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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第7章 よほどの懸想


 師走のある日、2、3日続いていた雪もやみ、小春日和の折、もみじ姫は庇の間で絵巻物を見ていた。


 なんでも、綾乃からもみじ姫が恋物語を読みたいという話を聞いたもみじ姫の兄弟達がこぞって用意したとのこと。


 内大臣の子息のもみじ姫への溺愛ぶりがよく分かる甘やかし方に世間は驚いた。


 もみじ姫には同じ母に姉が一人、兄が二人、継母である今北の方の方には兄が一人、妹が一人と兄弟がいる。

 妹姫である小君は何かともみじ姫に意地を張ろうとするが、他の姉弟達は幼いもみじ姫が可愛くて仕方ない。



 内大臣の長子である同母姉の女御は


『まぁまぁ、もみじが恋物語を読みたいですって!何事が起きたの?冬に桜が咲くような珍事よ!こんな面白いこと、そうないわ。お宿下がりでもしようかしら。でも周りが煩いし…。仕方ない、お前たち、我が妹姫の心を打つような物語を書いてちょうだい。それをもって、物語合わせなどしてよいものを贈りましょう。』

と自分に仕える女房を巻き込んでの大騒動。



 次子である同母兄の参議はすぐに流行りものを手配し、もみじ姫に会いに来た。


『可愛いもみじがこの兄ではない誰かを思い、心を染めるなんて嫉妬してしまうな。その幸せ者は誰だい?恋物語のように夢馳せる人がいるのかい?ああ、可愛いもみじが恋を気にする年になったなんて。何時までも兄様だけのもみじでいておくれ。』

と熱を込めたことをいう。


 都でも一、二を争う色男の言葉にもみじ姫の周りの女房はきゃーきゃー騒ぐが、当の本人はそんな兄には慣れたもの。

 兄様はいつも大袈裟だとほわほわ笑う。



 三子である同母兄の右近中将はもみじ姫の部屋の隣の西の対屋に住んでいることから、素早く屋敷の蔵などを探し、昔から定番のものを持ってきた。

 兄の参議よりも誠実な中将は少し困り顔で


『綾乃から何かもみじに恋を学べるような物語はないかと相談されて、どうしようかと女御の御前でぽろっと言ったらこの騒ぎだ。もみじもびっくりしたろ。まぁいい機会だから、色々読んで知識の幅を広げるといいよ。もみじは幼いんじゃなくて、まだ何にも染まっていないんだ。無理に色をつけなくていい。自分に合う色を探せばいいよ。』

と優しく笑い、竹取物語など、昔もみじ姫が読んでもらったものを置いていった。



 四子である異母兄の式部の大輔は妹姫の小君ほどもみじ姫を毛嫌いしておらず、それどころか母が違っても分け隔てないもみじ姫を心よく思っており、年も一つしか変わらないもみじ姫とは幼い時分仲良くしていた。

 お互いに成人した今、なかなか顔を合わせることはないが、


『恋物語を探していると聞いたが、今頃は兄君達からの贈り物で恋物語も腹一杯だろう。合間に読むといい。』

と無愛想で堅苦しい文と季節の歌の入った気安く読める散文を送ってきた。



 この騒ぎに父の内大臣は


『もみじに恋は早いんじゃないかな?』

とこぼしていたとか。


 今まで小君と一色単にされていたもみじ姫が俄かに都人の噂に上るようになる。

 

 内大臣の秘蔵っ子で、あの女御とあの兄ら、そして箏の琴の名手の妹がいる姫。


 もみじ姫は本人の知らぬところで、本人の意に添わぬほどに過大評価されているなど、噂に疎いもみじ姫は知るわけもなく、今も贈り物の絵巻を広げぼんやりしていた。



「ふぅ。恋ってなんだか大変。一人を思って、心を揺らすなんて。」

 ん〜と伸びをすると、もみじ姫は簀の間に出た。気分転換に思いつくままに歌を諳んじる。


「音に聞くたかしの浜のあだ波は   

      かけじや袖のぬれもこそすれ」


 これは紀伊という女房の歌で、噂に聞く高師の浜のあだ波のように浮気者で有名なあなたに思いをかけたら、波で袖が濡れるように涙を流すことになるから、思わないようにします。

 というもの。

 

 もみじ姫にこんな微妙な女心の機微があって口ずさんだわけではなく、人々の関心を大いに集める恋というものに思いを掛けて、涙を流すなら、初めから恋などしたくないという、そんな気持ちで歌を詠んだのだ。


「契りきな松帆の浦の夕暮れに    

       唐紅に寄せる白波」


 高く朗々とした声が簀の間で響いた。

 もみじ姫は驚いたようにそちらを向く。


「春香君!」


 小春日和に本物の春の香を添えるように、華やいだ童は艶やかに微笑むと、もみじ姫の傍にいく。


「あ、あの…久しぶりね!その…」

 もみじ姫はいきなりの春香の登場に驚き、声を上擦らせた。何故だか緊張してしまう。


「もみじがつれないお歌を口ずさんでるから来ちゃった。」


 もみじ姫を見上げるように、春香は大きな瞳で覗き込んでくる。


 松帆の浦の夕暮れに誓ったようにあなたを待っていると言ったでしょ?

 あなたを思う私の心は夕暮れで赤く染まり、波のようにあなたに寄せているのに。

 何故つれない歌を詠うの?


 春香の詠んだ歌はもみじ姫の歌に対する返歌。

 歌と春香にもみじ姫はどぎまぎしてしまう。


「あ、あのね、春香君!わたし、そういうの…。」

「分かってる。この間はもみじのこと困らせちゃったね。僕のこと嫌いになった?」

「嫌いじゃないわ。」

 大きな瞳を潤ませて、じっと見詰める春香に優しいもみじ姫は思わずそう答えた。

「よかった。じゃあ仲良くしてくれる?一緒にお歌の人探してくれる?」

 目をキラキラさせ、子どもらしさに溢れた可愛い笑顔で見詰められるともみじ姫もつられて笑顔になる。


「もちろんよ!」


 春香はやったぁと喜ぶと、もみじ姫の袖を引いた。

「そういえばあのお歌の箱、どこ行ったの?」

「わたしのお部屋よ。」

 ほにゃりと笑うともみじ姫は自分が先ほどまで絵巻物を読んだいた庇の間に春香を招き入れた。


 始めは女房と偽っていたが、世間知らずなもみじ姫の嘘は簡単に聡しい春香にバレてしまっている。

 もみじ姫は春香の前で気を張らなくていいと思っているよう。

 この間の春香のしたことなどまったく頭に入っていない無防備ぶり。


「ご本、読んでいたの?」

 気持ち悪いくらい子ども子どもした春香の言葉にもみじは何も思わない。

 それどころか、子どもらしくて可愛らしいと微笑む。

「ええ、色々贈り物を戴いたの。」

「どれが一番面白かった?」

「ん〜全て読んだわけじゃないけど、このお話は面白かったわ。」


 山積みになった絵巻物の中から竹取物語を取り出し、春香に差し出す。

 春香は少し眉をひそめて、それを受け取る。


「帝の求愛も蹴って、月に行っちゃった話でしょ?悲しい話じゃない。」

「ん〜でも、蓬莱山に行ったり、竜の玉を探したり、とてもワクワクしたわ。」


 竹取物語の恋ではない部分を大絶賛のもみじ姫に春香は苦笑する。

 どうやら内大臣家の恋物語騒動を知っている様子。

 せっかく用意した恋物語なのに、その意味を分かっていないようなもみじ姫の反応に春香は何故か安心させられる。


「後は、これ。お姉様のお付の女房が書いた物語よ。」

「どんな話?」


「幼い姫が、自分を助けてくれた男君に恋する話。一度しか会っていないお相手を探すのだけど誰かも分からない。でも、姫は諦めずその方を思って、大きくなった時、その方を探す為に宮中に行くの。そして、自分の意中の方とまた出会うの。」


 春香は楽しそうに語るもみじ姫の話を真面目な顔でじっと聞く。

「その話、最後はどうなるの?」

「分らないわ。幼い姫は出会えた嬉しさを歌にして、相手の君に送るの。送って、その返歌を待っているところで終わるから。姫はどんな歌が返ってくるのか、想像して心を弾ませたり、不安になったりして、返歌が来てほしいけど、悲しいお返事なら来ないほうがましだと、返歌を待ちわびているの。」

 なんだか初々しいその姫の、一喜一憂にこちらも心を弾ませてしまうの、と嬉しそうに語るもみじ姫に春香はニコリと微笑む。


「それで、もみじはその話、最後はどうなると思う?」


「それは幸せになると思うわ。だって、姫は頑張ったもの。」

「でも、幼い恋心なんて所詮大人の世界では通じないんだよ。」

 華々しい笑顔を浮かべ、棘のあることを言う春香にもみじ姫はポカンとしてしまう。

 自分の考え付かないことを言うこの童は、何故こんなにも悲しい笑顔を浮かべるのかしら。


「幼くても、姫がその方を思う気持ちはとても尊いものだと思うわ。しかもずっと変わらずに思い続けるられるのだもの。大人になっても大丈夫よ。姫は男君と結ばれるわ。その方が素敵よ。」


 春香の棘を棘と感じないような柔らかい笑みを浮かべた。


「もみじらしい。」


 春香はぽやりと自分を見詰めるもみじ姫に覆い被さるように抱き付いた。


「きゃあ!」


 何の用意もしてないもみじ姫は勢いのままに二人して倒れ込む。


「もみじは本当に素直。そんな無防備に笑うから、押し倒してしまいたくなるよ。」


 俺と自分を呼ぶときの魅惑的な笑みを浮かべ、春香はもみじ姫の長い髪をそっと梳く。

 いきなりの豹変にもみじ姫の思考はぴたりと止まる。

 

 ええ〜!もう押し倒してるのに?


とまったく違うところに引っかかりを覚えつつ、鼻がくっつくほど近くにいる春香から目が離せない。


「な、なんで?」


 顔を朱に染め、この状態から解放されたいもみじ姫は、きっかけを探るように問う。

 が、春香はもみじ姫の上から退こうとはせず、そのまま、状況を楽しむように笑っている。


「我が宿に降る白雪のあな深き

    人も訪ねず踏みて来こさぬか」


 もみじ姫の耳を甘い囁きと共に熱い吐息がくすぐる。


 深く積もる雪のようにあなたを思うわたしに何故、人をやって文もくれないのですか。


 春香の歌は恋の媚薬のようにもみじ姫の体を熱くする。


「な、なんで?」

「もみじが俺の心を分かってくれないから。こんなにももみじのこと好きなのに。」

「えっえっ、わたしも春香君のこと好きよ?だから友達に…。」

「友達じゃなくて、別の好きだよ。今もみじが読んでいる恋物語のような。言ったでしょ?俺のものにしたいって。」


「あっ―。」


 数日前の春香の言葉が蘇る。


 顔を真っ赤に狼狽えるもみじ姫に向かって春香は艶やかに微笑むともみじ姫の火照った頬に手をやった。


「もみじ、俺お歌の返歌がほしいな?それとも返歌よりこの間みたいに唇を合わせる方がもみじはいいのかな?俺はそっちの方がいいけど。」

「ええっ!」

「だって歌を詠まれたら、何か返すのが常識でしょ?」


 ねぇもみじと春香はもみじ姫の赤く染まった頬に軽く口付けをする。


「あの、その、わたしは…。」

「どっちがいい?」

 春香は楽しそうにもみじ姫の耳元にそっと息を吹きかけた。

「もう!なんでそんな意地悪ばっかり言うの!そんな子にはお歌も何もあげません!」

 もみじ姫は意を決したように勢いよく春香を突き飛ばした。


「わぁ。」


 春香は後ろ向きに倒れると板の間で頭を打つ。

 痛いと頭をさする春香をもみじ姫は自分の行いを後悔するような悲痛な顔をした。


「ご、ごめんなさい。」


 駆けより春香の頭を撫でるもみじ姫は心配げに春香を見やる。

「痛い。」

「どうしましょう?薬師を呼ばなきゃ…。」


「心が痛い。」


 体を起こした春香は俯くとぽつりと言った。

 もみじ姫は意味が分からずにその顔を覗き込む。


「頭じゃなくて心?どうしましょう。打ち所が悪かったのだわ。どうしたら痛くなくなる?なんでもするから死んだらダメよ!」


 その心配げな顔に春香は表情を緩めた。

 もみじ姫の拒絶は思ったよりもショックだった。

 しかし、気を使いつつの拒否さえもみじ姫らしくて、愛しいと感じてしまう自分はかなり泥沼にはまっているよう。

 当たり前の拒絶をしても助けを呼ばない辺りに優しさが表れいて、今必死に自分を介抱しているもみじ姫に思わず、笑みがこぼれる。


 本当は少しぶつけただけで、そんな大騒ぎするほどじゃないんだ。死なないでなんて、どれだけ大げさな。

 

 でも―。

 

 この優しさにもう少し甘えても許してくれるよね?


「もみじ…。ほんとになんでもしてくれるの?」

「当たり前じゃない!春香君がよくなってくれるなら!だって友達じゃない!!」

「ん〜確かに友達でいてって言ったけど、この瞬間に使われるとは…。」

「へっ?」


「こっちの話。ねぇ、もみじ、なんでもしてくれるなら口付けして。」


「ええっ!」


 もみじ姫は必死な表情のまま、驚愕した。

 あまりの顔の崩れ具合に春香は吹き出しそうになる。


「頭が痛くなくなるおまじない。もみじがおでこに口付けしてくれたら治るかもしれない。」


 まさか口付けで痛みがとれるなど、流石にもみじ姫も信じるわけはない。


 しかし。


「お、おでこでいいの?」


 真剣な表情で春香を見つめる。

 本当に口付けが返ってくることを期待していた訳ではない春香は少し目を見張った。

 からかって、ころころ表情を変える姿が見たかっただけなのに…。


 もみじ姫の反応に春香はすぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。


「おでこでいいよ?なんなら口にする。」

「しません!こ、これはお詫びの口付けよ。友達の証だからね。」


 頬を真っ赤に、もみじ姫は軽く春香を睨む。

 そうして緊張した面もちでゆっくりと春香の額に唇を持ってゆく。


 一刻を何時間にも感じる歩み寄りに春香は何も言わず、もみじ姫を見やる。

 ゆっくり、ゆっくりと―。


 後少し、もみじ姫の赤く染まった唇がなだらかな黒髪のかかる春香の額に触れるか触れないかの距離まで来る。


 もみじ姫は触れずしても春香の熱を感じ、変に騒ぐ胸の鼓動に当惑した。

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