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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第41章 嵐の到来

「宮!どういうことですか?」


 宮中に出仕していた梔子の宮の袖を激しく掴んだのは小梅の中将だった。

 普段温厚な彼らしくない、余裕のない表情に梔子の宮は興味深げに片眉を上げた。

「何が……。」

 口を開きかけた梔子の宮を無視して、強張った顔の中将は辺りを見やり、人影のないところに問答無用で引きずっていく。


「嫌だな、小梅君。怖い顔しちゃって。どうって、どういうこと?」

 殿舎の影に押し込まれ、鋭い目で睨みつけてくる中将に梔子の宮はからかうような笑みを浮かべた。

 何も知らないとばかりに口を開くが、その実、全てを知っていることを隠し立てしない不敵な笑みである。

「君ほどの人物がこんな乱暴をするなんて、僕は知らなかったな。」

 いけしゃあしゃあと言ってのけると、梔子の宮は扇を広げた。

 その不遜な態度に中将は苛立たしげに宮の袖から手を離す。

 梔子の宮の退路を絶つように立ちふさがると、中将は声を低くした。

「いい加減にしてください。話が違うじゃないですか。」

「話が違うって、何の話だい?」

 この期に及んでも梔子の宮はのらりくらりと状況を楽しむようにはぐらかす。


「貴方がおっしゃった、恋のヒメゴトですか?もみじを政治的に利用されないように、一度宮中に出仕させるという話ですよ。東宮妃問題や跡継ぎ問題のほとぼりが冷めるまで尚侍として。」

 ヒメゴトの強要者に、中将は冷たい視線を向ける。

 その中将に対して、梔子の宮は今気付いたとでも言いたげにわざとらしく手を打った。

「ああ、そんな話だったかな?そうそう、もみじ姫本人は気付いていないけど、今一番の注目株だからね。彼女の存在が争いの種になる。君の姉の女御が姫宮をお産み申し上げれば、一気に露骨になるだろうね。」

「だから貴方は先手を打った。自分がその争いに巻き込まれないよう、貴方は自分の身の保身のためにもみじの保護を願い出た。他の親王や臣籍に下った方にもみじを利用させないよう守る術として、もみじを公然の貴方の恋人であると噂を流す。そして尚侍という身分で宮中に置き、名実共に手を出させないようにする。そう、貴方でさえも手が出せない状況にだ。」

 淡々とヒメゴトのあらましを確認する中将に、梔子の宮は口を歪めて答える。

 尚侍というのは今上帝の秘書官、内侍所の長官。

 その位は従三位と兄の参議に勝るものになる。

 尚侍は時に今上帝の公然の愛妾の位ともなるが、現在の今上帝ともみじ姫では歳の開きがあり、また姉の女御がいる中では、そのような心配もない。

 もみじ姫を争いから避けるために考えだされた策は、もみじ姫を心から心配する兄の中将にとってこの上ない良策だった。

 しかし、相手がこの梔子の宮でなければ。


 権力争いなど馬鹿馬鹿しい、醜い争いは火の粉のかからない場所で傍観するに限る、そう言いたげに梔子の宮は口を開いた。

「もみじ姫を猫かわいがりしている内大臣家にとって、これほどいい策はないだろ?内大臣様ももみじ姫が争いの渦中に置かれることは望んでいらしゃらないだろうし、僕自身ももみじ姫を得て政界に乗り出す気もない。」

「なら、何故、今ここで東宮妃の話が出てくるんです!」

 

 梔子の宮の言葉を切るように、中将は語気を強くした。


「そんなことをすれば、内々に進めていた尚侍としても出仕準備が東宮妃入内の準備と周りに思われてしまう。このまま尚侍として出仕しても人はもみじを東宮妃候補としか見ない。どうしてくれるんですか!」

「そんなこと言われてもね、勝手気ままに東宮が言ったことまで、僕は責任取れないよ。でも、いいじゃない。東宮妃でも。もみじ姫が争いに巻き込まれないことに変わりないし、もみじ姫ならぼけっとしてても中宮位ぐらい登れるんじゃないかな?」

 ははっと軽く梔子の宮は微笑むが、中将にそんな余裕はない。

 それでもぐっと我慢し、冷静に梔子の宮を見据える。

「またそうやって話をはぐらかそうとされるのですね。――これは、貴方の策略なのではないですか?抜け目ない貴方のことだ。私以外にも他に暗躍されているのではないですか?」

 一歩、梔子の宮に近付くと中将は宮の言葉ではなく、その瞳に宮の真意を見つけようと顔を近づける。

「そんなに熱の篭った瞳で見つめられると、いけない気分になってくるね。」

「宮!」

 悪ふざけな言葉に中将は激昂し、頬に朱が注す。

「ふざけるのも大概に……。」

「別にふざけている訳じゃないんだけどね。どうやら僕の愛情表現は誤解を招きやすいようだ。」

 つかみ掛かりそうな勢いの中将から身を守るように、梔子の宮は体を反らすとため息を吐いた。

「君が僕のことをどう思っているか知らないけど、しかし、僕は君のことも、もみじ姫のことも大変気に入っている。そんな君達を裏切るつもりも、低俗な争いに巻き込むつもりはない。」

「……」

「ただ、僕にはまだ君にも言えないことがあってね。――それこそ恋のヒメゴトかもしれないな。」

 寂しげに眉を寄せると梔子の宮は自虐的に微笑んだ。

 いきなりしおらしくされると、とたんどうしていいか分からず、中将は戸惑ったように言葉を切る。

「宮…。」

「だから心配せずにもみじ姫についていてあげればいい。やきもきするだろうが、それは時間が解決してくれる。でも―そうだね、君の想像と違う形で全てがうまくいくかもしれない。」

「そ、それはどういう意味ですか?」

「ふふっ。もみじ姫自身が争いに巻き込まれる道を選ぶかもしれないだろ?恋に争いはつきもの。世の中、何が起こるか分らない。」

 意味ありげに目配せすると、梔子の宮は中将に背を向けた。

 中将は意味が分からずにその背を追おうとしたが、何度呼びかけても梔子の宮は振り返らない。

 この話はすでに終わったと言いたげにその場を去ってしまった。

 ただ一人残された中将は困惑したまま、遠くなっていく梔子の宮の背を見つめるばかり。


「もみじが自ら争いの道を選ぶ?そんなことある訳ない……」

 妹思いの中将は梔子の宮の残した言葉に反論しようと試み、しかし動揺に言葉を切る。

 今、妹姫の身に何が起きているのだろう。

 自分はどう行動するのがもみじ姫の最善になるのだろうか、反駁した心の問いに答えるものは冷たい冬の風ばかり。

 中将の束帯を揺らし、冷たい板の間を通り抜けていった。





 二人の秘密の共有者が宮中で対峙していたころ、都は三条堀川にある三条の大納言邸では主の大納言と一人の女房が寝殿で向かい合っていた。

 流れる黒髪の美しい、凛とした雰囲気の歳若い女性に、大納言はその気色の美しさにほうっと感嘆し、満足げに頷いた。


「よく来てくれたな、そなたが巷で有名な『嵐を呼ぶ家庭教師』か。」

 とんでもない固有名詞に女性は恥ずかしげに目を伏せたが、まんざらでもなさそうに口を開いた。

「世間ではそのように呼ばれておりますが、私自身は嵐を呼んだりなど大げさなことはできませんわ。ただ――可愛らしい姫君にもっと可愛くなっていただけるよう努力しておりましたら、そのよう噂に。お恥ずかしい。」

「いやいや、そなたの噂の数々、聞いておるぞ。どんな醜女も劇的に変身させ、男がほっておけない女に育てるという。」

「同じ女としてお仕えする姫の幸せのために努力するのは当たり前ですわ。おほほほっ。どんな姫君でも素晴しい姫へと変身させる、私、姫君変革では失敗したことありませんの!」

 大げさなほどにふんぞり返って高笑いをする女性に大納言は感心しっぱなし。

 仰々しい言葉に大納言は心から感激し、拍手を送った。


 ―これで我が家にも春が来る!

 大納言の野心がメラメラと音をたてて燃え盛る。

 父は先の左大臣であるにも関らず、いまいちの位に甘んじていた大納言にもようやっと政権のお鉢が回ってきたのだ。

 勝手に敵意を抱いている内大臣は二の姫の東宮妃話さえ持ち上がっている。

 しかしこのまま簡単に政権の全てを内大臣に渡すつもりは大納言には更々なかった。 

 いずれ自分も大臣の位に登る。

 そのための布石はしてきたつもりだ。

 ―後は娘の成長を待つばかり。今のうちからどの東宮に入内しても恥じない姫に育てておく。なんて完璧な作戦!


 悦に入った大納言はむふっと笑みをこぼした。

「心強い言葉だ。さすが噂になるだけある、まさに『さすらいの愛の伝道師』だ!これならうちの幼い姫も東宮妃になれる。事態がどうなっても我が家は安泰だ。内大臣家などには負けん!」

 上機嫌で内大臣に闘志を燃やす大納言は周りのことなど目に入らないほどに浮かれていた。

 相対する女房はそんな大納言の様子に満足げに口元に歪める。

 出だしは上々。そう言いたげに表情を大層な演技の合間に浮かべた。

 理知的な瞳を意味ありげに煌かせ、自称『さすらいの愛の伝道師』は大納言に向かって拳を握って見せた。

「ふふっ。ぜひ私にお任せ下さいませ、大納言様。どんな姫でも私の敵ではありません。どうぞ、大船に乗ったつもりで安心なさって下さい。――この藤波、この身に代えて大納言様の姫君をお育てしますわ。」



 

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