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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第32章 夜半の再会・上

「とりあえず、今日はうちの姫にえらいことしてくれやがりましたわね。殴り倒さないと気がすまない心持ちですのよ。」


 湧き上がる感情を必死に押しとどめ、綾乃は闇に浮かぶ端正な顔を射るように睨みつけた。

 冷静を心がけながらも、心の奥底からにじみ出る鈍い感情に体が震える。

 しかし、相対する梔子の宮はそんな綾乃を満足げに見下ろした。

 その口元には笑みさえ浮かんでいる。


「君に殴られるかと思っただけで、体中の血が沸き立つよ。さあ、遠慮せずにどうぞ。君に激しく触れられるかと思うと歓喜に打ち震える思いだ。」

「…ふざけてんじゃないわよ、この変態が!」

「澄ました君の横顔も好きだけれど、やっぱり怒った顔が一番愛らしい。」

 冷静を心がけた綾乃の表情は余裕なく強張っていく。

 梔子の宮が一歩綾乃の方に近寄る。

 風もないのに、灯台の火が揺れた。

 能面のような梔子の宮の顔が火に照らされ、刻々とその色合いを変えた。


「美しいな。いつもの女房装束もいいが、狩衣というのもそそられる。―背徳的な気分だ。」

 

 綾乃の体がびくりと動く。

 何故だろう。知っているはずの男がまったく知らない別の男に思えて恐ろしい。

 にやりと口元を歪めた梔子の宮は今まで見たこともないほど優美で、艶やかな、そして極上の悪意が篭った笑みを浮かべた。


「ふふっ…もっと、いろんな顔を見せて欲しいな。そう――夜は長い。」


 母屋の空気が一瞬にして凍りついた。

 綾乃は身を強張らせ、距離をとるように立ち上がる。

 また一歩梔子の宮が綾乃に足を向ける。

 押されるように綾乃は一歩後ずさった。


「…あんたは変わらないのね…。」

 梔子の宮の雰囲気に負けぬように、綾乃はきっと睨みつける。

「ああ、変わらずに君を愛しているよ。」

「そんな馬鹿げた話、誰も聞きたくありませんわ。」

「そうだね、私達二人の睦言を他の誰にも聞かせたくない。その気持ちは私も十分分るよ。」

「…あんたの思考回路はどうなってんの……。」

 手を広げ、梔子の宮はその手に握った扇で寝台である帳台を指す。

「知りたい?じゃあ、帳台の中で君にだけ私の全てを見せてあげるよ。もちろん一糸まとわぬ姿で―…ブフッ!」


 その顔に綾乃の持っていた扇が勢いよくぶつかった。

 怒りを露にし、綾乃は肩で息をする。

 梔子の宮は肩を竦め、床に落ちた扇を拾った。


 ―この男はいつだってそう。

  のらりくらりと人の話をかわし、人を小馬鹿にしたように笑う。


「いい加減にしなさいよ!あんたっていつもそう。そうやって、人を見下して、馬鹿にして…。ふざけるのも体外にしなさい!でないと…。」

「でないと?」

 また一歩綾乃に近付く梔子の宮。

 その表情はまるで獲物追い詰めた獣のように、恍惚としている。

 避けるように綾乃は距離をとったが、閉じられた格子にぶつかり行く手を阻まれた。

「くっ!」

 逃げる先がない。

 綾乃は唇をかみ締め、近付く梔子の宮を見つめる。

 ゆっくりと時間を楽しむように梔子の宮は手の届く距離まで近付く。


「藤波…。」

 感傷に満ちた声でそう呟くと梔子の宮はその場に膝をついた。

 彼の行動に綾乃は眉をひそめる。

 綾乃の表情になど構わず、梔子の宮は綾乃の狩衣の袖の裾を掴んだ。

「な、何?」

 その手を振りほどこうと綾乃は身じろぎするが、梔子の宮は一向に構わず、その裾を自分の口元に持っていく。

 そっと篠青の衣に口付けをする。

 まるで愛しい人に触れるように、丁寧に情感を込めたその挙動に綾乃は動けない。

 ゆっくりと裾から口を離し、顔を上げた梔子の宮は熱の篭った瞳で綾乃を見上げた。

「どれだけ離れていようと、どれだけ君の名が変わろうと、私の思いは変わらない。この気持ちをなかったことになどできないのだ。」

「…。」

「ああ…だから、いくらでも嫌ってくれていい。むしろ憎んでほしい。君が私を忘れさえいなければ、私はどんな感情であろうと君に思われているだけで幸せなのだから。私だけの愛しい人。」

「何を言って…。」

「君は私の太陽。君なくして、私はありえない。君も分っているだろう。それなのに、いつもつれない顔をする。ふふ…まあ、そんな強気なところも愛しいのだが…。」

 切なげに眉を寄せ、もう一度裾に口を付ける。


「ふざけてんじゃ…ない…。」

 梔子の宮から袖を奪うように綾乃は身をねじった。 

 心臓が早鐘を打つ。

 身が裂けそうなほど、体中が凍りついたように痛い。

 勢いをつけすぎた所為か、烏帽子が落ち、艶やかな黒髪がぬばたまの夜に舞った。

 格子からはささやかな月影が降り注ぎ、床に広がる。


 綾乃の黒髪を一房手に取り、梔子の宮は頬を寄せた。

 冬の寒気に冷えた髪が、凛とした彼女のようで更に愛しさがこみ上げる。


「逃がさないよ。やっと君に触れられたのだから…。」

 


 

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