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パリピ探偵ポア  作者: 吉良 瞳
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夜行巡査1

《登場人物》

丸井ポア…大学生探偵。ノリが軽く賑やかな性格。幼く見られがち。

阿笠図書…探偵助手。潔癖症。とある経緯からポアと一緒に居る。

山田太郎…刑事。阿笠の親友。厨二病。

芝崎眞理…刑事。山田の相棒。新人。

伊藤紗季…捜査の依頼主

伊藤吉三…事件の重要参考人

八田巡査…被害者。正義感が強く真面目な男

市川警部補…八田の所属する派出所の上司

三村巡査部長…八田の同期で友人

篠原巡査…八田の部下

 とある商店街の外れ。シャッター街を潜り抜け住宅地に差し掛かる所に立つ、年季の入った雑居ビルに「丸井探偵事務所」は入っていた。エレベーターは無い。空き缶の転がる階段を3階まで上がる。マジックで名前の書かれたプラカードを下げた、愛想の無い無機質な扉を開けると、其処はミラーボールの輝く探偵の城ーー…。


「イェーイ!盛り上がってるぅ?今夜は俺の奢りっ!飲み明かそうぜーい!!」


「「ウェーーイ!!!!!!」」


 有る者はビールや酎ハイの缶を互いにぶつけ合い、景気良く飲み干す。また有る者は音楽に合わせてーー果たして音楽と呼べるのか不明な爆音に合わせて踊り狂う。事務所は、若者達によってクラブと化していた。


「…いい加減にしろ。ポア。此処はお前が仲間と遊ぶために借りた訳じゃ無いんだぞ」


 弁当とお茶をコンビニ袋にぶら下げて、部屋の住人に苦言を漏らす。その声は、ただの一人にも届いていない。

 何時もの事だ、と溜息を吐いて無言で古めかしいラジカセの音楽を止める。すると盛り上がっていた若者達はあっと不満そうな声を上げた。


「ちょっと〜、今日はこの間の依頼の解決祝いなんだよ?少しくらい良いじゃん。そうだ、阿笠さんも一緒に飲まない?」


「私は酒はやらんと言っているだろう」


「ちぇー、愛想なーい!」


 阿笠図書(あがさ ずしょ)。この探偵事務所の責任者で、探偵助手の席を預かっている男だ。歳の頃は30半ばから後半だろうか。皺一つない真っ白なシャツに下ろしたてと見紛うカジュアルスーツ、乱れ一つ無い漆黒の髪。乏しい表情と神経質そうな顔立ちが、彼の人間付き合いの悪さを物語っている。

 だが、ポアと呼ばれた青年ーー否、未だ少年の様な幼い顔立ちの男は阿笠に物怖じせず不満をぶつけた。

 丸井ポア。彼こそが「丸井探偵事務所」の探偵である。


「この辺りは民家が多い。苦情が来たらどうする。騒ぐな。お前達も帰れ。」


「あーあー。おっさんの所為で冷めちゃったよ、またなー、ポア」


「あっ、みんな…」


 友人達が引潮の様に帰って行く。ポアは名残惜しそうにそれを見送り、恨めしげに阿笠を睨んだ。睨まれた阿笠はミラーボールの電源を落とし通常の照明に切り替え、ゴミ袋を取り出して缶やつまみの柄を片付けている。


「いっつもそうやって俺のダチを追い返してさ、思いやりってもんが無いの?」


「私はいつもお前を思いやっているぞ。今もこうして後片付けをしてやっている。」


「きも。別に頼んで無ぇし」


 今度はポアが呆れる番であった。阿笠の手には使い捨てのゴム手袋が嵌められ、アルコールを何度も噴射させ除菌を行なっている。彼は潔癖症なのだ。




「あのー…?」


 阿笠の片付けが粗方完了し、ポアが興味を無くしてスマートフォンでソーシャルゲームを始めた頃。二人だけの空間に、第三者の声がした。

 事務所の扉を半分開いて、此方の様子を伺う女性。気弱そうな瞳が、室内を見回し戸惑いを露わにしていた。


「此方は丸井探偵事務所さん…なんですよね?」


「そうですが。営業時間はとうに過ぎておりますが…、御依頼ですか。」


 阿笠の温度の感じさせない声に、女性がびくつく。しかし即座に返事をしなければと慌てて言葉を紡いだ。


「す、すみません…!あの、実は昼間の内にお伺いしようと思っていたのですが、なかなか踏ん切りが付かなくて…」


「こーんな時間になっちゃったのかぁ」


 ポアはくすりと笑って、スマートフォンの画面を落とす。机に向かい合う様に設置されたソファの上座に腰を掛けて、足を組んだ。これが、彼のOKサインである。


「取り敢えず、此方にどうぞ」


 女性は阿笠の進めるままに腰を下ろす。グラビアのポスターやバンドのチラシが垂直平行に貼られ、服の着ていないマネキン、彫刻が行儀良く整列されているのを不思議そうに眺めている。彼女の視線は最後に、天井のミラーボールへと向けられた。


「えっと…、何度もお伺いする様ですが、特定の人間の調査や、事件の捜査を民間にお願いする“探偵事務所”でお間違い無いですよね…?」


「はい。少々、特殊な内観となっておりますが、間違い無くその“探偵事務所”です。それで、貴女のお名前と御依頼内容をお聞かせ頂けますか」


 阿笠もポアの横に腰掛ける。女性は頷いて、居住まいを正した。


「私は、長岡印刷所で事務をしております、伊藤紗季と申します。今回お伺いしたのは、実は私の祖父がとある事件の捜査を、お願いしたいという事でして…」


「ほう。それでは貴女はお爺様の代理という事ですか。その、事件というのは?」


「はい。浅井川で、警官が一人死亡した事件です。

 先週の金曜日の夜、祖父はゲートボールの仲間と飲みに出かけて居ました。その帰り、その溺死した警官…八田巡査と言い合いになったそうです。酔いが回っていた所為で、何を話し、何処を歩いていたかは覚えていないらしいのですが…。

 その日、私と母は、祖父が日付が変わっても家に帰らないので、警察に捜索願を出しました。すると、祖父は浅井川の土手で発見されました。そして八田巡査は程近い所で、川に浮かんで亡くなっていたそうです。

 他の警察の方々は、祖父が八田巡査を殺害したのではないか、と疑っている様なんです。自分だって死にかけたというのに、と、当然祖父は怒りましたし、私もとても信じられません。」


「…貴女の話は主観的で、客観性に欠きますね。先ずは、何故警察は貴女のお祖父様が殺したと判断したのか、お教え下さいますか。」


 伊藤紗季の話を纏めると、次の様になる。

 彼女の祖父は、件の八田巡査と顔見知りで何度か言い争いをした事があるという。警察は、八田巡査に何らかの怨恨があったのではないかー…と思っているらしい。そして、浅井川の橋の柵が老朽化しており、簡単に壊れてしまう様なものであり、その事は近所の派出所勤務である巡査も皆知る所であった。気を付ける様に注意喚起の立て札も八田巡査が自ら設置したくらいである。誤まって落ちた可能性は低い。何か人為的なものが働いた思わずにはいられない。また、彼は所謂金槌というもので、泳ぎが滅法駄目なのだという裏が取れている。自ら川に飛び込んだとも思えない。

 一方で伊藤紗季の祖父ーー吉三は元漁師で泳ぎが得意。身体を動かすのが好きで、ゲートボールだけでなく、現在もシニアのスイミングクラブに毎週通っている。

 憎き巡査を、溺死させようと考える、動機の筋も通ってしまっている。


「それに、祖父にはアリバイが無いんです。実際本人があの晩巡査と会っていたのを覚えていますし、起きたら土手に倒れていたのですからね。それに、残念乍ら目撃証言も無いんです。」


 紗季は俯いて言葉を切った。指を何度も組み替えて、心を落ち着けようとしている様子だ。家族が殺人者にされようとしているのだから、平静でいられるものではない。

 ポアは、缶酎ハイのタブを起こして口をつけた。一応二人の話は聞いている様で、大人しくはしている。


「…動機と、アリバイ。それだけでは弱い。証拠は出たのですか?」


「…はい。一応は。でも、私には到底それが祖父が八田巡査を殺した証拠だとは思えないんです。」


「その証拠とは?」


「酒瓶です。祖父が愛飲している焼酎の一升瓶。それが浅井川から発見されました。瓶には、八田巡査のものと思われる血液反応が出たんです。実際八田巡査の頭部には打撃痕がありましたので、祖父が巡査を殴った後、川に突き落としたのでは無いかと考えている様です。」


「成る程、それが決定打となったのか」


 得心いった、と阿笠が頷く。紗季は「でも!」と声を荒げた。


「祖父が愛飲していた種類の酒瓶だとはいえ、指紋が検出された訳じゃないんです。それに祖父は一升瓶は買いません。いつもカップ酒かパックのものを買って来ます。計画的な殺人ならもっとちゃんとした凶器を持参するでしょうし、衝動的なら何故この日に限って酒瓶を持っていたのかという話になります。」


 確かに妙だ。紗季はこの事を警察にも話したが、理解して貰えなかったのだという。祖父はこのままでは自分が犯人にされてしまう、と孫の紗季に探偵の依頼を任せたとの事だった。現在紗季の祖父・伊藤吉三は重要参考人として、逮捕状こそ出されて居ないものの連日警察署通いなのだという。


「話はよーく分かったよ。俺が、犯人はお祖父ちゃんの他に居るんだと証明すれば良い訳だ。」


「まだそうと決まった訳では無いぞ」


「わーってるって!この名探偵ポア様に任せなさいって」


「あの…?」


 不審げな表情をする紗季。阿笠は相変わらず温度の感じさせない無表情で「我が事務所にお任せ下さい」と頭を下げた。




 ***




「ククク…よく来たな、待っていたぞ。我が同胞、精霊術師クリスよ」


「相変わらずだな、山田」


「ノンノン、我が名はギルバート・シュヴァルツ。神に人類の断罪を義務付けられた堕天使、山田太郎とは世を忍ぶ仮の姿ー…。私とお前の仲だ、真名で呼ぶ事を許した筈だ。」


「だから真名が山田太郎だろう」


 ーー事件のあった浅井川の河川敷。現場一帯がkeep outの文字が印刷されたテープに囲われ、血生臭い事件現場と平和な住宅地を隔絶させていた。阿笠とポアは知り合いの刑事に頼んで、現場の立ち入り許可を貰っていた。関係者である紗季も同行して貰っている。紗季は刑事と阿笠の押収に一抹の不安を感じずには居られなかった。

 ーー本当に大丈夫なのだろうか、この人達。…と。


「山田先輩。この方が仰っていたご友人の探偵さんですか?」


「然り。だが探偵とは仮の姿。真の姿は精霊術師で、私が地上に降りた時盃を交わした言わば盟友よ」


「ちょっと何を言っているのか分かりませんが…。初めまして。石河県警刑事部捜査第一課、芝崎眞理(しばさき まり)です。今月より着任したばかりの新人ですが、宜しくお願い致します。」


 長い黒髪をポニーテールにし、ぴしりとした、しかし初々しさを感じさせる婦警は阿笠に向かって敬礼した。齢は20代半ばに見える。歳の割に化粧は苦手と見えて、アイブローと、茶色のシャドウと、ピンクのリップを取り敢えず塗りましたという様な具合であった。


「ご丁寧にどうも。丸井探偵事務所の阿笠図書です。友人の山田がお世話になっています。」


 芝崎に名刺を渡す。芝崎は、名刺を見て少しばかり首を傾げた。


「丸井…。その、阿笠さんが事務所の所長さんでは無いのですか?」


「そうですが。ですが私は探偵助手に過ぎません。推理は主に、丸井が致しますので。それ故『丸井探偵事務所』です。」


「え?では、今日はその丸井さんは…」


「居るよー!俺俺!ごしょーかいに預かりました、探偵のポアくんでぇす!しくよろっ!」


 阿笠の背から、ひょっこりと顔を出すポア。先日同様派手なデザインの、オーバーサイズのTシャツにパーカー、サルエルパンツという姿で現場に来ていた。皆地味な色合いの衣服を纏っている中一人場違いと言えた。

 発言が怪しい山田でさえ、黒いスーツに黒のシャツ、落ち着いた色合いの赤いネクタイを締め、髪型も七三分けにしてやり手の刑事然とした姿をしている。


「マリエンヌ。今は丸井探偵への詮索は不要だ。お前にもいずれ理解出来る様になるさ」


「はあ?」


 意味が分からないという事を隠そうともせず、上司である山田を睨む。そして阿笠に説明を乞おうと一瞥するも、阿笠は何の反応も返さなかった。彼は基本的に無口な男だ。芝崎は取り付く島無し、と判断して肩を竦めた。


「おっと、其処なる女史への挨拶がまだであったな。…ん、んんっ。私は石河県警捜査一課刑事、山田太郎です。この度は私共の不手際で貴女やお祖父様を混乱させてしまい誠に申し訳無く思っております。好きなだけ調べて行って頂いて構いませんから、どうぞ真相をお確かめ下さい。」


「は、はい。有難う御座います、刑事さん」


「…何時もそうやっていれば良いのに…。先輩、良いんですか。被疑者と思しき人物の身内を殺害現場に入れてしまって」


「構わん。…だが、此方の捜査を撹乱させる様な動きがあれば公務執行妨害で捕らえねばならん。…それだけご了承頂こう」


「そんな事しないよねー?全く、失礼しちゃうよねー。」


 ポアが紗季の顔を覗き込む。紗季は、はい、と頷いた。




 ーー外と隔離させられた浅井川一帯は、新たな証拠探しか、多くの警察が川の中を浚っていた。八田巡査の遺体は既に引き上げられ、その場所が書面に印されているばかりであった。鑑識や刑事の姿が少ない事から、大体の調査は済んでしまっているのだろう。川を調査する警官達も、いつまでこんな事をさせられるのかと言わんばかりにやる気が余り見られなかった。

 阿笠とポアは、八田巡査が浮いていた位置を確認し、吉三の倒れていた場所を改め、そして最後に吉三が八田巡査を突き落とした?と思われる橋の上へと登った。


「…うーん。警察の報告通りで、特に可笑しな所は見当たらないね。強いて言うなれば、この橋の柵に八田巡査の指紋が出たという所。これは突き落とされそうになってしがみ付いた、という様な指紋のつき方じゃない。それに、突き落とすには高さがあって柵を超えなきゃ無理だ。後、ここに靴でよじ登った痕跡。もし巡査の靴裏と合致したら、巡査は自分で川に飛び込んだ証拠になるよ。」


 山田から貰った捜査ファイルを片手に、ポアの話を聞く阿笠。阿笠は、橋一帯を眺め、そしてひしゃげた柵のある所で視線を止めた。


「…ポア。彼処の柵だけ壊れている理由は何だと思う」


「ん?」


 ポアは危なげなく朽ち果てた柵に近寄り間近でうんうん唸る。そして、良く出来ましたとでも言うように阿笠に微笑んだ。


「ここ、警察の人ちゃんと調べたのかなぁ?きっと吉三さんの指紋…否、衣服の繊維や毛髪の類が見つかるんじゃない」


「つまり?」


「吉三さんと八田巡査が川に落ちた、若しくは飛び込んだ場所が違うって事だ」


 自慢げにポアが胸を逸らす。様子を伺っていた山田が、二人に声をかける。


「どうだ、何か分かったのかクリス」


「…ポアが彼方の柵の捜査はしたのか、と言っている。どうなんだ」


 阿笠が壊れた柵を指差す。


「ん?嗚呼、無論調べたぞ。伊藤吉三氏の服の繊維が見つかったが…それがどうした?」


 やっぱりね!とポアが飛び跳ねた。早くも真相に辿り着いちゃうんじゃな〜い?と嘯いた。


「此処の柵は元から壊れかけであった事は周知の事実。吉三と八田巡査は仲が悪かった。事件当日の晩、何らかの口論になり、揉み合った挙句柵が壊れて吉三が転落した。」


「ふむ」


「八田巡査は、慌てて吉三を助けようと比較的頑丈な、その柵によじ登り飛び込んだ。吉三が川に流され距離を稼ぐ為、柵の上から飛び込む事で助走を付けようとしたんだろう。だから柵から巡査の指紋と靴の跡が見つかった。だがしかし、泳ぐことが出来ず溺死。…状況的にはそうなるんじゃないのか」


 山田は阿笠の話を黙って聞いていたが「確かにそう推察出来なくも無いが」とオーバーに両手を広げてみせた。


「では、凶器に使われた酒瓶は何とする。八田巡査は吉三氏に頭部を殴られていたのだ。それなのに、どうして川に落ちた吉三を助けようと飛び込める。正義感からだとして、意識は朦朧としていた筈だ、そんな事が出来る筈が無い。しかも巡査は金槌だ。」


「………出来なくとも、やったんだろう?」


「無謀だ。無謀過ぎる」


「だったら何故、吉三まで川に落ちたのか説明出来るのか」


「それはっ…!あれだ、捜査を撹乱させる為に態と……」


「あーあー。これだからおじさんは頭が硬いんだから」


 ポアがやれやれと首を振る。


「凶器を確認しない事には、未だ何とも言えないでしょ。」


 ま、俺が着いてるんだから。大船に乗ったつもりで居てよ!と彼は二人にウインクを寄越した。




 ***




 後日、ポア、阿笠は警察署へと赴いた。伊藤は仕事があるそうで今日は二人だ。阿笠は「我が権力を使えば凶器を持ち出す事など容易い事だ」と高笑いをする山田から透明な袋に入れられた酒瓶を受け取り、淡々とそれを改める。芝崎は先輩は何処へ行ってもこういう扱いなんだ…と独り言ちた。


「…見事に真っ二つに割れてるねぇ。この細かい破片までよく拾ったものだ」


「…確かにな。因みにこの酒瓶からは八田巡査の血液反応が出たのみで、指紋は誰の物も検出されなかった。見ても特に分かる事など何も…」


「誰の指紋も残っていない?」


 山田の言葉に、阿笠は僅かに目を丸くする。…吉三が犯人なら、彼の指紋が残っている筈ではないのか。


「そうなんですよ。まぁ、川に流されて岸に打ち上げられたのでしょうし。そりゃ指紋も消えますよ」


 阿笠の疑問に、鑑識の記録を読み乍ら芝崎が答える。山田も特に何も気付いた様子は無く、その通りだと頷いた。


「へぇ、そりゃ良い事聞いたね。阿笠さん」


 ポアがニヤリと嬉しげに口角を上げる。


「質問なんだけど、事件当日、雨は降っていたの?」


「おい山田。あの日の天気はどうなっている」


「ん?晴れだった筈だ。降水確率ゼロパーセント。でもこの間の大雨で、川の水は普段より多かったみたいだな。それで捜査が面倒だった訳だが…いや、そんな事はどうでも良い。天気がどうかしたか?」


 凶器の酒瓶にはもう用は無いとばかりに、山田に突っ返す。「聞き込み調査をやり直す必要がある」とだけ残して、阿笠とポアは警察署を後にした。


「…おい待て!どういう事か説明しろ!行くぞ芝崎君」


「は、はい!」


 自由奔放な二人に置いていかれた山田と芝崎は、慌てて後を追った。聞き込み調査など散々やったと言うのに、今更ーーしかし、やめさせる理由は存在しなかった。




 ***




 訪れたのは、八田巡査が勤務していた派出所。事件のあった現場から10分程の、スーパーマーケットや飲食店が立ち並ぶ比較的賑やかな場所である。


「こんちゃーっす。俺、探偵の丸井ポアって言いますー。八田さんが亡くなった件でお話伺いたいんすけど」


 間延びした、軽い口調で在勤の警官に話しかける。一般的な人間ならば、普通は警官相手となるとついつい畏まってしまうものだが、ポアには緊張の欠片も無い。案の定、突然のポアと阿笠の来訪に警官達はきょとんと目を丸くした。


「突然お邪魔してすみません。わたくしは、こういう者です」


 グイグイ来るポアを抑えて、一番年嵩に見える年配の警官に名刺を渡す。警官は「探偵?」とますます不思議そうに首を傾げた。


「もう散々八田巡査の事をお話になったかとは思いますが…今一度我々にお話下さいませんか」


「あっ!あー!この人!!」


 阿笠の取り成しもそっちのけに、ポアが大きな声を上げる。縁無しの眼鏡に毛髪が少し薄くなった、何処にでも居そうな優しげな雰囲気のその警官を指で指す。「やめなさい」と手を下ろさせようとするも、ポアは頬を膨らませて阿笠に言い募った。


「このおじさん、この間ゲーセンで俺を補導した人だよ!こちとらもう大学生だよ?それなのに『高校生がこんな時間まで遊んでいちゃいけません』って…」


「まぁお前は大人には見えないからな、仕方ない」


「ええー!!阿笠さんまでそんな事言うの!?」


 そんなやり取りをしていると、山田と芝崎が派出所まで追い付いて来た。「お疲れ様です」と二人が声をかけると、顔見知りの様で頭を下げた。


「何度もすみません。ええと、私の知り合いの探偵が捜査に協力してくれる事になりまして…。職務中申し訳有りませんが、彼等にも事件の事についてお話して頂けませんか」


「そうだったんですか。ええ、構いませんとも」


 山田達は以前も彼等から事情聴取をしていた様だ。現職刑事の口添えのお陰か、漸く表情に理解の色が指す。


「僕、本物の探偵という奴を始めて見ましたよ。いやね、身辺調査を生業にしている探偵なら知っていますが、刑事事件を探偵する方なんて、推理小説の中だけだと思っていました」


 一番若い青年の警官が、興味深そうに二人を見た。「シャーロック・ホームズ好きだったんですよー!」と笑う青年を、こら、と先輩警官が叱る。


「失礼だろう、全く。ミーハーも大概にしろ」


「すんません…」


「いえ、構いません。私も推理小説は好きですから。ホームズ、好きです」


「俺も好きだよ!『ボヘミアの醜聞』から入ったんだけど、面白くってドイル作品は結構読んでる」


「え!本当ですか!」


「ゴホンッ!」


 先輩の咳払いに、やってしまったと頭を掻く。芝崎は「気持ちは分かるなぁ」と苦笑いを浮かべた。


「まぁまぁ。ほら、早く本題に入りましょうよ。お忙しい中時間を割いて下さるんですから」


「そうだね。…はぁ、このおじさん全然俺の事覚えてないみたいだし。ちゃっちゃと終わらせよう」


 ポアは勝手に事務用の椅子に座り、くるくると回った。嫌な人間に会ってしまって、大分やる気を削がれた様である。



 警官達の証言は、以下の通りである。


 ①市川警部補(縁無しの眼鏡の、ポアを補導したという男性)

 事件当日、警察署へ用事があった為派出所へは行かなかった。在勤予定があったのは被害者・八田巡査と篠原巡査、三村巡査部長の三人である。

 八田巡査が巡回から帰ってこないという連絡を三村巡査部長から自宅で受ける。夜19時に警察署から帰宅し、連絡は深夜2時過ぎに受け取った。慌てて家を出て巡回場所を皆で探し回っても見つからず、4時に応援を要請。午前9時に浅井川で発見。

 八田巡査の勤務態度は真面目を絵に描いたような、正義感溢れる人物であった。三十も過ぎると正義感というものを持ち続けるのは難しいが、彼は「市民の為」というのが口癖で裏表の無い人間であったと評価している。


 ②三村巡査部長(ソフトモヒカンの若作りな男性、八田巡査と同い年)

 その日、八田巡査はいつもの様に巡回へ出た。特に変わった様子はみられなかった。八田巡査のパトロールの時間は20時から深夜1時。三村巡査自身は在勤であった。1時を過ぎても帰ってこないので、連絡を取るも、何度かけても繋がらない。これは何かあったのではないかー…と思い篠原巡査と探しに出る。2時が過ぎても見つからないので、上司である市川警部補に報告、一緒に探して貰う。巡回する場所以外の所へ行ったのだとすると見当もつかないので、警察署へ連絡してもらい、以下市川警部補の証言と一致。

 八田巡査とは同い年という事もあり、よく飲みに出かける仲であった。重要参考人の伊藤吉三氏の事について相談を受けた事もある。「自分の事をまだまだ元気だと思っているのは良いが、どうにも頼りない。それで声を掛けると必ず怒鳴られる。どうしたものかー…」とよく話していた。


 ③篠原巡査(推理小説好きの、爽やか青年)

 近隣の小中学校の下校時間に合わせて出勤。15時から19時の間パトロールを行った。その姿は地域住民にも目撃されている。その後は交番勤務。20時、八田巡査が出かけるのを三村巡査部長と見送る。23時から2時まで仮眠を摂る事になっていたが、1時過ぎ、三村巡査部長に八田が帰ってこないと起こされ、共に探しに出かけた。

 八田巡査は厳しいが優しい先輩で、人に恨まれる様な性格では無い。伊藤吉三氏との事は、揉めているのを一度見た事がある。その時は『年寄り扱いをするな』と言われている所であった。大きな荷物ーー恐らくゲートボールの道具だろう、ーーを抱えて居るのを八田巡査が手助けしようとしたのであろう。これ以外に幾度も似た様な事があったのではないかと思われる。不仲だったというのは本当だろう。



「市川警部補は警察署の人間がアリバイを証明しています。一人暮らしの自宅に居たという裏付けはまだありませんが、三村さんとの電話の記録を調べれば分かると思います。自宅に居たのなら現場との位置関係を考えて犯行はまず無理ですからね。

 三村巡査部長と篠原巡査はその晩一緒に居たとお互いが証言。食い違いもありません。…新たな情報も特に無し、と。どうです?何か分かりました?」


「三村さんと篠原さんが共犯だった場合、そのアリバイは参考にならないよねー」


「こら」


「った!……はぁ〜い」


 芝崎が三人の証言を引き継ぐ。ポアは欠伸をして不謹慎な事を口にした。ーー阿笠の拳骨が落ちる。


「…伊藤吉三氏は絶対にやっていないと言っているそうですが…皆さんはどう思われていますか」


 阿笠は短く咳払いをして、質問した。三人は顔を見合わせて、微妙な表情をした。


「…状況証拠的には、伊藤さんが犯人だという事になるんでしょうが…。どうにも、殺人を犯す程の事があるのか疑問です。僕としては揉み合いになった末に八田さんが川に落ち事故死、という方が納得がいきます。」


「私は余り交番には居ないので、伊藤さんの事は殆ど存じ上げませんが…難しいですね。でも、凶器が見つかったとなるとやはり他殺ー…あれ?ひょっとして私達、疑われてるんですか?」


「そんな、とんでもないですよ!八田は私達の仲間です。伊藤さんの様なご老人が八田を殺すのは難しい。事故死というのも不審な点がある。よって第三者の可能性を考えるのは理解出来ます。だからってー…」


 篠原、市川、三村の順で口々に述べる。山田はすかさず、「そういう事ではありません、落ち着いて下さい」と声を張り上げた。


「…勘違いをさせる様な事を言ってすみません。それで、伊藤さんと面識があったのは、八田巡査だけですか?あ、いや、篠原さんもでしょうか?」


 八田巡査と吉三が揉めていた所を見たという話を思い出す。篠原は先程までの元気な声を潜ませて、低い声で受け答えた。


「ええはい、一応僕と、それから三村さんも顔見知りではあります」


 会話をした事はありませんけどね、と不安げに三村巡査部長が付け加える。二人共、落ち着きが無い様子だ。


「事件当日交番に居なかった市川さんは詳細が分かり次第って事で、あとは三村さんと篠原さんのもうちょい話を詰める必要があるね」


「そうだな。三村さん、篠原さんー…」


「…あの、すみません。そろそろ職務に戻りませんと…」


「ああ、大分話し込んでしまったな。阿笠、ポアくん。今日はこの辺にしよう。またお話しを聞きに伺っても宜しいでしょうか?」


 ーー三人の話を聞くのに、思いの外時間がかかっていたらしい。四人が派出所に訪れて1時間を過ぎようとしていた。山田が取り仕切って、警官達に頭を下げる。


「そんな、捜査一課の方が頭を下げないで下さいよ。勿論です、正しく事件が解決される事を、わたくし共も祈っております」


「有難う御座います」


 ポアは不満そうであったが、これ以上仕事の邪魔をする訳にはいかない。阿笠に窘められ乍ら、派出所を後にした。




***




「ーー交番勤務の連中は駄目だな、お祈りされてしまったぞ芝崎君」


「まぁ、刑事事件の捜査は我々の仕事ですから…」


 山田は派出所での丁寧な態度を崩し、溜息を吐いていた。芝崎がフォローを入れるも「やれやれ、これだから人間はー…」と大仰に手を広げて語り出した所で、無意味と悟り相手にするのをやめた。


「…であるからして、だからこそこの私、ギルバート・シュヴァルツが人間界へと遣わされた訳なんだが…………さて、この後はどうする?もう夕飯時だが、一緒に飯でも行くか?」


 やっと話が終わったか、と黙って聞いていた阿笠は「いや」と短く答えて「もう少しポアが捜査したいとゴネているのでな。お前達は帰れ」と踵を返した。

 ポアは「そういう事だから!じゃーねー!!」と元気に手を振り、彼の後に続く。


「……先輩もですけど、阿笠さんも変わった方ですね。類は友を呼ぶ…っていうか、正反対の人種っぽいですけど。……そもそも、本当に仲良いんですか?あの人、昨日も今日もにこりとも笑いませんでしたよ。先輩にも塩対応だし。」


 阿笠とポアの後ろ姿を眺め、疑問を口にする。山田は芝崎の発言に特に傷付いた風もなく、平然と答えた。


「彼とは中学時代からの同級だ。この歳まで仲良くしているのはあいつだけ…阿笠もその筈だ。というかあいつに友達は私しかおらん」


「あらまあ」


「昔から表情の乏しい奴でな。今程根暗では無かったが、いつも一人で居るので私から声をかけた。一緒に物語を作って、その役に成り切って遊んだりしたな。私が前世記憶持ちの邪眼勇者で、阿笠が激闘の末改心し機関を裏切り私の味方に付いた魔族という設定だった。……いやはや、今思い出しても恥ずかしい」


 芝崎は先程の言動や、自称堕天使を謳っている事を思い返し、何とも言えなくなった。署内で『厨二病おじさん』『永遠の中学二年生』と呼ばれ気狂い扱いを受けている理由がよくよく分かってきた。これはもう病気だ。本気で言っているのだからタチが悪い。そりゃあ誰もバディを組みたくない訳である………自分と山田がコンビを組まされた時の事を思い出し、憂鬱な気分になる。


「……先輩は昔からそんな感じだったんですね……というか成長してない………」


「兎にも角にも、むず痒くなるような青春を共に送った仲だ。これといった喧嘩もした事がないし、時々飯にも行くぞ。これで仲が悪い筈が無い」


「…大体分かりました。本人達以外には理解出来ない友情がそこにあって、素っ気ない風にしていても深い所で繋がっているヤツですね」


「マリエンヌは飲み込みが早いな。そういう事だ」


 扱いは面倒臭いが、山田のお世話係に拝命されたからには仕方がない。…大変な職務だが、思いも寄らない『飴』も見つけた事なのだし。


「それで、どっちが受けなんですか?」


「うん?」


 芝崎眞理。新人刑事。捜査一課での渾名は『マリエンヌ腐人』『やおい警察24時』。前者は山田が芝崎をマリエンヌと呼ぶのを捩ったものだ。…後者は、彼女の言動からお分かり頂けるだろう。二人がバディとなったのはそれはもうーー運命だった。





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