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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第47章 お願い

「私の側にはいたくないだろ?」 

 

 不敵な笑みを浮かべ、とらえどころのないあの男はそう言った。

 他にいく当てもなく、それでもあの男の側にいることだけは出来そうになかったので、一も二もなく同意した。

 それにどんな意味があるのかも、考えもせず。


「結局、あの男は私を利用することしか考えていないんじゃないかしら?」


 夜も更けたころ、大納言邸の西の対の渡殿、女房達の局があるあたりで、綾乃は一人夜空に目を向けて、ぽつりと呟いた。

 口では離れたくない、君を感じたいと甘い言葉ばかり投げかけてくるが、そのくせ、態度が曖昧で、あれだけ追い詰めておきながら、あっさりと手放すのだ。


「まったく、私も相当の愚か者だわ。あんな男の言葉に従って、ここに留まり続けているんだもの。」

 ため息まじりに吐き出したが、しかし失望はしていない。

 何故、あの男がこの屋敷に綾乃を送り込んだのか。

 その理由が段々見えてきたからだ。

 そして、それは綾乃の大切なものと関係の深いものであることも。


 ―こういうところが、抜け目ないわね。

  

 離れてももみじ姫を守れる場所。それがどんな危険な敵地でも、綾乃にとっては望むべき場所であることを理解している。

 そしてそれは彼の利害とも一致しているのだろう。

 色々と考えを巡らせていると、あの男にしてやったりに利用されている自分が腹立たしくなってくる。

 綾乃はふんっと鼻で笑った。

「それにしても、あの通り名、どうにかならないかしらね。どういう感覚なのよ?」


「そう?僕は君にぴったりだと思うけど?さすらいの愛の伝導士。」

 まさか独り言に対して、返答があるなんて。

 ぎょっとなり振り向いた綾乃の目に映ったのは、月明かりに照らされ、飄々とした笑みを浮かべるいけ好かないあの男。

 普段は着ることもないような安物の狩衣に身を包み、闇に紛れて、綾乃がもたれかかっている高欄の下に立つと、梔子の宮はにこりと微笑んで見せた。

「元気そうでなによりだよ。なかなか会いに来れなくて、君が寂しがってないかと心配でね。」

「ふ、ふざけないで!そんなこと……。」

 感情のままに振り上げた綾乃の手を押し留めるように、梔子の宮は高欄に手をかけると音もなくそれを飛び越えた。

 とんっと軽く着地をすると梔子の宮の思いもしない行動に動揺したまま動けずにいる綾乃の手を取り、軽く口付けをした。

「出来れば、僕だけにその愛を伝えて欲しいのだけど。」

「何をっ!」

 弾かれたように手を払うと、綾乃はにまにまと笑う不届きな男をきっと睨みつけた。

「どういうつもり?こんな時間にここに来るなんて。この屋敷のことなら、貴方に言われた通り逐一手紙にして送ってるでしょ?」

「あ~んな事務的な手紙じゃ、何も分らないでしょ?君のことが。」

 綾乃の怒りを更に助長されると知っていて、梔子の宮はいじわるく笑ってみせる。

「ばっかじゃないの?貴方はただ、私をダシにここに侵入したかっただけでしょ?何よ?そのダサい格好は。女房に元に通う下級の役人にでもばけたつもり?」

「君は本当に冷たいな。危険を犯してでも君に会いに来たとは思ってくれないの?」

「思うわけないでしょ?散々利用するだけ利用して。今日はどんな用件でいらっしゃったのかしら?こちらのお屋敷の御君様のご機嫌伺い?」

 綾乃が腹立たしげにそっぽを向くと、梔子の宮はおかしそうに腹を抱えた。

「君の、その洞察力の鋭さには本当に感服するよ。でも、今日は本当に君に会いに来ただけなんだ。あの日、君が僕の屋敷に来た日から今までちゃんと顔を合わせていなかったからね。」

 ゆっくりと梔子の宮は顔を上げ、真剣な表情で綾乃を見つめた。

「やっと冷静に君と顔を合わせることができるようになった。あのまま君を僕の屋敷に置いておいたら、僕は君をどうするか分らなかったから。」

「馬鹿言わないで。どうされる気もないわ。ちょっと、出家するのが遅くなっただけの話よ。」

 綾乃はそっと視線を反らせた。

 いつもふざけてばかりの男が急にまともな顔をするとどうしていいのか分からななる。

 きっと愛だの恋だの言って迫ってくるのは、その心の奥底に隠している本音を見せないため。

 だからいざ真剣な表情をされると梔子の宮の抱える深い激情をまざまざと見せ付けられ、自分の全てを見透かされた気になる。

「その出家の話から一旦離れられないかな?何で、僕が関ると君はそこまで必死になって逃げようとすのかな?」

 苦笑交じりにため息を吐き、やるせないように梔子の宮は首を振った。

 しかし綾乃がどんな態度を取ろうと、彼女が側にいるという事実だけで梔子の宮は思わず頬が緩んでしまうのか、綾乃に反して嬉しそうに目を細めた。

「何、変な顔をしてるのよ。」

 つんっとそっぽを向いていた綾乃だが、梔子の宮が何も言わずにただにまにまと自分を見つめていることに気付き、不機嫌そうに眉を寄せた。

「ちょっと……ね。」

 綾乃と目が合うと梔子の宮は柔らかく微笑んだ。

「やっぱり可愛いなって思って。」

「何を!」


 反射的に綾乃が手を振り上げた時、遠くから牛車の軋むような音が微かに聞こえた。

 ぎいぎいっと緩やかに進む車輪の音がひっそりと静まり返った大納言邸に響く。

「しっ。」

 綾乃の振り上げた手を掴むと梔子の宮はそのまま綾乃を抱きしめ、別の手で口を塞いだ。

 渡殿の柱にもたれかかり、梔子の宮は綾乃を抱いたまま、東の対の車宿の様子を窺うように顔を覗かせた。

 しかしかがり火で僅かに浮かび上がる柱以外、人の気配すら辺りにはない。

「大納言様がお忍びでお出かけか?しかし大納言が出掛けるにしてはあまりに静かだ。君の手紙では大納言はもっと堂々と出掛けていくとあったし……はて?」

 じっと聞き耳を立てながら、梔子の宮は独り言のように呟いた。

「ねえ、藤波。君はどう思う?って、痛い痛い。」

 口をふさがれ身動きの取れない綾乃は必死に梔子の宮の拘束から離れようと、その腕の中で暴れた。

「静かにしなきゃ。姫君の憧れの女房に男が忍んで来てるなんて、ばれちゃまずいだろ?」

「ばらす気満々でやって来たくせに。なに言ってるのよ。」

「あれ?ばれるようにした方がよかった?ならもっと情熱的に……。」

 梔子の宮はふざけて綾乃の頬に顔を近付けた。

 が、寸でのところで、綾乃の空いた方の手で鳩尾に一発入れられ、そのまま崩れるように床に伏せた。

「痛てて…。本当、君といい春香君といい、全力で構ってくれるから嬉しいね。」

 さてっと言いながら、梔子の宮は腹を摩りながら身を起こした。

 その瞳は闇の中にあって、まるで日の光を受けたかのように爛々と輝いている。

 まるで、この時を待っていたとばかりに梔子の宮は不敵に微笑んだ。

「もしかして、彼が動き出したかな?」

 立ち上がり、何か思案している梔子の宮を綾乃はただ見上げるしかできなかった。

 素早く考えをまとめると、梔子の宮は神妙な顔で自分を見つめる綾乃を安心されるように柔らかく微笑んだ。

「せっかくの逢瀬に邪魔が入ったね。でも寂しがらないで。すぐに会いに来るし、君が望めばいつだって君を奪いに……。」

「私も連れて行って。」

 驚いたように目を見開いた梔子の宮だが、真剣に自分を見つめる綾乃にふと表情を緩めた。

「君はずるいね。君にそんな顔されたら僕が断れないのを知ってて、そういう顔をするんだから。」

「……お願いよ。」

 梔子の宮は話をはぐらかすように肩を竦めたが、綾乃はじっと彼を見つめた。

 

 梔子の宮を頼るなど、そんな選択は自分の中にはないと綾乃は心に決めていた。

 自分が死にかけていても梔子の宮にだけは施されたくないと。

 しかし、今の綾乃はそんな些細な意地を張ることさえ忘れていた。

 何故自分が居心地のよい場所を離れたのか。

 何故、自分が二度と会いたくないと思っていた男の元に足を運んだのか。


 そう――。全てはたった一人の大切な人の為に。


 身を切り裂くような夜気は頭の中までもきりりと凍らせようとする。

 しかし胸のうちは驚くほどに熱い。

 綾乃は更に力を込めて、梔子の宮の裾を掴んだ。


『約束よ。私の代わりに娘を護ってね。この子はただでさえぽやんとしてるから、貴女がいないとどうなるか分からないわ。だからこの子がちゃんと大きくなるまで出家したいなんて言っちゃダメよ?』

 にこりと微笑んで、自分の手を握った人の言葉が綾乃の胸に湧き上がる。

『この子はまだ真っ白なの。何にも染まっていない。だからきっと、私がいなくなればどうしていいか分からなくなる。他の多くの色に戸惑って進めなくなる。だから……導いてあげて。貴女になら出来る。鮮やかな綾のような貴女になら。お願いね?綾乃。』

 今なら分る。

 あの約束はもみじ姫の為ではなく、綾乃のためになされたものであることを。

 あの約束が新たな生きる希望となったことを。

 だからこそ、守りたいのだ。


「私の全てをかけると約束したの。」

「藤波……。」

 涙を堪えるように懇願する綾乃に、もう梔子の宮はふざけることも出来ずに立ち尽くした。

「私を、もみじ姫のところに。」

 

 



 

 


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