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春に嵐のたとえもあるが  作者: 翠雲
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1話:如何にして私たちは出会ったか



 さて、何故ここが夢ではないのかと明確に気づいたのかを一つ一つ整理していきたいと思う。何しろ、私自身も未だとても困惑している最中だから。

 そもそも、未だリリィがリカであった頃の話なのだが、リカはそれはそれは友達が少なかった。どれくらいかと言うと、楠木リカの友人はたった一人きり、というほどだ。あとは画面の向こうと活字だけが彼女の友達である。愛と勇気なら友達になった覚えはないので某ヒーローにはなれそうにない。

 ともかくリカには友達が一人しかいなかった。

 なので、その友達にそっくりもいいところな人物を見つけて冷静でいられるほど、当時のリリィはリカに成り切れてはいなかったのである。誰かほかの人になるのは、難しい。


「何かお探しですか?」


  図書室に相応しい静かな声が、そっと内緒話のように落とされる。丁度その時私はこの世界の事について色々と調べ回っていて、図書室に入り浸っていた。基本的な事ならリリィ本人が知っていた知識を そのまま受け継いでいるので事足りているけれど、どうやら彼女は根が真面目なわけではなかったらしく、私にとってはあまり十分なそれではなかったのだ。

 そうしてネットもないので真面目ぶって図書室に行ってみたはいいものの、どこにあるどんな本を読めばいいのかがサッパリわからなかった。何せ前世でも図書室になど行ったことはなかったので。ただただ本が並ぶ棚に圧倒されるばかりであった。

  そんなとき、優しい声がかけられたのだ。春の日差しに似てるな、とリリィは少し思った。


「あ、えっと、国史と郷土史、それと、地図があると……。」

「ガッツリ系?それとも軽めがいいかしら?」

「軽めで……。」

「なら、そんな堅苦しいものよりも、こっちこっち」


  春日の声の持ち主は、夜を溶かしたような長い黒髪に、深海のような深みのある青い眼を持つ美しい少女だった。

 おそらく、リリィとそう変わらない年頃だろう。彼女はリリィの手を取って、ひとつ、ふたつ、と棚を過ぎていく。滑らかな足取りで棚と棚の隙間へ入り、一つのコーナーで静止した。


「観光地図……」

「サラッとその土地の事を知りたいのなら、こういうののほうが手っ取り早いですよ。読みやすいですし、ずっとわかりやすいですから」


  そういう発想で観光マップって読むものなの? リリィというかリカの主観だからあまり信用してもらえないかもしれないけれど、絶対に用途が違うと思う。私のそんな視線を感じたのか、春日の少女は微笑んだ。


「観光地というのは自ずとその土地の特性や歴史が出るものです。偉人の出身地ならば迷わずその名前は使われてますし、それに関する逸話も簡単なものを乗せている場合が多いのですよ。地図も地図帳などよりよほど見やすいですし、ずっと詳細ですわ」

「詳しい、のですね。図書委員か何かなのですか?」

「いいえ、単に本の虫なだけですわ。図書室のご利用は初めてなのですね」

「はい……」

「恥ずかしがることはありませんよ、貴女、とても本がお好きなのですね」

「え?」

「目が輝いておいででしたから」


  そうだっただろうか? いずれにせよ、あまり表面に出し過ぎるのはよくないかもしれない。なにせリリィは悪辣令嬢なのだし。いやでも、過去の罪から逃げはしないけれど別段同じ振る舞いをせずとも良いのではないだろうか。

 うんうん唸っている私に、彼女は小さく一つ笑って口を開いた。


「私はシオン・アリアフェスト。貴女の名前を伺っても?」


  淑女の鑑のような完璧な礼に、私も慌てて敬意を表した礼を返した。慌てすぎて少々口が回らなかったのはご勘弁して頂きたい。


「私は、リリィ、リリィ・シュタットフェルトと申します」


  名乗ってからまずったと悟った。私、今は悪辣令嬢なんだってば! そんな人に誰が近づきたいと思うだろう、少なくとも私は近づきたくない。

 けれども彼女は一瞬だけ驚いたような顔をして、それからリリィちゃんね、と破顔した。なるほど、彼女が女神か。


「リリィちゃん、ですか……」

「嫌かしら?」

「いえ、うれしい、です」


  でもなんだかちょっぴり恥ずかしいな。こそばゆいというか、面映ゆいというか。ふとシオンさんを見ると、何やら口を押えて俯いていた。気分でも悪いのだろうか。よく見れば肩が震えているし。


「あの、どうか致しましたか?気分が優れないのなら、保健室に……」

「いいえ、平気……、持病みたいなものだから、気にしないで。ところで、その敬語は素かしら?」

「はい。ご不快でしたか?」

「いいえ。敬語キャラとか正直ドストライクですジーザス」


  今、聞きなれた言葉が聞こえた気がしたけど。気のせい、だよね………? そしてリリィちゃんごめんよ、私は君のキャラを守ることが出来なかった。というかあの高飛車傲慢っ子はハードルが高いよ……。所詮中身はポンコツなのだ……。え? 知ってた? そっか………。というかいい加減この対人では敬語になってしまう癖なおしたい。友人にも散々怒られたのだ。


「リリィちゃん……」

「はい、なんでしょうシオンさん」


  再び顔を手で覆い隠してしまった。持病とはなんなのだろう、見た目そこそこ健全そうに見えるから喘息とかだろうか。


「リリィちゃん!」

「は、はいっ、なんでしょう」

「私と今から屋上にでもランデヴッッ」

「何をひと様に迷惑をかけてンだテメェは」


  バコンッと紙束が頭蓋に響く音が目の前から聞こえて、私は呆然と前を眺めた。頭を押さえて獣みたいな唸り声をあげるシオンさんの向こう、高い位置で一つに結わえられた少女の姿が見えたからだ。

  シオンが春の日差しなら、少女は夏のそれだった。太陽そのもののような、熱くて輝いていて、目を細めるくらい眩い存在。私が一番焦がれたそれに、最も近い人物。


「………………なな、ちゃん」

「あ?」


  呼んだ名前に反応した彼女は、リカの知るそれと全く同じしかめっ面で、全く同じ粗野な声で、全く同じ姿で、容姿で。こちらを見て、大きく目を見開いた。ばさり、と彼女の持っていた紙束が落ちる。


「りか」


  それから、強く強く抱き締めてくれた。力強くてあったかくて、まるで真夏みたいだなぁと思った。

  西園奈々。

  前世の、リカの、唯一の友人にして、親友、だった。





  ずびっ、ずるるるーっ、鼻水を啜る音が屋上に響く。お坊ちゃまお嬢様学校にあるまじき音であるが、屋上にいる人間は誰もそれを咎めなかった。というより、屋上には私とシオンさんとななちゃん(仮)しかいなかった。


「ここは私のテリトリーだもの。入ってくるのはよっぽどの命知らずくらいさ」

「そうなんですか、すごいです、よね?」

「ああ、とってもすごいのだよ、褒め称えてくれても良いのだよ? ついでにご奉仕してくれても……」

「殴るぞ、シオ。わりぃな、リカ。落ち着いた」

「ううん、大丈夫ですよななちゃん」

「リカ、敬語」

「あぅ、ごめんなさい」


  またまたななちゃんに叱られてしまった。前世からこっち、ななちゃんは私を叱る唯一の人間である。得難いことだと思う。


「それにしても、ナナがこーんなに取り乱すなんてね。貴女は何者なんだい? リカって呼んでいたけれど」

「前世の親友だ」

「ななちゃん!?」

「成程」

「シオンさん!!?」

「ふふふ、リリィちゃん、大丈夫だとも。私は転生者さ」

「テンセイシャ、てんせいしゃ?」

「生まれてからこの方、ずっと前世の記憶を持ってるってこと。ナナもそうだったろう?」

「ああ。つってもアタシがそう理解したのは五つを過ぎてからだけどな。そっからはこの世界を調べまくって、取り合えず親の勧めで頭のよさそうなトコ合格して、舞踏会とか茶会でリカを探す日々だった」


  久方振りに見るような気がするななちゃんは、やっぱり何も変わっていなかった。相変わらず言葉遣いは悪いし、眉間の皺は寄ってて機嫌が悪そうに見えるけれど。誰より知ってるリカの親友だった。誰より、リカ自身よりリカを大事にしてくれた、いちばん大事な友人だった。


「ありがとう、ななちゃん。でも、言葉遣いは直さなきゃだめだよ」

「うっせぇ」

「ダメだよ、絶対ダメ!ななちゃん誤解されてしまうんですよ!?」

「お前以外の有象無象なんぞ知るかボケ。あと敬語」

「あぅ、ごめんなさい。……なんで私が謝ってるんでしょう?」


  おかしい、私がななちゃんを説教していたはずだったのに。首を捻っていると、ふとシオンさんがおなかを抱えていることに気が付いた。喘息の次は腹痛ですか、前世の私並みに業を抱えてそうな体調である。


「ふ、ふふっ……お、おかしっ……!」


  訂正、彼女は笑っているだけだった。おそらく先ほども私が何か可笑しな言動をして、それで顔を覆っていたのだろう。肩が震えていたし。


「あー、リカ、アタシは今生ではナナリー・カンナビヒ。どっちもナナだから呼び名は今まで通りで構わねェ」

「私はリリィ・シュタットフェルトです!えっと、楠木リカです!」

「知ってる、あと敬語」

「はいっ!」


  ナナちゃんは、はーと溜息を一つ吐いて、未だ笑っているシオンさんの脇腹を勢いよくどついた。えっ、と私が声を上げる間もなくシオンさんは十センチほど飛び上がり、いったい!!!と悲鳴を上げる。ナナちゃんの本気の一撃はクマをも凌駕すると半ば本気で思っている私は、ひえぇ、とか細い悲鳴を上げた。


「痛い!ひどいよナナ!」

「るっせェ。いい加減笑うのを止めろこのガチレズ笑い袋」

「ふふふ、それは私のことだね!リリィちゃん、私は先程自己紹介した通りだが、本名、というか前世の名は杠葉詩織だ。シオと呼んでくれれば嬉しい。反応しやすいからね」

「シオさん」

「んんッ、いや良いね君は!可愛いね、可憐だね!食べちゃいたいね!」

「寝言は寝て言え」


  カコンとナナちゃんの飲んでいた空のコーヒー缶がシオさんの頭へ命中して跳ねる。シオさんはそれを「ポイ捨てはよくないよ」とキャッチし、にこやかに微笑んだ。


「おい性的倒錯者」

「それは間違いなく私のことだね、なんだい?」

「リカ……リリィに手を出したらブッコロスからな」

「ふふふ、私はせっかくの友情をふいにするほど愚かしく見えるだろうか? これでも理性のある変態だと自負しているよ私は。可愛いものは愛でたい。リリィちゃんに接するのはそんな人間的欲求さ、だからそう警戒しないでほしいな。ね、リリィちゃん」

「へっ?あ、あの、はい。ナナちゃん、シオさんは悪い人じゃないと思う!」

「悪人とまでは言ってねェよ………ま、リカがそう言うなら退くさ」

「反応の差が」


  珍しく微笑むナナちゃんに、シオさんはなんだか納得がいかなそうな憮然とした顔つきになった。けれど、それはどこか楽しそうにも見えて、シオさんも楽しそうならいいか、と私はすぐに思考を放棄した。


「ところで、何故ナナは先程あんなにも泣いていたんだい?」

「あ?話しただろうが」

「そりゃ私にはね。でもリリィちゃんは知らないじゃないか」

「は?……おいまさかリリィ、お前、覚えてない、のか?」

「えっと………うん。ナナちゃんがそんなに泣いてる理由は、検討は、つくけど」


  私がそう言うと、ナナちゃんははーっ、と大きく溜息を吐いて片手で両目を覆って項垂れた。謎の罪悪感を感じて、私は少し肩を狭める。するとシオさんがニッコリと安心感を与えさせる笑みを浮かべて私の肩に手を回した。落ち着かせようとしてくれているのだろう。


「あの、あのねナナちゃん、私、そんなに悪くない人生だったと思うよ。だから、そんなに落ち込まないで?」


  だらりとぶら下がった左手をそっと両手で包み、顔を覗き込む。ナナちゃんはとても沈痛な面持ちで、とても苦しそうだった。

  それから、ナナちゃんは私の手に包まれた左手を、強く握り込んだ。悔恨と、苦渋と、切望だった。


「なにが、そんなに悪くない人生だっただよ……あんなクソみたいな親で、クソみたいな環境で、クソみたいな周りで…………」

「お父さんとお母さん、私をちゃんと病院にいれてくれたよ。お金がたくさんかかるのに。あそこは何もなかったけど、ナナちゃんと出会えた場所だよ。近所のひとたちはちょっぴり暗いひとばかりだったけど、みんな優しくて寂しいひとだったよ」

「………………この、お人好し」


  観念したような彼女の言葉に、私はほっと安堵の息を吐いた。喧嘩したり、喧嘩してきたりした彼女が心を落ち着けたときに、いつも吐く色をしていた。


「……お前、今は健康なのかよ」

「うん、とっても元気元気!」


  力こぶはないけど右腕にむん、と力を入れてマッチョポーズをする。リリィの白い細腕が見えてちょっぴり目の毒かもしれない。今後は控えよう。

 ナナちゃんは何かを言おうと口を開いて、やっぱり閉じて、それから「なら、もういいよ」と大きく項垂れて言った。


「えーっと、事情はよくわからないけれど、リリィちゃんは病気だったのかな?」

「病気……と言えば病気ですけど、どちらかと言えば体質に近いですね。私のそれはとっても重くて、大変だったのですよ」


  長い入院生活は本当の本当に大変だったのだ。私は腕組をしてうんうんと頷きながらそう言った。


「成程、図書室で目をキラキラさせてたと思ったらそういう理由か。でも、リリィに成ってからは元気だったろう?」

「あ、私、リリィになったの最近なんですよ。記憶が戻った、のほうが正しいのでしょうか」

「どっちでも構わねェだろ。最近って、具体的には?」

「えっと、一週間前です」

「「は?」」

「一週間前です」


  母音ばかりの叫び声が、透き通るような青空によく響いた。

 ここで私はようやく、ここは夢ではないのだと実感したものである。

 


女三人、寄れば姦しい

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