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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第4章 内緒の恋愛ごっこ

 今日もゆるゆると桜のごとく降る雪の下、内大臣邸のもみじのごとく愛らしい中の君は乳姉妹の松虫、鈴虫と例のお歌の人の話をしていた。

 正月の用意で、綾乃が忙しいのをいいことに、もみじ姫はお歌も箏の琴も練習せずにぼけっとしている。


「箱の中に溢れんばかりの花びらを自分の心に喩え、あなたを思い溢れ出した心ですって、にくい演出ですね!その気なくても引かれちゃう。」

「で、あなたを思い心ちぢれて、あなたのいないことを嘆き、わたしの心は花が散り枯れたよう―と歌の下の句だけで語りかけるなんて、並みの方にはできませんわ。」


 乳姉妹の二人は例のお歌を送られた君のことで大盛り上がり。

 なんて風流な手法でしょうと楽しそう。

 こんなお文を送られる女君はさぞ、心美しく、機知に富んだお返事をなさるんだともみじ姫そっちのけである。


 しかし何も気にせず、もみじ姫はその二人の話を楽しそうに聞いて、分かっているのかいないのか、うんうん頷いている。


「ひぃ様ももうちょっと恋や愛に関心があったら、今頃、殿方からの御文で盛り上がれるのに…。」

「仕方ないでしょう。こればっかりは。人の心の成長ばかりはどうしようもないわ。」

「でも〜只でさえ存在感ないし、幼い姫だと噂になって御文もなかなかこない。こんなに愛らしくて、しかもお家柄もバッチリなのに!」

 鈴虫は口を尖らせた。


 しかしこれには、もみじ姫は困ったように笑うしかない。

「心配してくれてありがとう。でも、わたし、恋する気持ちは知らなくても生きていけると思うの。それにわたしみたいになんの魅力もない姫のところに来るのは、お家に引かれてくる方だと思うから、そんな方と結婚するなら恋なんて知らなくてもいいと思うのよ。」


 意外にしっかり考えているもみじ姫の言葉に二人はビックリしたように顔を見合わせる。

「そんな!もったいなさ過ぎますわ!ひぃ様には幸せになっていただけないと私たち乳姉妹はおちおちお嫁にもいけませんわ!」

 力説する鈴虫に気おされながら、しかし、ありがとうと話を流す。


 そんな時、もみじ姫は何の気なしに庭を見やる。


「あっ!」


 庭の山茶花の影に、花色の水干が見えた。

 水干姿の童はもみじ姫に気付くと、ぱっと笑顔を零し、高欄まで走ってくる。


「まぁまぁ、あの可愛らしい子が、かの童なんですね!」

「あんな可愛い顔で、君ぞ愛しきとか詠みかけるなんて!」

 もみじ姫の言葉に庭を振り返った二人は童を見つけ、きゃあきゃあと騒ぎ出す。


「お姉さん、こんにちは。」

 童は簀子まで下りてきた三人に、小首をちょこりと傾げ、人懐こい笑顔で会釈する。

 昨日とは打って変わって、子供らしさ。

「いやんっ!超かわゆいっ!」

「ほんと、ひぃ様の言葉の通り、春の香りをいち早く告げきたように華々しい。」

 感心する松虫の言葉に童は、可愛らしく首を傾げた。


「ひぃ様?」


 もみじ姫を除く、二人の乳姉妹は童の聞き咎めにぎょっとした。


「いいえ。もみひぃ様と申したのですよ!わたし達女房の間で密かに流行ってる呼び名ですのよ!ねぇすずむひぃ!」

「え、ええ。その通りですわ。まつむひぃお姉様!」

 二人は必死の笑顔で取り繕った。


「鈴虫、松虫というお名前なの?お姉様方。」

 虫と同じ名に童は可笑しそうに笑い、そしてもみじ姫を見やる。


「で、お姉さんはもみじというの?」

「ええ。」

「可愛いね。」

 童はにっこりと魅惑の笑みをもみじ姫に向ける。

 思わず見とれそうになる笑みにぽっと頬を染めつつ、つられてもみじ姫も微笑む。

「あらあら、微笑ましいこと。」

 鈴虫がにやにやともみじ姫の顔を覗き込んだ。

「上がっていらっしゃいな。」

 松虫の言葉に童は大きく頷き、階段に向かって走り出す。


「ほんと、かわゆいっ!」

 鈴虫が童の柔らかい頬をつつく。

 童子は目を細めて、されるがまま。


「春香る君はおいくつ?」

「春香る君って僕のこと?」

 童は目をくりくりさせる。


「ええ。ひぃ…じゃなくてもみじさんが春の香りがするというから。お嫌かしら?」

「いいえ。とても嬉しいです。」

 少しはにかむように微笑む童に乳姉妹二人は胸をキュンとさせる。


「今日もお歌の方を探しにいらしたの?」

「うん。でもよくわからないんだ…。でも、ご主人様はあの箱に入っていた歌の上の句を知っている人がご主人様の恋文の相手だって言ってたんだ!お姉さん、一緒に探してくれる?」


 童は大きく、黒目がちな目をうるうるさせて、もみじ姫の袖を小さく摘んで引っ張る。

 自分より背の低い童に上目使いに見上げられ、もみじ姫は何故だかドキドキしてしまう。


「う、うん。」


 やったぁと喜ぶ童の声と、遠くから衣摺れの音と共に、渡殿を渡ってくる音が重なった。


「もしかして、綾乃様!?」


 乳姉妹二人は事態を察知しぎょっとなるが、状況を知らない童と何も分かってないもみじ姫はぽかんとしている。


「春香の君、どちらかにお隠れになって!今から来るのは多分、中の君様付きの女房頭。とても厳しくてらっしゃるから、あなたのような子どもの存在をお許しにならないはず!」

「さぁ早く!」


 松虫と鈴虫が小声で童をせき立てる。

 童は素早く現状を察知し、頷く。

 もみじ姫だけが取り残されたように、焦って皆をきょろきょろ見ている。


「じゃあここ!」


 童はすぐにいい隠れ場所を見つけたと言わんばかりに笑い、もみじ姫の羽織っている袿の襲ねの中に飛び込み、小さくしゃがみながら、もみじ姫の背にくっついた。


「ひゃあ!」


 まさかのことにビックリしたもみじ姫は身をびくりと震わせた。

 そんなもみじ姫の袴に手を回すように童は更にぎゅっと引っ付き、そして小声で囁く。


「騒いだらバレちゃうよ?」


 バレたら困るのは童も同じはずなのに、どこか童の言葉には面白がっている響きがある。

 どうしてよいかわからず、もみじ姫は言葉に詰まり、しかししかたなく、衣の前をしっかり合わせて童を隠す。

 

 さすがの隠れ場に二人も言葉を切ったが、今更どうしようもない。


「そんなところで、何をしているのですか?」


 静々と袴を捌き、歩いてきた綾乃は三人に気付くと、落ち着きなく自分を見る三人に不審な目を向ける。

「あ、綾乃様!どうなさったんです?今日は一日、北の方様と衣更えの衣のご相談をなさる予定では?」

「ええ、粗方お正月の装いも決まったのだけれど、こちらの対屋の几帳や姫のお衣装は、姫のご意見もお聞きするよう、北の方様が気を使ってくださって…。ですから、こうしてもみじ姫の…。」

「まあ!さすが北の方様!お優しくてらっしゃる!」

「で、ですが、ひぃ様のお好きな色は聞かなくても分かりますわ!それに合う色は私たちで選んだほうがよいと思いますわ!」


 綾乃の言葉に覆いかぶさるように、乳姉妹二人はすごい必死に話をごまかす。


 そんな時、もみじ姫の袿に隠れていた童が、もみじ姫の背を指で優しく撫でた。


「うひゃあ!」


「どうなさったのですか?」

 急に体をびくりとさせたもみじ姫に、綾乃はビックリする。

 しかし、もみじ姫の背では優しい声で小悪魔が囁く。


「静かにしなきゃ!バレたらダメなんでしょう?」


 そう言って、もみじ姫の背に自分の頬を寄せる。


 更に不審な目を向ける綾乃の注意を逸らそうと二人の姉妹は更に饒舌になる。

「ひぃ様に決めさすと日が暮れてしまいます!北の方様をあまりお待たせしてはいけません!」

「いつも、姫と一緒になって遊んでるあなた方の言葉とは思えませんね?まあ、その通りですけど…。」

「だ、だって、私達も年を越したら年をとりますのよ?さすがに一人前の女房として落ち着かなくては!」


 二人の言葉に綾乃はもみじ姫を見やる。

「まあ、意識が高いわね!その言葉、もみじひ…。」

「ひい様もよっくお分かりですわ。だからさあ!早く行きましょう!綾乃様!!」

 半ば強引に二人に押され、さすがの綾乃も驚いた顔をする。

「ひぃ様がご心配ですか?大丈夫ですわ。きっとお部屋でお歌の勉強でもなさるはず!ねえ!」

 鈴虫が勢いよくもみじ姫を振り返る。

「え、ええ…。」

「ですから、綾乃様行きましょう。」 


 二人の急き立てられて、綾乃も困ったように来た道を戻ろうとする。

 さあさあと綾乃を促しながら、鈴虫がちらりともみじ姫を振り返ったり、小さく笑った。


 後はお任せください。

 そんな意図の笑み。


 一人簀子に残されたもみじ姫は事態についていけず、呆然とする。

 そんなもみじ姫の腰を童がぎゅっと強く抱きしめた。


「きゃ、きゃあ!」


「そんな大きな声だすとばれちゃうよ?せっかくあのお姉さんたちが気を利かせてくれたのに…。」


 袿の間から顔を覗かせ、童は聡しい笑みを浮かべる。

 そして、軽く爪先立ちをし、もみじ姫の少し乱せた単に首筋にふっと息を吹きかける。


「な、なに?」


 初めての感覚にもみじ姫はびくっと身を縮込ませ、その拍子に袿がずれ落ちる。

 単に袴姿という、あられもない姿のもみじ姫を悠々とした笑みを浮かべて、童が見つめた。


「ほんとに可愛いな。もみじは。」


 二人の足元には色鮮やかな衣が乱れて広がっている。

 びくりと体を後ろにひいたもみじ姫を逃すまいと童は高欄に手を突き、もみじ姫の退路を絶った。

 先ほどまでの愛らしい童の影は一切なく、今もみじ姫の前で不敵な笑みを浮かべているのは、妖しい魅力の一人の男。


「な、なんで?」


「なんでって、どういうこと?」

 自分の魅力をよく知っている。

 それほどまでに童の洗練された動きに、もみじ姫は言葉に詰まり、頬を真っ赤にした。


「なんでわたしにこんなこと?」


「キモチよかった?」


「そんなこと!」

 さらに赤くなったもみじ姫の頬に手を伸ばし、童はぐっと顔を近づけた。


「ぴっ!」


「本当に可愛い。こんなことされるのも全部初めて?」

「そんなの…決まって…」

「じゃあ、俺が教えてあげる。いろんなことを、もちろん手に触れて。」

「や、やだ!なんで?」


 恥ずかしさにぎゅっと目を瞑るもみじ姫の頬を撫でながら、童はもみじ姫の耳を甘く噛んだ。


「なんでって、好きだからだよ。」

 にっこりと童は微笑む。

「で、でもあなたはご主人様のお歌を届けにきたんでしょう?」

「そうだよ。でも、そんなことどうでもいい。あの日、あなたを見た日から、俺の心はもみじ、君しか見ていないんだ。」


 まっすぐな童の言葉にもみじ姫は腰砕け。

 高欄に背を預けるようにずるずると座り込んでしまう。


「え、ええっ?で、でもわたし、恋ってどんなものか分からないし、それに…。」


「絶対に逃がさない。知らないなら、俺が教えてあげる。俺色に染めてあげるよ。」


 吸い込まれそうな童の瞳は炎を宿したように熱く、もみじ姫を捕らえて離さない。


 そして、しゃがみ込んだもみじ姫の顔を覆うように童の顔が、もみじ姫に重なり―。


 淡い色のもみじ姫の口に、まだ早い春の香りが触れた。



 かくして、春香君ともみじ姫の恋愛ごっっこは始まった。

 しかし、こんなことになるとはさすがのもみじ姫の乳姉妹達も想像だにしなかっただろう。

 

 愛らしい童の姿をした獣。

 優美な笑みの下に下心を隠して、顔も上げられないもみじ姫の耳に甘く囁く。


「何も心配はいらないよ。もみじは安心して、俺に溺れればいいんだ。」

 

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