リーガル・エンペラー1
《登場人物》
長谷川武蔵…チンピラ。犬鷲の舎弟に志願している
犬鷲紀人…判沢市の伝説の番長
阿笠図書…某反社会的組織の幹部
丸井ポア…反社会的組織の構成員
プラネット柏木…同上
山田太郎…某反社会的組織の同盟
芝崎眞理…新人構成員
番匠帝一郎…某反社会的組織の組長
西城…番匠の子分
長船…極妻
馬替…番匠の右腕
彼は今か今かと待っていた。判沢市の中心にあって、大きな存在感を放つとある事務所。なるべく人目に付かない様に、その男は目的の人物が現れるのを待っていたーー。
「今日こそは何としても舎弟にして貰…いや、組織から手を切る手助けをして差し上げないと。やってやる、やってやるぞ…」
「ママ、あのお兄ちゃん変ー!」
「こら、見ちゃいけません」
…彼なりに身を潜めているつもりであったが、その姿は大いに目立っていた。ド派手なハイビスカスのアロハシャツに、露天商から格安で購入した金メッキのネックレス。カーキ色のカーゴパンツを腰の位置で履き、下着の虎柄をチラ見えさせている。オレンジ色の髪をツンツンと逆立たせ、耳と唇をピアスでごてごてと装飾していた。
「あっ、来た!兄貴〜!!」
「…チッ、またお前か」
彼が待ち伏せをしていた目的の人物の名前は、犬鷲紀人。犬鷲は学生の頃『判沢の番長・ドッグイーグル』と呼ばれ多くの不良達を震え上がらせていた。…しかし高校を卒業と同時に彼は姿を眩まし、その後の消息を知る者は居なかった。
それが、今になってその姿を見たという者が現れたのだ。この話を耳にした犬鷲の後輩である長谷川武蔵は、居ても立っても居られず彼の行方を探した。そして、遂に見つけたのが一週間前の事である。
「何度断られても、俺は諦めやせん。だって兄貴は今、ヤベー奴等に弱味を握られてそのお力を振るえずにいるんでしょ。奴等を根絶やしにするつもりなら、この武蔵が協力しやす!絶対に足手まといにはなりやせん!」
「…だから、テメェ俺の話聞いて無かったのか?此処はテメェの来る所なんかじゃねぇ。さっさとおうちに帰んな」
「そんな!兄貴!!」
長谷川は土下座をして犬鷲を見上げた。兄貴を救う為ならば何だってしてみせる。その覚悟は十分に出来ていた。
確かに、長谷川は昔から喧嘩が弱かった。小さな体躯に少女の様に白い肌。長い睫毛といつまで経っても変わらない高い声は、常にいじめの原因となり、長谷川を苦しめた。学校に通う事が辛くて辛くてたまらなかったあの時ーー救ってくれたのが、判沢の番長、犬鷲であった。いつかきっと恩返しをする。そう決めて数年、やっと思いを成就させる機会に巡り会えた。その機会をみすみす逃す訳にはいかない。
犬鷲は迷惑そうに彫りの深い整った顔を歪ませ、どう追い返すか思案していた。
「俺、兄貴みたいに強くは無いけど、根性はありやす。しみったれたガキだった俺に『つまんねえ奴に負けるって事はお前もつまんねえ人間になるって事だ、強くなりたければ己の刃を磨け、足掻け』と言って下さいやした。だから俺は、必死で自分を鍛えやした。兄貴のお側に並び立てる様な、人間になる為にーー」
「…覚えてねぇな」
犬鷲の反応は冷たいものであった。長谷川はこの日の為に努力はして来たが、それでもまだ力不足だったのだ。強者を前にして戦える程の力が無ければ、無駄死にするのみである。こんな風に突き放そうとしてくるのも、きっと彼なりの優しさなのだ。そう思うと長谷川は余計にこの男について行きたいと、心が悲鳴を上げた。
「あのう…」
ーー男と男の命とプライドを賭けた話し合いに、無遠慮にも横槍を入れる声がかかった。その声の主は黒のスーツに赤地のシャツ、きっちりとネクタイを締めたインテリ風の怪しげな男であった。
「…お取り込み中かな?」
見れば分かるだろう、そう長谷川は思ったが声が出なかった。この男は恐らく、犬鷲を取り込もうとする組織側の人間だ。そこらの人間と纏う空気が違う。
「…ああ、山田さん。すみません、もう終わりましたから。私が御案内致します。中で皆様がお待ちです」
「有難う。そうそう、紹介するよ。私の新しい相棒、芝崎眞理君。今後彼女にお遣いさせる事もあるだろうから、よろしくね」
「は、初めまして!芝崎です!」
女の方は新人の構成員だろうか。話ぶりからするに、犬鷲が所属させられている反社会的組織の同盟者か。そう長谷川は推測した。犬鷲程の人間が頭を下げて案内役を勝って出るなど、認めたくは無いがそれだけ厄介な事柄に巻き込まれているのだろう。体が恐怖で震えたが、自分の足を抓り叱咤する。彼の為に命を張ると決めた筈だろう。
「どうも、犬鷲紀人です。女性の方とは、珍しい」
「そうなのだ。彼女は彷徨える私を、光で照らしてくれる聖女…。己が使命を果たす為の同行者、彼女のまたの名を、ソレイユ・ド・マリエンヌッッ!!」
「はいはい。こんな所でも厨二全開なんですね、先輩は…。すみません、うちの山田が」
「いえ、何時もの事ですから」
「尚の事すみません」
長谷川には何の話か分からなかったが、女は呆れた様子で溜息を吐いていた。
「マリエンヌよ、この犬鷲君もまた、我々の仲間だ。そう他人行儀になる事は無い。彼はこの混沌の世を見守り、時には秩序を正すパラディンーードッグ・イーグルの異名を持つ男!!」
インテリの男は誇らしげに天を仰いでみせた。女の方はピンと来ていない様だが、長谷川は気付いてしまった。……犬鷲を判沢の番長だと知って、自分達の計画に利用しようとしているのだ、と…。
「ええ…犬鷲さんは、どちらかと言えば騎士じゃないですか?体格も良いし、何より『うたの騎士さま♪』の妙蓮寺ジンに似てます」
「えっと…芝崎さん?」
「馬鹿を言うな!何が妙蓮寺ジンだ、二次元と混同するな。法に明るく一国の王を知識で支える男と言えば、パラディン以外に何がある!?」
「あんたがそれを言います!?というか、ジン様の悪口は聞き捨てなりませんよ!!」
…仲間割れだろうか。何がなんだか分からず、犬鷲を見上げた。彼もまた困った様に首筋を掻き、二人の様子をただ黙って見守っていた。
「ジン様はぱっと見怖そうな見た目なんですけど、本当は繊細で優しい紳士的な人なんです。妙蓮寺財閥の御曹司であるが故に様々な問題を抱えていますけど、それを乗り越えられるだけの強い意志を持った男の中の男!で、私が今推してるキャラなのに…謝って下さい!ジン様に謝って下さい!あと彼の彼氏の真男君にも謝って下さい!」
「えっ?うたナイって乙女ゲームじゃなかったのか?よく知らないが、ヒロインは女の子…」
「今のは私の妄想です!!」
「クソッ!この腐女子自信満々に言い切ったぞ!!」
犬鷲の視線がだんだん可哀想なものを見る目になって来た。その視線にいち早く気付いた芝崎という女は、興奮を納めて咳払いをした。
「ご、ごほん。失礼しました。…中へ御案内お願い出来ますか?」
「え、ええ…」
戸惑い乍らも此方です、と犬鷲が先導して事務所の中へと促す。その後を二人が付いていく…のだが、男の方がちらりと長谷川を見やった。未だ地面に這いつくばっている長谷川に不思議そうな視線を向ける。
「犬鷲君、其処の彼は良いのかい?」
問われた犬鷲は、「ああ」と今思い出したという様に声を上げ、冷淡にも「知らない人です」と告げて建物の中へと消えて行った。
***
ーー長谷川はめげなかった。犬鷲が「知らない人」と言ったのは、自分を巻き込まない為の方便なのだと理解していた。だが、そう言われて帰れる筈が無い。どうやってこの悪の根城に乗り込もうかと建物の周りをぐるりと見て回る。正面に見張りの者が立っている以外は、警戒すべきものはない。裏口も見つけたが特に何かがある様子は無かった。
「…よし、此処から侵入して、兄貴を見つけ出す。出来れば兄貴の弱味を俺が取り払って差し上げられれば…」
特に目的が決まっている訳では無かった。ただ漠然とお役に立てれば、と思っただけである。長谷川はこんな事もあろうかと持参したヘアピンを伸ばし、鍵穴に差し込んだ。
「こうすれば開く筈……ってあれ?なかなか開かない……あれっ??」
「あれれ〜〜、阿笠さん、不審者が居るよ」
「…お前、こんな所で何をしている」
ピッキングに手こずっていると、長谷川の背に声がかかった。ハッとして振り返ると、長身の男がギラギラと光る目で此方を見下ろしていた。その背後には若い衆も控えている。ーー間違いない。構成員の幹部に見つかってしまった!
「ツーホーした方が良いんじゃないですかぁ、兄貴。こいつ明らかにフホーニュウシンですよ」
「…誰が兄貴か。…柏木、付いて来るなと言っただろう。それとフホーニュウシンではなく不法侵入だ。入信してどうする」
「テヘッ!間違えちった!」
「柏木くんマジウケるんですけど〜」
「煩いのが増えた…」
眉間に皺を寄せて若い衆を従えるその様は、実に迫力があった。思わず足がすくむ。烏を連想させる様な常闇の瞳。同じく漆黒の黒髪はオールバックに纏められ、その佇まいは人を一人殺した事がある様な凄味に満ちている。大人とも少年ともつかぬ部下の能天気な笑い声が、若干の脱力感を与えてくれたが、それは油断以外の何物でもなかった。
「それで?返答によってはお前を捕らえる事になるが…」
「ヒッ…!」
口から悲鳴が漏れる。だが此処で尻尾を巻いて逃げる訳にはいかない。こうしている今も、兄貴は悪の手先として良い様に使われているのだ。歯を食いしばって幹部の男を睨む。しかし男の表情はぴくりとも動かなかった。
「…俺は、俺の兄貴を助けに来た。兄貴は、こんな所でしいたけられていて良い人間じゃない。ボコボコにされようが笑われようが、俺は負けない…!」
長谷川は立ち上がって拳を構えた。来るなら来い、と挑発し自身も覚悟を決める。
その彼の行動に合わせて、部下達が自分達が相手だとばかりに前に出て来た。……そうそう幹部自らは出て来ないか。まずは、彼等を倒す必要がある。
「暴力は駄目っしょ。落ち着きなさいって」
金髪の髪の、ピンク色のスカジャンを羽織った男が長谷川に警告する。本当にやる気か?と嘲笑っている様に見える。
「罪は重ねるべきじゃないって俺は思うなー。でも本気でやるって言うなら、俺も男だから引かないっつーか、引けないっつーか。ねぇねぇ兄貴、今の俺ってひょっとして格好良い!?」
「はぁ………」
青色の髪に宇宙柄のツナギ。その背にギターケースを背負った青年は余裕そうに、褒めて欲しげに幹部の男の方を見ていた。余所見をする暇があるとは、舐められたものだ。
幹部の男はそんな睨み合いの中にあって、呆れた様に肩を落とした。「やれやれ」と言い乍ら若い衆の間をすり抜けて、此方に近付いて来る。カツカツと革靴の音がやけに大きく響いて聞こえた。長谷川はごくりと生唾を飲み込みその挙動に注視した。
「……しいたけではなく、虐げられる、だな。腹が減っているのか?」
「ぎゃふんっ」
あっさりと襟首を掴まれ、軽くその身を持ち上げられた。
「その口振り、此処の職員の弟か何かか?…まぁいい。このまま連れて行く」
「えっ、ちょっ、」
幹部構成員ーー阿笠は、長谷川の動揺も余所にずるずると引き摺り乍ら正面玄関へ向かった。その後から若い衆も矛を収めて付いて来る。
「お疲れ様です」
警備の者はあっさりと中に入れてくれ、長谷川は成されるがまま、奥へと連れて行かれた。
ーーもしかすると、他の構成員達の前で小指を切られたり根性焼きを入れられたりしてしまうのだろうか。
恐怖に打ちひしがれたが、これも全て兄貴を思えばこそ。
「クソッ!殺すなら殺せ!!」
「黙れ小僧」
「小僧じゃない!!俺は大人だ!!」
長谷川の絶叫が、建物中に木霊した。
***
「一体どういう事なんですか。西城弁護士。番匠弁護士が急ぎ、我々をお呼びだと言うからこうして出向いたのですが…」
「本当に、悪いと思っている…しかし、これには深い事情があってだね…」
山田と芝崎が通された室内には、この事務所の職員達が勢揃いしていた。シンプルだが重厚感のあるソファを勧められ、、テーブルを挟んで正面には西城弁護士と呼ばれたふくよかな初老の男と司法書士だという長船女史が深刻そうな面持ちで座っている。残りの六名の職員達は壁際に控えており、犬鷲も一番扉に近い所に整列した。
ーーだが、肝心なこの部屋の主人の席は空席のままである。堂々とした存在感を放つ書斎机の上には、『番匠帝一郎』と彫られたネームプレートが置かれていた。壁には、その番匠と思しき人物の写真が飾られている。
「今日太郎君達に来てもらったのは、番匠さんの事なんだ。他に相談出来る人も思い付かなかったから…」
「いえ、私と西城さんの仲ではありませんか。そういう事なら、聞きますが。一体どうしたって言うんです?」
山田は西城と親しい様子で話の先を促した。この事務所の職員達の重苦しい空気が分からない二人では無い。芝崎は自分の上司とこの人物の関係が気になったが、今それを問う場面では無いだろうと黙って相手の言葉を待った。
「まず、話をする前に。他の警察の人には話さないと約束してくれるかい?」
「……それは話の内容によると思いますが。それから、私の友人の探偵も呼ぶようにと仰っていましたが、それは良いのですか?」
「ああ、その探偵さん達なら大丈夫だよ。ただ、どうしても外部に漏らしたくない相談なんだ。これは、君達を信用しているから話すんだよ」
そう言われてしまうと、首を縦に振らない訳にはいかない。警察官として約束は出来ないが、山田には断るという選択肢が無いようで不承不承「分かりました」と口にした。
「有難う。……実は、その。話と言うのは……」
「何です、今更勿体ぶらないで下さい」
「う、うん。そうだね。…私もまだ動揺していて…。つまり、ーー…番匠弁護士が、誘拐されてしまったんだ」
「………は?」
「脅迫文も届いたんだ。一千万払わなければ殺す、と」
思いも寄らない西城の言葉に、山田と芝崎は唖然としてしまう。懐から取り出した脅迫文はレトロに新聞の切り抜きの文字を貼り合わせたもので、筆跡を特定出来ないようにされていた。差出人の名前も記されてはいない。
数拍置いた後、芝崎は思わず立ち上がって西城に詰め寄った。
「そ、そんな大事件、私達だけで解決なんて無茶ですよ!!直ぐに対策チームを組んでですね、」
「それは駄目だ。警察に話すのは駄目だとここに書かれているだろう。大ごとにすれば番匠さんは殺されてしまうかもしれない。だからこうして、君達だけに話しているんだよ」
「そんな…」
ーー丁度その時、扉をノックする音が響いた。事務員に通されて、阿笠達が入室する。
「あ、山田さんと眞理ちゃんだ!やっほー!」
「あん時の刑事さんか!ちーっす!」
「…お話中失礼致します。丸井探偵事務所の者です。山田から此処へ来るよう言われて来たのですが…」
阿笠は引きずっていた長谷川に視線を落とした。じたばたと暴れて抵抗していたが、目的の犬鷲の姿を見つけて「兄貴!」と嬉しそうに表情を綻ばせた。対照的に犬鷲は面倒臭いのを隠そうともせず眉を顰めた。
「…此方へ伺う途中、不法侵入をしようとしていた彼に遭遇しましてね。…貴方がお兄さんですか?」
阿笠の問い掛けに犬鷲は「とんでもない」と苦虫を潰した顔になる。
「私にやたらしつこく構って来る野良犬ですよ。捨て置いて下さって構いません」
「………。そうでしたか」
掴んでいた長谷川の首根っこから手を離し、ポイとゴミでも捨てるかの様に床に転がした。余りに雑な扱いに長谷川は阿笠を睨んだが、睨み返されてウッと喉を詰まらせた。
「お、覚えてろ…」
兄貴の前でこんな恥を掻くなんて。捨て置けとその兄貴に言われた事など耳に入っていないらしく、素早く犬鷲の隣に移動してブンブンと無い尻尾を振った。
「俺、兄貴を助けに来たんです。頭はどいつですか!?俺がガツンと一発やって差し上げやすから!!ガツンと!!」
幹部(仮)に首を掴まれていたことは棚に上げて、威勢の良い言葉を吐く。
「お前は少し黙っていろ」
「はい!黙ってやす!!」
「…………」
元気に返事をされて、犬鷲は溜息を吐いた。何故こんなのに気に入られてしまったのか…考えても答えは見つからない。
「………話が脱線しましたが、事態は急を要します。詳しくお話を聞かせて下さい」
緩みかかっていた空気を、山田が締め直す。遊んでいる時は無いーー。西城は阿笠達にも事情を説明し、この誘拐事件の解決を優先させた。
***
「…経緯を順を追って説明するね。番匠さんは秘書の馬替さんと三日前から柬京へ出張で、今日の午前九時発の新幹線で判沢へ帰って来る事になっていたんだ。そして十一時半頃到着して、タクシーで事務所に寄る予定だったんだ。だけど、いつまで待っても二人は現れず……一時過ぎた頃かな、配達員が脅迫文を持って来たのは。それで誘拐されたのだと分かり、他の職員とも相談して縁のある太郎君…君達に至急来て貰ったという訳だ。」
「とすると、誘拐されたのは二人ですか。…番匠弁護士との連絡は、いつまでしていましたか。若しくは馬替さんとは?周囲で不審な事や、恨まれていた…などということは」
「阿笠さん、と仰いましたか?恨まれていない弁護士など存在しませんよ。特に多くの刑事裁判に関わっている番匠さんなど特にね。軽い嫌がらせの類はしょっちゅうですよ」
「そうでしたか…」
犯人の心当たりがあればと思ったが、割り出すのはなかなかに難しそうだ。身代金の受け渡しの際に現行犯逮捕して貰うのが一番手っ取り早く頭も使わずに済むが、果たしてそれまでに番匠弁護士が生きていてくれるか保証は無い。犯人の虚をついて確実に捕らえるには、やはり情報が必要だ。
阿笠がちらりとポアを見やると、長船女史の顔を凝視していた。またこの男は不埒な事を…と思ったが、彼女はそわそわと落ち着きが無く、眼鏡のツルを忙しなく上下させ乍ら薄い唇を戦慄かせていた。
「…お姉さん、大丈夫?」
「……私からも、一つ宜しいでしょうか?」
自分に視線が集まっていた事に気付いた長船は、顔色を悪くしつつも口を開いた。阿笠が「どうぞ」と促すと、躊躇う仕草を見せたが直ぐに話し始めた。
「番匠弁護士は、先日逮捕された連続殺人事件…海堂被告人の弁護をする事になっています。その裁判が明日正午から行われる事になっているのですが…身代金の受け渡しの時間と同刻。これは偶然とは思えません。私は、海堂被告人に恨みを持つ人物、こんな殺人犯の弁護をするのを快く思わない人間の仕業なのでは無いかと思うのです」
「こら、長船君。そんな言い方をするものじゃない」
「…はい、すみません西城先生…」
西城も口ではそう嗜めつつも否定はしなかった。彼もまた、身代金目当てというよりは、海堂の弁護の邪魔をしたい人物の犯行ではないかと思っているようだ。
海堂龍ーー以前四人が協力して捕まえた凶悪連続殺人犯。日常から如何に人の命を奪うか算段し、即行動に移す胆力を持ち合わせた豪胆にして最悪の人物であった。ポアは一人あの時の言葉を思い出す。
『ーー次は刑務所からの脱出ゲームですか』
多くの人間を殺害していながら、拘置所ではなく刑務所と口にしていた。拘置所は刑が決まっていない未決囚と呼ばれる者と、死刑の実行を待つ死刑囚が収容される。一方、刑務所は文字通り『刑を務める場所』である。刑が確定しそれを実行している者達が其処に詰める事になる。海堂がこれをきちんと理解していたのかは知る由も無いが、あれだけ殺人を犯す事に腐心していた男だ。分かった上での発言であった可能性は高いと言えるだろう。
ーー海堂は番匠が弁護に着いてくれると分かっていたのだろうか。否、そうでなかったとしても、拘置所に行く気などさらさら無かったのだろう。まさか、本当に脱獄するつもりではあるまいーー…。
山田は番匠の姿を頭に思い起こし、顎を指で撫で乍ら一人頷いた。
「確かに、番匠弁護士はこの業界ではトップクラスの弁護士先生だ。あの人なら、どんな犯罪者でも極限まで罪を軽くする事が可能だ」
「そんなに凄い弁護士さんなんですか、その番匠さんって」
事情に明るくない芝崎が、つい口に付いて疑問を口にする。
「ああ。番匠弁護士とは、父が政治家として大成する以前からの付き合いでね。彼の手腕は見事なものだよ。父が二世議員として大臣の地位まで就けたのも、一重に彼の尽力のお陰だ。色々騒動があった時も父を弁護してくれたのも番匠弁護士だったし……」
「え!?先輩のお父さんってあの山田義郎なんですか!?」
「……あれ?話した事無かったかい?」
「無いですよ!なんとなく察する所はありましたけど……」
とすると山田にとって番匠は子供の頃からの付き合いになるのか。芝崎は感心しきって、だから金銭感覚が可笑しいんですねと言って小突かれた。
「…ごほん。それで、連絡が付いたのはいつまでなんですか、西城さん」
「あ、ああ…。柬京駅のホームから、今から新幹線に乗ると電話があったね。ホームのアナウンスが聞こえたから間違い無いよ。お土産は何がいいかと陽気に仰っていて、その時はまだ何も起こっていなかった筈だよ」
「駅での誘拐は余りに人目に付く。とすると、新幹線には乗ったんじゃないかな…判沢駅に到着して、タクシーに乗って移動する前後か、その道中かな?」
ポアが冷静に分析する。するとその時、タイミングを見計らったかの様に西城の携帯が鳴った。
「おっと、失礼………、っ!?馬替君!?」
着信の主は、一緒に誘拐された筈の秘書・馬替であった。慌てて通話ボタンを押し、スピーカーモードにする。
「…もしもし」
『ーーッ!?西城さん!!良かった、繋がって…。大変なんです、番匠さんが攫われました!!』
「落ち着いて、馬替君。此方もそれは把握している。君は今、大丈夫なのかい?ゆっくりで良いから、状況を教えてくれ」
『はい、自分はなんとも無いです。…今の今まで気絶していたんですけど。
…ええと、番匠さんと事務所へ向かっていたら、急に道路に人が飛び出して来て…タクシーの運転手が慌てて横道に逸れたんです。そうしたら、誰かが車に押し入ってきて、運転手は何かを嗅がされ気絶させられました。私は車を乗り換えて運転しろと命令され、番匠さんもその車に乗せられました。犯人に従って四十程運転して、小梅市の、小梅空港まで行ったのですが…。到着するなり、私も何か薬品を嗅がされて気絶してしまいました。目が覚めたら私は駐車場に転がされていて、乗っていた車も番匠さんも居なくなっていたんです。一体、何が何やら…』
「じゃあ今君はまだ空港なのか」
『そうです。申し訳御座いません。私が不甲斐ないばかりに…』
「君の所為ではないよ。気にしないで。犯人の顔は見たのかい?一人?複数?」
『お気遣い有難う御座います。犯人の顔は…すみません、全員覆面をしていたので、男かという事くらいしか分かりませんでした。命令して来た男と仲間が二人…飛び出して来た人物も共犯なら少なくとも四人は居るでしょう。
…あの、まだ少し具合が悪いので回復次第そちらへ向かいます』
「それがいい。本当に酷いなら、病院へ行くんだよ」
『分かりました。…それじゃあ、後は頼みます』
通話はそれで終了した。職員達の表情に僅かな安堵が広がった。
「先ずは馬替さんが無事で、何よりです」
「はい。後は番匠さんさえ帰って来て下されば…」
気を失っていた以上、彼からこれ以上の話は聞けないだろう。番匠だけが、連れ去られた。その行方は知れない。
「なんだか、妙だよね…」
「何が妙なんだ?ポア?」
一同の緊張が緩む中、ポアだけは難しい顔を崩さずに何かを考えていた。否、一部事情をよく分かっていない長谷川は、きょとんと犬鷲と周囲を交互に見渡していた。柏木も話についていけないのか、頭をパンクさせてぽかんと口が半開きになっていた。何も考えていない様である。
「番匠さんを攫う事が目的だったのなら、なんで馬替さんまで途中まで連れて行ったのさ?まさか犯人のが無免許だったから、なんて言わないよね」
「まさか…馬替さんもグルだと言いたいのか?」
阿笠が一歩踏み込んで返すと、ポアは無言で頷いた。
「そんなまさか!馬替さんに限って、そんな筈ありません」
「一体何を言うんですか」
大きく反応したのは、西城と犬鷲だった。衝撃の大小に差はあれど、全員意見は同じ様だ。
「馬替さんは特に番匠さんに目を掛けられていて、付き合いも私の次に長いんです。あんなに良くして貰っておいて、裏切るなんてありえません。そもそも、彼は温厚な性格で、とてもそんな事を考えるとは思えません」
「…西城さんの仰る通りです。私は付き合いこそ浅いですが、二人は信頼し合っている様に見えました。進んで先生を危険に晒すなんて絶対する筈がありません」
ポアは「ええ〜」とがっくりと肩を落とした。自分の推測が外れた事と周囲の猛反対に自信を無くしてしまったらしい。
「阿笠さん慰めて〜」
「はいはい。ポアは天才。名探偵。すごい。かっこいい」
「そんな適当じゃ癒されないよ〜!!」
ポカポカと阿笠を殴り不満を打つける。されるがままになってくれる阿笠に暫く絡んでいたが、「本当だぞ」と真顔で返事をされて纏わりつくのをやめた。何処までが本気で冗談なのか分からない対応をされると、居心地が悪いものである。
「どうした、癒すぞ」
「キッモッッ!無理無理こわーい」
「お前がそうしろと言ったんだろう」
「もう嫌だよこのおっさん…」
ーーポア自身、西城や犬鷲の言葉をまるきり信じた訳では無い。人格や境遇は馬替の犯行を完全に否定するものなはならない。反感を買ってまで自分の意見を通すよりは、頭の隅に置いておいて自身の推理を構築する方がより建設的だ。
一方で長谷川は見知らぬ若い衆の事など目に入らないようで、それよりも別の事が気になるらしかった。
「兄貴…いつの間にそんな洗脳を…」
「洗脳?」
「真の番長は兄貴です!!なんですか、さっきから番長が誘拐されたとかって、こんな連中の抗争に付き合う事ありやせんよ。何で他の構成員に肩入れしてんですか。こうなったら、兄貴が組織を乗っ取ってそのお力を示すんです!!」
「何を言っているんだお前は」
力強く拳を握り締める。長谷川は協力しやすぜ、とにかりと歯を見せて無邪気に笑っている。
本気で言っている辺り、タチが悪い。
「お前は大きな勘違いをしている。番長ではなく、番匠先生だ。それから此処は極道の根城でも無ければ、抗争も一つも起こっていない」
「成る程!兄貴の手にかかればこの程度の抗争は飯事も同然だと!流石っす!!!」
「クソ…山田さん以上に話が通じない…」
「何故そこで私の名前が出るんだ」
犬鷲と長谷川の漫才を傍観していた山田が、突然名前を挙げられて微妙な面持ちになる。日頃の行いですよ、と芝崎が吐き捨てた。
「…こうしている今も、番匠弁護士の身に危険が迫らないとも限りません。身代金を要求している以上殺される事は無いとは思いますが…もたついている時間はありません。どうするんですか、先輩」
「ああ。疑わしい人間を調べる余裕は既に無い。タイムリミットは身代金受け渡しの明日の正午。最悪我々だけでの犯人捕獲となる。応援も呼べない。いや、呼んだ方が良いのだが…」
「それは駄目です。それこそ、約束を破ったと言われて番匠弁護士が危険です」
思慮する山田に、長船が口を挟む。その通りだと返事をして、眉間に触れ乍ら目を閉じた。
「…可能であれば裁判も間に合わせたい」
「そうですね。重大事件の弁護ですからね」
西城の希望にも深く頷く。最善は、明日正午の身代金受け渡しと裁判の時刻になるまでに番匠を保護する事だ。
「最悪の事態になったら、金は私が用意する。交渉も私が引き受けよう。なに、こういうケースは初めてではない。必ず番匠弁護士を保護しよう」
山田は伏したまま阿笠に問い掛けた。
「だが阿笠、もし可能性ならばーー」
「…分かっている。だが、ポアがまだだ。もう少し情報が欲しい」
みなまで言わずとも阿笠は分かっているようで、神妙に頷いた。ポアは誰も注意しない事を良い事に、番匠専用の椅子にどかりと座り寝そべる様に体を仰け反らせた。
「…そう、この誘拐事件は決定的に何かが欠落している。それが一体何なのか…もう少しで分かりそうなんだけど」
ポアは視線だけで一同を見渡す。不安げな表情が室内に幾つも並んでいる。
「欠落?この事件の、一体何が可笑しいというんだ?」
阿笠の問いに、まるで自分自身に言い聞かせるかの如く静かに答える。頭の中で絡み合った糸を丁寧に解きほぐし、思考の海に身を委ねた。
「…違和感だらけだよ。裁判に行かせたくないだけなら、如何して身代金なんて要求する?取引を持ちかけるだけても高リスクだ。裁判が終わってから解放するだけで良い筈だ。それとも、金が必要な理由でもあるのか。
それに、馬替さんに運転させたというのもやっぱり妙だよ。タクシーの運転手と一緒に気絶させておいて、番匠さんだけ連れ出せば良いのに。」
「…そういえば、タクシーの運転手は今どうしているんだ?普通なら目が覚めた時点で警察に通報していると思うんだが。…口止めはしてあるんでしょうね?」
予想外の質問だったのだろう、西城は一瞬何の事を聞かれているのか分からなかったらしくきょとんと目を丸くした。しかし直ぐに「ああ」と頷いた。
「勿論です。通報されては、犯人に何をされるか分かりませんから」
「そう…そうだよね。ありがとおじさん。ーー分かったよ、この事件の真相が」
西城の一言で、全ての糸が解けたらしい。ポアは似合わない真面目な表情を崩して、ニヤリと不敵に微笑んだ。
「真相が分かったなら、早く話せ」
阿笠が急かすと、ポアはますます嬉しそうにしては、自分が一番偉いんだと言わんばかりにくるりと椅子を回転させて足を組み直した。
「焦らない焦らない。答えは明日になれば、分かる筈さ」
毎度お待たせしております。
この会話可笑しいんじゃないかと思った読者諸君は正解です。しかし乍ら私の書き損じ、間違いではありません。




