また逢う日まで
これは江戸の一角にて親子で細々と甘味処を営んでいる娘──寺田茜とそこの常連客──坂田昌吉の二人の恋の物語。
4月5日、天気は晴れ。
春の暖かい陽の光が差し込んでいます。今日のおすすめの一品は『桜餅』です。口に入れた途端優しい桜の味と塩が染み込んだ桜の葉っぱの味が口いっぱいに広がります。今日はどんな方が来てくれるのかな、と楽しみに思いながらお客様をお待ちします。あ、お客様です。
「いらっしゃいませ!あ、旦那じゃないですかお久しぶりですね」
「ああ、茜か。たしかに久しぶりだな」
「ご注文は何にしますか?ちなみに今日のおすすめは桜餅になります」
「んー、うん、じゃあその桜餅にしよう」
注文を台所にいる父上に伝えて私はお茶をいれます。旦那──坂田様はこの店の常連客というもので私達はお互いに旦那、茜と呼び合うくらい気のしれた常連様です。実は旦那のことを密かに想っていることは私だけの秘密です。所謂一目惚れなのでしょう。でも何回も来て下さる内にその優しい人柄や整った造作などにどんどん惹かれてしまいました。あ、桜餅も出来たようなので旦那の元へ運びます。
旦那は商業を営んでいるようでよく商談での話や外国で出来た物の話をいっぱいしてくれます。なので私もお客様の話や甘味の話など精一杯お返しします。いつも面白くて楽しみにしてる時間です。今日は次のお客様がいらしてくれるまで色々な話をすることが出来ました。
5月10日、晴れ。
とても気持ちの良い晴れた日だったためあの甘味処へふと行きたくなった。あの『寺田屋』という甘味処は行きつけと言える店で上品な甘味がとても美味しいためよく通っている。まぁ、あそこに通う理由はそれだけじゃないけど。つまり俺は茜に惚れてる訳で。でも茜が俺に惚れてくれるなんてことは有り得ないだろうしきっとここで終わってしまう想いだと知りつつもやっぱり茜に会いたくなる。
「いらっしゃいませ!あ、旦那丁度よかった、実は新作が出来たので味見してもらいたかったんです!どうでしょう?」
「お、本当か?じゃあその新作とやらを頂こう」
ここに沢山通ううちに新作が出来ればその新作を味見する係みたいなのになってしまった。まぁ異存はないけれど。
「はい旦那。これは『柚餅』というもので、求肥に柚子をいれて和三盆糖をまぶしたものです。是非食べてみてくださいな」
見ればころころとした一口で食べられそうなものが三つほど、器に盛られている。一つ口に放り込んでみれば、爽やかな柚子の香りが口の中を駆け抜けて上品な甘味が口の中に広がる。
「うん、美味しいと思う。少し暑くなってくるこの時期にはぴったりなんじゃないか?」
「本当ですか?ふふふ、嬉しいです」
花が綻ぶように笑ってみせる茜についつい見蕩れてしまった。その笑顔を自分のものにしたい、と思い、いやいやいけない、と思い直した。
6月18日、天気は小雨。
ここの所パラパラと小雨が続いています。こんな雨の続く梅雨の時期は気付かぬうちに心まで憂鬱になってしまうものです。こんなときはうちの甘味でも食べて気分を晴らしてほしいなと思いながらいつも通りお客様をお待ちします。あ、本日一人目のお客様です。
「いらっしゃいませ!て、旦那ですか?雨は嫌いとおっしゃってましたのに珍しいですね」
くすくすと笑いつつ注文をお伺いします。
「え、あーそうか?なんかここの甘味が食べたくなっちまってね。えっと……なにかおすすめとかはあるか?あったらそれで頼もう」
「分かりました!」
今日はどんな話ができるでしょうか?いつもながら楽しみです。さて、出来ました。
「旦那、出来ましたよ。これは『初蛍』というもので、この時期から飛び始める蛍の光を表した甘味で黄餡を丸めたものを葛生地で包んだものです。ほら、なんか蛍の光みたいな見た目をしてるでしょう?」
「確かに蛍の光みたいだな。……うん、味も美味しい」
美味しいと言いながら本当に美味しそうに食べるものですから私も釣られて食べたくなってしまいました。
7月20日、晴れ。
そろそろ暑いくらいに強い光が差し込んでいてああ、夏だなと実感することが多い。いつものように甘味処に向かうものの、いつもより足取りが重い。それには理由があって今度の商談が京都で行われることになってしまい、その他にもやらなければならない事があったために暫くの間京都にいることになってしまったのだ。暫く、なんて期間が曖昧なのは、つまり、それがどれだけ伸びるかもわからないということで本当に残念だと心の底から思う。それに最悪京都に永住する可能性もある。そうしたら本当にもう会えなくなってしまう。
「いらっしゃいませ!あ、旦那!……なにかありました?」
「え、あー分かるか…?」
「いえ、なんとなく浮かない顔をされているなと思いましたので。ってことはほんとに何かあったんですか?」
茜と出会ってからもう何年経つだろうか。
さすがに長い付き合いということもあってすぐにばれてしまった。
「ああ、実は商談の関係でね、しばらく京都に行くことになってしまったんだ。今のところ数ヶ月間の予定だがどれだけ伸びるかもわからない。だからしばらくここには来れなくなってしまう。それに数ヶ月ならいいが最悪京都に永住する可能性もあってね……。そうしたらもうここには来れないし茜に会えなくなってしまうなと思ってしまったんだ」
「そう…なんですね。仕事ですから仕方ない、ですよね。じゃあもしかしたらここに来れるのは今日が最後かもしれないってことですか?」
「ああ、そうなるな。出立は明後日だし、明日は荷造りで忙しくなるからね。今日は別れの挨拶を言いつつ甘味を食べに来たんだ。まぁ永住するのはあくまでも可能性だからよっぽどのことがない限りきっとまた会えるさ」
「そうですよね……!さて今日は何にしますか?あ、旦那が初めてここに来た時に食べたみたらし団子なんてどうでしょう?」
「あ、それいいな。うんみたらし団子でお願い」
「はい!」
茜が親父さんの所に伝えに行くのを眺めつつ俺はああ、好きだなぁと再実感していた。
7月20日、天気は晴れ。
今日は夏らしく暑さを感じるくらいに綺麗に晴れました。そろそろ涼し気な甘味が人気になる頃でしょうか。また新作が出来たら旦那に味見してもらいましょう。そんなことを思いつつ今日も今日とてお客様をお待ちします。ほら、お客様の到着です。……あれ?なんか浮かない顔をしてる旦那です。なにかあったのでしょうか。
「いらっしゃいませ!あ、旦那!……なにかありました?」
「え、あー分かるか…?」
「いえ、なんとなく浮かない顔をされているなと思いましたので。ってことはほんとに何かあったんですか?」
「ああ、実は商談の関係でね、しばらく京都に行くことになってしまったんだ。今のところ数ヶ月間の予定だが……」
頭が真っ白になってしまいよく聞き取れませんでした。でも重要な所だけが耳に入ってきました。それってつまり……。
「そう…なんですね。仕事ですから仕方ない、ですよね。じゃあもしかしたらここに来れるのは今日が最後かもしれないってことですか?」
「ああ、そうなるな。出立は明後日だし、明日は荷造りで忙しくなるからね。今日は別れの挨拶を言いつつ甘味を食べに来たんだ。まぁ永住するのはあくまでも可能性だからよっぽどのことがない限りきっとまた会えるさ」
「そうですよね……!さて今日は何にしますか?あ、旦那が初めてここに来た時に食べたみたらし団子なんてどうでしょう?」
「あ、それいいな。うんみたらし団子でお願い」
「はい!」
軽い衝撃でした。旦那はこのままこの甘味処に通ってくれると思っていたので。もしかしたらこのまま会えなくなるかもしれないなんて唐突過ぎますよ旦那…。でも落ち込んでばかりじゃいけませんね。にっこりと笑顔で見送らなければね。
「旦那、みたらし団子お持ちしました!」
お茶と共にお出しすれば初めてこのお店に来てくださった日のことを思い出します。あの日旦那は一口団子を口にして驚いたように目を見張ってから目元と口元を綻ばせて『美味しい』と言ってくださいました。あの顔はきっと忘れないと思います。さて、久しぶりのみたらし団子のお味はどうでしょうか?旦那は昔と同じように団子を口に運んでゆっくりと噛んだ後、昔のように目元と口元を綻ばせて笑いました。
「昔よりも美味しくなってるなこれ。うん、美味しい」
「ふふふ、ありがとうございます」
旦那は食べ終わったあとふとこちらを見てなにか考え事をしてるかのようにじーっと見てきます。
「旦那?どうしたんですか?…もしかして私の顔に何かついてます⁉」
「いや、その……」
初めは言い淀んでいた旦那ですがふと決心したようにこちらを見つめて言いました。
旦那のきれいな瞳に見つめられ、動けません。
「茜。君のことが好きだ。ずっと前から惚れている」
「…え?……旦那今なんて言いました?」
思わず聞き返してしまいました。
だって旦那が言った言葉は私がずっと言ってもらいたかった言葉で、でもそんなこと言ってもらえる日なんて来ないだろう、とずっとそう思っていた言葉だったんですから。
「だから、茜が好きだ、といったんだ。初めはただのおいしい甘味処だと思っていた。でもそれはいつのころからか茜に会える甘味処へと変わっていった。茜が甘味について話すときの楽しそうな顔が好きだ。茜が俺と話している時にころころと変わるその表情が好きだ。茜の……すべてが好きなんだ。……なぁお前にとって俺はどんな存在なんだ?」
「……!私も、私も旦那のことが好き、です…」
恥ずかしくて語尾が震えてしまいましたがちゃんと伝える事が出来ました。出来ました、よね?すると突然旦那に抱きしめられました。旦那の暖かい体温と心臓の音が伝わってきます。
「茜、絶対にここへ戻ってくると約束する。だからここで待っててくれないか?俺が帰ってくるのを」
「はい、待ってます。ずっとずっと旦那が帰ってくるのをここで甘味でも作りながら待ってます」
こうして初夏のとある日。私達の思いは通じ合い結ばれることとなりました。
団子屋の娘と商業を営む青年がまた逢う日まであと少し……。
閲覧ありがとうございました。
誤字脱字等ございましたらご報告いただけると幸いです。
またアドバイス等ございましたらしていただけると泣いて喜びます。
最後にここまで読んでくださった方々本当にありがとうございました。
次回作などまたの機会がありましたらまたよろしくお願いいたします。