こんな残念な異世界を俺は認めないッ!!
世の中は不公平だ───
どんなに努力をしたって、どんなに頑張ったって、才能がある奴が上を行くし、ずる賢い奴が甘い汁を飲む。それが例えどんなに不条理でも、凡人は凡人であり、ヒエラルキーの一番下を這い蹲っているしかない。でも、どれだけ才能を羨んだとしても、才能を手に入れる事なんて出来やしない。だから、人は生まれた瞬間から違うのだ。天が与えた才能なんて言い方があるが、まさにその通りだろう。凡人はどう足掻いたって、天才になどなれないのだから。
今日は、えーっと…いつだったかな…。
もうルーティンと化した毎日を送っているので、曜日感覚が麻痺してしまっている。今日が何月の何日で、何の日か…なんて、もうそういう興味する無い。与えられたノルマをこなして、上司から嫌味を言われないようにする。それが俺の仕事であり、全てになっていた。今日も仕事場で顧客名簿やら資料やらを、キーボードで打ち込んで行く。カタカタと無機質だが刻みの良い音が、オフィスの各所から聞こえてくる。なあ、あとどれだけ働けばいい?どれだけ働けば俺の生活は安定して、楽しい日々が始まる?なんて、誰に問う事も出来ず、ただただ、終業時間まで黙々と仕事を進めた。
「はあ…やっと終わった…」
何とか時間内に仕事を終わらせた。これで帰れる。そう、帰れ───
「辻本君、すまないが追加でこれも頼むよ」
「え……?」
部長が山のような分厚いファイルを俺の机に乗せた。
「君は仕事が早いから、こんなもの〝今日中に〟終わるだろう?宜しく頼むよ。それじゃあ、お疲れさん」
クソ…クソ…クソ…ッ!!
これはお前の仕事だろうが…ッ!!
「分かりました。終わったら部長のパソコンに送信しておきます。お疲れ様でした、部長」
お疲れ様でした?クソジジィ…お前、今日何やってたんだよッ!!ただ座ってお茶飲むのがテメェの仕事かよッ!!
「せ、先輩…すみません。自分、部長に呑み誘われちゃって…先に上がらせて貰います…」
隣に座る村田は新卒で、部長にかなり気に入られている。だが、村田が悪い訳ではない。村田が悪い訳ではないのだが、先に帰り支度をしている姿を見ると怒りが込み上げてくる。
「まあ、気にするなよ。いつもの事だろ?」
「有難う御座います!すみません…お先に失礼します!」
そして、村田は部長の後を追って出て言った。
そう、これが現実。これが社会。これが日本という国だ。なんて素晴らしい国なんだろうな、反吐が出る。
何とか今日中に追加分の仕事は終えた。だが、もう終電ギリギリだ。早く帰り支度を済ませないと、また近くのカプセルホテルに宿泊する羽目になる。せかせかと支度を済ませて、俺はこのクソみたいな会社を後にした。
外に出ると、大都会東京の名物でもある車の騒音や道行く通行人の騒めきが、まるでカエルの合唱のように鳴り響く。ゲコゲコと下戸な若者が酔い潰れて、路地裏で大噴射してたり、居酒屋のキャッチが大声で呼び込みをしていた。いつもの風景だ。
帰ったら何をしようか。いや、どうせ帰っても寝るだけだろう。寝て、仕事して、寝ての繰り返しだ。無限ループに入っている。この無限ループから抜け出す事なんて、もう絶対に無いのだろうな…と、寒さが厳しくなる11月の空を見上げた。はぁ…と吐いた溜め息が、白くなって風に流され消えていく。俺もこのまま何処かへ消えたら、どんなに楽だろうか。死んでしまえば楽になるのだろうか…なんて、そんな事毎日考えては、死ぬ勇気すらない自分に嫌気が指して、立ち寄ったコンビニでビールを買い、部屋で孤独に呑む。
独身、一人暮らし。彼女無し。趣味、特に無し。
俺の人生、何処で間違えたのだろうか?
いや、生きる世界を間違えたのかもしれない。
そう言えば最近、実しやかに囁かれている噂がある。噂と言うか都市伝説に近いのかもしれない。年々、行方不明者というのは出ているのだが、それが毎年約1500人以上出ているらしい。そして、その行方不明者が行く先は『異世界』だと言うのだ。まるでアニメかライトノベルのような話だが、過去の行方不明者を今の行方不明者に足し、その数を合わせると約十万人の日本人が、異世界に渡っている計算となる。
馬鹿馬鹿しい話だと思うが、もし本当に異世界に渡った人間がいるのなら、とても羨ましい。俺も異世界転生や異世界転移をして、このクソ過ぎる世界から離れたい。因みにだが、ネットで囁かれていた『異世界に行く方法』は、もうお試し済みである。だが、どの方法を持ってしても、異世界に行く事は出来なかった。やはり、トラックに引かれたり、飛行機事故に合ったり、そういう命の危険があるトラブルにでも遭遇しなければ、異世界には行けないのか…。いや待て、それは純粋に『死んでしまった』という事になるだろう…。異世界ではなく『あの世』に行く方法だ。
「何考えてるんだか……」
俺は再び帰り道を歩き出した。
よし、お膳立てはここまで順調だ。異世界に思いを馳せ、然し、変わらない日常にまた戻るという心理描写まで完璧に仕上げた。
俺の計画、それが『異世界転生』である。
* * *
「何も無かった…だと…」
普通、異世界モノならここでトラックに跳ねられたり、突如謎の美少女が自分の世界が危機に扮していると助けを求めて来たりするはずなんだ。何故だ、何故何も起きない!?何ならいつも通りコンビニでビールとチーチクまで買って帰れたまである。
自分の部屋の玄関で、ただ現実に打ちひしがれている様は、さも滑稽だろう。結局、噂は噂だって事か。いや、そもそも俺は物語の主人公なんかじゃなかったって話だ。そりゃそうだ。こんな平凡過ぎの三十手前の男が、主人公なはずがない。こんな男が主人公のアニメやラノベなんて、絶対に流行るはずもない。もういいか、ビールが冷えているうちにチーチクで一杯やっつけよう…。
履き潰した黒の革靴を乱雑に脱ぎ、スーツをハンガーに掛けて壁に掛け、ファブる。ひたすらファブる。そして、エアコンのスイッチを入れ、上下ジャージ姿になり、風呂を沸かして、風呂が沸くまでの間が晩酌タイムだ。ニュースを観ながら買ってきた缶ビールを開けると、『プシュッ』という魅惑的な音が鳴り、コンビニで買ったチーチクをパクつく。チーチク、ビール、チーチク、ビール、チービール。ああ、なんて絵にならない光景だろうか。色気の一つでもあれば少しはマシな絵になるだろうが、年齢=彼女いない歴である俺にとって、色気というものは存在しない。もうこの歳にもなると、彼女は疎か友人だって作る機会も無い。謎の出世を遂げる後輩や、寿退社していく職場の女性陣の後ろ姿を、俺は何度見送った事だろうか。
そんな事を考えながら呑んでても、チービールは美味くない。チービーる時は、もっと楽しい事を考えた方がいい。そうだな、明日会社が爆発したり、部長の不倫がバレて泥沼化したり…俺が異世界転生してハーレム作ったり…。
「あーッ!クソッ!何で異世界に行けないんだよッ!!」
吼える、28歳。童貞。彼女無し。
切ない…切な過ぎる…。俺が一体何をしたと言うのだろうか?いや、何もしてないからこんな事になっているのかもしれない。
このまま人生を終えるのだろうか?
このまま人生を終えていいのだろうか?
良い訳が無い。
でも、言い訳しか出ない。
「明日だ…明日こそ異世界に行ってみせるッ!!」
お風呂が沸きました、を知らせる間抜けた電子音をBGMに、俺は決意を固めたのである。
* * *
朝が来た、決意の朝だ。どうせならもう、ヘタクソな夢を描いて行くと決めたのだ。太志君も言っているではないか、「気取んなくていい、かっこつけない方がお前らしいよ」と。だから俺は今日を『異世界に行くチャンスがある最後の日』と決め、気合いを入れて10秒チャージ出来るゼリー型エナジードリンクを冷蔵庫から取り出し、5秒でチャージした。そして、顔を洗って歯を磨き、昨夜ファブりにファブったスーツに腕を通し、玄関で、目の前にあるドアを見つめる。
「今日が最後だ。今日を逃したらもう異世界なんて行けないぞ…俺…止まるんじゃねぇぞ…」
自分で自分を鼓舞し、勢いよくドアを開けた。
「あら、辻本さん。おはよう。今日も早いのねぇ」
「お、おはようございます…」
まさか、自分を鼓舞して勢いよく飛び出そうとした時に、隣に住んでるオバサンに会うとは…。いや、まだ始まったばかりではないか、辻本信幸ッ!!俺は今日、異世界に転生するんだろ!!ドラム缶のようなオバチャンに朝一でエンカウントしたからって、今日が終わった訳ではないんだ!!
そして、俺はドラムさんこと、鈴木さんとゴミ捨て場まで一緒に行動する羽目になっていた。まさか、今日が燃えるゴミの日だったとは…。部屋にある溜まったゴミを持って来るべきだったと後悔しながら、「行ってらっしゃ〜い」と手を振る鈴木さんに「行ってきます…」と小声で返し、駅まで走った。
アパートから最寄りの駅までは、歩いて15分。走れば10分くらいで到着する距離だ。てか、5分しか短縮出来ないって、俺の足どんだけ遅いんだよ。だが、勢いが大切だ。出鼻を鈴木さんにくじかれはしたが、まだ俺の計画に狂いは無い。鈴木さんエンカウントはちょっと予想外だっただけだ。まだ、まだ大丈夫!!
日頃の運動不足のせいか、少し走っただけで息が苦しくなり、足がどんどん重くなってくる。しまいには走ってるんだか歩いてるんだか、よくわからないスピードになっているが、この勢いを潰したら駄目だ。今日の俺は昨日までの俺ではない!!ここで疲れ果てて歩くようなら、異世界転生なんて夢のまた夢の話だ!!頭の中で『ランナー』が流れる。てか、ランナーって何年前の曲だよ…それでもまだ人気の曲だって、もうそれスランプじゃないだろ、爆風『ゾーン』になってるだろ。目から光が漏れてるだろ。まあ、頭はいつも輝いてそうだが。
「はあ……はあ……」
まるで42.195キロのフルマラソンでもしたかのような息切れになりながら、ようやく駅に到着した。こんな季節にスーツで汗だくなんて、俺くらいだろう。身体から蒸気が出ているかもしれない。うわぁ…これは恥ずかしい…恥ずか死ぬ…。
だが、俺は立ち止まる事はしない。このまま電車に突入する!!後ろのポケットから財布を取り出───
「ははっ…財布、部屋に忘れたわ…」
俺はそのまま、意識を失った──────
何だか、とても暖かいような気がする。まるで、太陽の光を一身に受けているかのような、そんな温もりを感じて、俺は目を覚ました。
そして、俺は眼前に広がる世界に目を疑った。
目の前に広がる光景は、猛々しい山々や、広く高い青空、そして、自分が起き上がった地面は、緑豊かな大草原。
「も、もしかして、此処は異世界なのか…?」
スマホで現在地を確認しようとしたが、圏外となっている。大都会東京で圏外になるなんて、地下鉄以外に考えられない。つまり、此処は地下鉄…なはずもない。電波が届かない場所、異世界だという事に疑いようもない。
「やった…ついに俺は、異世界に転生したぞーッ!!」
吼える、28歳。童貞。彼女無し。仕事無し。
異世界に来たは良いものの、此処は何処なのだろうか?こんなに広大な土地だ、もしかして巨大モンスターが生息してたりする場所だったりするのではないか?
「そ、そうだ…モンスターだ…」
異世界ではお馴染み、主人公や仲間の行く手を阻むモンスター。スライムやゴブリン等の下級モンスターから、ドラゴン等の神級モンスター、様々なモンスターが異世界には存在するのだ。つまり、今の状況はかなり危険という事だ。装備品なんてビジネスバッグくらいしかない。武器と呼べるような武器は持って無いし、魔法が使えるわけでもない。
「ちょっと待て…魔法が使えない…?」
確認がてらにその場でジャンプしてみる。
身体能力が向上している気配も感じられない。
こ、これが、俺が望んだ異世界なのか……?
まあ、待て──────
序盤は最弱でも、何かイベントが発生してチート級に強くなるって話もあるだろ?きっと、俺の場合はそういう異世界転生なのかもしれないな。
「・・・・・・?」
うん?俺は『異世界転生』したのか?
それとも、『異世界転移』したのか?
もう一度記憶を辿ってみる──────
確か、俺は駅までダッシュして、財布を忘れた事に気付いて、気を失ったんだ。そして、気付いたらこの世界にいて…駄目だ、自分が死んだかすら分からない…まあ、大丈夫だろう。異世界なんだし、日本語も通じるはずだ。日本語が通じない異世界なんて聞いた事もない。何処か村へ行って、そこから新しい人生をスタートさせるんだ。
さて、どうするかと考えていると、一台の馬車が近付いて来る。なんてご都合主義な世界だろうか。俺はその馬車に手を振り、止まって貰った。
「あの、すみません」
馬車を操る西洋風の服を着る中年の男性に声を掛けた。
「┌✧_…♯☾?」
「・・・・・・え?」
今、この人何語を話した?
「あ、えっと…あの…」
「┘┬✧…?」
やはり、全然何を言っているのか分からない。
「ワ、ワタシハ…、ニホンカラキマシター」
「┫;»/✧?」
おい、マジか…日本語通用しないのかよ…!?
困り果てていると、中年の男は馬車の中にいる誰かに相談するかのように、馬車の中に居る誰かと話をしている。そして、一人の若い女性が、馬車の中から姿を現した。
その姿は、金髪で、瞳も金色で、背丈は160センチくらい。白いワンピースのような、ドレスとも言える服を纏い、首元には緑色の宝石を装飾したネックレスを掛けている。年齢は…多分、日本だと高校生くらいだろうか?ただ、耳が尖っているのでエルフ族なのかもしれない。なんてこった…こんなに早くエルフに会えるなんて、異世界好きには堪らない。
「日本人の方ですね?」
「はい、日本人…って、あれ?日本語分かるんですか?」
先程は全く日本語が通じなかったのに、この女性には日本語が通じている。
「はい。私は日本人とエルフのハーフなので、母親から日本語を学んでます」
「そ、そうなん…え?お母さんが日本人なの?」
「そうですよ?この世界には異世界…地球という場所から来た方々が何人もいます。えーっと…あもりか?でしたっけ?そこから来た方もいますし、地球の様々な村から来た方々がいます」
「あ、そ…そうなんですか…」
「私の名前は、佐藤=ルーブェルン=智美といいます」
さとう…るーぶぇるん…ともみ…そ、そうか、ハーフと言っていたもんな。ミドルネームくらいあるよな。そうだよそうだよ、良い名前じゃないか、佐藤ルーブェルン智美さん。
「あ、お、俺は…辻本信幸です。宜しく…」
「はい。宜しくお願い申し上げます」
佐藤=ルーブェルン=智美さんは、深々と頭を下げた。礼儀正しい人のようで、少し安心出来た。
「辻本さんは、もしかして最近この世界に来たんですか?」
「はい…と言うか、今さっきこの世界に来た所で、訳が分からないと言うか…少し残念と言うか…」
「残念?」
「あ、それはこっちの話なので、気にしないで下さい…。えっと、この世界はどんな世界なんですか?」
佐藤さんは、こちらの質問の意図を考えているのか、少し頭を捻ったあと、笑顔で答えた。
「普通の世界ですよ」
普通…?え?普通って何?あ、そうか。現地の人からすれば、モンスターに襲われたり、ギルドでクエストを探したり、大冒険したり、酒場で騒いだりするのは普通って事だよな!うん、きっとそうだ。
そうであってくれ──────。
「魔王が倒されて1000年、魔物も出てませんし、冒険で命を落とす冒険者もほとんどいません。とても平和な世界です」
そうかそうか、平和な世界か、それは良かった。
良くねえぇぇぇぇぇよおおおおおぉぉぉぉぉッ!!
待て待て待て…ここは異世界だ。そう、地球じゃないんだ。地球じゃないって事は、まだ異世界チックな事があるはずだ。
「魔法を使える人も大分減ってしまい、今では地球から来た方々が新しいエネルギーを生み出して、それを生活に取り入れてます。電気、水道、それに家電、1000年前には考えられなかったものですね。本当に素晴らしいです」
ふおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!?
嘘だろおい!?地球人何してくれちゃってるのォッ!?せっかくの異世界ですよ!?何文明築いちゃってるのおおぉぉぉぉぉッ!?
「昔は遠くの人に言葉を伝えるのに、手紙や鳥を使っていましたが、今はこの携帯電話が主流になり、とても便利です」
携帯電話ああああああぁぁぁぁぁぁッ!?
おい、それドコモかよ、エーユーかよ、ソフトバンクかよ!?何なら格安携帯ですかねェ!?
「辻本さん、どうしました?先程からお顔が優れませんが…もしかして、体調が悪いのですか?頭痛薬ならありますけど…飲みますか?」
そこはポーションだろおおおぉぉぉぉぉッ!?
「い、いや…ちょっとカルチャーショックを受けているだけです…」
「そうですか…もし良ければ、馬車ご一緒しますか?これから首都まで行くので、宜しければどうぞ♪」
「それはとても嬉しい申し出ですけど、実はお金を持っていなくて…」
「なら、代金は私が建て替えておきますから、遠慮せずに乗って下さい!この馬車、電子マネー使えますから♪」
「あ、ありがとう…ございます…」
なあ、信幸……これで良かったんだよな……?
これが俺の求めていた〝異世界〟だよな……?
なんで、こんな残念な異世界なんだよ……
こんな残念な異世界を俺は認めないッ!!
どうも、瀬野 或です。
この度、『こんな異世界転生を俺は認めないッ!!』を読んで頂きまして、誠に有難う御座いました。
この作品は『異世界モノへのアンチテーゼ』ではなく、単純に「こんな異世界だったら嫌だなぁ」と思い、書き上げた短編です。
短編と書いてありますが、もし「続きが読みたい」という声が多ければ、この作品の続きを書こうと思ってます。なので、お気軽にお声がけ下さい。
最後まで読んで頂きまして、誠に有難う御座いました!
by 瀬野 或