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パリピ探偵ポア  作者: 吉良 瞳
12/50

【915:あ】追憶のアヴェマリア

※今回の物語は性的な表現が含まれます。お花見回とは違い真面目な内容の分、不快感を感じる方が居るかもしれません。R指定する程でもありませんがご注意下さい。

 

 山田太郎という男は、正直苦手な部類の人間であった。中学高校と同じ所へ進んだが、彼はいつも多くの友人達に囲まれ、楽し気な雰囲気に包まれていた。無邪気な少年らしい笑顔が印象的で、万人に好かれるような愛嬌を持っていた。馬鹿な事をやったりお調子者な反面、勉強をやらせれば常に一番。体育の授業もいつも活躍していた覚えがある。今でも彼は何をやらせても人並み以上にこなしてしまう。しかも嫌味なくやってのけるのだから“完璧超人”である。

 それにひきかえ、私は人見知りで一人遊びが好きな子供で、新天地で入学した中学校でも浮いた存在であった。まだ他の同級生達と共通の好きなものや趣味があれば話しかけることも可能であったかもしれない。しかし私には当時流行っていたカードゲームも、スポーツもその面白さが全く分からず、興味も出なかった。中学生にもなってカードを集めて対戦など子供じみているとしか思えなかったし、スポーツにしても馬鹿みたいにボールを追いかけて何になるんだと実に冷めていた。試しにやってみさえすれば良かったのかもしれない。が、生憎とカード対戦やスポーツをしてくれる友は居なかった。

 私の好きな事と言えば、やはり読書をする事であった。本を開くだけで、此処では無い別の世界へ(いざな)ってくれる。漫画本も様々読んだが、私は活字を目で追う方が好きだった。活字である方が想像力を刺激されよりリアルに物語を感じ取る事が出来るからだ。小学生の頃は図書室の本を読み尽くしたし、中学でも学校の本は全て制覇するつもりでいた。…『図書館』という渾名が付いたのは仕方の無い事だったのかもしれない。

 山田は、そんな根暗な少年であった私にしつこく構ってきた。読書中の私の邪魔をしたり、授業でペアを作るという時に私の元へやってきたり。クラスのリーダーたる山田と底辺の私は、どう足掻いても親しくなれそうな人種同士では無い。そう判断し適当な受け答えしか返さなかった。…どうせクラスで仲間外れを作りたくないだとか、一人でいる私が可哀想だとかそんな理由なのだろう。大きなお世話だ。と、捻くれた考えをして歩み寄ろうとしなかった。

 ただ、私を名前で呼んでくれたのは何故かとても嬉しく感じていた気がする。


 ーー山田とはなるべく関わらないと決めていた筈なのに、いつの日か私が本を薦め感想を言い合う仲になった。確か、余りにも何度も何度も構って来ては「自分も読んでみたい」などと言うものだから、本当に読んできたら付き合ってやろうと思ったのだ。そして、彼はきちんと読み終えて来て「この続きはないのか」と言ってきた。

 どうせ仲良くなれる筈が無いと壁を作って居たのは私の方ばかりで、彼は本気で私と仲良くするつもりであったらしい。一人は可哀想という偽善を持っていたというよりは、純粋に私に興味を持ったから話しかけたという方が彼の行動をみるに自然な気がした。勿論これは私の妄想かもしれない。だが今現在も交友が続いている事を考えると、ただの偽善であった様には思えない。合わないと思って居た筈なのに、不思議とウマが合うのだから人間という生き物は分からない。


 あの時何故私に何度も声を掛けてきたのか、と問えばこの男はきょとんと目を丸くして首をひねり始めた。「さあ、どうだったかな…」と答えて「多分何も考えてなかったぞ」何故か嬉しそうな顔をしていたーーこいつはそういう男なのだ。


 この飄々とした永遠の少年とでも称すべき天然記念生物は、何でも良い方向に捉えストレスを溜め込まない無敵最強な精神を持っている。今でもそう思ってしまう。当時はそう確信していた。理由を挙げればキリが無い。彼の負の表情なぞ見た事が無く、弱音を吐いた事も、人の悪口を零した事も無かった。だがそんな人間がこの世に存在する訳が無かったのだ。




 山田と親しくなってから暫くして、授業で『将来の夢』について作文を書かされた事があった。もっとましなテーマは無かったのかとうんざりしつつも、特に将来の展望を持たなかった私は『図書館司書』と書いていた。理由は実に単純、沢山本を読んで暮らせると思ったからだ。中学生の考える事なぞこの程度である。

 だが彼にとってはそんな生半可では済まされない様な覚悟を既に決めていた様であった。皆の前で堂々と『内閣総理大臣になる』と宣言する様はなかなかに立派であった。その横顔はニュースでよく見かける“山田法務大臣”によく似ていて、ああそういう事かと納得した。

 そんな山田少年に、クラスメイトは嘲笑し教師は書き直せと怒り迫った。やんちゃそうなくりくりとした瞳に涙が溜まるのを私は見た。そんな瞳をし乍も大人受けする子供らしい、しかし上品な顔…それが醜くぐしゃりと歪んだかと思うと、彼は教室を飛び出し逃げ出してしまった。彼の居なくなった教室は一時騒然となった。私もぎょっとはしたが、頭は妙に冷静だった。訳が分からないという顔をする教師を尻目に、私は溜息をついて彼を追いかけた。


 ーー彼を見つけたのは、図書室の隅。窓を背にして蹲っていた。何故其処に居ると分かったのか。…彼の座る側の本棚には、山田大臣が寄付した中学生向けの政治の本がほぼ新品の状態で納められていた。図書室を頻繁に出入りし読み漁る私は、奥付に彼の父親を記したその本を読んだ事があった。もし彼もこの本の存在を知って居るのならば、きっとこの場所に縋るのではないかと思ったのだ。

 どんな言葉で彼を元気付けたのかは記憶に無い。ただ手を伸ばすと何時もの笑顔で握り返してくれたのを覚えている。それからは、放課後は一緒に遊びに行ったり、休日もよく(つる)んだりするようになっていった。




 高校は、二人で自宅から一番近い所を選んで受験した。近いからという理由だけで選んだというと怒られてしまうかもしれないが、その高校は県内でも有数の進学校でなかなかレベルの高い学校であった。山田は兎も角、学力の足りなかった私は必死で勉強をした。折角出来た友人と離れ離れになるのも嫌だったが、なんでこいつに出来て私には出来ないんだと躍起になっていた節がある。人生で一番勉強をしたのは高校受験の時だとはっきり言える。

 一生懸命レベルの高い高校を目指そうとする子供の反対をする親など居る筈もなく、塾に通わせて貰い、塾の無い放課後は山田に勉強を教えて貰った。

 私は典型的な文系で国語や社会は得意であったが、数学や理科は平均点を取るのがやっとな人間であった。…英語は平均点の少し上くらいだったか。私の総合的な学力は中の上、時には中の中という程のものだった。当然これでは希望の進学校に行けるレベルでは無かったのだが、塾の講師に恵まれた事と山田の分かり易い説明が功を奏し、ギリギリだが第一志望に入学する事が叶った。人にものを教える余裕を見せていた山田は、当然のように成績優秀で新入生代表の挨拶をしていた。やはり彼は化け物である。


 高校生にもなると、私も山田もぐんと身長が伸びた。特に山田はどちらかというと愛らしい顔立ちだったのが、急に男らしくなった。しかも剣道部に入部した彼はいきなりその頭角を現し、その所為なのか時折女子生徒から熱い視線を送られる事がしばしばあった。だが当の本人は全く気付いていない様でどこのチート漫画の主人公だと疑った事さえあった。勉強もスポーツも出来て、人当たりも良い。腹が立つ程に善人で老若男女に愛された。世界の全てがあいつに味方している様に思われた。が、彼はある時「私には図書しかいないらしい」と疲労した笑みを浮かべてそう零した。そんな言葉は女に言え、と答えて取り合わなかったが今思えば彼なりに人間関係について悩みがあったのかもしれない。




 そんな山田と行動を共にする様になってから、彼以外にも友人らしき存在が何人か出来た。以前程人見知りする事も無くなり、とある男子グループの一角に私も在籍する様になった。ただ私の読書癖そのものは変わる事なく、文芸部に入部し地味な生徒達に混ざって読書を続け、時に小説やエッセイを掲載した文芸雑誌を作った。誰にも見向きもされない文芸雑誌だったが、山田は手に取ってくれて「部員以外でも載せてもらえるのか」と言って痛々しいポエムを書き寄越してきた事があった。問答無用で却下した。

 ……一度だけ病気を拗らせたファンタジー物語を掲載した事があった。

 結構な文章量を書いてくれたのに没にするのは、何となく可哀想であったからである。勝手に共同作品という事にされていたが、私は添削をしてやっただけだ。暫くその物語の主人公然として(山田曰く、自分が主人公のファンタジー小説)私をその相棒に仕立て上げていたが、助けを求める私の視線は皆から無視された。面白がって山田に加勢いしようとさえするのだから、タチが悪かった。そのファンタジー小説が掲載された号だけ多くの生徒に読まれる事となり、文芸部員達を凹ませる事態をも招いた。


 その物語の内容?知らなくて宜しい。




 ***




 ーー中学よりましになったにせよ、私は相変わらず灰色な青春を送っていた。それでも、甘酸っぱい様な経験もした。高校一年の頃はそうでも無かったが、二年に上がると急に女子生徒の目が私にも向き出したのだ。

 山田が典型的なクラスの人気者、女子憧れの男子だとするならば、私は何を考えているのか分からない寡黙でミステリアスな魅力の男子、であったらしい。物は言いようである。人気者の山田とミステリアスな私(何と馬鹿馬鹿しい。)がいつも一緒に居る姿は、他の生徒達には不思議な事のように思われたらしく、度々女子達の議論に上がっていたのだという。完全に山田のお零れを貰った形である。




「ーー阿笠先輩、あの、これ、読んで下さい」


 生まれて初めて私に好意を示してくれたのは、同じ文芸部の後輩の少女であった。髪を耳の下辺りで二つ結びにしており、スカートは膝丈。何時も自信なさげな表情をしていた様に思う。そんな彼女の何処に私を呼び出して告白する勇気があったのかと思ったが、すぐ近くに彼女の友人達が隠れていて「頑張れ」と声を送っていた。

 私は彼女に特別な感情を抱いた事は無かったが、今日に至るまで様々な葛藤や思いがあったに違いないと、純粋にその行動を讃えたいという気持ちになった。直ぐその場で手紙を読もうとすると彼女は慌てていたが、内容は酷く誠実でいじらしく、何度も何度も書き直した跡に喜びを覚えた。読み終えた私は、深く考えもせずに「付き合ってみるか?」と答えてしまった。懐かしきその少女の名前は、角田 桜智(すみだ さち)

 現在は三つ年上のサラリーマンの男性と結婚し、二人の子供と温かな家庭を築いているらしい。


 当時の私は初めて出来た彼女をどう扱えば良いのかよく分かっていなかった。取り敢えず部活の席はいつも隣で、朝は一緒に登校した……山田は剣道部の朝練でいない事が多いので、専ら朝は彼女と二人きりである。下校時だけは山田が終わるのを待って三人で帰宅していた。たまの休日にデートをした事もあったが、行き先は遊園地や水族館…などでは無く、地元の図書館や美術館、博物館がメインであった。遊園地水族館などは騒ぎたいばかりの馬鹿共の行く場所だと思っており、美術館や博物館の方が余程お洒落でデートスポットに良いと思っていた。ませたガキである。その上、全く女心の分からない阿呆であった。

 年頃の少女達が、デートに公共施設にばかり連れて行かれたらどう思うか、私には全く分かっていなかった。桜智さんもーー、角田さんも例外に漏れず少女漫画の様な恋愛を好み、様々な乙女的夢想をしていた少女である。

 しかも、私の直ぐ隣には成績優秀剣道部エースの山田が居るのだ。目移りするのも仕方の無い事であった。私が女でも、山田と私の二択であったら山田を恋人として選んだだろう。根暗な私と居るより、山田と過ごした方が楽しい事が沢山あるに違いない。

 三ヶ月程付き合ったある日、彼女から「他に好きな人が出来てしまったんです。ごめんなさい」と目に涙を溜めて謝られてしまった。私に怒られると思ったのだろうが、この時既に角田さんの目が山田を追っているのを知っていた。「私こそ悪かった」と口にすると、角田さんは「今までお付き合い下さって、有難う御座いました。本当に楽しかったです」と顔を歪めて私の機嫌を取ってくれた。

 数えられる程しか触れる事の無かった唇が、この時何故か惜しいと感じた。特別な感情は抱いていなかったと前述したが、本当はそうでも無かったのかもしれない。


 角田さんが山田に告白をしたのかは私は知らない。だが彼女と下校しなくなってから山田は申し訳無さそうな顔で「何か奢ってやろうか」「ゲームでも貸してやろうか」などと言いしつこく私に構ってきた。少なくとも事情は察していたのだろう。自分の恋人の心を奪った張本人であったが、不思議と怒りは無く私達の関係は相変わらずであった。その後山田と角田さんが付き合ったという話も全く無く、山田はどちらかと言えば派手な女子生徒と付き合っては振られ、それを何度か繰り返してはクラスメイト達に弄られていた。愛すべき馬鹿というやつなんだろうか。



 ***




 思春期極まれり、高校生にもなると当然“性”に関して敏感にもなり、仲間内で所謂エロ本が回される事がしばしばあった。現在ではネット上にアップロードされたもので済まされるのだろうが、当時はまだ紙媒体が主流であった。私は同性同士であってもそういう話をするのは苦手で、回ってきた本を受け取る事さえ恥ずかしく大変な気苦労をした。この頃既に潔癖のきらいのあった私は他人の体液のこびり付いたその本を触るのが嫌で嫌で仕方がなかった。だが内容に興味が無かったといえば嘘になる。期待と羞恥、嫌悪に苛まれ乍らそっと開いたその本は私の覚悟も虚しく幻滅させるばかりで、印刷された淫靡な女性達の余りの穢らわしさに嘔吐した。

 角田さんの唇には触れる事が出来たのに、掲載されている女性達には少し足りとも触れたいとは思えなかった。秘密にしてくれと前置きをしてからこの事を打ち明けると、山田は事も無げに「お前は無垢な女が好きだからな」と答えた。確かに、豊満な胸や美しい曲線を描いた体がどうこうと言うよりは処女の方に惹かれていた。肉体的というよりは、精神的な処女を好んでいた。


 ーーなどと言うと変態の様で大変聞こえが悪いが、こんな赤裸々な話をするのも全てあの出来事を語る上で必要な事だからである。




 山田の話をする内に、あの女の事が思い出された。序でに此処に記しておく事にする。


 剣道部の山田の先輩に誘われて、ナイトクラブに行った事がある。そのクラブは未成年は禁止であった筈だが、その先輩にはコネがある様で私と山田もすんなりと入る事が出来た。こんな場所に来てみたいと思った事など無かったが、山田はこの悪い先輩の誘いを断り切れず私に付き添いを頼んだ。

 店内は裸同然の姿をした女性や趣味の悪い服で着飾った男達でごった返していた。楽しくダンスを踊る場所だと聞いていた山田は「私は社交ダンスとバレエしか出来ないぞ」と真っ青な顔をしていた。なんと頓珍漢な。社交ダンスとバレエとは、何処のお嬢さんの趣味だろう。先輩は知り合いらしい女性の所へ行ってしまい、私達は完全に場違いの状態であった。妖しい雰囲気の女性達に何度も声を掛けられ、私達は必死で断った。…何を断った?とは野暮な質問である。


「…太郎くん、先輩には悪いが、帰ろう。此処は俺達が居ていい場所じゃない」


「…そのようだ。……めちゃくちゃ怖い」


 すっかり怯えた様子の山田の手を取り、先輩の目を盗んでクラブを出た。しかし間の悪い事に、店の前で中に入ろうとしていた女性とかち合い「君達未成年だよね?」と声を掛けられてしまったのだった。




 ***




「駄目じゃない。君達みたいなのが、あんな場所に行っちゃ」


 その女性は私達の首根っこを掴むなり、近くのファミレスでお説教をし始めた。話を聞いていると彼女は風俗嬢で、あの場へはとある企業の若手社長への接待で出向いていたらしい。しかし私達を見た彼女はその接待を蹴って、生活指導の教師の様に学生はかくあるべきと話してくれた。私は何故こんなはしたない格好をした女に説教されなければならないのか、御高説垂れる程の人間なのかと見下した。山田は素直に彼女の言葉を受け取った様でしょんぼりと肩を落としていた。しかし私は自分達は悪くないのにと反抗心が膨れ上がるばかりであった。


「…それで、君達名前は?お家の住所は?もう夜も遅いから送ってあげる」


「……家族や学校に知られては困るので名乗りたくありません。それに自分で帰ります」


「そういう訳にはいかないでしょ。今日の所は黙っててあげるから家の近くまで。ね?」


 彼女に何度も説得されて、私達は家の近くまで車で送って貰った。知らない女の車に乗るだなんて危険な事をしたと今でも思うが、彼女との交流は不思議とそれからも続いた。


「こんにちは。図書くん、太郎くん」


 ある日山田と下校していると、その女が再び私達の前に現れた。柔らかな金色に近いロングヘアに、大きな目に長い睫毛のグラマラスな女。「もうあんな所に行ったりしてないよね?」と念を押され、それから度々ファーストフードを御馳走になった。


「…いつまで付き纏うつもりなんですか」


「こ、こら、図書!」


 奢って貰っていながら、私は無愛想に彼女を睨んだ。


「そんなに怖い顔しないでよ。黙っててあげる代わりにたまにで良いから話し相手になってくれないかな」


 脅迫だ、と思った。だが彼女にそんな意識は無いらしく無邪気に取り留めのない事を私達に話した。

 ある時、彼女はこんな話をした。


「私の家は貧乏だったから、高卒で働き始めたんだ。成人してからは水商売。なんで私がこんな目にって思った事もあったけどーー今は幸せなの。お客さんの一人に、私の事が好きだって言ってくれる人が居てね。今度、その人と結婚するの。その人はお金持ちだから、もうこんな仕事は続けなくて良いんだって。

 今までは自分の事で精一杯だったけれど、今は周りの事がよく見える様になった。だから、困っている人が居れば助けてあげたいし、間違った事をしている人が居れば勇気を出して注意をしてあげようって思うの。幸せのお裾分けって程でも無いけど、うん。今じゃ私を見捨てた両親も、暴力を振るった嫌味なお客さんも、元気でいて欲しいなって思えるの。これって、自分の中じゃ本当に凄い事なのよ」


 ぬくぬくと育って来た私達に、彼女の苦労は理解出来なかった。何と言葉を返して良いものか分からなかったが、いちいち私達を気にかける理由がよく分かった。

 もう一度彼女に目を向ける。

 仕事着の露出の多いドレスでは無く、着古した毛玉の付いた庶民的な衣服を纏った彼女は、気高く美しくあった。なんと変わり身の早い事だろうと思う。しかし私の嫌悪の対象であった性に汚い女性像が砕かれた様でもあった。彼女の微笑みはあどけない少女そのもので、厭らしさを微塵も感じさせなかった。


 これが私の実感がとしてある、初恋であった。


 ーーだがある日を境に、彼女は私達の前に姿を現さなくなった。お客であったという男と結婚したのだろう。きっと幸せにやっているに違いない、と思う事にした。

 私も山田も、彼女の居所を知らなかった。名前すらも知らなかった。

 初めて出会った時は『巖谷(いわや)すま子』とファミレスの客待ち名簿に書いていたが、次に会った時は『鴫沢 宮(しぎさわ みや)』と名乗った。一体どちらが本名なのか……私からしてみれば『巖谷すま子』も『鴫沢宮』もどちらも偽名だとしか思えなかった。尾崎紅葉の小説『金色夜叉』に出て来る女性の名が『鴫沢宮』でそのモデルになった女性が『須磨』。その恋人の男性が『“巖谷”小波』だ。


「綺麗な人だったな、図書」


「………そうだな」


 何故そんな事をしたのかーー名探偵の頭脳でも借りない事には分からない。

 だが彼女を探し出そうとは、(つい)ぞ思わなかった。


 惚れた女を綺麗な思い出のまま残しておきたい、惨めな男の願望だ。風俗嬢の女がお金持ちの男に見初められて結婚をするシンデレラストーリーの一端覗かせて貰ったのだと思う事にした。彼女を連れ去ったのは果たして間貫一であったのか富山忠継であったのか……私は、どちらでも無い事を願うばかりである。




 答え合わせは必要無いと決めた筈なのに、大人になって彼女と再会を果たした話は、また後日機会があれば記す事にする。

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