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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
エピソード1~久方の光のどけき春の日に~
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幻想の桜

「ねえ、貴方はどうして、あの子に会いに来たの?貴方の身分ならこんなに必死にならなくてもなんでも手に入るでしょ?」


 桜木を見上げながら、そう問いかける女性の顔は春香には分からない。

 でも、何故と問われたら、答えないといけない。

 ずっと胸の内で燃え続けるその思いを。

 全てを賭してでも守りたいものを。


「俺は……俺はもみじが好きだ。好きで、好きで、ずっと側にいたい。もみじがいたから、俺は泣くことができた。もみじがいたから、この世界はこんなにも美しいのだと知った。もみじがいたから……だから……」


 感情のままに叫んだ。

 小さな体では抱えきれないほどの重い感情をそのままに相手にぶつける。

 策を弄するとか、相手を窺うとか、そんな小手先のことは春香にはできない。

 出来るのはただ、自分の思いをぶつけること。

 何故だから涙が溢れてきた。

 泣きながらもみじが好きだと、叫ぶ春香の頭をその女性は優しく撫でた。

 光の粒が春香の頭上で揺れる。

 触れられた感覚のない手はそのまま春香の肩に乗せられた。


「あの子が好き?」


 女性を見つめたまま、大きく頷く。


「あの子の側にいたい?」


 情熱を宿した眼差しで女性を見つめ、更に大きく頷いた。

 そんな春香の答えに満足したのか、その美しい人は優美な笑みを浮かべた。

 春香の肩から手を離し、光の粒をまとった透き通る手が桜の古木に触れる。


「一つ、条件をだしましょう――」


 玲なる声が春香の心臓を射抜く。

 叡智を知る瞳がじっと春香に注がれた。


「あの子の心を貴方色に染めるくらい、いい男になりなさい。ただ強いだけじゃダメよ。優しいだけでも足りないわ。あの子の心を揺らすんだから、並大抵の男じゃ話にならないわ。もし貴方があの子の為にこれからの人生を歩むと言うのなら、私も細やかながら貴方の人生に切欠を与えましょう。……でも、勘違いしないでね。選ぶのはあの子よ。その代わり、どんな手段で来ても構わない」


 言葉を切るとその人は不敵に微笑んだ。

 その人の黒髪が光の降り注ぐ空の下、柔らかい淡雪とともに風に舞う。

 それが雪の花を咲かせる古木の元、天上の景色のように美しかった。

 その女性の意図するところが春香には分からなかった。

 彼が今一番知りたくて仕方ないことは、自分の視線の先でとめどなく涙を流し続ける幼い姫のことだ。

 


「あの子はね、今大切なものを失って、どうしていいか分からないの。あの子は素直で優しい、でもまだ幼い過ぎるの。あの子はまだ母親と自分を分けて考えられないの。だから自分の半身を失ったも同然。あの子はきっと失うことの悲しみに心を凍らせてしまう。だから――」


 美しい人が空を仰ぎ見た瞬間、純白の木々が薄紅色に染まった。

 水色の空に光が散るように、辺りが一瞬で明るくなる。

 色づいた花びらに当たりが淡く、けぶる。


「桜が……咲いた」


 摩訶不思議な光景に春香は息を飲んだ。

人ではない不思議な女性に出会った時から、どこか夢見がちな気分ではあったが、この時ばかりは茫然とするほかなかった。

 幻想的な美しさで咲き誇る桜の花。

 一つ一つは小さな花なのに、それが重なり合い、大きな一つの花を咲かせている。

 眩く輝く白い光はどこまでも神聖で、その光を受ける爛漫の桜も気高いものに思えた。

 ただただ、桜木を見つめるしかできない春香に、その人は悲しげに微笑む。


「あの子が自分の悲しみを全て乗り越えることが出来るまで、この桜があの子に代わって悲しみを引き受けましょう。悲しみに繋がる記憶も全て花とともに封じる」


 女性が指を鳴らした。

 途端に、淡い花びらが一斉に散りだした。

 しかし幼い姫は目の前の悲しみに捉われ、季節を先走った春の気配にも気づかない。

 その女性は古木の枝を一本折ると、腰を折って彼の目の前に枝を差し出した。


「桜が全て散る前にあの子の元に行きなさい。桜が全て散った瞬間からあの子の悲しみは全てこの桜が身代わりをする。もしかしたら……いいえきっと必ず貴方のことも忘れているでしょう」


 試すように言葉をつむぐ女性に彼は大声で叫んだ。


「で、でも忘れられたって俺はもみじが誰よりも大事!絶対にもみじを笑顔にする!!」


 その淀みない瞳に、真摯な姿に、女性は満足げに頷くとゆっくりと立ち上がった。

 そして、向こうに見える御殿を指さす。

 その先にいるのは、恋焦がれた愛しの君だ。


「そう、なら行くといいわ。春告げの神様。この桜は貴方の思いが咲かせたのよ」


「俺の思いが……」


 不敵に微笑む女性に、春香はゴクリと喉を鳴らした。


「あの子の心の氷が溶け出せば桜も咲く。それが約束の合図よ」


 その言葉に弾かれるように、春香は駆け出した。

 手に抱いた桜の枝を落とさないように、大事に抱えて。

 その背をじっと見つめる視線にすら気づかない。


「うふふっ、約束通り。みんなでお花見をしましょう。だから、泣き止んでいつものように笑ってね?」


 私のもみじ………。

 そんなか細い呟きは息せききった春香には届かない。


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