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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
36/75

第35章 月影の邂逅

 

 風もなく、雲もない。

 冴え冴えとした月の光が白銀の上に降り注ぐ。 


 もみじ姫は、刺すような冷たい冬の空気に身を縮めながら、綺紅殿の簀の間で淡く光る庭の木々を見つめていた。

 白き花を咲かす木々が微かに震えて、積もった花びらを散らせる。


 夢の中で、幼いもみじ姫はここに座り、とめどなく降る白雪の中、ただただ涙を流していた。


「忘れてた……ううん。思い出したくなかったの。大切な人がいなくなる瞬間を。」


 高欄に片手をかけ、月影を手で掬うかのように空に向けた。

「あの夢を見せたのはお空にいるお母様?――何故、今だったの?何故……春香君の顔をやっと見れた、今日だったの?」

 答えのない、独り言だった。

 それでもよみがえった悲しい過去に、意味を求めてしまう。

 

 春香との再会は一瞬でしかなかった。

 それでも、あの煌く雪の間に浮かんだ花色の水干を、滑らかな黒髪を振り乱し、一心不乱に自分の方へ駆けて来る幼い姿を、思い出しただけで胸のうちが熱くなる。

 

 ―これはやっと出会えた安心感なのかしら。

  ううん、もっと甘くて、それでいて胸が締め付けられるような……。

  

 熱い高鳴りを上げる胸にそっと手を置く。

 小さく息を吐くと、わずかに夜気に靄がかかった。

 

 ―もし、浮かび上がったつらい過去に意味があるのなら。

  きっとそれは……。


「誰かと別れ別れになることはつらい、とってもつらいわ。でもそれは、一緒にいた日々が素晴しかったから。一緒にいれたことが奇跡だったから―。」


 こんなことに今更気付くなんて。

 庭に目をやると、あの時、真剣な眼差しを自分に向け駆けて来る春香の姿が浮かび上がってくる。

 もみじ姫は空に向けていた手をそっと頬に当てた。


「会いたい……。」


「……俺も…。」

 

 驚きに目を見開く。

 一瞬、白き庭が紅く染まった気がした。

 いきなり降ってきた声の主はもみじ姫の戸惑いなど構わずに後ろからきつく抱きしめる。

 もみじ姫の髪に顔を埋め、熱い吐息が姫の耳元にかかった。


 聞き覚えのある玲瓏でいて、少し子どもっぽい声。

 春に咲き誇る甘い花々ような香り。

 そして、自分を一生懸命に包む細い腕。


 思い当たるのはたった一人。

 ずっと会いたいと願っていたその人。


 もみじ姫の頬が紅く染まり、俄かにうずきだした心臓の音に、全身がこわばったかのように動きを止めた。


「春……く…。」

 上擦る声をあげ、もみじ姫は後ろを振り返った。

「ずるいよ、もみじ。そんな色っぽい顔するなんて。また、君を押し倒したくなるじゃないか。」

「な、何を……。」

「本心だよ。ずっとこうしたいって思ってた。でも、もみじを困らせることはしたくなくて……。だから今夜は遠くからもみじを見ようと思ってた。もみじのいる屋敷だけでも十分だった。」


 春香はもみじ姫の首筋に顔を押しあてたまま、淡々と語る。 

 だが、もみじ姫を抱きしめる腕は未だ固く、束縛して離さない。


「はる……。」

「でも……無理だった。」

 春香はもみじ姫の首筋からそっと顔を離すと、姫の黒髪を手に取りそっと口づけた。

「まるでかぐや姫のように月明かりに立っている姿を見た瞬間に理性が飛んで、気付いたら切なげに眉を寄せるもみじを抱きしめてた。」

 春香はまるでもみじ姫の存在を確かめるかのように、髪に、手に、腕に、口づけを続けていく。


 もみじ姫は戸惑いと驚きに、春香にされるがまま。

 後ろから自分を包み込む腕の温かさに凍っていた体の芯が溶け出し、夜空のように澄んだ瞳が潤んでいく。

 後から後から、その白い頬を伝う雫は青白い光を受け煌いた。


「春香く…ん。」

 絞り出した涙声で愛しい名を呼ぶと、もみじ姫はその場にすとんと座り込んだ。

「よかった……。」

「もみじ。」

 とめどなく溢れる涙をそのままに、もみじ姫は春香の手を自分の頬に当てた。

「よかった。もう、あ、会えないかと思った。」

 泣きじゃくる姿に春香は眉を寄せ、優しくもみじ姫を抱き寄せた。

 小さな体で精一杯にもみじ姫を包み込む。

「泣かないで、もみじ。」

「ひっく…お母様みたいに、二度と会えないんじゃないかって…思ってて。やっと出会えたのに、わたしこけちゃって、気が付いたら春香君もいなくなってて…。」

 もみじ姫は堰を切ったように言葉を続ける。

「わたし、ずっと怖かった。大事な人が増えると、それだけ悲しい別れをしなきゃならないって思ってた。……でも、もう止められないの。春香君を大事だって思う心を。」

「もみじ!」 

 春香はいっそう強くもみじ姫を抱きしめた。

 愛おしさがこみ上げ、おかしくなってしまいそうな自身を抱きしめることで落ち着かせる。

 いつもの余裕の欠片もなく、ただただ、感情のままに腕に力を入れた。

「は、春香君!くるし…。」

 思わず力強さにもみじ姫はびっくりして涙を止めた。

「くっそ!」

 絞り出された声を慰めるようにもみじ姫はその小さな背に手を回した。

「なんでうまくいかないのかな。泣かせたくなくて、悲しませたくなくて、もっともみじを大切に扱おうと思ってたのに。」

「春香君……。」

「いとしすぎて、壊れちゃいそうだ。」

 春香はそっと腕の力を抜き、向かい合ったもみじ姫の頬に手を当てた。

 触れた頬は熱く、清らかな涙で濡れている。


「もみじ……」 

 熱の篭った声で名前を呼ばれて、もみじ姫は体の奥がしびれるように感じた。

 まっすぐに自分を見つめる眼差しに心が蕩けそうになる。


「愛している。もみじ以外目に入らないんだ。」


 そう告げた薄い唇が熱を含んで、もみじ姫の口に触れた。


 

 清かなる月影は変わることなく降り注ぎ、雪花輝く庭には物音一つ響かない。

 重なりあった二つの影だけが青白い光に浮かんで、熱を帯びていた。

 

 

 



 


 



 



 



 

 


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