第37章 秋に添える花
冬ながら芳醇な香りに満ちた九重の更に奥――麗しき美姫達が広げる競演の舞台、後宮。
昭陽舎、別名梨壺と呼ばれる場所で、身分の高い殿上人が東宮を囲んで世間話などをしていた。
都の噂に、大晦日、新年の儀式について、話は当たり障りなくかわされるが、その実、この場にいる公卿達の関心は未来の東宮妃についてである。
まだ元服していないとはいえ、東宮もいい年だ。
そろそろ、妃を迎えては……と皆が切り出そうとしているが、互いに牽制し合っていて、中々言葉に出来ない。
そんな中、他の公卿と違い、さして東宮妃について関心のない内大臣は周りの思惑など考えもせず気楽にぼんやりしていた。
末姫の小君は東宮妃を望んでいるのは知っているが、まだまだ手放したくないのが親心というもの。
中の君、もみじ姫などもっての他である。
他の貴族とどこか考えの違う内大臣は、その無欲さともみじ姫にも似た鈍感さで宮中では誰にで好かれる人であった。
右大臣家の姫の子、という微妙な関係にある東宮の元にも気兼ねなく伺候する。
―最近、もみじに会ってないな~。もうすぐ女御も宿下がりするし、参議も呼んで家族水入らずで花見などするのもいいかな。
先のことに思いを馳せ、ニコニコと微笑む内大臣に側にいた三条の大納言が声をかけた。
「えらくご機嫌ですな、何かいいことでも?」
「いやいや、私ごとですよ。春には花の宴を催したいなと考えておったのです。」
「今から花の宴の計画とは……。さすが、桜の大臣と呼ばれるだけある。」
三条の大納言は扇で口元を隠す。
桜の大臣――ただ単に華やかさだけで、桜と呼ばれている訳ではない。
頭の中が年中春色という、裏の意味があるのだ。
三条の大納言は小ばかにしたように鼻で笑ったが、内大臣はさして気にはしていない。
「内大臣は、桜がお好きなのですか?」
二人の間にそれとなく、口を挟んだのはその場の関心の的である東宮その人であった。
涼やかで、心地よい声は年齢の割りに落ち着いており、聞くものを魅了する。
「特に桜が好きな訳ではないのですが、いつの間にやらそう呼ばれていまして……。むしろ桜は苦手な方なのですが。」
「皆が咲き誇るのを心待ちにする桜が苦手とは、内大臣は変わった方だ。では、貴方はどのような花をお好みで?」
「そうですね~。これ、という花はありませんが、紅い花がいいですね。春の紅梅に、夏の薔薇、冬の雪の下に浮かぶように咲く椿など、どれも素晴しい。」
うんうんと頷く内大臣は花の話をしながら、可愛い子ども達の顔を思い出していた。
梅は中将、薔薇は女御、椿は参議のあだ名である。
「幼い時は素直で可愛かったのに、あっという間に大きくなって、私の手から離れていく。まあ、今でも可愛いことに変わりはありませんがね。」
―だからこそ、もみじにはずっと、側にいてもらいたい。
純真なもみじ姫の笑顔を思い出し、ついつい内大臣は口元を緩めた。
「内大臣が花について詳しいなど初めて知りましたな。」
まさか身近にいる者のことを話しているなど露にも思わない他の公卿達は、内大臣の不思議な、花談義に感心する。
しかし、当の内大臣の頭の中はもみじ姫のことでいっぱいで、人の話など聞いていない。
「では、秋は?」
「え?」
「秋にはどの花を添えましょうか、内大臣。」
御簾の向こうで東宮が扇を広げた。
「花は……思いつきませんな~。東宮様なら、どのような花を添えられますか?」
―もみじは花ではないからな~。花よりも可愛いんだけど。
他の花の名が思い浮かばない内大臣は困ったように微笑み、東宮に問いかけた。
その言葉に東宮は意を得たりと扇をぱちんと鳴らした。
「紅葉を。」
「えっ?」
「真っ赤な紅葉を添えたいですね。」
「もみじ、でありますか。しかし、もみじは花では……。」
「内大臣家のもみじ葉はそれは色鮮やかに染まり、今が見ごろとお聞きしています。ぜひ直にお目にかかりたい。」
その場がざわりと揺れた。