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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第49章 約束を果たしに

「小君ちゃん?」

 夜の気配に包まれた綺紅殿は月明かり以外の明かりはなく、ぼんやりと薄青く浮かび上がって見えた。

 しかし庭の木々が風にその腕を揺らす以外何の音もなく、人のぬくもりさえ感じられない。

 

 ―そういえば、こんなに綺紅殿を離れたことあったかしら?

 久しぶりに帰った綺紅殿の壁をそっと慈しむように撫でながら、もみじ姫は小君を探して歩いた。

 久しぶりに届いた小君の手紙には相談したいことがると書いてあった。

 彼女がこうやって自分を頼ることは今までなかったが、父の内大臣や母の北の方にも相談できない、大きな悩みなのだろう。

 もみじ姫自身、今も悩みの晴れない身である。

 しかしせっかく頼ってくれた小君をむげには出来ず、自分の悩みを晴らすことができないならせめて小君の悩みを晴らしてあげたいと思ったのだ。

 普段はぼけっとしていても、変な行動力だけはあるもみじ姫は手紙を読んでいてもたっていられず、近くにいた家司を捕まえて、

「忘れ物を取り行くから、車を出して!」

 と誰も信じないような嘘を吐いたのだ。

 しかし、声を掛けられた家司もまさかもみじ姫が堂々と顔を出して頼みにくるなどとは思ってもおらず、もみじ姫のお付の女房くらいに考え、親切に内大臣邸まで送り届けてやったのだ。

 もみじ姫が怒られるかもしれないから、内緒にしてねっと必死になって頼み込むと

「あんた、女房になって日が浅いのかい?そりゃ、忘れ物なんか大々的に取りに行ったら、こっちのえらい女房に怒られるわな。大丈夫、俺は何にも言わないよ。帰りは大丈夫か?そうかい、日が明けてから気をつけて帰ってくるんだぜ。」

 と粋な言葉を残して去っていった。

 もみじ姫のあまりに姫らしくない態度が功を副うし、小君の手紙にあったとおり誰にも知られずにもみじ姫は綺紅殿まで戻ってくることが出来たのだ。


「久しぶりだと、なんだか不思議な気分。まるで知らない人のお屋敷に紛れ込んだようだわ。」

 くすりと微笑み、そしてふと何かに気付いたかのように足を止めた。

「不思議なくらいに静か。いつもは綾乃がいて、松虫鈴虫がいて、お兄様達が遊びに来て……。」

 いつも笑い声の絶えないはずの綺紅殿がまるで凍りついたように時を止めている。

「まるで、まるであの日のよう。」

 一滴の涙が流れ落ちるかのように、もみじ姫の口から吐息が漏れた。

「お母様がいなくなったあの日。あの日も音もなく静かで、ここは凍りついていた。」

 そっと庭の端にある桜の古木に目を向ける。

「あの日から、この庭の桜は咲かない。ここはまだ凍りついたままなんだ。」

 いつの日か見た夢が俄かに蘇る。

 音もなく降り続ける雪が陽光を浴びてきらりきらりと輝く中、母の死を受け入れられず、ただただ泣くしたできなかった自分。

「私はずっとあの時から進んでなかったのね。お母様が生きていた時ばかりを夢見て、お母様の面影ばかりを求めて、大切な誰かを失いたくなくて。」

 胸をついて溢れる感情はつらいばかりの過去だけではなく、母をなくしてからも得ることができた温かな思い出達。

 ふとあの夢の続きが雪に彩られた桜の木に重なった。

『…から。だから泣かないで。』 

 真剣な、訴えかけるような幼い声。聞き覚えのあるその声が、まるで遠い日の約束のようにもみじ姫は思えた。

「なんとわたしに声をかけてくれたの?」

 桜の木は黙り込んだまま、静かにもみじ姫を見守っている。

 さあっと風が吹き抜けた。

「今なら思い出せそうな気がする。あれは誰だったの?あれは……。」


「お待ちしていましたよ。愛しい人。」

 柔らかな声がもみじ姫の背にかかった。

 驚いたように振り向いたもみじ姫の目の前にいたのは白い衣を被った少年。

 もみじ姫を恋い慕っていると、さらってしまいたいと言った、穏やかな表情の気品に溢れた少年――紫苑。

「なんで、紫苑君が?小君ちゃんは?」

「小君様はここには来ません。ああ、心配しないで。小君様から言付けを承ってますから。だから……。」

 一歩もみじ姫の側に寄ると紫苑は零れんばかりに咲き誇る愛らしい紫の花のように微笑んだ。

「二人でこの素晴しい日を祝おうじゃありませんか。新たな春の訪れを。」

「何を言ってるの?」

 戸惑ったようにもみじ姫は眉を潜めたが、自分に酔ったように語り続ける紫苑の言葉は止まらない。

「怖がらないで。もみじ姫、貴女は私と結ばれる為にあるのです。」

「紫苑君?」

「貴女は約束を果たさなければ。内大臣が果たさなかった約束を。」

 目を見開いたもみじ姫の手を強引に掴むと紫苑はもみじ姫を抱き寄せた。

「は、離して。紫苑君。」

 脅えるように身を竦ませ、もみじ姫は紫苑の拘束から少しでも離れようと身をねじった。

 しかし、もみじ姫よりも体躯のいい紫苑に敵うはずもなく、なす術もなく抱きしめられる。

 そんなもみじ姫の頬にそっと手を添えると紫苑は愛おしげにもみじ姫を見つめた。

「もう離さない。君がいれば、俺はもう一度あの輝かしい場戻れるんだ。」

 ポツリと独り言のように呟くと、紫苑はそっと瞳を閉じてもみじ姫に顔を近づけた。

「や、やめて。紫苑君!きっと紫苑君の思い違いよ!だから……。」

 必死に手足を動かして抵抗しても、紫苑の顔はすぐ側にある。

 もみじ姫はぎゅっと瞳を閉じた。

 その瞼に映るのは誰よりも大切な人の笑顔。

 最後の抵抗とばかりに顔を背けて、力の限り叫んだ。

 

「春香君!!!」




 カタン―。

 風もなく部屋の御簾が揺れた気がして春香は、はっとうたた寝から目覚めた。

 遠く離れているのに、もみじ姫に呼ばれたような気がしたのだ。

 目覚めが悪いのか、冬なのに変に寝汗をかいていて、春香は強張った表情のまま汗を拭った。

「もみじに何かあったか?でもそれなら寒菊から何かの便りが……。」

 返事がないのがいい便りと言うが、こうも音沙汰ないと気持ちばかりが逸る。

「この間、やっと会いにいけたのに。あれだけじゃ足りないのかな。もっともみじの側に……。」

 ゆっくりと身を起こした春香は軽く頭を振った。 

 悔しげに顔を歪めると、絞り出すように呟いた。

「くっそ。俺が守るって約束したのに近くで守れないなんて、なんて不自由な肩書きなんだ。こんな時、本当に文使いの童ならどこへでも行けるのに……。」

 辛い春香の本音が闇に広がる。

 しかし誰も彼に答えを与えてはくれない。

 ただ……。

 ふと漂った目映い、春の日の陽光のように穏やかな気配が春香の頬をくすぐる。 

 弾かれたように振り向いた春香は異変に気付き、自分の目を疑った。

 確か部屋の格子は全て閉められていたはずなのに、今は全て開けられ、御簾も全て上に捲し上げられている。

 顕わになった庭は月明かりを照り返した雪で燦々と輝き、まるで昼間かと見違えるほどだ。

 その白く輝く庭に誰かが立っているように見えた。

「もみじ?」

 思い当たる女性の名を呟いた春香に、その影のように佇む陽光のような気配は小さく微笑んだ。

 いや、微笑んでいるよう春香は感じた。

 顔は分からない。ただその姿形で、女性であることが分るくらいだ。

 ただ、春香には確信があった。

 前にも同じような光景を見たことがあったから。


「俺が約束を守るかどうか、心配になって来たのか?」


 にやりと自信に満ちた表情で微笑んだのは、もう小さな少年ではなかった。

 自分を奢っていた時とも違う。

 自分を信じてくれる、そして愛してくれる存在を得て、人は初めて自分の中の大きな可能性に気付き、いくらでも大きくなれる。

 

 春香はゆらゆらと漂う影に向かって、胸を張って応えた。

「大丈夫だ。貴女の娘は俺が守る。もう、俺はあの頃の泣き虫じゃない。愛した女を泣かせたりはしない。」



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