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パリピ探偵ポア  作者: 吉良 瞳
14/50

【915:あ】アガサとポアロ

 



 大学の教育学部を出て教師の道を歩み始め十年は経っただろうか。教員の中でも中堅と呼べる立場になり、何度目かになるクラス担任を受け持ったある年の事。

 今年は美人の先生が良いだの、あの英語教師だったら楽しいだのと騒がれる中、新しい教室へ私が入ると生徒達はあからさまにがっかりとした顔付きになった。仕方がないだろう。そう決まったのだから。


 私は生来の愛想無しを、社会人になっても終ぞ直す事が出来なかった。周りからは常に不機嫌そうに見えるらしく生徒達からは嫌煙され、教員達もいつまで経っても余所余所しい態度で私に接してきた。授業も特別面白い授業をする技量も無く、ただ無難に、非常に淡々としたものであった。無論生徒達の成績を上げる努力をしていない訳では無い。寧ろ、私が担当したクラスは成績が良いと褒められる位だ。ただ、子供達にとって『つまらない』と評されるものしか出来なかっただけで。であるからして、私の教員生活は陰鬱なもので、職務を遂行するのみで、何の交友も持たず色の無い生活を送っていた。


「今日からこのクラスの担任を任された阿笠だ。一年間宜しく頼む。ーーでは、出席を取るから返事をしろ」


 私が受け持つ事になった不運な二年四組の生徒達は「はぁい」と間延びした声で返事をした。クラスの質は、普通。若しくは中の下だろうか。やる気の無い怠惰な顔が半分。新学期で真面目な姿勢を見せる生徒が少数。残りは早く終わらせて帰りたいとばかりにそわそわとする者や、こっそりと携帯を弄る者、私の話など御構い無しに隙あらば騒ごうとする者達だ。


 …それにしても、最近の若者は名前が難解だ。仮名の振られていない出席簿を読み上げ、逐一読み方を聞き自分で記入してゆく。『心愛(ここあ)』や『騎士(ないと)』はまだ良い方だ。『救世主(めしあ)』「(しゃうと)』と名乗られた時は冗談で言っているのだろうかと思った。全く、こんな名前を付けるとは何と愚かな世代だろうか。ただ、私自身の名が全うな名前だとは言い難いので余り言及は出来ない。


 私の名前は、鎌倉時代から明治に掛けて存在した百官名…役職名『図書(ずしょ)』からきているのだと両親は話していた。国家のあらゆる蔵書を管理する機関を指すものであるので、知識豊富な、賢い人間に育って欲しいという意味が込められているのだそうだ。尤も、名付け親は両親ではなく顔も知らぬ祖父だ。言われてみれば現代にも『蔵人』『監物』という人物が(大分年配の人間に限られるが)居なくも無いし『隼人』辺りなら若者でも存在する。私の場合は世間で言うところの『キラキラネーム』ではなく権平や兵衛に近い、『古風な名前』に分類されるのだろう。

 ……閑話休題。何とか生徒達の珍妙な名前とその顔を把握し、残すところあと数名となった。…ああ、また難解なキラキラネームだ、と思い出席簿の下の行を眺める。どう頑張っても読める気がしない。


「…丸井。お前の下の名前は何と読むんだ?」


 字面からして、女子生徒だと私は思った。だがその丸井という生徒が座っている筈の席を見やると、其処には目が痛くなる様な過剰装飾の、髪を明るく染めた男がだらしなく椅子の背もたれに寝そべりギコギコと足を揺らしていた。

 彼の存在だけは、担任になる以前から嫌でも目に付くので知っていた。…正直私の苦手なタイプである。


「…んー?…ああ、もう俺の番?俺の名前はポアだよ、センセ。」


 ーー半濁点の名の人間を、私は初めて見た。巫山戯(ふざけ)ているのか、と言いたくなるちゃらんぽらんな名前。しかし読み方はそれ以外に無い様に思われた。


「…丸井ポア」


「はいは〜い!!」


 元気の良過ぎる返事をして、クスクスと周囲から笑いが起こる。その笑いは人を馬鹿にするものではなく、親しみが込められたものだと私は直ぐに気付いた。「出た、DQNネーム〜」「ポアぴと同じクラスとか超ラッキー」と彼と似たり寄ったりの派手な生徒達が声を上げた。丸井は「こら〜!人を馬鹿にするんじゃない!プンプン!」と戯けて更に教室を沸かせてみせた。


 …教師で無ければ関わり合いたくない人種だ。その楽しげな様子をぶち壊す事しか出来ない私は、温まった空気を冷やすかの様に次の生徒の名を呼んだ。




 ***




「阿笠先生って正直暗くて怖いよね」




 ーーそれが、全校生徒達の私への評価であった。休み時間廊下を通り掛かると、女子生徒達のそんな会話が聞こえて来た。


「だよね。隣のクラス、英語の鈴木先生だったんでしょ?羨ましいよね〜授業も面白いし、カッコイイし」


「言えてる〜!阿笠先生って何考えてるのか全然分かんないもん。一年の頃はあの先生の授業無かったけどさ、何もしてないのに睨まれるし。マジ無理」


 特別睨んでいる積もりは無いが、そう見えてしまうのだろう。別に今に始まった事では無い。中学と高校は隣にいつも山田が居たので幾分か私の暗さは中和されていた様だが、彼に出会うまでと高校卒業後は基本的にこの様な扱いを受けていた。山田のカリスマ性に若干の羨ましさはあるが、あれはあれで疲れそうだ。結局、他人から良く見られようという努力は殆どやって来なかった。


「ポアちーもそう思うっしょ?」


 女子生徒達の話が、直ぐ近くで携帯電話を弄っていた丸井に飛んだ。


「んだね〜。身長でかいし威圧感、的な?俺も苦手かも〜」


「やっぱり」


 苦手はお互い様の様だ。生徒からどう思われようと、私は機械の様に授業をこなし生徒の成績を上げる事に苦心してさえいれば良いのだ。時折身嗜みや行動を注意して、ルールを遵守させる。親しくなる必要など全く無いのだ。


 丸井は、常にクラスの中心に居る様な人物であり、スクールカーストで言うところの一軍の人間であった。校則に従わぬ金髪…は何度注意しても直らないので教師達は皆諦めてしまったらしい。耳にはいくつもの穴が空いており、日替わりで様々なピアスを付けていた。一体何処でそんなものを買うんだと言う様な玩具の様なマスコットを首からぶら下げ、手には勉学の妨げにしかならない様な大きなモチーフの指輪。他の女子生徒とお揃いの腕輪。ブレザーのネクタイも指定のものではなくポップでカラフルなチープなものを雑に巻いていた。女子男子共に彼をファッションリーダーの様に崇めたて、彼が良いと言ったものは翌日から流行っている様であった。休み時間が終わって授業が始まっても彼の周りは喧しく、楽しげに私の分からぬ単語を並べては盛り上がっていた。それでも「良い加減に静かにしろ」と低い声で叱責しさえすれば、不満そうにし乍らも授業を聞く姿勢にはなってくれるので、完全に不良生徒だとは言い難い。そもそも、私の担当教科である『現代文』は常に学年上位を叩き出してくれていた。いけ好かないとはこの事である。





「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は…」


「阿笠先生、何言ってるか全然分かりまぺーん」


「ナイト、お前馬鹿かよ」


「馬鹿でーす」


「…………」


 森鴎外のもの字も知らぬ童どもめ。現代文と(いえど)も百年以上も前の文章だ。理解出来なくても仕方がないとは思う。しかし、よく考えもせず投げ出すのは如何なものか。今は分からないなりに言葉の美しさを感じ取る時間だ、と眉に皺を寄せた。すると「センセー怒ってんじゃーん」と軽薄な声が飛ぶ。黙って私の話を聞け。


「あんね、最初は『石炭が積み終わった』って言ってんの。んで、客室のテーブルの周りがとても静かになっていて…熾熱燈…白熱灯の光が眩しいけど全然意味無いよねって。現代訳するとだいたいそんな感じかな?

 つまり主人公は石炭で動く船に乗っていて、仲間が集まる客室は今は誰も居なくて静か。だから明るいの勿体無いって話だよ。」


 私が言葉を発する前に、丸井が隣の席の竹中騎士に『舞姫』の出だしの解説をしていた。騎士も周囲の生徒達も、丸井が正解を知っている事に驚いたらしく、目を丸くして「うっそだろ」と口々に話し始めた。


「…ポアぴって実は頭良いの?」


「お?俺を誰だと思ってんの?ポア様に解けない問題など無いのだ!」


「の割には一年の頃、数学赤点取ってなかったっけ」


「う、煩いな!俺は文系なのー」


 そういえば現代文はいつも点数良かったよね、と過去に同じクラスだった者が声を上げる。「現代文だけかよ〜」と笑われムキになったり、「まだ習ってないのに凄い」と言われ鼻高々にしたりと、忙しなく表情を変えてみせた。


「ゴホンッ、静かに」


 私は咳払いをして、騒ぎ始める生徒達を静粛にさせる。


「解説は後でじっくりとしてやるから、黙って私の朗読を聞け。そして何が書かれているのか考え教科書を読め。少しは脳細胞を働かせる努力をしなさい」


「…フフッ、灰色の?」


 何かあればすぐ騒ごうとする生徒達に呆れ返り乍ら、愚痴を零す。すると誰の呟きか、高尚な返しが聴こえて私は「おや」と思った。声のした方向を見れば、丸井のにやにやした顔があったが、私はまさかなと思い授業を再開させた。




 ***




 放課後、私は借りていた本を返却しに図書室へ向かった。騒がしい校内の中にあって静謐な空気を保っている。学生達の笑い声が何処か遠い。

 司書に持って来た本を渡し、次に読む本を探そうと近代文学のコーナーへと足を運ぶ。私は図書室のこの雰囲気が好きだ。時間が止まったかの様な錯覚に陥る、この感覚。本の黴た匂い。…本来黴など害悪でしか無いのだが、書物になると如何してこんなに良い香りだと思えるのだろう。インクの香りと相乗して何か特殊な作用が働いているのかもしれない。


 それにしても久しぶりに読み返したホームズはとても良かった。何度読んでも、新しい発見がある。一度目は気付く事の出来なかった伏線が、今度はちゃんと理解出来る。また、昔読んだものを読み返すのも悪く無いかもしれない。それに良いストレス発散になる。

 私はふと頭に過ぎった作品を求め、外国人作家達の本が並ぶコーナーへと足を運んだ。そう、ここだ。あ行。




 ーーそのコーナーの一角に設置された椅子。窓から差し込む光を浴びて、きらきらと先客の生徒の髪を照らし私の目を引いた。


「…丸井?」


 いつも仲間達と馬鹿騒ぎをしている彼の影は無い。プラスチック素材の指輪をはめた指が、黙々と本のページを捲っていた。本に落とされた瞳は、長い睫毛に覆われよく見えない。左手で本を支え、右手で本のページを撫でるのは彼の癖なのだろうか。常に感じる彼への苦手意識は何処かに飛んで、気が付けば私は彼に話しかけていた。


「…アガサ・クリスティー?意外だな。お前が読書とは」


「………、………。…はっ!?…なんだ、阿笠先生か。驚かせるなよ。何?」


 私の存在に気付いていなかったようで、勢いよく顔を上げたかと思えば目をしぱしぱと瞬かせた。そんなに集中して読んでいたとは。


「…いや、珍しい奴が居るなと思ってな」


 私はよくこの学校の図書室を利用しているが、彼の姿は見たことが無い。すれ違った事があるのかもしれないが、常連なら私が把握している筈だ。


「そう?まぁ学校の図書室はあんまり来ないからね。普段は近所の図書館の方行くし」


 読書など興味の無い男だと思っていた。耳元で揺れるアイロンビーズで作ったかの様なピアスも、携帯電話のデコレーションも、鞄に付けられた無数のマスコットも。文学青年に見える要素は何処にも見当たらない。

 …日常的に図書館へ行っているのか。意外だ。


「…小説が、好きなのか?」


 我ながら何と脆弱な質問をしたものだ。好きだから読んでいるに決まっているだろう。何か課題がある訳でも無いのに進んで本を読むという事は、そういう事だ。


「うん。何でも読むけど、推理小説が一番好き。このね、クリスティーのポアロのシリーズも好きだよ」


「ほう」


 探偵小説か。私も推理小説は好きなので、つい嬉しくなる。丸井は本のタイトルを見せ乍ら、照れ臭そうにはにかんだ。


「オリエント急行…私も学生の頃読んだな。」


「ほんと!?俺は今からだからネタバレはやめてよね!…まだ序盤だけど、これヘイスティングズは居ないんだね。探偵と助手のコンビが割と好きだったんだけどなぁ」


「これはこれで、助手不在で感情移入が少ない分推理に集中して読めると思うが」


「そうなの?まぁ何度も映画になるくらいだし。…うん、確かにこれどうなって行くのか面白い」


 本のページを捲る。覗くと、まだ読み始めてまだ少し…一時間程度の量だろうか。とはいえ放課後になってずっと此処で読んでいたのだと考えると、結構な時間である。

 こんな所で読まず、さっさと借りて帰れと催促すべきかと考えていると、丸井は何故か愉快そうに私を見上げた。


「ね、センセ。知ってる?俺の名前、丸井ポアじゃん?」


「うん?」


 本を膝の上に置き、手で丸を作る。まるい、ポア。◯とポア。で、順番を入れ替えてポア◯。◯を四角にして、ポアロ。

 彼は無邪気に面白いっしょ、と笑った。


「お前が名探偵か?フン、現代文以外は赤点かギリギリだと聞いているが」


「そういう事は言うなよ、ノリ悪いなぁ…ま、偶然なんだけどね。というか、こじ付け?」


 別に親がポアロのファンだという訳では無いらしい。ファンなら素直に『ポアロ』と名付ければ良いのだ。


「名探偵と同じだとでも思わなきゃ、こんなDQNネームやってらんないっての。俺馬鹿だけど、余計馬鹿に見えるっていうか」


「そうだな」


「そこは同意する所じゃなくない!?」


 丸井が噛みつかん勢いで立ち上がって来たので、私は顔を背けて知らん顔をした。実際、馬鹿に見えるのだから仕方がない。


「…あの、お静かにお願いします」


 ーー私達の話し声が大きくなっていたらしく、司書が此方に顔を出して来た。勉強をしていた生徒達が迷惑そうに視線を向けている。


「…あぁ、すみません」


 謝罪をしてから大声の主に目をやると、彼は不機嫌そうに私を見上げていた。本来謝るのは私ではなくお前だろう、と言ってやりたいが、また騒がれては困るので溜息を吐くに留めた。


「…確かに、周囲から軽んじられる名前かもしれん。だが、少なくとも親が頭を悩ませて付けてくれた名前なのだろう?」


 そう邪険にする事もあるまい。如何しても気に入らなければ名を変える事も可能といえば可能である。


「……そうだけど。自分の選んだ道を後悔しないで、その歩んで来た道に誇りを持て。己の人生を愛せよ、って意味らしい」


「……良い意味だと思うが」


 私達は他の生徒の居る座席に近い本棚から離れ、図書室の奥へと足を向かわせた。辞書ばかりが揃えられたその場所は、ほぼ人が寄り付かない。しかし、暖かな日差しが窓から差し込みその一角を明るく照らしてくれていた。


「でもさ、ネットスラングのポアって意味で捉えられる事が多くて。それだと、その…『殺人』『殺す』って意味になっちゃって…」


「ますます探偵向きの名前じゃないか」


「……阿笠先生の冗談って面白くないね」


 頬を膨らませて、もっと気の利いた事言えないの、と訴える。私は現代文ーー他にも古典も担当するがーーの教師であるが、人が求めている言葉をぽんぽんと投げかけてやれる程語彙が堪能にある訳では無いし、誰かとコミュニケーションを図る行為は不得意分野だ。

 しかしそれ以上私を咎めるつもりも無く、深刻に悩んでいるという事でも無いらしく、窓を開けて頬杖を突いていた。そして直ぐにあっと何かを思い付いた様に眉を上げ目を見開き、ニコニコというオトマトペが相応しい表情で私の方を向いた。


「でもさ、そうしたら先生もさ、」


「なんだ」


「阿笠だね」


「…まぁな」


 アガサとポアロ。私と丸井。妙な取り合わせに思え、つい笑ってしまう。私の口元からフッと空気が漏れたのを見たのであろう、丸井はその笑顔を深めて外の校舎に視線を戻した。


「俺がポアロで先生が作者のアガサ・クリスティー。って事は、阿笠先生が俺のママ…?」


「それは私に再教育をされたいと言う意味か?」


「ヤダッ!エッチ!痴漢!」


「…………」


 何故そんな思考になるのだろう。分からなかったが、不思議と彼と話が合って、愉快な気分であった。それからお互いの好きな本の話をして、気が付けば図書室が閉まる時間になっていた。「先生さようなら」と言ってくれる生徒の背中がこんなに嬉しかったのは、教員生活の中で初めての事だった。




 ***




「我が隠しには二、三マルクの銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、余は時計をはづして机の上に置きぬ。「これにて一時の急を凌ぎ玉へ。質屋の使のモンビシユウ街三番地にて太田と尋ね来ん折には価を取らすべきに。」少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辞別の為に出だしたる手を唇にあてたるが、はらゝゝと落つる熱き涙を我手の背に濺ぎつ。

 この場面ではーー…」


「……ポアぴ、ポアぴ」


「なに?」


 私が解説をしていると、コソコソと後ろの席の方から話し声が聞こえて来た。声を潜めてさえいればバレないとでも思っているのか。


「今日さ、みんなで合コン行こうって話してたんだけどさ。ポアぴも行くだろ?」


「何処の子来んの?」


「判沢学院の子達だってさ〜」


「ヤッベ、女の子のレベル高いとこじゃん!行く行く」


「そこ、喧しいぞ」


「すんませーん」


 悪怯れもしない態度で、彼奴等はにやにやと下品な笑みを浮かべている。丸井よ、お前ならこの舞姫の物語を知らない訳ではあるまい。踊り子エリスを孕ませて責任も取らないまま日本へ逃げ帰る、クズ男の話だ。お前が間違いを起こしても私は相談になど乗ってやらんぞ。


 このクラスの担任になって何度目の溜息だろう、うんざりとして眉間を指で解した。


「先生も合コン来る?なんちて!」


「バ〜カ、先生が来る訳無いじゃん」


「うはは」


 何故私がガキ共の飯事に付き合ってやらねばならんのだ。


「…勝手にすれば良いが、面倒は起こすなよ」


「安心してよ、センセ。俺は紳士なベルギー人だもの。あ、チョコ食べる?」


「………授業中に菓子を出すんじゃない」


「何でベルギー人なんだよ」「やっぱりアホだな」と彼の友人達丸井をど突く。

 しかし丸井が私を見てしてやったりという様な顔をしたので、ああ、昨日の続きか、と一人で納得してしまっていた。


 それにしても、最近の子供はませたものである。合コンなど大学へ行くまで参加した事が無かったし、それも人数合わせで無理矢理数回行った程度だ。私には知らない異性と食事をする事の楽しさがよく分からなかった。そもそも合コンなどに参加する女が私と気が合うとは思えない。幾ら美人であっても目に付くのは口の中の歯で噛み砕かれた食物であったり、皿の上の食べカス。靴や携帯電話を触った手で食事をする女の姿に薄気味の悪いものを感じていた。

 私の神経質を人に強要するつもりは無いが、合わないものは合わない。そんな状態では間違いが起こるべくも無く、切りのいい所で抜け出すか用事があるなどと行って逃げ出していた。

 …お前達、未成年の癖に酒や性行為はしていないだろうな?




 ***




 二年四組の担任になって三ヶ月が過ぎた。休日は自宅で静かに過ごす事が多い私であったが、ある日思い立って一人外に出かけた。起床して朝食を摂り一息付いた際、読書をしようと思ったが未読の本が手持ちに一つも無い事に気が付いたのだ。

 最寄りの書店へ行くのも良い。だが、たまには古本屋も悪くないだろう。閑静な住宅街の中にあって、いつからその場所に存在しているのか、情緒溢れる店構え。店の前には特価と手書きされたポップが貼られ、いくつものコンテナの中にぎゅうぎゅうに本が詰め込まれている。入り口はガラス張りの引き戸で『いらっしゃいませ』とレトロなフォントが印刷されていた。

 以前から気になってはいたが、お客の姿は無い。一応明かりは付いており、店の横に自転車も止まっている。少なくとも店員は居るのだろう。

 そんな営業しているのか怪しい古本屋の引き戸をガラガラと引くと、馴染み深いインクと黴の臭い。私は所狭しと本棚が並べられた、狭い通路を進み目ぼしい本は無いかと眺めて回った。


「…小説ばかりだな。近代文学、歴史小説。…一応新書もあるな」


 古本屋の多くは店主の趣味が大いに反映されており、収拾される本の種類が違う。美術書に特化した書店もあれば、政治経済の学術書ばかりの所もある。

 この店は小説が中心の様だ。娯楽として読むものが欲しかったので、個人的には当たりである。ただ、これだけの量があるとどれにしようか選ぶのが大変そうだ。正しく本の海。


「ーー……」


 …此処に居るだけで一日が潰せてしまいそうだ。私の本のページを捲る音と、時計の針の音だけが世界が静止していない事を証明している。気が付けば、活字の渦に飲み込まれ外界の情報を遮断してしまっていた。


「………あんれれ、センセーだ」


「ーーー」


「お〜い、阿笠先生〜?」


「………」


「せんせえってばぁ!」


 どすん、と脇腹に衝撃を受ける。私は驚いて本を取り落としそうになったが、辛うじて平静を装う事に成功した。ぶつかってきた何かに目を向けると、まず金色のフワフワが視界に入った。それがもぞりと動いて人間の顔が此方を向く。人懐こいくりくりとした瞳の、ほんのり薔薇色に染まった頰の少年。その姿は小動物を連想させられた。


「……丸井」


「やっと気付いた!すごい集中してたね」


 私にタックルをかましてきた彼の姿を、まじまじと見る。オーバーサイズのパーカーにジーンズ、便所スリッパ。パーカーは紐の部分が鎖になっており、ロックテイストなデザインである。その上から何を思ったのか、白いレースがふんだんにあしらわれたエプロンを身に付け、背中で大きな蝶結びを作っていた。そして、その手にはハタキ。


「お前、何でこんな所に居るんだ?」


「え?だって、ここ俺んちだし」


「丸井の…家?」


「あ、正確に言うとじーちゃんち!じーちゃんボケ気味だからさぁ、時々俺が店番してんの」


 私はこの店の名前を思い出した。『丸井古書店』。確かに同じ名字だが、まさか教え子の祖父の家だとは。


「そうだったのか…しかし、そのエプロンはどうなんだ」


「可愛いっしょ!これ着てるとじーちゃんとばーちゃんがお菓子くれるんだ」


「お菓子……」


 狭い通路でくるりと回ってみせる。そして最後に決めポーズらしきものを決めるが、どう見ても古本屋の店員には見えなかった。


「先生、欲しい本があるなら俺に言ってね。だいたい何処に何があるか把握してるから」


「…そうだな。『チムニーズ館の秘密』はあるか?この間図書室で借りようとしたが無かったから…。後、『モルグ街の殺人』……無ければ三島由紀夫や織田作之助が読みたい」


「三島と織田作は彼処のコーナーにあるよ。モルグ街は無いけど、チムニーズは奥にあるから取ってきてあげる。待ってて!」


 割と面倒な物の言い方をした事を自覚している。推理小説のタイトルなぞ似たり寄ったりなものが多く、一発で誰の作品か言い当てるのは、誰もが知る程の有名であるか愛好者で無ければ難しい。にも関わらず丸井は悩む素振りも無く、笑顔で待てと言い残し奥へ消えて行った。

 彼に教えられた本棚を物色し乍ら待っていると、程なくしてチムニーズを手に戻って来た。


「ほい。結構前に出たやつだからちょっとボロいけど。これでいい?」


「ああ。有難う」


 私は白手袋を嵌めた手で、その本を受け取った。ぱらりと開いてみたが、書き込みがあったり『答え』がバラされている事も無い。


「…先生、何で手袋なんてしてるの?本当は、古本って好きじゃないんじゃ?」


 丸井が私の手元を見て眉を顰めた。私はああ、と頷いて手を動かせてみせた。


「いや、そんな事は無いぞ。古本は貴重な物も多いから、痛めないようにという理由もあるが…一番の理由は直に触るとベタベタするからだな」


「やっぱ駄目なんじゃん」


「それは古本が苦手な理由にはならないだろう。寧ろ好きだし、買った後は天日干しをして除菌をするから問題無い」


「めんどくさっ」


 面倒な性格である事は自覚しているが、そんなに顔をしかめなくても良いだろう。

 私は余り長居し過ぎるのもどうかと思ったので、気になった本を数冊会計して貰う様頼んだ。


「小説五冊で、六百円でーす。あ、あめちゃんは一人一個、貰って行っていいよ」


 旧式のレジをカタカタと動かし、私から千円札を受け取りお釣りを渡して寄越す。年寄り趣味の黒飴とハッカ飴の入った小さな籠を勧められたが、なんとなく気不味く辞退した。


「お買い上げ有難う御座います。また来てね。…来るよね?」


 如何してそんな顔をするのだろう。

 私に来られても、嬉しい事なぞ無いだろうに。とはいえ、この店の品揃えは私の好みなので、また足を運ぶ事になるだろう。


「…ああ。また来る。店番しっかりな」


「うん!バイバーイ!」


 元気よく手を振られ、店を出る。店に入った頃より日が傾いており、異世界から現実に引き戻された様な感覚に陥った。




 ***




「阿笠先生、おはよー!ねえねえ、この間買った本読んだ?」


「…お早う。今日も元気が良いな」


「ポアちんは元気が取り柄だからねっ!」


 休日明けの朝。職員用の駐車場から玄関へ向かっていると、丸井は私の脳を刺激する声で話しかけてきた。もう少し、声のトーンを抑えろ。


「それで、読んだの!?」


「ああ。読んだ読んだ。三島の『命売ります』…は、設定が突拍子も無くて引き込まれるな。それが、どうかしたか?」


「あ、そっち読んだのかー。あれも面白いよね。散々死にたい死にたいって言ってたのに、最後はーーと、これはまだ言っちゃ駄目なのかな」


「まだ終わってないから何も言うな。というか、読んだ事があるのか」


「うちの店にある本はいつでも読めるからねえ。先生に買われちゃったけど。

 じゃあ読んだら感想教えてよ。俺、語れる人今まで居なかったから、超語りたい」


 クラスの友達は本とか読まないし、と苦い顔をする。あの明るい髪をツンツンさせた竹内や、丸井に恋慕を抱いている、派手な化粧の女子共が三島由紀夫を愛読しているとは思えない。

 丸井の場合は、祖父の影響によるものが大きいのだろう。恐らく幼い頃からあの店をよく出入りし、自然と読書に親しむ様になった…という所か。だとすると彼はなかなかのお祖父ちゃん子である。


「語るったって…一体いつするつもりなんだ。今月末中間テストだぞ」


「そういうつまんない事言う?先生に勉強教えて貰うついでに、お喋りしたいなっ」


「お前は現代文より数学と英語をやれ。科学もだ」


「や〜だ〜」


 可愛いらしく駄々を捏ねても無駄だ。

 同じ趣味の人間同士話がしたいのは理解出来る。が、学校に居る内は私も仕事があり、彼は彼で放課後は友人達と何時も何処かへ出かけている風である。私があの古本屋へ…と思ったが、買い物目的でなく彼と雑談に興じる為に出向くのは立場上大丈夫なのだろうか?疑問だ。


「ポアぴ、おはよ〜!早く教室行こうぜ〜!」


 つまんないつまんない!と愚痴を零す丸井の相手をしていると、彼の姿を見つけたクラスメイトが声を掛けてきた。すると丸井は不機嫌そうな顔をぱっと明るくし「おー!今行く!」と返事をして、私に振り返る事無く走っていった。


「先生と何話してたんだ?」


「ん〜別に?」


「あっ、あいつまだこっち見てる。ウッゼ」


「ほんとだ。確かにウゼーよね」




 …所詮、こんなものである。




 私は捻くれていた。面と向かっている時は邪気の無い笑顔で矢継ぎ早にあれこれ話しかけてくる癖に、友人達と居る時は私の悪口を零している様子だった。私の事が嫌いなら何故あんな事を言ったのだろう。社交辞令、では無さそうなのが意味が分からない。ただ彼はテスト期間に入っても自宅に帰り勉強をする事は無く、カラオケに行くだのゲーセンだのと騒いで、まるで私の苦言を聞く気が無かった。

 テストの結果は、現代文と古典以外赤点ギリギリ。…赤点にならない辺り器用な事だ。古典は平均の少し上といった所で、私の担当する現代文は嫌みたらしく満点を取って来た。これで総合の評価は中の下といった所か。私はこんなに落差の激しい試験結果を初めて見た。


「……?」


 丸井の答案用紙の空白に、何か書いてある。




『アガサ先生

 いつも悪く言ってごめんね。みんなの前だと、俺も色々あって。

 またうちに遊びに来てね!やくそく!!!』




 女子が書いた様な丸っこい文字。その端には私の似顔絵らしきものが描いてあった。

 …私はこんなに目は吊り上っていないぞ。やはり、喧嘩を売っているのか。全く似ていない。





「……丸井歩愛」




 私はそのメッセージの隣に、赤で花マルをつけてやった。


阿笠とポアの教師・生徒時代のお話でした。

この頃のお話は今後も書いていく予定です。

次回はまた推理パートです。


ところで、そろそろタイトルの暗号の規則性には気付きましたか?

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