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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第33章 夜半の再会・中

 「そうやって月ばかり見上げてたら、何か悩み事でもあるのかと心配されますよ?かぐや姫。」


 高欄に手をかけ、研ぎ澄まされた刃のような月を見上げる春香をからかうような声が後ろから聞こえた。

 竹取物語のくだりを持ち出し、月に帰ることを嘆き月ばかり見上げているかぐや姫に春香を喩える。


「月に帰っちゃうんじゃないかと心配になっちゃうね~。何、悩み事なら聞いてやるよ?」

「お前は気楽でいいな。」

 自分に向かって話しかけてくる、単の寝巻き姿の少年を横目で見ると春香は大きくため息をついた。

 そのしぐさが馬鹿にされたように思え、相手の少年は表情をむっとさせる。


 春香よりも年上、年のころは十三、四といったところか。

 髪を一つにまとめた童姿は大人と子どもの境界をさ迷う年頃の、危うげな魅力に満ちている。

 月の光を受けるその少年の顔は春香よりもずっと、匂いたつかぐや姫のような美しさに溢れていた。

 彼をずっと童姿にとどめておきたい、そう思わされる姿だった。


「俺のところに来るなんて。この計画が始まってから一度も近寄ってこなかったじゃないか。ははっ、そんなに俺が恋しかった?俺でよかったら、いつでももみじ姫の代わりになるぜ?」

 その少年は春香の側までくると高欄に背を預けるとにやりと笑みを向ける。

「なっ!」

「あははっ!普段澄ましたお前が取り乱すんだから、宮もそりゃからかいたくなるわ!!もみじ姫の名前が出ただけで顔色が変わる!」

 顔を強張らせる春香の背を少年は大笑いしながらバシバシと叩いた。

「あいつのことは口に出すな。」

「おいおい、何拗ねてるんだよ。ってまあ、好きな人の前でヘマしたくはないな。しかも友達宣言されるし。イイとこなしだしな。ははっ、だせぇ。」

 ずばずばと言い放つ少年に春香は落ち込みを通り越して、怒りを感じた。

「…何で、そこまで知ってるんだ。」

「そりゃ、俺の耳は底なしだぜ。どんな噂も入ってくる。」

「柊か?」

「柊だ。」

 春香は彼の右腕の名を出し、諦めたようにため息を吐いた。

 

 懸命に手を伸ばしても、手に入らない。

 それがこんなにももどかしいなんて。

 正直こんなにもみじ姫の心を手に入れるのに時間がかかるなんて思わなかった。

 なんだって、人以上の才能がある。

 そう言われてきたし、自分でもそう自負している。

 だが、その全てが今回はまったく役にたたない。


 ―悲しいくらいに、いっぱいいっぱいだ。  


 年齢よりも大人びた顔で思いに耽る春香を見つめ、少年は肩を竦める。

 悩ましげに月を見上げ物思いに耽る様は、自信に満ちた少年の顔ではなく恋する大人の男の顔のように少年の目には映った。


「いつまでも落ち込むなよ!むしろもみじ姫の方が可哀想じゃないか。階段から飛び落ちるとか、あの年ではあれはきつい。」

「…もみじが落ちたの、俺を見つけて駆け出したからだし…。」

「よかったじゃないか。お前の方に駆け出したんだろ?」

「喜んで駆けつけた訳じゃないよ。…こっち来る前にあいつと顔寄せてなんか話してたし。それに最後に会った時色々あって泣かせたし…。」

 段々春香の声が小さくなっていく。

「おいおい、何消極的になってんだよ。初めからお前は何も持っちゃいないんだ。素のままの体当たりしかもみじ姫を落とす方法はないんだろ?友達だって言われて、一度だって好きとか言われてないのに、一丁前に失うこと怯えてんじゃねぇよ。手に入ってもないのに、うじうじと。お前らしくない!」

 少年が懸命に慰めようとしてくれているのだろうが、何故だかそこはかとなく腹立たしさを感じる。

 

 春香はふんと少年から顔を背けた。

 彼の言い分はよく分かる。

 まだ何も手に入っていないのに、嘆くなど馬鹿らしいことだ。

 それに―…、口ではああ言っていたが、御簾を上げてこちらに駆けてくる時のもみじ姫の笑顔に何かしら期待せずにはいられないのも事実だ。

 

 ふと、視線を空に向けた。

 薄く、闇に消えそうな月が、それでも変わらずに清らかな光を降り注いでいる。


 ―もみじ、あの月のように、君の心は頼りなげだよ。


 でも、どんな形でも、光を降り注いでくれるなら――。


「ちょっと弱気にもなるってもんだよ。――これから全力でぶつかっていくんだから、今のうちに十分弱気を出しておかないと。」

 少し照れたような言い草に、素直じゃないなと思いながらも少年は口には出さなかった。

「おう。それがお前だ。早くしてくれよ、俺もいつまでもこのままは嫌なんだ。」

「ふぅん。気に入ってるのかと思ってた。」

「冗談!俺は窮屈なのは似合わないの。お前がもみじ姫を手に入れないと、俺はここから解放されないんだぜ?さっさとなんとかしろ!」

 肩を竦める少年に春香は、口の端をゆがめるように笑みを浮かべた。

 そしてすくりと立ち上がると、見下すように少年を見る。

「すぐに楽にしてやるよ?俺を誰だと思ってるんだ?」

「ただの子どものくせに、でかい態度だな、おい。」

 そんな少年の軽口には答えず、春香は少年に背を向け歩き出した。

「どこ行くんだ?」

 しかし春香は少年の問いには答えない。

 背を向けたまま、ひらひらと手を振った。

 その小さな背はさっきよりも数段大きく少年の目に映った。


「けっ!格好つけてんじゃねぇよ。」

 高欄に腕を乗せ目だけで春香を送ると、少年はふっと笑みをこぼした。

「ガキのくせに。」


 年端もいかない子どもの癖に、腹立たしいほどに聡しい。

 そんな彼がわき目も振らずに、届かない花を目指している。

 だから…。


 ―もっと必死に、泥だらけになってでも追いかけてみろよ。澄ましてるだけじゃ手に入らないんだろ?


 薄い月の光の下、見えなくなった春香の背に少年は話しかけた。


「期限はもう差し迫っている。なあ、見てるだけじゃ手に入らないぜ?もっと必死になれよ。じゃないと、面白くない。―――お前がぼやぼやしてると、その花、俺がもらっちゃうぜ?」



 月はどこにいても変わらずにあり続け、変わらずにその美しい光を振らせ続ける。

 月は変わらない。

 ただ、受け取る側の人の心が月の光に色をつける。


 青白く輝く月影に綾乃の心はさざ波たった。

 その動きに合わせるように格子模様の影がその光に合わせて揺れる。


「あんたと…こんな茶番をしに来たわけじゃなくてよ!」


 自分の髪を愛しげに掴む男につられそうになる自分に叱咤し、綾乃は声を厳しくした。

 そう、二度と会わないと心に決めていた男の元に自分から足を運んだのには訳がある。


 ―もみじ姫。

 

 自分の命を賭けた誓いよりも大事な存在。

 それを守るためなら、どんな苦労も甘んじよう。


 蒸し返したくない過去の幻影を前に綾乃は暗い感情を打ち払うように被りを振り、ごくりと唾を飲むと感情の波を鎮めた。


「私が来たのは貴方と話をつけるためよ。ねぇ、春香の君が姫の元に来た時から貴方の計画だったんでしょ?」

「ああ。実に思い通りの展開になってくれた。」

 無表情を必死に取り繕う綾乃とのんびりと余裕ありげに微笑む梔子の宮。

「帥の宮、貴方の思惑通りに全てが動いてさぞご満足でしょ?でも、私はそう簡単に貴方の思い通りに動くつもりはない。」

「もちろん、君はそうでないと。ふふ…でもそうだね、後は貴方なんて他人行儀に呼ばずにいつもみたく背(お兄様)と呼んでくれたら思惑どお…。」

「一度だって呼んだことないでしょ!!!」

 梔子の宮のからかうような口ぶりに綾乃は思わず激昂する。

 それが梔子の宮の思惑なのだが、はたとそれに気付くと綾乃は舌打ちでもするような表情で顔を背けた。

 怒りで頬を紅くする綾乃を見つめ、梔子の宮は頬を染めて喜び打ち震える。

「可愛いな~藤波は。」

「しつこい!!」


 梔子の宮にからかわれて、話が綾乃の思いとは裏腹にあらぬ方に進んでいく。

 ―いけない。うかつに受け答えしてたら、この男の思うつぼだわ!

 腹立たしさにすかした横顔を張り倒したくなるが、それこそ梔子の宮の思うつぼだ。

 綾乃は、歯を食いしばり、必死に怒りを静める。


「…もみじ姫に二度と関らないでいただきたいの。」

「それは無理だ。」

 あっけらかんと言い放つと、梔子の宮は綾乃が投げた扇を広げた。

「だって、もみじ姫は見ていてあきないからね。それにもみじ姫の側にはもれなく君と春香がついてくる。手放すわけにはいかないだろ?」

 ねっと、扇の陰で笑みを浮かべる。

「春香の君は貴方の文使いでしょ?」

「そうだが、なかなかわがままな子でね、私のお使いも気分次第なんだ。それなのに、もみじ姫のところには言わなくても毎日通っている。実に寂しいね~。」

「どういう文使いよ…。」

「ふふ…まあ、自分の思い人にかける熱い情熱は私にも分らない訳じゃない。私だって藤波の気を引こうと…。」


「貴方、もみじ姫狙いなんじゃなかったの?」 

 綾乃は不審そうに首を傾げた。

 今の話では、梔子の宮は春香の行動を全面的に応援しているように聞こえる。

「すっぱり私の話を無視して話し出すなんて、君と春香君だけじゃないかな?そういえば、ちょっと似てる気がするね。思わずからかいたくなる一途さとか…。」

「今日の一件も春香の君に対する嫌がらせだったの?うちのもみじ姫をだしにするなんて…。どんだけ歪んでるのよ。…貴方にからかわれる春香の君が可哀想でならないわ。…いえ、貴方と知り合いになってしまった春香の君の人生がいたたまれない。関らない人生もあったのに。」

「ひどいな~。でも、藤波、私は君と出会えて…。」


 ぐだぐだ泣き言のように愛を囁く梔子の宮を無視しながら、綾乃の頭は目まぐるしく動いていた。

 自分の考えていた筋書きと梔子の宮の言葉に誤差を感じる。


 ―やっぱり、この男に政治的な思惑なんてないってこと?

  ただ春香の君の片思いを成就させる手伝いをしているだけ?


 童とはいえ、文使いなどということをしているなら春香の身分も知れている。

 しかし梔子の宮が後見につけば、もみじ姫の婿に名乗りをあげることもできなくはない。

 だが…。


 不自然浮かびだした春香という存在に、今まで当てはめていた他の存在まで散らばりだす。


 ―なにか、見過ごしているのかしら?

  それにこの男がわざわざ動くなんて。


「貴方、何故もみじ姫に関ってくるの?春香の君は何者?」

 何物をも逃すまいとする厳しい表情を自分に向けてくる綾乃に梔子の宮は苦笑するように肩を竦めた。

「君の無視っぷりには清々しさを感じずにはいられないな。春香君ももう少し反応してくれるよ?」

「答えたくないって訳?」

「知りたい?なら、帳台で…。」 

 ふざけるように笑みを向ける梔子の宮をじっと睨みつけ、綾乃は間髪いれずに言い放つ。

「そうやってごまかすの、貴方のいつもの手よね?―でも、いつまでも貴方の思惑通りにはいかないわよ。」


 真剣に自分を見つめる綾乃をじっと見つめ、梔子の宮は黙り込んだ。

 扇で隠されて、綾乃にはその表情を読み取ることはできない。

 しばしの間、二人の間に流れるのは薄い月影だけとなった。

 ぴんと張り詰めた冬の空気は、まるで緊張感のように二人を包む。


「ほんと。君の、そういう頭の冴えているとこ、大好きだよ。」

 沈黙を破ったのは梔子の宮。

 扇を下し、空に呟くように答える。

「まだ、ふざけるか!」

「ふざけてない。君の質問に答えたんだよ。」

「は?」

 淡々と答える梔子の宮。

 その表情はどこか切なげに見える。

 対する綾乃はその言葉の意味が理解できず、眉を寄せるしかできない。

「―もみじ姫に関るなって言われても、君がそこにいるんだから仕方ないじゃないか。都中探しても見つからない。やっと見つけた君がそこにいるんだ。どんな手を使っても手に入れたいって思うのは当たり前じゃないか。」

 ははっと微笑む表情は何故だか苦しげで、月影がうっすらと照らすその顔は、なんでそんな簡単なことも分らないのかと言いたげに綾乃の瞳に映った。

「分らないわ。何故そこまで私に執着するのか…。もう何年も前のことじゃない。嫌がらせにしても時効でしょ?」

「時間なんて関係ないよ。」

 驚きと戸惑いを浮かべるその頬に梔子の宮はそっと手を伸ばした。

 理解できないと強張らせる表情がいとおしく思えてたまらない。

 しかしびくりと身を引く綾乃を見て手を止め、何かを耐えるように俯いた。


「ふふっ…、嫌がらせでもしないと君は忘れようとする。だから、忘れないように君の心の奥底に刻みつけておかなきゃいけないだろ?」


 

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