第22章 信じる理由
かなり間が開きましたが、また変わらず読んでいただけたらと思います!今のとこ、もみじも春香もうじうじして中々話が進まなくて困ってます^^;
―早く、引き離さねば…。
綾乃は素早く衣の裾を翻した。
「あの…梔子君さんはここで何をされているのですか?」
もみじ姫は自分の期待で胸が高鳴るのを感じた。
もし彼がもみじ姫の思う人であれば…それは春香の主人である。
「ん?美しい庭を楽しんでいたのですよ。そしたら…こんな愛らしい方にお目にかかられた。フフッ、この出会いに感謝しなければ…。」
のらりくらりと答えつつも梔子宮は優しげな目を細め、高欄に置いたもみじ姫の手にそっと自分の手を重ねる。
「えっ!」
「ああ、失礼。寒さに凍えた手が日だまりのような暖かさを求めてしまって…。」
「まぁ寒いのですか?えっと…火鉢を…。」
いきなりのことに驚きながらも、そこはもみじ姫。言葉通りにしか捉えず、本気で心配する。
しかし抜け目ない梔子宮は更にもみじ姫の手を強く握ってくる。
「火鉢なんて、貴女のか細い手に運こばせるわけにいかない。だから…もう少し、このまま…。」
梔子宮の目が深くなる。
―ど、どうしよう。
流石のもみじ姫もこの状況は変なのではないかと思いついたが、手を振り払うのは失礼だなと焦りつつも、のんびりとしか見えない様子で思案した。
梔子宮は構わず、よりもみじ姫の心を乱すように自らの口をもみじ姫の手に持ってゆく。
滑らかなその一連の流れに、もみじ姫もドキリと心を乱す。
―や、やっぱり春香君のご主人様だわ!
手を引きたくても押さえつけられ、もみじ姫の混乱は深くなる。
後少し―。
もみじ姫の反応を楽しむようにゆっくりと近付く梔子宮の口がもみじ姫の甲に触れそうになりー。
もみじ姫は真っ赤になって動揺した。
―こんなこと、春香君以外の人と!
もみじ姫の心の臓が早鐘を打つ。
熱くなった瞼にぼんやり春香の姿が浮かぶ。
―何故…。春香君が浮かぶんだろう?
梔子宮の顔はすぐ近くまで来ている。
―ダメ!!
もみじ姫は懸命に手を払った。
パシッ―!!
勢いよく上がった手が、もみじ姫の意図せぬ動きを取り、梔子宮の頬を打った。
「おやおや、惜しいところだったのに。」
いけしゃあしゃあと微笑むと梔子宮は頬に手を当て、肩を竦めた。
何時までも収まらない心臓の音を落ち着かせるようにもみじ姫は大きく息を吸うと、梔子宮を警戒しながらも正面から見据えた。
「…何で、こんなこと…す、するんですか!」
不安げであるのに、真っ直ぐ自分を見つめるもみじ姫を興味深げにその瞳に捕らえると、梔子宮は扇を広げた。
「ふふっ。何故と聞かれると答えにくいな。ただ、神話の時代から男は美しい姫を前に口説かずにはいられない。それが性というものかな?」
「?」
「貴女には分らないですか?男は女性を見れば本気じゃなくても愛を囁くものなのですよ?」
優しげに不敵な笑みを浮かべる梔子宮。
衝撃を受けたように目を見開いて黙るもみじ姫。
もみじ姫を試すように、じっくりと間を置く。
―誰にだって簡単に愛を囁くのが男の人なの?じゃあ、春香君も?
ズシリッと重たい感情が胸を貫く。
「特に貴女は内大臣家の大切なお姫様。口説かない男はいないんじゃないですか?」
意地悪な科白が春香の甘い言葉を思い出させる。
―わたしをドギマギさせるあの言葉も、全部本気じゃなかったのかしら?
どうしてだろうか。
もみじ姫の心は目の前の梔子宮よりも遠い春香に向いていた。
―分らない。
…あんな風に春香君を傷つけたのに、今、春香君が本気じゃないかもって考えると、心が不安で仕方ないなんて。
もみじ姫は心に立つさざ波に流されそうな自分を懸命に奮い立たせた。
深刻な表情で胸の前でぎゅっと手を握るもみじ姫を梔子宮は、哀れむように見つめる。
「こんな風に男が迫ってくるのは初めてですか?では、覚えておいたほうがいい。男は皆、獣なんですよ。濃い香りと甘い言葉で近付いて、何時でも女性の隙を窺っている。」
「…。」
「その香りが濃ければ濃いほど、その言葉が甘ければ甘いほど、男はその影により大きな下心を隠している。貴女のように何も知らない初な方ほど、騙しやすいものはない。手で触れるだけで熱を宿してくれる。」
扇で顔を半分隠している梔子宮の表情はもみじ姫には分らなかった。
ただ、冷たく言い放たれた言葉に、それが真実なのだろうと思った。
春香の言葉は何時でも甘くて、何時でももみじ姫の心をかき乱す。
―本心じゃないなら…あの涙は何なのかしら?
あの月夜の下で見た春香は、彼らしくないほど子どもで、あの真剣な眼差しがいつも余裕の表情を浮かべる春香の偽りない姿だった。
そんな春香が浮かべていた小さな雫。
月影を受け、キラリと輝いたあの小さな珠は偽りなどではけしてない。
黙りこくったもみじ姫をじっと見つめながら、梔子宮は淡々とした言い放つ。
「もし、あなたの側にそのような男がいるならば信用せぬことですね。これは、老婆心ながら美しい姫に御進言しますよ。」
ドクン―。
もみじ姫の心が大きく跳ねた。
「それは…無理かもしれません。」
思わず出た科白にもみじ姫が一番驚いた。
でも、それがあの春香の涙に対するもみじ姫の答えだった。
―嘘だなんて思えない。
いいえ、思いたくないのだわ。
春香は何時でも甘い言葉をくれた。
―もし、それが嘘偽りでも…。
わたしにとっては真実なの。
春香の甘美な夢にどっぷり浸かって抜けれなくなっているのだ。
―この夢の中では、春香君のどの言葉もわたしを熱くさせる。
梔子宮は無表情にもみじ姫を見つめる。
「それは…どういう意味でしょうか?姫にはそのような方がいらっしゃるのですか?」
深い瞳が鋭く光った。
「えっと。あの、たいした意味はないんです!」
慌てて恥ずかしそうに頬を染める。
「ただ…甘い科白に初めはドキドキしても嘘で囁かれた言葉はすぐに分るような気がするんですの。本気で囁かれる愛の言葉はとても熱が篭っているから。嘘も本気も同じ熱しか篭っていないのは多分悲しいことです。」
もみじ姫はたどたどしく微笑んだ。
「あの、梔子君さんは本気の方とそうでない方、同じように愛を囁かれるのですか?」
「…。」
「多分どんなに器用な方でもそんなこと出来ようありませんわ。」
屈託のない笑み。
もみじ姫らしいその感覚は、早春の光のように心地よい。
「フフッ。まさかそう返されるとはね。」
「あっ、せっかく助言くださったのに、失礼なこと言ってすいません。でも、あの…。」
慌てふためくもみじ姫に、梔子宮は優しく微笑んだ。
「芯の強い方なのですね、竜田姫は。」
「はい?竜田姫?」
もみじ姫は目をぱちくりさせた。
「秋の竜田姫、噂に違わぬ美しい方だ。無礼をお許しください。」
恭しく頭を下げる梔子君に、もみじ姫は驚く。
「ぶ、無礼なんて、こちらこそ色々教えていただいて…。」
慌てて頭を下げたもみじ姫は勢いよく高欄に頭をぶつける。
「痛いっ!!」
と声を上げつつ、恥ずかしさに頬を今までで一番真っ赤にし、涙目になる。
そのどこまでもしまらない姫に、梔子宮は扇の陰で笑いを堪えた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい!」
もみじ姫は消え入りそうな声で答える。
その様子がまたなんともおかしく、梔子宮の笑いを誘う。
―これはいじめたくなるな。カレの気持ちが分る。しかし…。
「姫…私は…。」
梔子宮は更なる混乱を引き起こそうと口を開いた。
その時、二人を割くように鈴虫のキンキンした声が響いた。
「ひぃ様!何してるんですか?この只ならぬ空気は何!?」
バタバタと簀をかけて来ると、もみじ姫と梔子宮の間に入る。
「何で、ひぃ様はこんなとこでぼんやり知らない方と見詰め合ってるんですか!こんなだから私たちが綾乃様に怒られるんですよ!」
主人に対して、勝手な言い分を押し付けると鈴虫はキッと梔子宮を睨んだ。
「どっから入られたか知りませんけど、こちらの方はこんなのでもそう簡単にお目どおりかなう方ではないんですのよ!」
「こんなのって…。」
もみじ姫は鈴虫の科白に引っかかりを覚えたが、当の本人はそれも無視して話を進める。
「とりあえず、ひぃ様!早く奥に引っ込んで下さい!」
「あ、でも、鈴虫。あのね…。」
「でももだってもありません!ひぃ様は黙っといて下さい!」
二人のやり取りを面白げに見つめていた梔子宮はパチンと扇を鳴らした。
「楽しい方たちですね。いつまでもこのやり取りを見ていたいが、どうやら女房殿が厳しいようだ。私は退散するとそいようかな?」
クスクス笑われて、鈴虫も恥ずかしそうにするが、しかし、そこは内大臣家の女房。
胸を張って主人を守る。
「どちら様か存じませんが、今後勝手にうちのひぃ様に近付かないで下さいね!」
「おやおや、厳しいお言葉。しかし勝手ではなければ、近付いてよいと許可をいただいたと思ってよいかな?」
「はい?」
鈴虫が不審げな顔をする。
「フフッ。竜田姫、またお会いしましょう。私は貴女に興味が尽きない。」
「えと…お待ちしてます。」
不敵に笑う梔子宮にもみじ姫はにこりと笑った。
「ちょとひぃ様!」
鈴虫は驚いたようにもみじ姫の袿を引っ張った。
「だって、好きな方を探しにここにいらっしゃったのでしょう?
花散れじれに見る影もなし。
意中の方を探すお手伝い、させて下さい。」
もみじ姫の言葉に梔子宮は口を歪ませて微笑んだ。