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春に嵐のたとえもあるが  作者: 翠雲
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3話:ジークフリート・ラインヘルツの諸事情

書けるうちに書いとけ!明日テストだけど!


 ジークフリート・ラインヘルツは、世間一般的に見て、おおよそ恵まれた人生を送ってきた。

 高い立場に伴った重苦しい責任を背負うだけの精神力を持ち、回転の速い頭、殆どの事をそつなく熟す器用さと、恵まれた容姿と体格。

 将来、兄の補佐となることが決まっている身としてはそれらは当然のものでしかなく、また努力して磨き上げるものでもあった。

 伴侶のことは未だ考えてはいなかったけれど、婚約する相手の想像図はなんとなくあった。

 見るに堪えない面でなければ、容姿は特段気にしない。重要なのは中身である。


 自分の妻になる女性は狡猾かつ利己的で、権力を利用するということに躊躇わない人間であろうと半ば本気で思っていた。


 兄の、第一王子ゲイリー・ラインヘルツが嫁にするような善良で清く美しく優しい人間などではなく、むしろその真逆を行くような人間だろう、と。

 丁度巷で噂の悪辣令嬢のような。

 権力を振りかざし、人をこき使い、非道で無情、そんな人間だろう、と。いや、そんな人間でなくばならない、と。

 そうでなければ、もし善良な人間が婚約者になってしまったとなれば、その女性はおそらく、口に出すのも憚られるほどの無残な暗殺や、正常であれば感じてしまう国を動かすことの重責が、奇異や羨望、嫉妬や怨恨に晒されることだろうから。何かと恨みを買いやすい宰相の妻とは、そういうものなのだ。

 当然、ゲイリーの婚約者、つまり王妃という立場も辛いだろう。けれども、王妃というのは殆どの女性にとって夢物語のようなものであり、フィクションの世界と思っている節がある上に、実際に国を動かすような仕事もない為、そうでもないだろう。王妃に求められるのは慈愛、祖国愛、それと民の為に命をかけられる度胸くらいなものだ。

 ともかく、そういうわけでジークフリートにとってこの婚約者は。


 全くの誤算である上に場合によっては排除する対象になる、考え得る限りで最悪な人物なのであった。



「あっはっは! 面白い顔になってるぞ、ジーク」

「うるさい………」


 顔合わせを兼ねた茶会から帰ってきたジークフリートを出迎えたのは、腹を抱えて大笑いする兄だった。

 ここ数年で最悪の気分だった。


「相当、相手のお嬢さんが不足の極みでお前の―――」

「それ以上言ったら殴るぞ、ゲイリー」

「下剋上か? 言っておくけど、兄さんはお前に勝てる要素はぶっちゃけないぞ!」

「なら黙っていてくれ」


 それはそれは深い溜息を吐きながら、ジークフリートは廊下をさっさと進んだ。ゲイリーはちぇ、とつまらなそうに舌先を鳴らし、ジークフリートの隣を歩く。

 ゲイリー・ラインヘルツ。

 容姿は端麗だが、能力は平凡。もちろん王としての仕事程度ならそつなく処理できるだろうが、ジークフリートのように秀でているわけもなく。ただただカリスマと性根だけで第一王位継承権を手に入れた人間だった。

 時に甘いと詰られるほど優しく、子を宝と思い、戦いは苦手で、チェスではジークフリートに一度も勝てた試しはない。

 けれど彼は、ゲイリー・ラインヘルツは、間違いなく王の器であると、ジークフリート以外の人間もそう確信している。優しいが易しくはなく、強くないが惰弱ではなく。ふと人を惹きつける圧倒的カリスマ性、一度信じた者には徹底的に信頼を向ける思考回路、土壇場で最善の手を打てる勝負強さ。それら全てにおいて、ジークフリートはゲイリーには絶対に敵わないだろうと思っている。

 ともかく。

 普段は怠け者の彼ではあるが、なんだかんだ敬愛する兄を延々と邪険にできるはずもなく。


「で、どこをどうしてどうなったら恋に落ちるようなことになったのか、詳しく」

「帰れ」


 訂正。

 ジークフリートはこの無礼な兄に対してどこまでも非情になれるだろうと今確信した。


「いやいやいや、考えてもみろよ。お前のような人間が恋する相手とか、彼女は本当に人間だったのか? 動物はまだしも絵画、いっそ彫刻に恋をしたと言われたほうが納得できるぞ僕は」

「ゲイリーは俺をなんだと思ってるんだ?」

「変人」


 間髪入れず言い放ったクソ兄弟を自慢の長い足でしばき倒して、倒れるゲイリーの手から零れ落ちる本を掬い上げて本棚へ戻す。


「イタタ、なにも蹴ることないじゃないか。乱暴者は女性に嫌われるぞ」

「あの娘っこ以外に嫌われようがどうなろうが構うものか」

「おお、これは真性」

「黙れクサレ王子」

「いだだだだだだだ!僕だってお前が嫌がんなきゃやんねーよ!」

「つまり嫌がらせだろうが!」


 ギリギリと頭蓋骨を掴んでアイアンクロウをかますが、痛がるばかりで一向に謝罪する様子を見せないゲイリーに、むしろジークフリートが折れた。

 折れたと言うよりも、諦めたと言う方が正しいけれど、とにかくゲイリーへの制裁はやめにした。


「いってー……しかし、お相手はかの悪辣令嬢だろう? 君の容姿を以てすればイチコロじゃないか」

「そうもいかないものだ。彼女は茶会の後に人形のようだと思いましたがちゃんと魂が宿っていたようで何よりですなどと宣ったヤツだぞ」

「ぶふーっ、人形! お前に最も似合う形容詞だなそれは! 人形は人形でも温度もなければ血も涙も無い文字通り石頭な陶器の人形ってところか! あっはっは! 傑作だ! すこぶる良いセンスをお持ちのようだなそのお嬢さんは!」

「言っておくが、彼女は俺のバックグラウンドは何一つとして知らないからな」

「知らなくてそのネーミングセンスか! 増々可笑しい! 何一つ知らない癖にその人間の本質を見抜くなんて誰にでもできることじゃないぞ! おいジーク、絶対逃すなよその子! 大物になるぞ!」

「心配しなくとも逃さないしゲイリーには絶対に会わせないから安心しろ」

「えーーっ!! つーまーらーんー!!」

「五月の蠅だな」

「は? まだ四月だぞ」

「……………はーーーーーーーーっ」


 コイツほんとどつきまわしたろか、とジークフリートは思った。


 自分の妻になる女性は狡猾かつ利己的で、権力を利用するということに躊躇わない人間であろうと半ば本気で思っていた。

 けれど目を惹かれたのは、息を飲んだのは、胸を突いたのは、その全く逆と言えるような少女だったのだ。

 この世にどうしようもない悪意があると知りながらも悪を憎まず。悪に苛まれた過去を持つ目を持ちながらも善であろうとする。遠くからやってくる時から既に彼女の目は、常にきらきらと輝いていた。

 空も、草も、花も、テーブルや椅子、茶会のセット、人間ひとりだって、見るものすべてが目新しく美しいと言わんばかりに。この世界がこんなにも鮮やかで煌めいているのだと言わんばかりのその視線を向ける。

 だから手を差し伸べた。

 彼女が今までどんな閉鎖的な空間にいたのかはわからない。なら今から見ればいいだろうと思ったから。古今東西あらゆるものを、彼女のその空より蒼い眼で。



 

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