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パリピ探偵ポア  作者: 吉良 瞳
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【915:あ】アガサとポアロ2


『2』とありますように、『【915:あ】アガサとポアロ』の続きになります。

『【915:あ】追憶のアヴェマリア』と合わせて、内容をお忘れの方は先に読み返す事をおすすめします。

 



 静かな住宅街。築年数がそれなりに経った家々が犇く、夕飯時には美味しそうな煮物の香りが漂うような、平穏な土地。その中に色褪せる事なく存在する、個人経営の古本屋。店先にはどれでも100円と書かれたコンテナがあり、その中には小説ばかりが納められていた。ぎっしり詰まったそれを取り出そうとすると、やや硬く手間取ってしまう。あまり客の事を考えているとは言い難い。それでも、きちんと軒先に置かれ、雨の日にはビニールシートがかけられているので本に対しては親切なのだろう、店主の性格がそこに現れているような気がした。

 否、店主は暫く店に立っていないらしい──この古本屋に通い始めて暫く経つが、その存在を認めた事は無かった。孫が暇な時に店を開けて、手入れをしているだけのなかなかに杜撰な経営実態。つまり、この無限在庫とも思える本の山の管理をしているのは、殆ど孫のようだった。彼はまだ高校生で、学校がある時間は当然閉店。遊びに出かけている時も、当然閉店という有様だった。孫が面倒になればなくなってしまうのも時間の問題と言えた。


「え?やめないよ?俺高校卒業したらこの古本屋継ごうと思ってるし。じーちゃんも良いって」


 孫──彼は私の教え子だ。初めて古本屋に訪れてからというもの、時々顔を出すようになった。彼とは本の趣味が同じで意気投合し、こうして時々話をするようになった。特別に親しくしようという訳では無いが、この古本屋は品揃えが自分の好みだ。だから、通っている。それだけだ。


「分かっていると思うが、古本屋の経営は大変だぞ。企業に就職にしろ継ぐにしろ、大学に進学する方が良いだろう。経済学……いや、商学部辺りがおすすめだ」


「はぁ〜〜??」


 興味が無い、と分かり易い態度を取る。彼は新しく入荷したらしい古本を本棚に並べている。買い付けの仕事は流石に店主である祖父がやっているらしい。認知症気味だとは聞いているが、子供にやらせられる事ではない。

 私はその脇でめぼしいものがないかタイトルを物色していた。


「どうせ行くなら文学部がいいな。乱歩とか、夢野久作とか、文学作品について学んだ方が楽しそう。経済とか無理。俺の政経の点数知ってるっしょ?」


 私の受け持つ現代文と古典以外は赤点スレスレ。向上心もあまり無いらしく、補習にならない程度にしか勉強してこない。やれば出来ると思うのだが。


「研究者や出版関係の仕事に就くならそれも良いがな。店を持って経営するなら文学の専門知識より実益のある方がいい……」


「あーあーきこえなーい。進路相談は学校でやってくれる?お客さん」


「……それもそうだな」


 大人しく引き下がる事にする。流石に実家の手伝いの最中に、教師に将来についてチクチク言われるのは不愉快だろう。入店拒否されては困る。ふと、並べたての本の背表紙に目が止まる。ああ、絶版のカフカ全集……何故、此処に……。


「ちょっと先生、邪魔しないでよ」


 ごくりと唾を飲み手を伸ばそうとするが、彼の作業を妨げてしまった。手を引っ込めて、本へと視線を送る。


「…………あれ、いくらだ」


「これ?」


 ニコ……と悪徳そうな笑顔を浮かべて指を立てる。その値段に、私も顔を引き攣らせた。


「まあ、ここで読む分にはタダだけど」


「ありがたい」


 どうか買われませんように。……店的には売れた方が良いに違いないのだが、そう思ってしまっても仕方がない。お金を貯めて購入しても良いが、自宅の本棚のスペースを考えると手持ちを減らす必要があった。何せ、冊数もそれなりで一冊一冊が太い。

 祈りを込めて合掌すると、彼はクスクスと笑った。


「ほんっと、そういうとこ。わかるわかる。

 そーだ、先生。これ絶対好きなやつだから取っておいたんだ。買ってよ」


 そう言って一冊の本を差し出す。


「買ってよ、じゃないだろう。買うかどうかは見てから決め……、………………」


 差し出された本をぱらりと捲る。余り聞かない作家の知らないタイトル。眉唾だと思いつつ最初の数行に目を落とす。


「…………っしゃ!」


 彼が小さくガッツポーズをした。私はそれを無視して本から目を離さず備え付けの小さな椅子に腰掛けた。

 本を整理する教え子と、読書をする私。心地の良い静けさ。


「………買っていく」


 私が本から目を引き剥がせた頃には、彼は既に作業を終えて奥で携帯電話を弄っていた。かなりの時間が経っていたらしい。


「まいど〜」


 ほらね、と言いたげな笑顔。財布を広げながらその顔やめろと言うと、更に嬉しそうにされてしまう。

 会計を済ませて店を出る。わざわざ入り口まで見送ってくれる彼に、首だけ振り返って声をかけた。


「丸井」


「なに?」


「明日、遅刻するなよ」


 またな、と別れの挨拶をする。すると彼は「うっせー」と返した。

 ……そんな日々が、暫く続いていた。




【915:あ】阿笠図書と丸井歩愛




 ***




「──丸井」


「へい」


「へいじゃない。大事な話だ」


 面倒な話題だと察知した彼──丸井は顔を(しか)めた。


「お前、全然勉強してないだろ。なんだこの生物の期末テスト。担当の先生から言われたぞ。最近習った部分は点を稼いでいるが、一学期の所は殆ど間違っている。忘れたまま復習せず、放置しているという事だ。他の科目もそうだ。今はこれで赤点は回避出来ても受験で失敗するぞ」


「え〜、だって大学行く気無いし……」


「………今度の進路相談、親御さんに言うからな」


「はぁ〜!?マジ勘弁……」


 放課後は読書仲間であったとしても、学校では私達は否応無く生徒と教師である。昼休み、彼を廊下の隅に呼び出して説教を垂れた。次のテストへの意欲を少しでも見せてくれさえすれば不問にしようと思っていたが、やる気がなさそうに腰まで下ろしたズボンに手を突っ込み、気怠げに頭をぶらぶらさせている。派手なショッキングピンクのボクサーパンツが丸見えだ。体を揺らす度に、耳に施した逆三角形の飾りがチャラチャラと揺れる。

 早くこの場が終わらないかと思っているのがダダ漏れだ。


「勉強、嫌いなんだよ。勉強するくらいなら本を読んでいたい」


「……お前は暫く本を読むな」


 呆れた。頭の中では挟んだ栞の先が気になるらしい。


「世の中の子は本を読めと言われて育つ筈なのに……!」


 何事も過ぎれば毒だ。気持ちは分からないでもないが、成績を向上させる事が私の務めである。先日薦めてくれた本のお返しは暫くお預けだ。

 ──丸井がショックを受けていると、その背後から声がかかった。


「ポアぴまだ〜?」


「ナイト、ココちゃん。わり、もー終わっから」


「早くしねーと、体育館のコート取られるべ」


 逆立ったヘアスタイルの男子生徒と、スカートを限界まで短くした女子生徒。丸井の居るグループの友人達だ。昼休みの時間はよくバスケをして遊んでいるらしい。二人は丸井を待っていたが痺れを切らしたようだ。


「とにかく、そういう事だから」


 丸井は私との会話を終了しようとした。


「待て。生物と数学は先生達が希望者に復習の時間をとってくれるそうだ。放課後、今回の期末で出た所の解説をしてくれるから、お前も出てこい」


「えー?それって補習と変わんないじゃん。俺はいい」


「お前な……」


 一考の余地無し。私が言い返す前に、騎士(ナイト)が言葉を挟んだ。


「ポアぴ行かねーって言ってんじゃん。うっぜ」


「てかそんなん行く奴いないっしょ」


 心愛(ココア)がゲラゲラ笑った。下品な笑い方だ。騎士が「ほら行こうぜ」と丸井の肩に腕を回し、体育館へと向かわせた。小煩い面倒な教師を相手にするつもりはもう無いらしい。


「あいつマジ無いわー」


 あいつ、とは私の事なのだろう。年上を敬えとは言わないが、不遜にも程がある。大きな溜息が出た。これを追求する気力は持ち合わせていない。


「…………」


 友人達と悪口で盛り上がる中、丸井が首だけ振り返って一瞥をくれた。その表情は気不味げで、そんなつもりじゃないと言いたげだ。しかし友人に向き直った瞬間には、笑顔が貼り付けられていた。


 彼は生来八方美人なのだろう。以前にも似た様な事があった。

 友人に同調して、グループからはみ出さないように。常に一軍のリーダー足らんとするのは大変だ。元々そういう気質があれば良いのだろうが、丸井のそれは何処か無理が見える。虐めや孤立した生徒へは教師がケアに入る所だが、丸井の友人関係は、その人間の質は兎も角として、非常に良好だ。余計な口を挟む必要はあるまい。

 次に二人で会った時、それとなく私の事は気にしなくて良いと言ってあげようと思った。




 ***




 三者面談。教師が恐る職務ベスト3に入るだろう。高校二年にもなると、進路の話をしなくてはならない。此方の提案、親の希望、生徒の意見。上手く噛み合えば良いが、噛み合わない事の方が多い。ともすれば教師に話さず勝手に決められてしまう事もある。それで、教え方が悪いだの、聞いていないだの、後で叱責を受ける事となる。真面目な生徒の面談ならば比較的気楽なのだが、問題児達とその親、この親にこの子有り、蛙の子は蛙、だと思うと胃がキリキリ痛んだ。

 胃薬を飲んで、なんとかあ行からな行の生徒の面談まで終わらせた。次はとうとう、問題児丸井の番だ。悪い子では無いのだが、勉学への意欲が無さすぎる。部活にも入っておらず、放課後は古本屋の手伝いをする以外は遊び歩いているようだった。健全な高校生なのだから、遊びに出かけるのは普通だ。普通だが、行き先が余りよろしくない。DJ、ダンスを楽しむイベント……所謂クラブに友人達と出入りをしている様子が会話から伺える。未成年にお酒を出す事は無いだろうが、どうしても浮ついて気が大きくなってしまう環境だ。頭が固いと言われようが、大人で教師としては通わせたいと思える場所では無い。私が学生の頃、先輩の誘いを断れず訪れてしまい、山田と二人で震え上がったものだった。また、合コンも頻繁に行っているようで、複数の女性の名前が上がりデートに興じている事も気になった。

 何処まで踏み込むべきか、面談当日になった今も悩んでいる。私と丸井の二人で本の話をしている時は、ただの文学少年なのだ。欲目かもしれないが、派手な遊びをしている丸井よりも、アガサ・クリスティーが好きだと言って目を輝かせる丸井の方が本当の姿だと感じる。


「──次の方、どうぞ」


 丸井の父親、母親はどちらの人種だろうか?それによって話の展開は大きく変わる。


「失礼します」


 教室の扉が開く。女性の高い声。母親か。

 立ち上がり、一礼する。


「────」


 向かい合って、丸井の母親を見る。息子と同じ、ふわふわとした猫っ毛のロングヘア。くりくりとした大きな瞳に小さな唇。華奢な肉体に不釣り合いな豊満な乳房。服装は反して極めて質素で、無地のグレーのフォーマルなジャケットとスカートのセットアップを着ていた。靴は黒のフラットシューズ、持っている鞄は安物のようで手持ちの皮が剥がれかかっていた。


「今日はお時間を下さって、有難う御座います。よろしくお願いします、先生」


「やっほー先生。おてやわらかに〜」


 母親がにっこりと、挨拶をする。後から丸井も入ってきて、緊張感の無い事を言う。

 私は、その挨拶に応える事が出来ずに立ちすくんでしまった。生唾を飲む。


「………?如何、しましたか?」


「せんせ?」


 母親と、丸井が不思議そうな顔をする。私は、丸井の母親を見た瞬間何を話せば良いのか分からなくなっていた。顔に熱が集中して、胸を鷲掴みにされたような感覚に陥る。月並みにも、そうとしか表現する事が出来なかった。


「え……?………ひょっとして図書くん?」


 矢張りそうだ。

 母親──彼女の呼びかけに、確信した。そうだ、彼女は私がまだ高校生の頃。ほんの僅かな時間ではあったが鮮烈に残る思い出。長い時を経て、我ながら美化してしまっていると思っていた。だがしかし年齢を重ねても尚、あの頃と何の遜色の無い、否想像以上に美しさを彼女は秘めていた。

 驚愕と緊張、困惑、喜びと、甘酸っぱいような。様々な感情に脳の処理が追いつかない。当然対面を取り繕う事も叶わず挙動不審だっただろう、しかしその私の反応を是と取ったのか、彼女はぱあっと花が綻ぶように微笑んだ。


「やっぱりそうだっ!わぁ〜懐かしい!!図書くんが学校の先生?似合いすぎ〜!!!」


 (おもむろ)に手を掴まれて、ぶんぶんと大袈裟に握手をする。されるがままになる。


「………………………………………お久しぶりです」


 蚊の鳴く様な声が出た。私と母親の様子を見ていた丸井が「は?」と筆舌し難い表情をしていた。


「え?なに?どういう状況?」


「大きくなったねー。昔から身長は高かったけど、更に伸びたんじゃない?通りで歳をとる訳だわ!!あはは!!あれっ?私おばあちゃんみたいな事言ってるしっ」


 バンバン、と肩をどつく。曖昧な返事を返し(なが)ら、こんな人だっただろうか?と思った。もう少し大人で、上品なイメージがあった。性格面に関してだけは私の妄想と美化が入っていたのかもしれない。

 私はなんとか取り繕おうと、咳払いをして椅子に座るよう促した。


「……改めまして、丸井歩愛君の担任の、阿笠図書です。本日は歩愛君の成績と進路について──」


「歩愛君、だって。なんか照れるな」


「あ、私の事はメアリちゃんって呼んでよ」


 ……絵に描いたようなこの親にしてこの子あり、である。なんで彼等はそんなにマイペースで居られるのだろう。


「そんな事よかさ〜、せんせとかーちゃん知り合いなんでしょ?なんで?どうして?聞きた〜い」


「実はね……」


 こっちの話を聞け。

 ……と言いたい所だが、突然の再開に思う様に言葉が出ない。後に他の生徒の面談も控えているというのに、支障をきたしそうだ。

 ──ちょっと待て。メアリちゃん?


「……あの、つかぬ事をお聞きしますが、お母様のお名前は……?」


「……マジでなんなの?やっぱ知り合いじゃないの?」


 丸井は机に頬杖をつこうとして、がくっと顎を滑らせた。当然と言えば当然の反応だ。


「あれ?名乗って無かったっけ?メアリー・ウルストン・ゴドウィン・シェリーって言うの」


「ああ、メアリー・ウルストン・ゴドウィン・シェリーさんと仰るんですね。………って、」


 どう考えても嘘である。丸井でも無く、日本人ですら無い。


「………金色夜叉の次はフランケンシュタインの作者ですか?」


 鴫沢宮(しぎさわみや)巖谷(いわや)すま子。メアリー・ウルストン・ゴドウィン・シェリー。偽名のレパートリーには事欠かなそうだ。


「!やっぱり分かってくれるのね!嬉しいわ〜」


 確信犯である。昔から、このやり取りに何の意味があるのだろう。


「………ひょっとしてかーちゃん、他所でもそういう事やってんの?」


 丸井がドン引き、と口をへの字に曲げた。俺のかーちゃん、そういう所あるから……と私に謎のフォローをする。


「女は簡単に自分の本名を教えちゃいけないものなの。うっかり攫われちゃうからね。──なんて。本当の名前は、丸井芽愛里(めあり)って言うの。よろしくね」


 メアリ、というのは本当らしい。謎の持論は横に置いておくとして、本題に入るとする。このやり取りで大分時間を無駄にしてしまった。ただでさえ問題児だというのに。




 ***




 ──彼女と最後に会った日。

 その日は休日で、私は図書館へ借りた本を返却しに行こうとしていた。借りた本のタイトルは『金色夜叉』。尾崎紅葉という明治時代の作家の作品だ。偽古典主義という偽古文の書き方をした、当時の作品と比較してもより古臭い感じのする作風のものだ。それもその筈で、偽古文とは平安時代の書き方を真似たものである。

 江戸後期から明治にかけて、井原西鶴の浮世草子の影響を受けた作家たちが、人情劇を描いた作品を数多く残した。尾崎紅葉はその作家達と共に硯友社(けんゆうしゃ)という文学結社を作り、古典回帰を唱えた。

 まだ高校生の私に、尾崎紅葉の作品は非常に難しかった。読書家である事が功してあらすじだけはなんとなく知ってはいたが、きちんと読もうと思うと分からない言葉が多過ぎる。辞書を引こうにも、普通の辞典では引っ掛からない。尾崎自身が創作した言葉に当て字がつけられている始末なのである。

 あの風俗嬢に読めて、私に理解出来ない事が屈辱だった。理解できないまま返却時期が来た事も不愉快であった。



「あ、図書くん発見!」


 この本を返したら古典の勉強を始めようと思っていた所に、呼び止められる。そんな風に私を呼ぶ人間はただ一人、今し方屈辱を感じていたその張本人であった。反射的に『金色夜叉』が入った鞄を隠すように持ち変えた。


「こんにちは……」


「はい、こんにちは。ねえ、今から時間ある?一緒に来て欲しい所があるんだけど……」


「暇だとしてもその内容次第ですね」


「良かった!暇なんだね!」


「話聞いてます?」


 こっちだよ、と腕を絡め取る。女性とのスキンシップは、思春期の私には刺激が強過ぎた。

 それに今日は草臥(くたび)れた量販店の衣服ではなく、少しよそ行きの清楚なフレアスカートを履いている。鎖骨には繊細なネックレスがかけられ、ノースリーブに大きなフリルの付いたブラウスを着ていた。白いブラウスに下着が少し透けて見えて、大袈裟に目を逸らした。


「……結婚するんですよね?」


「するよ?それが何?」


 高校男子など眼中に無いのだろう。当然といえば当然だが、釈然としなかった。


「兎に角、こっちこっち!」


 引っ張られるがままに、しぶしぶ着いていく。導かれた先は、小綺麗なドレスショップ。私とは縁もゆかりも無い店だ。


「ウエディングドレス選びに付き合って欲しくてね。あの人ったら、仕事が忙しくて来れないって言うんだもん。一緒に来てくれる人が居なくて困ってたの」


「………や、おれの意見なんて参考にならないと思うのですが………」


 入りたくない。そんな心を他所に、彼女は私を無理矢理連れて入店してしまう。「ご予約の尾崎様ですか?」と綺麗な化粧にぴっしりとしたユニフォームの女性が声をかけてきた。

 尾崎というのはまたしても偽名なのだろうか、流石に本名か、新郎側の苗字なのだろうか。当時の私には判断出来なかった。


「図書くん、お願いね」


 彼女のお願いに反論したいが、ニコニコと笑顔を浮かべる店員を前にして、今更店を出る事は躊躇われた。結局ドレスを選んでいる最中には店員とばかり歓談をしていた。私に話を振ってくる様子は無い。聞かれたところで良し悪しが分かるはずもなく、目に付くドレスがどれも同じに見えた。

 ドレスを選び終えるまで、仕方なく店内の隅に設置されたソファに座って待つ事にする。


「図書くん、着替えてくるから待っててね〜」


「はいはい」


 そう言って数着のドレスを店員に抱えさせて試着室へ入っていく。散々悩んでおいて、まだ決められないのかと呆れてしまった。選び始めて試着室に入るまで、一時間もの時間が経っていた。そこから着替えても尚、更に悩むのだろう。

 退屈だ。私が一緒に来た意味なんて無いんじゃないのか、と背凭れに倒れ込む。手提げ鞄に入った本は挫折した金色夜叉であるし、他の本も入ってはいるが返却予定のもので、読み終わってしまっている。

 ぼんやりとしていると、先程とは違う女性店員が私の傍にやって来た。


「折角ですから、新郎様も着替えませんか?きっと奥様も喜ばれますよ」


「…………え?」




 ***




「よくお似合いですよ!」


 オフホワイトのフロックコート。同色のウィングカラーのブラウス。薄ピンク色のベストに、ベストより濃いめのピンクのネクタイ。シルバーの刺繍が施され、胸元に同じデザインのポケットチーフを入れられた。白手袋まで着ける羽目に遭う。


「いや……ちがくて………」


 そんなに老けて見えるのだろうか。私は鏡を見て小っ恥ずかしくなった。まさか、新郎に間違われるとは思わなかった。身長故に実年齢よりも上に見られる事は度々あったが、成人以上に見られた事は初めてだ。否定しても照れなくて良いんですよと言われてしまっては貧弱なコミュニケーション能力では返す言葉も思い付かない。


「図書くん!見て見て!図書くーん??」


 別室に通されてしまっていた私は、彼女が待つ部屋へこの格好で戻らなくてはならない。さあさあ、と店員がグイグイ案内するので、脱ぎたいとは言えない。私を探す声に、居た堪れなくなった。


「失礼致します。──あら、素敵で御座います!」


 中に入ると、花嫁姿の彼女が居た。優雅に広がる全円形の純白のドレス。デコルテラインは大きく開いており、大きな石が付いたネックレスがその首元を飾っていた。髪まで高く結ってもらっており、今から式が始まると言われてもそのまま出られそうな完成度。その美しさに私は息を呑んだ。


「図書くん、どう?………って、」


 私の姿を見た彼女は目を丸くした。彼女に目を奪われて忘れかけていたが、無様な事に自分は今真っ白なスーツを着せられている。こんなに恥ずかしい事は無い。


「…………違うんだよ………」


「あっははははは!!!!」


 頰を朱に染めて明後日の方向を向く。ぽかんと開いた口の両端を釣り上げたかと思うと、大きな声で笑い始めた。まあ、そうなる。


「お姉さん、この子まだ高校生だし……」


 ヒイヒイと笑い冷めぬまま店員に伝える。すると彼女達はえっ!と動揺し始めた。


「こ、これはとんでもない失礼を……」


「いえいえ、面白いものが見れました」


 謝罪を受けるどころか、面白いなどと言う。私はむくれた。


「ちっとも面白くなんかない!」


「ごめん、ごめんなさい。いや、でもすごく似合ってるよ。可愛い新郎さん」


 馬鹿にしている。ごめんと言えば良いと思っているのだと思うと余計に反抗心が芽生えた。


「あんたの方こそ、馬子にも衣装?いつもダッサい格好してる割には」


「ほんと?ありがとう!」


 嫌味が通じない。


「やっぱり純白のドレスを着るとこれが女の幸せってやつなんだな〜って思うよ。

 ねえねえ、頭飾りはティアラとベール、どっちが良いと思う?ドレスはこれにしようと思うんだけど、どっちも憧れだから悩んじゃって。」


 この上更に相談に乗れと。私はやけくそで返事をした。


「はぁ?あんたは結婚式でお姫様にでもなるつもりなのか?おばさんが無理すんなよ。嫁ぐ相手は王子様じゃないだろうが」


 声に出してしまってから、怒っただろうかと恐る恐る彼女の顔を見た。


「………ふーん、成る程ね。じゃ、ベールにしようかな」


「え?」


「図書くんの言う通りだなって。私がなるのはお姫様じゃなくて花嫁さんだもんね。人のものになったんだから、顔をベールで隠した方が貞淑だよね」


 ベールにします、と店員に伝える。そんなにあっさり決めてしまって良いのか、と思ったが怒るどころか嬉しそうにする。


「あー、でも、それ他の女の子、自分が本当に結婚する時は言い方考えた方が良いよ?旦那様は王子様だって信じてる子も居るんだから」


「はあ……」





 ──彼女、芽愛里は幸せそうに笑っていた。このまま写真を撮っちゃおうよと勧められたが、必死の抵抗で何とか防いだ。

 嗚呼然し。あの瞬間だけは私が新郎で彼女は花嫁だった。


 この日が最後になると分かっていたなら、一枚くらい撮ってあげても良かったのかもしれない、

 息子に見られてしまう位なら、これで良かったのかもしれない。




 分からない。分からないが確かに言える事は──。




「──阿笠先生」




 ***




 三者面談。何をどう話したのか、何も覚えてはいなかった。成績不振のこと、進学を視野に入れるべきだと言うこと、最低限は話せたとは思う。教師失格な事にも、息子の事より彼女の事が気になって気になって仕方が無かった。なんとかその気持ちを晒すまいと平静さを偽装する事で沢山だった。

 次の面談もある為、20分そこそこで退出を促す。


「今日は本当に有難う御座いました。()()()()?」


「こちらこそ、お忙しい中……」


「ううん、図書くんとはまたゆっくりお話ししてみたいし。今度うちに遊びに来てよ。ポアくんとも仲良いんでしょ?」


 丸井は母親に私の事を話しているのだろうか、と息子の方を見る。しかし彼は首を傾げていた。


「阿笠先生と仲良いとか言ったっけ?」


「言ってないけど、学校の先生とそんな風に親しげなのは初めてじゃない?分かるわよそのくらい」


 彼女は嬉しいな、と微笑んだ。


「えー、でもやだよ。先生がうちになんて。全く、先生をナンパすんなよ」


「ナンパじゃないもんっ!」


 ……友達同士のような家族だ。そんな事を言い合い(なが)ら、教室を出る。


「あ」


 出ようとして、丸井が振り返る。そして私の所へ戻って来て、その母親そっくりの顔を私に近づけた。


「俺のかーちゃん美人でしょ」


 小悪魔的な、ニヤリとした毒のある笑み。


「………惚れんなよ?」


 ──そう言い残して、彼は今度こそ出て行った。

 へなへなと椅子に座り、私は頭を抱えた。




 初恋の人。




 とうに手遅れだ。

 そう言う事は、お前が生まれる前に言ってくれないと。





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