだ。
***
「眞理!」
「朱子!久しぶりだね!」
病院を出ると、芝崎の友人である仁井田朱子に遭遇した。黒とシルバーのバロック調の総柄のヴェルマーチのワンピース。パンプスとハンドバッグもモノトーンで統一されており、派手過ぎず品のある装いだ。ウェーブした髪を片側にかき上げ、耳にオニキスの黒いピアスを揺らしていた。
「あんたも聖さんのお見舞い?」
朱子の手には花束と菓子折の入った紙袋が握られていた。
「うん、さっき顔を見て来た所。思ったより元気そうでホッとしたよ」
「そう、なら良かった。そうそうへばるようなタマじゃないからね、あの人は」
そんな事より、と彼女は目を吊り上げて芝崎を睨んだ。芝崎は訳が分からないまま、一歩後ずさる。
「な、何?」
「あんたの方が病人みたいな顔してる。あんたが上司?私のダチに何かあったら承知しないからね」
芝崎の頬をぷに、と両手で包み込んだ。力が強く、たらこ唇でなんとか返事を返した。
「やしゅむやしゅむよ」
「僕もちょうど休むよう頼んでいた所なんですよ。彼女、頑張りすぎる所がありますからね」
沼谷は人当たりの良さそうな、爽やかな笑顔で応じる。しかし朱子は胡乱げに彼を見上げた。
「はあ?それ本当?」
「ほんほ、ほんほ」
「信用ないなあ」
あはは、と困ったように頭を掻くが、沼谷の眉間に皺がいつもより多く刻まれていた。女性には優しい彼だが、彼女は少し苦手なタイプらしい。
「眞理、何かあったら私にちゃんっと言うんだよ?分かったね」
「わあった……って、いきなり何するの、もう」
朱子の手がやっと芝崎の頬から離れる。ほんの少し赤くなっているが、ご愛嬌だろう。軽口を言ってもその声には嬉しげな感情が乗っていた。
「じゃあ私はこれで。またね」
病院の中へ入っていく。手を振る芝崎を、沼谷は意外そうに見た。
「意外なタイプの友人が多いんだね?被害に遭った芝崎ちゃんの友人……西さんも独特な方だし。あの人もあまり君と接点があるように見えないが」
「オタクって拘りが強いですから、友人同士でも統一感が無いものなんですよ」
「へえ……」
好きな作品繋がりで知り合ったとしても、職業やその他の趣味嗜好は多種多様だ。イベント等に参加するオタクは身なりに気を遣う人が多いが、インドア派は無頓着であったりする。聖や朱子のようなタイプは二次元オタク兼、洋服オタクとでも呼ぼうか。聖はロリィタファッションを好んでおり、毎週新作の販売に合わせてショップへ赴く。量産出来る装飾ではなく生産数が少ない為、毎回争奪戦らしい。
朱子は全身ハイブランドで固める為、その他を節制し新作のコレクションの発表で目星をつけ、一気にドカンと購入する事が多いという。二人とも“推し”のグッズの資金の捻出には苦労しているらしい。
芝崎は鞄の中に入れたままの、ぬいぐるみの事を思い出した。射的で山田に当ててもらったものだ。
「芝崎ちゃん。彼女の言う通り顔色が良くない。家まで送ろう」
「そんな、自分で帰れますよ」
「言う事を聞け。……今、山田さんの事考えてただろ」
「え?」
「顔に出過ぎだ」
沼谷はこっちだ、と芝崎を車を停めた方向に案内した。言われるがままその後をついて行く。
「そんなに分かりやすいですか」
「君も刑事なら人顔色くらい読めるようにならないと。逆に、悟られないようにもね。……そんな顔されるこっちの身にもなれ」
迷惑だと言わんばかりに肩をすくめる。悪態を吐いているが、そこに彼の優しさが隠れて見えた。
「…………有難う御座います」
「いや。しっかり体を休めたら、その後はキリキリと働いてもらうぞ?今回の事件の事、山田さんの事……どちらも、タイムリミットがあるものだ。のんびりはしてられない」
──タイムリミット。次の人災を発生させない、未然に事件を収束させる事。そして、山田が目を覚まし妨害させられる前に『丸井ポア』の存在を明らかにする事。これが、彼女達の使命だ。
目的の車を発見し乗り込む。沼谷はシートベルトを着用する、その隙に芝崎の横顔を盗み見た。
「────」
あどけなさの滲んでいた彼女はもういない。その瞳には静かな焔が迸っているのを感じ、努めてこれに触れないようハンドルを切った。
***
──ポア。
金色の、猫のように柔らかい髪。
少女のように長い睫毛に可憐な唇。
母親譲りの優れた容姿に。無垢な彼らしいおもちゃの様な指輪やネックレス。
きらきらと輝くラメの入ったスニーカー。
今でも忘れない。
折れてしまいそうな細く長い首には、男らしい喉仏が確かにあって、少し甲高いが男性特有の重低音も感じさせる声。
良く言えば社交的、悪く言えば八方美人。
多くの人に囲まれる事に依存するような素振り。
恐らくは私と家族しか知らない寂しがり。
本が好きだということ。
特に推理小説が好きだということ。
忘れない。
忘れてはならない。
彼は私を慕ってくれていた。
今でもそうだ。
悪態を吐きながらも、二人で探偵事務所を運営なんかしたりして。
そう、出会ってから今日までずっと一緒だ。
より鮮明に思い出せ。想像しろ想像しろ想像しろ想像しろ想像しろ想像しろ想像しろ創造しろ。
彼は古往今来、私と共に在り続ける。
ポアは此処に居る。みんな嘘吐きだ。
彼がいないなんて嘘だ。
みんな私を苦しめようとしているんだ。
あの子が居なかったらなんて考えられない。
考えただけで──吐き気がする。
より鮮明に思い出せ。創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ。
そうだ、ついこの間、山田だってポアと話をしていた。芝崎だって、否定した事なんて無いじゃないか。
あれ?でも、彼女が彼の名前を呼んだ事なんて、あったっけ……………?
都合の良い事だけ思い出せ。創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ創造しろ。
「ぁ………ひ、ヒヒッ…………ん、んゔ、……………あぁ゛…………」
ゆらゆら揺れる。
揺れているのは、私の体だ。
ぐわん、ぐわんと上半身が振り子の様になって、
そのまま壁に頭を打ち付けた。
鈍い音が、一定のリズムを保って室内に響く。
頭が痛んだが、何処か他人事のように感じた。
瞬きする事すら億劫だ。
目が乾く。
「……………、……………………」
何故私はこんな所にいるのだっけ?
そもそも、此処は何処なのだろう?
歯車が見える。脳の内側で、カチカチと音が聞こえる。時々変な所を削っては、無理矢理噛み合わせているようなそんな映像だ。
誰か私の眠っている内にそっと絞め殺してくれるものはないか?
自分でも理解出来ぬ側からそんな願望に取り憑かれる事がある。
幸せな夢を見ながら静かに逝けたなら。
でもそうしたらポアは怒るだろうなあ、悲しむだろうなあ、と思うと嬉しくなった。
なんだか愉快だった。
見舞いにくらい来い。じゃないと死んでしまうかもしれないぞ?今、何処に居る?
「…………ひ、いひッ、………ハ、アハ、アハはハハハ!!!!」
自分が何処に居るかも分からないのに、何をしているのかも知らないのに、人の事なんて考えてる場合なのか?
おかしいなあ、面白いなあ!
でも、屹度大丈夫だ。この時間を乗り越えれば、迎えは来るのだ。知らないが知っていた。
困った顔をして、阿笠さん、また具合が悪いの?全くしょうがないんだから、と言って、ポアは私を連れ出してくれるのだ。
「────号室の患者、……………ですが、………………とても──────……………状態では……………少しだけ──よ」
なにか、聞こえる。
扉が開く音がした。
誰かが驚いて、私の肩を揺さぶった。
知っている筈だが、知らない人だった。
あたまがいたいなあ。
嗚呼、それはさっきごんごんと、打ち付けていたからだっけ?
「阿笠さん」
「………………?」
名前を呼んで、私を心配してくれているらしかった。
でも何を心配しているのか分からなかった。
目は空いている筈なのに、相手の顔がよく見えない。靄がかかったように判然としない。語りかけられる言葉も、よく耳に聞こえてこなかった。
そうか、夢をみているんだな。
納得して、私はその場で横になった。
目を閉じると、困った顔のポアが居た。
嗚呼、やっと迎えに来てくれたんだな、待ちくたびれた。
かち、かちかちカチかちかちカチカチかちかちかちかち。
歯車が噛み合う音がする。
これでいい。
『もー!迎えに来る俺の身にもなってよ。何やってんの?また女子高校生に絡まれでもしたの?』
悪かった、悪かったよポア。
『阿笠さんが居ないと、事務所開けられないでしょ。早く戻って来て、スゴーイ事件を華麗に解決しちゃおうよ。ポア様に不可能は無いッ!!」
はいはい。そうだな、事務所に帰ろう。
「そうだよ。俺の天才的頭脳を広く社会に認めさせるには、助手である君の力が必要なんだよ。分かるかね?ヘイスティングズ?」
気取ってポアロの真似をしている。
はいはい、そう急かすな。腕を引っ張るな。
──体を誰かに揺さぶられる。起こすな。起こさないでくれ。
起こすな。
起こすな。
「阿笠さん」
邪魔をするな。
…………?私は、起きているのか?寝ているのか?わからない。わからなくていいのだとおもう。
わたしを、たのしいばしょにつれていってくれるこが、そこにいる。そこにいけばいいだけだ。
「……………また来ますね」
悲しそうな声だ。私を心配してくれていた誰か。
さようならさようなら。
心ぱいしなくても、わたしはこう福だし、幸せだ。からダはすこし良くないかもしれないが、きっ度すぐにヨクなるはズだ。
じむショにカえったら、君の好きナお菓子でもタべようか。
そのうちに依らい者がやって来て、ぽアの好きナじけんをつれテ来る。
そんな日常が。
ずっと。
ズッと、ずっ──────────────────────────────と。
***
「だから、話を聞ける状態では無いと言っただろ?休めと言われたら休め、馬鹿野郎」
短い休みが明けて、出勤するなり芝崎は沼谷に頭を叩かれた。彼の後ろで小林がおろおろとその様子を心配そうに見守っている。小林は芝崎と同期で時に愚痴をこぼし合う仲だ。
「体はきちんと休めましたよ。でも、居ても立っても居られなくて。……誰に聞いたんです?」
芝崎の顔色は、先日より良くなっていた。休息をとった事に偽りは無さそうだ。しかし精神的なショックと疲労からか、その声色に覇気は無い。
沼谷はイライラと頭を掻いた。感情を落ち着けようと、ひとつ深呼吸をしてから問いかけに答えた。
「所轄だよ所轄。芝崎ちゃんも聞いただろ?正気に戻るまで時間がかかる。……尤も最初から正気だったとは言えないが……。ほら、これから例の自殺未遂の奴等との取り調べだ。これが終わったら、君に紹介したい人が居る」
「紹介したい人、ですか?」
芝崎は首を傾げて反芻した。
「山田さんの元相棒。今は資料室の管理を任されている。──つまる所窓際族だな」
優秀な人だったんだがなぁ、と独り言ちる。そんな人が何故、というのは最早聞くまでもない。
「あの、一つだけ良いですか?」
黙って聞いていた小林が二人の会話に口を挟む。山田の黒い話は、小林も少しは知っていた。
「山田先輩は、捜一でも指折りの刑事です。だからと言って、他の捜査員を左遷する程の権力があるとは思えませんが。優秀な方だったなら、課長や上層部が認めない筈では」
小林の疑問は当然のものだ。しかしそれは山田がごく普通の生い立ちであったならの話である。
「……山田さんは、二代続いた政治家一家。あの人もまた三代目として期待されているらしい。警察庁長官と父親が懇意で、肝入りでの配置だったと聞いている」
「そうだったんですか」
その話は芝崎も知らなかった。そういった話はした事が無かったが、いずれは刑事をやめて政治家になるつもりだったのかもしれない。警察官から官僚を目指す者は、少なくない。
「という事は、だ。父親の口利きで人事を動かす事は、可能だったんじゃないか?或いは上層部の誰かの弱みを握っていて、権力をバックに操作していたとも考えられる」
あまり想像したく無い話だ。普段の山田からは考えられそうもない内容だ。
「以前、山田さんが監察にマークされていた時期があった。無論、周囲に口外されるものじゃない。だが山田さんは尾行に気付いたらしく、監察の部署へ乗り込んだ。そこで何を話したのかは分からない。それからあの人に監察が付く事は無くなった」
気が付かないだけで優秀な人材が担当している可能性も無くは無い。だが現在まで山田が咎められていない事を鑑みると、誰も山田に逆らえていないという事になる。
「……そんな事が。全く知りませんでした」
監察にマークされるのは、当然不正が疑われた人物だ。昇進させる人間を選別する為に付けられるケースもあるが、それは幹部クラスの話になるだろう。
「芝崎ちゃんが知らないのは、仕方が無いだろうな。そういう話は、山田さんは全て先回りして君に聞かせないようにしていた」
僕なんかその最たる人物だっただろうな、と沼谷は笑った。
「そんな大袈裟な」
「芝崎さん、大袈裟ではありませんよ。山田さんは、貴女に対しては優しかったかもしれません。でも、他の人達に対しては警戒しているようでした。今まで居なくなった人達の事もあって、山田さんを刺激するような発言をする人は表立って居ませんが……」
芝崎は二人が語る山田を、まるで知らない人物のように感じてしまった。芝崎の知っている山田は、いつも楽しげに厨二病的な事を言って笑っている様な人だ。アニメやゲームの話も何度もした。年齢は自分よりいくつも上なのに子供っぽく苦労もさせられる。しかしいざと言うときは確かに大人で頼りになった。
「………大丈夫か?」
急に黙り込む芝崎を沼谷が心配した。
「余計な事を言ったみたいで、すみません」
小林が彼女の異変に半ば反射的に謝罪する。芝崎はハッとして顔の前で手をひらひらと振ってみせた。
「全然大丈夫です!ちょっと驚いただけですから。ほら、仕事を片付けないとその元相棒の人の話も聞きに行けなくなっちゃいますからね!早く片付けちゃいましょう」
笑顔を作ってみせる。些か空元気であったが、二人は追及はせず頷いた。
「そうだね。今一番大切なのは、未曾有の思想集団のボスを発見し捕らえる事だ。西さんの証言に基づいて、それらしき人物の似顔絵も上がって来た所だ。見てみろ」
その似顔絵を見て、芝崎は目を見張った。
「…………この人」
独特の雰囲気を纏った青年。具合が悪いのかと気を遣ってくれた、あの時の男だ。
「!?知っているのか??」
「はい、いや……いいえ。ろうそく祭りの会場で、ほんの少しお話をしたんです。名前や詳しい事は何も……」
「…………そうか」
彼女の話によると、あの日狩谷に攫われそうになった所を阿笠が追いかけてきてくれた。その先では、救世主と呼ばれる人物が待ち構えており、もしもの時の為に逃がしてくれたのだという。三人はそのまま山林の奥──廃トンネルへと向かったのだ。
そしてその後、遺体となった狩谷と意識不明の阿笠が発見される事になる。
あの時の男が、救世主。
阿笠が精神に異常をきたし、あんな状態になったのはあの男の所為なのだ。
「今までの取り調べで口を割らなかった人達も、これを見れば気が変わるかもしれません。気を引き締めていきましょう」
小林は拳を握り、芝崎を奮い立たせてくれた。
「必ず首謀者を見つけ出しましょう」
三人は沢山の捜査資料を抱えて、取調室へと向かう。
恐ろしい真実が、待ち受けているような。そんな不安が彼女の足取りを重くさせた。




