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パリピ探偵ポア  作者: 吉良 瞳
26/50

毒婦礼讃2




 判沢駅のモニュメント前。テレビ番組で取り上げられた事もある、巨大土鍋の美術作品。芸術に精通していない者達にとっては何故駅前に土鍋なのか、税金の無駄遣いではないのか、としか考える事の出来ない代物。それでも現在では判沢市の観光資源であり、デートの待ち合わせスポットとして有効活用されている。花江と村久も例外に漏れず、この巨大土鍋の前で待ち合わせをしていた。デートの三十分も前に花江の姿が現れて、それからずっとそわそわとしている。


「それにしても、何故染谷さんはこのデートの事が分かったんだ?SNSにも何も書き込みが無かったし、寺内さんにも連絡したが知らないようだったぞ」


「女の情報網ってやつがあるんじゃない?知らないけど。それか花江さんが染谷さんに話した」


「それは無いだろう」


「まぁね……しっかし、村久さん遅くない?」


 時計は既に待ち合わせ時間を過ぎていた。10時に集合だと聞いていたが、15分経っても村久が現れる様子は無い。花江も不安からか何度もスマートフォンで時間を確認したり、メールを打つ素振りを見せる。

 やきもきし乍ら待つ事更に15分、漸く彼女がその姿を見せた。


「奏太くーん!ごめん、お待たせぇ!」


 絹の様な美しい黒髪が肩で揺れている。透き通る様な白い肌に淡いグリーンのワンピース。その胸元は大きく開かれているが、中に着ているキャミソールが男の視線を阻んでいた。細いヒールのパンプスから伸びる足は美しく、女性らしい線を描く。化粧は予想程濃くは無く、爽やかな雰囲気の女であった。


「どんなキッツい女が現れるかと思えば…写真で見た通り普通だね。美人さんじゃん」


 巨大土鍋がよく見えるカフェテラスで様子を見守っていたポアは、フラペチーノをずぞぞと音を立てて飲み乍ら感想を漏らした。この様子だと先日は酔っ払って全く調査対象の事など見ていなかったのだろう。


「ああ。だからこそ騙される男が多いのかもな…個人的には声の高さが気になるが」


「いるいる。男の前では声が高くなる女の子」


 村久が花江に駆け寄ると、花江はホッとした様に胸を撫で下ろし、人懐こい顔に笑みを浮かべた。


「良かった〜心配したんだよ」


「ごめんねっ!どうしても寝癖直らなくって…ぴょんってなったまま奏太君の所いけないし」


「寝癖の夏樹も可愛いと思うけど」


「やだ〜」


 街を歩けば一組は見つかる、相思相愛なカップルにしか見えない。二人は仲が良さそうに、手を繋いでショッピングモールに向かって歩いていった。阿笠とポアも素早く彼等を追跡する。


「ポア、フラペチーノは置いてこい」


「やだよまだ飲みかけだもん」


 幸いフラペチーノはプラスチックのカップでテイクアウトが出来る様になっている。しかし、それを飲み乍ら歩くのは如何しても目立ってしまう。それでなくてもポアは人目につく服装をしている。数種類のペンキで汚した様なカラフルなTシャツに、ジャージ素材の半ズボン。サイドには傾向ピンクのラインが入っている。靴はメタリックなデザインの厚底サンダル。腕にはじゃらじゃらとブレスレットを重ね付け。これで目立つなという方が無理である。

 阿笠はそれを咎めたが、まあこんな男が誰かの尾行をしているとは誰も思わないだろうと考え直す事にした。

 しかし側から見れば派手な少年の隣を歩く、黒のスーツにネクタイを締めた阿笠の方が逆に人目を引いているのであった。



 ーー村久夏樹と花江奏太のデートは、至って平凡なものであった。村久が自分に似合う洋服を探して、花江がそれを見守る。花江は時折彼女に何方の方が良いかと聞かれそれに答え、或いは自分からこれはどうだと勧めていた。買う服が決まれば花江が会計をしていたが…特に村久が買ってくれと強請っている様子は無い。自然と花江の方が財布を開いているのである。二人が入る店自体も、それ程高い洋服ブランドではない。


「……ちょっと千冬ちゃんや寺内さんの情報とは違くない?」


「さあ、未だ分からんぞ。もう少し様子を見よう」


「ねえ、阿笠さんこの服俺にどう?似合う??」


「レディースだろうが」


 ポアは襟に花柄の刺繍の入ったトップスを広げて見せた。自分の体に当ててくるりと回る。何方かと言えば愛らしい顔立ちの彼に、その服は不思議と似合っていたがそう伝えれば調子に乗るのは目に見えている。また目的を忘れられては堪らないと阿笠は素っ気無い返事だけを残して彼等の様子を伺っていた。


「え〜なんか冷たくない?」


「服なら今度買ってやるから集中しろ」


「ほんと!?じゃあじゃあ、SUGAR BOYの新作欲しいんだけど一緒に見てくれる?」


「ああ、見てやる見てやる」


「やった〜〜!俺、頑張っちゃう!!」


 目に見えてやる気を出す姿に、最初から物で釣っておけば良かったのか、と阿笠の口から溜息が漏れる。

 ポアから村久と花江に視線を戻すと、仲睦まじげに次の店へ向かう所であった。慌てて跡を追いかけ、様子を伺う。


「奏太くん、いつも有難う。今度のデート、このお洋服着て来るねっ!」


「良いんだよ、君には可愛くしていて欲しいし。約束だよ」


「うんっ!…あ、アクセサリー見ても良い?」


「勿論」


 花江の表情と口振りは、矢張り無理強いされている様には見えない。周囲の証言と花江の態度の矛盾に、もどかしさを覚える。花江はこの悪女の事を本気で好いていて、染谷の事を蔑ろにしているだけではないのか。染谷は彼が村久に騙されているのだと健気に信じ込み、既に裏切られているとは知らず探偵事務所へ足を運んできた。そうとしか他に考えられない。

 アクセサリーショップの右脇の通路に設置されたベンチに座り、阿笠はさり気なく二人に視線をやった。二人は楽しそうに指輪やネックレスを選んでいる。これは説得は骨が折れるだろうなと染谷のことを哀れんだ。


「ところで阿笠さん。俺等の他に尾行してる人が居るみたいだけど、大丈夫なの?」


「なんだと?」


 阿笠は何故そう思うのかと壁に背を預けているポアを見上げた。やっとフラペチーノを飲み終えてゴミ箱に容器を捨て、彼はその視線を別の方向へ向けた。


「あの女の人。誰だか知らないけどずっと二人の事を付け回してるよ」


「あれは…寺内さん……?」


 花江と村久の居るアクセサリーショップの左斜め向かいの店。シンプルなストライプのブラウスにジーパン、小さなショルダーバッグ。服装は以前とは違うが、先日長時間の愚痴に付き合ったのだから見間違える筈が無い。寺内美佐子だ。


「知ってる人?」


「ああ、この間村久の情報をくれた人だ。一体、如何してこんな所に。…というか、ポア。いつから彼女の事に気付いていた」


「土鍋の所で待ち合わせしてる時から」


「何故それを早く言わない!?」


 寺内は花江と村久の姿を目で追いかけていたが、ふとした瞬間に阿笠と寺内の目があった。寺内はハッと目を見開き、慌てた様にその場から立ち去る。


「ポア、此処は任せる」


「はいよ、行っといで」


 阿笠は寺内を捕まえるべく足を急がせた。周囲の買い物客が不思議そうに振り返るが、二人の姿が見えなくなると何事も無かったかの様に再び目的の物を求めに行く。残されたポアは、その様子を見送ってやれやれと首を振った。


「モテる男は大変だよねぇ」




 ***




「ーー待てっ!」


「待たない!!」


「寺内さん!」


 ショッピングモールを出て、先程フラペチーノを買ったカフェの前で漸く寺内の肩を掴んだ。彼女は暫く抵抗して阿笠の手を退けようとしたが、先程より強い不審げな視線に気付き、遂に観念した様に肩を落とした。寺内は阿笠が何か言う前に、ぐっと彼を見上げて睨み付けた。


「何で、こんな事してるのよ!」


 息を荒げ乍ら食ってかかる。怒りを感じさせる様な声色に、どうして良いのか分からなくなる。


「いや…それは此方の台詞です。一体何故、あの二人の尾行を…」


「……はあ?私?私は、あの女のデートを見に来た訳じゃ無いったら」


 阿笠にはますます理由が分からなかった。今日この日この場所で、寺内が何故こそこそとショッピングモールを徘徊しなければならなかったのか。顎に手を当てて思考を巡らすも、答えは浮かばない。

 そんな阿笠の姿に寺内は「なんなのよ!」とヒステリックに叫んだ。しかし痴話喧嘩だと思われては堪らないと思ったのか、声を顰める。


「……貴方が心配だからに決まってるじゃない。図書さんからあの女が花江君とデートするって連絡が来て、ひょっとしたら何かしに行くんじゃないかって思ったら居ても立っても居られなくなっちゃって…」


 意志の強い吊り目がじんわりと滲む。「ほんとに、心配した」と小さく呟かれ自身の袖を摘まれたなら、どんなに鈍感な男でも理解する筈だ。


「……私は、寺内さんに気を遣って貰える様な男ではありませんよ。第一、会うの自体まだ二回目ですよ」


「貴方、一目惚れって信じないタイプなのね」


  突然の急展開に阿笠は息を飲んだ。そのまま二の句が出ない。彼女の告白が嫌だった訳では無い。恋愛経験が無く対応に困った、というのでも無い。純粋に、訳が分からない。理解に苦しむ。


「……何故、そんな嘘を?」


「図書さんったら、なぜなぜばっかり。…嘘だなんて心外。私、本気なんだから。あの子の事なんて忘れさせてあげる」


 阿笠の腕に自身の腕を絡ませ、耳元で内緒話でもするかの様に囁く。熱のこもった色っぽい声。短く切り揃えた髪が揺れ、シャンプーの香りが鼻孔を擽った。


「これからゆっくりお話しない?この辺り、ホテルも多いのよ」


「………」


 休日の真昼間、公共の場でそんな言葉が出る日現実に眩暈を覚える。側から見れば阿笠と寺内は恋人同士に見えるに違いない。「ねえ」と再び甘い声で催促されたなら、うっかり頷いてしまうかもしれない。


「……私じゃ、駄目なの?私にはあんな風に話を聞いてくれる人、貴方しか居ないの。だから、お願い。ちょっとだけで良いから、私とーー」


「…………私を甘く見るな」


「……え?」


 阿笠はやんわりと彼女の腕を解いた。そしてゆっくりとした足取りで、人気の少ない通りへ歩き出す。


「人は嘘を吐く際、斜め上を見る傾向があるという。だが女性の場合は、相手をジッと見つめる事があるらしい」


「…そんなの、人の癖って色々あるでしょうよ」


 寺内は後ろから同じ速度で阿笠について来た。阿笠には彼女がどんな表情をしているのか分からないが、不満げな顔をしているのだろう。その返答も先程の脳を刺激する様な女の声では無く、落ち着いた平静通りのものに戻っている。


「頼んでもいないのによく喋るのもそうだ。嘘を誤魔化そうとでも思っているのか、信用されようと言葉を重ねたいのか……ボディタッチもそうだな」


「ーーっ、だから!」


「何より、言葉とは裏腹に村久夏樹を憎んでいる様には見えない。正直君の演技は素晴らしいと思う。以前彼女の悪口を言っていた時は騙されかけたが…先程の君の表情を見て思った。それは本当に憎い相手に向ける視線じゃない」


「そんなのっ…!」


「憎悪している相手、蔑んでいる相手に送る視線というものは、もっと冷たいものだ。経験則として分かる。村久のSNSに載せられていた寺内さんの写真も、真底楽しそうなものばかりであったしーー」


「な、なによ…」


「今現在、目が泳いでいる」


「っ!」


 やはりそうか、と告げれば寺内は顔を真っ赤にさせた。騙し討ちに会ったのだと気付いたのである。


「それで?何を企んでいる」


 彼女の阿笠を見つめる表情ががらりと変わる。人を心配し、恋い焦がれている様な姿は何処にも無い。……其処にあるのは、恐怖と焦燥感。前髪を額に汗で貼り付け、何かに耐える様に歯を食いしばって、その目だけは負けるものかと燃えている。


「私が企んでる、ですって!?ふざけないで、企んでるのはそっちでしょ!?人の人生滅茶苦茶にして、一体何が楽しいの!?絶対に許さないんだから!!」


「………え」


 今度は阿笠が狼狽える番であった。彼女の化けの皮が余りにも予想外で、事情も全く分からない。ーー特定の人間の素行調査をしていて、こんな事になるだなんて。


「待て、一体何の話だ」


「犯罪よ!犯罪!!一体幾らのお金積まれてるのか知らないけど、人の人生はお金には代えられないの。そんな事も分からないの!?この外道!!!」


「外道………」


「さあ、吐いて貰うんだから、貴方ーー…」


 勇気を振り絞って阿笠の方へ一歩踏み出した。今の寺内は自身を無理矢理奮い立たせ、立ち向かっている様に見える。凶器の代わりなのか、ショルダーバッグを握り締め、まるで悪漢を退治せん構えである。

 阿笠には何が何だか分からない。しかしその張り詰めた空気は呆気なく第三者によって霧散させられる事になった。ーー警察である。


「女性が不審な男に襲われているとの通報がありました!」


「貴女ですね、大丈夫ですか!?」


「おい、取り押さえろ!!」


 ーー怪しい挙動を繰り返した顛末。阿笠だけが不審な行動をしていた訳では決して無いが、事情を知らぬ通行人は彼が一番犯罪者らしく見えたのだろう。実際、寺内は阿笠を犯罪者だと罵っていた。


「ち、違うぞ。私は…」


「阿笠さ〜ん、さっきの女の人どうだった〜?……って、あり?」


 間が悪く、ポアが連行される現場に現れる。ショッピングモールの正面がバスロータリーになっており、パトカーが其処へ急行して来た為である。……此処は駅のすぐ側でもある。こんな人通りの多い場所で手錠をかけなくても良いだろう、と自身の不運を呪った。


「何で逮捕されてるの……。俺、知らないからね」


「ぽ、ポア!」


 頼みの相棒は他人の振りをして「さ〜仕事仕事!」と態とらしく言い乍らショッピングモールの中へと戻って行った。見捨てないでくれという情けない懇願も聞き届けられず、冤罪を着せられたまま阿笠は留置所へと入れられる事になったのだった。




 ***




「おお、クリスよ。しょっぴかれるとは情けない」


「…………」


「……本当に何故こんなにしょっちゅう捕まってるんだ?ひょっとして私に構って欲しくてやってるのか?」


「それはない」


「無いのかぁ……」


 阿笠が現行犯逮捕されたと聞いた山田は、直ぐに彼の罪を晴らすべく駆けつけてきた。探偵稼業を開業した頃は必死になって彼を救う為に奔走したものだが、今現在では既に慣れた仕事になりつつある。いつもの様に上司に掛け合えば「また君の友人の阿笠君か」と嫌味を言われる始末だ。愚痴の一つでも言いたくなるのが通常だろうが、山田は極めて前向きな発言をしては、その張本人に玉砕されていた。


「…まぁ、今回は女性の寺内さんの方が誤解だと言ってくれたから簡単だったぞ。それから、お前に何か話す事があるらしくて今取調室で待たせている。念の為私も立ち会うが、構わないな?」


「彼女が?……分かった、頼む」


 散々阿笠を罵倒していた癖に、どういう風の吹き回しなのだろう。

 留置所から取調室へ場所を変える。何度来ても居心地の悪い場所だ、と阿笠が毒づくと慣れないでくれと山田が頭を抱える。その様子を見ていた警官達は苦笑いを浮かべるしかなかった。




 取調室には既に寺内美佐子、そして花江奏太と村久夏樹が居た。本来一対一になる机の前に三脚の椅子が並べられ、その対面に阿笠が座らせられる。山田が扉を背凭れにする様に立ち、此方の様子を伺っている。何とも居心地の悪い光景だと阿笠は額に青筋を浮かべた。これから、尾行していた事の糾弾を受けるのだろうか。それとも在らぬ濡れ衣を着せられるのか。ちらりと寺内に視線をやると、彼女は吊り上がった目を更に吊り上げて此方を睨んでいる。……やはり、先程のヒステリーの謝罪をしてくれる訳では無いらしい。

 一方で花江は困惑の表情を浮かべて、村久は自分を励ます様に花江に「大丈夫よ」と何度も声を掛けていた。




「………やっと来たわね。今から、貴方にいくつか質問をするから、それに正直に答えてちょうだい。分かった?」


 場が整った事を確認して、寺内が厳然とした態度で口を開いた。まるで尋問を受けているようだ、と阿笠は思った。


「……分かった。なんだ、質問って」


 見下す様な視線に取り繕う必要は無いと睨み返すと、正体を現したわねと言わんばかりに鼻をふんと鳴らした。


「貴方、誰に頼まれて花江君と夏樹の事を嗅ぎまわってたの?」


「それは、職務上答える事が出来ない。依頼主の秘密は守られるべきだ」


「答えるって言ったじゃない!」


 激昂して立ち上がり、机を叩く。予想していた反応であったので阿笠は何の反応も示さなかったが、村久が「きゃっ」と小さな悲鳴を漏らした。その声を聞いた寺内は頭に登った血が何とか収まった様で、咳払いをして着席し直した。……彼女達の関係性が、思っていたものと違う。流石に、気付かない筈が無い。


「なんなのよ、職務上って。あんた、何者なの?」


「言ってなかったか。私は、探偵事務所を開業している。ある人の依頼を受けて、村久夏樹さんの調査をしていた。」


「探偵?…それもまぁ、怪しいけど。てっきりヤクザかその筋の人かと」


 背後でブッと噴き出す音が聞こえた。山田である。笑う所ではないと分かってはいるのか、顔を手で覆い隠している。ちらりと視線を送ると「失礼」とまだ笑いが治らない声で謝った。


「あ、あー。寺内さん。如何して君は阿笠の依頼主の事が気になるんだ?」


 山田はこのままでは拉致があかないと思ったのか、調停役を買って出た。

 寺内は不機嫌そうな態度を山田に向ける。答えてはくれないのかーーと思った矢先、花江が何か言いたげに口を開きかけ、俯いた。


「花江さん?何か仰りたい事があるなら、話してください」


 山田が先を促すが、花江は顔色を悪くして言葉を紡げずにいた。


「いや、あのーー」


「いいの、花江君は大人しくしてて。この問題は私がなんとか片付けてあげるって言ったでしょ。どうせ警察に話した所で無駄よ。こいつから犯人の正体を聞き出しさえすればー…」


 一体何の話をしているのか。

 完全に寺内の独壇場で話を進めようとしているが、聞き捨てならない言葉が聞こえて来た。


「犯人って…一体、貴方達に何があったんだ?何か勘違いしてるんじゃないのか?」


「勘違いですって!?」


「落ち着いて下さい、寺内先輩」


 寺内は阿笠の言葉がいちいち感に触るらしかった。冷静さを失っている彼女を見た村久は、何かを決意したかの様に「全て私から話します」と凛とした声で口にした。デートの際聞いた甘ったるい声とは、違って聞こえた。


「……実は、私と奏太君…花江君はストーカーに狙われてるんです」


「…っ夏樹!」


「……ストーカー?」


 ひょっとして、そのストーカーと自分が勘違いされたのか、と思ったが事態はそう簡単なものではなかった。


「花江君は前から執拗に女の人にストーカー行為をされていて…“奏太君は私のもの”“愛してる”なんて言葉を綴った手紙が何通も送られて来たり、夜中に無言電話がかかってきたり。ゴミを漁れたりしていたらしいんです。」


 村久の話に、花江が頷いた。


「そして、私が花江君とお付き合いをし始める様になると、今度は私に“別れろ”“死ね”と書かれた怪文書が来たんです。盗撮された事もありました。他にも言葉では言い尽くせない様な嫌がらせを受けていて…。それで、会社の上司である寺内先輩に相談したんです。そうしたら、犯人は私達の近くで見張っている筈だから突き止めてあげる、って…」


 村久はストーカーに受けた仕打ちを思い出し、ぶるりと肩を震わせた。そんな彼女の背中を、花江が優しく抱く。


「……それで寺内さんは、私の事をそのストーカーの手先だと思い、その背後にいる人物を突き止めようとあんな演技をして近付いて来たんですね」


「…そうよ。貴方が夏樹の元彼って言って来た時、直ぐにピンと来たわ。夏樹は奥手で花江君が初彼だし、夏樹が男癖の悪い悪女だって話に同意する辺り間違いないと思った。上手く取り入ってストーカーの正体を暴こうと思ったの」




 ーー染谷千冬は、花江奏太のストーカー。

 阿笠は、自分が犯罪の片棒を担がされていたのだと気付いた。三人が嘘を吐く理由は無い。

 最初に嘘の情報を摑まされて、それを事実だと決め付けていた。全てに対して疑ってかかるということを、ただの調査だからと忘れていたのだ。


「…警察に話しても無駄、と仰っていましたが…実際、相談はされましたか?」


 遠慮がちに山田が問いかける。幾ら親しい人間が危険に晒されているからといって、自らが行動を起こすのは余りにも無謀だ。


「はっ!行ったわよ!でも夏樹は、実害が無いのなら動けないってお払い箱にされたって泣き乍ら話してくれた。ほんと、楽な仕事よね警察官って」


 何も言い返す事が出来ない。これは警察が無能で冷淡だからという訳ではない。だからと言って何もせず追い返すのも問題だがーー仕方が無いといえば仕方の無い話である。

 阿笠は暫く黙り込んでいたが、軈て花江と村久に頭を下げ、「彼女に会って以後こんな事をしないよう注意しておきます」とだけ告げた。




 ***




「阿笠さん、大丈夫だった〜?」


「…お前、私が助けて欲しい時に限って見放すよな。裏切り者」


「だって社会性の無いただの大学生が出しゃばっても意味無くない?ポアくんこわ〜い」


「…そうかい」


 二人は古風な風景が流れる茶屋街を歩いていた。事件の発端である染谷千冬に調査の結果を報告したいと伝えた所、外で会って欲しいと連絡を受けた。茶屋街は昼間はスイーツやお土産屋が営業しており、芸妓の姿は見られない。居るのは観光客ばかりで、地元民達は人気のスイーツ店の行列にうんざりとした視線を向けていた。


「で、どうするの阿笠さん。千冬ちゃん、花江さんのストーカーだった訳でしょ。村久さんの情報伝えちゃ駄目くない?全然悪女じゃなくて奥手で箱入りなただの女の子でした、なんてとてもじゃないけど伝えられなくない?」


「そうなんだが…一つ、引っかかる事がある」


 仲の良さそうな恋人同士が二人の側を通り過ぎた。銀箔のデコレーションをしたソフトクリームを食べ乍ら、次は何処へ行こうだのと話している。


「今まで、自分一人で花江と村久の事を調べていたのだろう?それが出来るのに何故わざわざ暴露るリスクを負って私達に依頼なぞしてきたんだ」


「それは、本人に聞くしか無くない?」


 茶屋街の脇道に逸れて、細い路地を抜ける。すると眼前に浅井川が広がる。その川に架かった古びた橋ーー松の橋の上に彼女は二人を待っていた。


「こんにちは」


 白のフレアスカートにシフォンのブラウス。繊細で薄い生地の下から伸びる手足は以前にも増して青白く、頼り無く見えた。


「やっほー、千冬ちゃん」


「こんにちは、染谷さん。依頼されていた件の、報告をしたいのですが…」


「場所を変えて…と言いたい所ですが、歩き乍ら話しませんか」


 染谷の申し出を承諾して、ゆっくりと歩き出す。阿笠が何から話すべきかと言葉を選んでいると、先に染谷が口を開いた。


「どうでしたか、あの女。酷い女だったでしょう。奏太君を引き離してあげられそうな材料は見つかりましたか?」


 悪びれもせず、彼女は如何にも深刻そうな表情で阿笠を見上げた。


「ーーそうですね。とんでもない女性でした。通りで、彼がなかなか別れられない訳です。花江さんと貴女は相思相愛なのに、邪魔をするなんて許せないですよね」


「ーーそう!そうなの!!!」


「ちょ、ちょっと阿笠さん?」


 事実とは裏腹に真逆のことを言う助手にポアは驚いて彼の腕を引いた。


「いいの、そんなこと言っちゃって」


 ポアが小さな声で囁く。阿笠はそれに小さく頷いて、染谷の隣に並んだ。ポアは仕方無く二人の後ろを付いていく事にした。


「花江奏太さんは悪質な嫌がらせを受けていました。怪文書が送られて来た事が何度もあったらしいですよ。無言電話にゴミ漁りまで。」


「え…?」


「村久さんにも別れろ、といった手紙が届けたにも関わらず、彼等は別れる事はありませんでした。苦境にあってより一層二人の仲が深まってしまったのでしょうね。強いですよね、お二人共」


「は……?はぁ……?意味、が、分からない…」


「相思相愛なのは、貴女の妄想の中だけだったんじゃないんですか。とんでもない女とは、染谷さん。貴女の事です」


 ど直球じゃん!とポアは心の中で絶叫した。彼に任せたのが間違いだった、と顔を手で覆う。

 案の定染谷は驚いた表情をして、そのまま視線を地面に落とした。


「ちが、…違います。本当に私と奏太君はお付き合いをしていて…。あの女が現れる前まではデートだって、沢山したんです。私の具合が悪い時は、いいって言ってもお見舞いに来てくれたり…」


「そういう嘘は聞きたくありません」


「嘘じゃ、嘘なんかじゃ無い!無いもん!!ちが、違うんだから!!」


 阿笠が冷徹な態度を取ると、染谷は目に見えて動揺しだした頭を抱えて、まるで自分に言い聞かせる様に違う違うと何度も呟く。


「あ、阿笠さん。あんまり刺激しない方が…」


「甘いぞポア。こういう事はガツンと言って、やめさせなければ」


 染谷の足取りは次第に覚束ないものになっていき、和永町に入った所でしゃがみ込んだ。人通りの無い置屋の並ぶ区域まで歩いて来たため、三人の姿を認める者はいない。ただ何処からか三味線の練習する音が聞こえてくるのみである。


「私は、いつも会えない分、お手紙を出したり…病院から電話をかけたりしたけど。それ以外は、何も…。ほん、本当に、何も、知らない!しらない!しらない!!!」


 尋常では無い様子に、流石に阿笠も不安になってくる。手首の包帯を掻き毟り、顔面を蒼白にさせている。ただでさえ青白い顔が幽鬼の様になり、長い髪が顔中に張り付いていた。


「……染谷さん?」


 とりあえず落ち着いて貰おうと、背中に手を触れようとする。彼女はその手を払い退けて、じりじりと後ずさった。白いスカートが石畳の上で擦れて汚れてゆく。


「わ、分かった……貴方もあの女に騙されてしまったのね。そうだ、それしか有り得ない…。私も馬鹿だった、最初から人に頼らず、一人でやれば良かった。早く奏太君を返して貰わなきゃ。早く、あの女を殺しに行かなきゃ!待っててねー!そうたくん!!いま、あたしがたすけてあげる!あたし、がんばるから、まっててぇ!!!!」


 完全に彼女は常軌を逸していた。目の焦点はあらぬ方向へ向き、何処も見てはいない。三日月に歪められた唇は涎に塗れ、先程までの彼女の姿は無い。

 二人が為すすべも無く呆然としていると、近くで車が駐車され誰かが走って来る音がした。


「千冬さん!」


「ぁ……?…そうたくんだぁ……ウフフ、あいたかったぁ。あたし、ずっとまってたの」


 息を切らせて走って来たのは花江奏太ーーではなく、見知らぬビジネススーツ姿の男性だった。彼は染谷に駆け寄るとそっと彼女を抱き寄せて「待たせてごめん」と呟いた。


「千冬さん、また病院を抜け出したんだってね。お医者さんが心配していたよ。早く戻ろう」


「うん。そうたくんがそういうなら」


 染谷は幼い子供の様に無邪気な笑顔を浮かべて、彼の手を握った。

 男性は、阿笠とポアに向き直り頭を下げる。


「私の妻がご迷惑をお掛け致しました」


「妻…?」


 男性は銀縁の眼鏡を中指でかけ直し、遠慮がちに阿笠とポアに事情を語り出した。


「はい。…といっても、まだ婚約中の段階ですね。

 実は、彼女は心に大きな病を抱えておりまして。…私はアメリカで出版社をしておりまして、なかなか日本に居られないんです。…妻には寂しい思いばかりさせていました。かといって慣れない海外生活も苦でしょうし。

 その結果が…私と同じ名前の男性に執着する様になってしまったんです。そんなに沢山居る名前でもないのにどうやって見つけて来たんだか…。その、私とは別の花江奏太さんの事も、私本人だと思っている様で」


「えっと…つまり、貴方のお名前は花江奏太さん。染谷さんは貴方の身代わりに同姓同名の花江奏太さんをストーキングしていた…と」


 彼女は恋人と遠距離生活を送り、元々精神状態が良くない事も相まって同じ地域に住む同姓同名の花江奏太を恋人だと思い込む様になった。そうとは知らない花江は村久夏樹と交際を始めたが、染谷の思い込みは激化し『浮気された』と判断してしまった。ーーつまりは、そういう事であったのだ。


「彼女がこうなってしまったのは、私の責任です。ですから今の仕事は辞めて、日本で就職しようと決めて帰国してきました。治療を続ければ症状は良くなると聞きましたし……もう、皆さんにご迷惑はおかけしないようにしますから。本当に、申し訳ありませんでした」


「あ、ああ…」


 染谷と花江は、肩を寄せ合って行ってしまった。残された阿笠とポアは、顔を見合わせて沈黙した。


「………。………阿笠さんやい」


「…なんだ」


「心を壊した女の子相手に酷い事するよね」


「だまれ」


 現状証拠的に、染谷は責められても仕方ない状況にあった。だから仕方がなかったのだと阿笠は自身を正当化する。まあこんな日もあるよねとポアに慰められてもちっとも心は晴れなかった。そもそもこの男も、取り乱す染谷に驚いて離れた所から見ているだけの最低な男と成り果てていた。彼にだけは咎められる謂れは無い。


「ーーさて、ヘイスティングズ。我々も事務所に帰ろう。後ろは振り返らず、前だけを見るんだ。絶対、振り返っちゃ駄目だぞ」


 陰惨とした気持ちを追い払う為か、ポアは努めて明るく切り替えた。そして、矢鱈と振り返るなと強調する。


「…なんだ?過去の失敗を悩んでくよくよするなという意味か?」


「…もう阿笠さんを慰めるのは終わったよ。いいから、早く行くよ」


 どん、と阿笠の背中を押す。なんだどうしたと尋ねてもポアは返事をしない。そのまま置屋の通りを抜けて和永町の事務所を通り過ぎ階段を

 上がる。すると其処は神社の裏手口に出て、お稲荷様が現れる。普段なら手を合わせてから通り過ぎるのだが、今日はそんな暇も与えられず「はいはい行きますよー」と言って大通りを目指した。

 大通りまで出れば人通りも増え、茶屋街で見た観光客が丁度帰って来る姿がちらほらと見えた。其処まで来るとポアはきょろきょろと辺りを見回してから、はあ、と溜息を吐いた。


「ポア。そろそろ教えてくれ。なんなんだ急に」


「……ずっと後つけられてたの、気付いてなかった?」


「なっ…!?一体、誰に?何の為に…?」


 無知蒙昧なヘイスティングズに教えてあげよう、とポアは朗々と答えた。阿笠は何か言ってやりたいと思ったが、話してくれなくなるかもしれないのでぐっと堪える。


「俺、阿笠さんと千冬ちゃんの後ろ歩いてたから気付いたんだけど…。寺内美佐子さん、だっけ?ショートヘアのあの人。ずーっと俺達の事見てたよ」


「は…?…ま、まさか、花江さんをストーカーしていた染谷さんに復讐する為に…?」


 阿笠の後をつければ犯人が分かると思ったのか。事実その通りであるので背筋が凍る。


「んー、ちょっと違う。ていうか、村久さんなら兎も角なんで会社の上司で仲良いだけの寺内さんが復讐するんだよ。」


 思わず、もういない事を確認したくなり阿笠も周囲を見回す。様子を見る限り、今はもういなくなったようだ。


「あの人最初からなんか可笑しかったよね。どれだけ親しくても、自分の身を危険に晒す事する?

 だいたい、この間ショッピングセンターで見かけた時、花江さんと村久さんの居るアクセサリーショップが見える、斜め向かいに彼女は居た。俺達はアクセサリーショップの脇の通路のベンチに居たんだ。ショップを背にする形だったんだから、寺内さんの方から俺達の姿は見えない。阿笠さんをつけていたなら、反対側の店に居る筈じゃない?あれは花江さんと村久さんをつけていて、阿笠さんが様子を伺おうと顔を出したから寺内さんは気付いたんだ。」


 ポアの説明を受けて、阿笠はあの時の状況を思い返す。確かに、彼のいう通りだ。彼女は花江と村久を見ていた。それは阿笠も認知するところだ。しかし二人を尾行する理由が彼女には無い。それに何故阿笠に取り入ろうとした、などと言ったのか。


「……寺内はそれだけ、二人を心配していた、とか」


 皆目見当も付かず、ついそんな言葉が口に出る。するとポアは大きな溜息の後「バッカじゃないの」とじとりと阿笠を見上げた。


「阿笠さんに取り入ろうとしていたのは本当だろうね。花江さんのストーカーを突き止めたかったのも本当。でも、あのタイミングで取り入るつもりじゃなかった。覚えてる?あの時の慌てよう。あの日の狙いはやっぱり花江さんと村久さんだよ。

 …それから、話が少し変わるけど染谷さん。あの人、花江さんには手紙書いたり電話したりしたって言ってたけど…村久さんに関してはなにをした、とは言ってなかったよね。それに、阿笠さんが「村久さんに別れろと手紙を届けただろう」って言った時「意味が分からない」って言ってたじゃん?」


「つまりお前は…村久夏樹への嫌がらせは、寺内だと言いたいのか?」


 ポアがにやりと笑った。しかし阿笠は自分で答えておきながら理由が分からないと首を捻った。


「そう。寺内さんは花江さんが何者かにストーカー行為をされていると知っていた。ならば自分が村久さんに嫌がらせをしても、その犯人の所為だと二人は思い込むに違いない。全部擦りつけてしまえばいいと考えた。そこで、千冬ちゃんとは別口で行動を起こした。相談を受けて二人を心配する振りをして、花江さんに取り入る隙を狙っていたのさ。」


「馬鹿な…」


 あの勝気で真面目そうな女の顔が脳裏に浮かぶ。あの女は、一体何枚の顔を持っているのだ。

 ふと、そこである事に気付く。


「…私は当初、寺内さんが自発的に村久さんの悪口を話し始めたからこそ、彼女は染谷さんの言葉通りの女だったと思い込んだ。しかし実際の所は寺内さんと村久さんの関係は良好で、あくまで犯人を探るべく私に取り入る為の作戦だった。…そう判明した筈だった。

 だが、花江さんの事を寺内さんも狙っているとなると、話は変わってくる。果たして村久さんを散々罵って聞かせたあの話は本当に嘘だったのか?…そうとは言い切れまい。

 ……二人の証言通り、やはり村久さんも花江さんを手玉に取り騙している可能性が無きにしも非ず、って事か…?」


「さぁ、流石にそこまで人様の恋路に首を突っ込みたくは無いなぁ。ま、阿笠さんがそう思うならそうなんじゃない?」


「もう、何も信じられない…」


 ちょうどその時、ブレザー姿の女子高校生が阿笠の隣を通り過ぎる。持病が唐突に発症し、ウッと呻いて地面に吐瀉物を打ちまける。女子高校生は「ギャア!キモッ!」と下品な声を上げて逃げて行った。


「大丈夫かな…女子高校生だけじゃなく、女性そのものが怖くなったらもう町を歩けないよ」


 ポアは優しく阿笠の背中を摩った。俺も暫く女遊びは良いかも、と呟いて遠い目をして地面の地獄絵図を見つめていた。





毒婦礼讃・了

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