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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
20/75

第19章 月下の兎 上

「はぁ〜。」

 

 思わせぶりに深く息をついた春香を側にいた梔子の宮がおもしろくなさげに見やる。


「大層な恋患いだね。」

 対する春香は意味ありげに口元を上げると、横目で梔子の宮を見た。

「まぁね。会う度に恋しさが増すんだ。」

「それはそれは!意中の方をうまく誑かしている人は言うことが違うね〜。」

「誑かしているとは人聞きの悪い。自分がうまくいかないからって俺に当たるなよ!」


 嫌みを言う梔子の宮に春香は肩をすくめた。


「べつに〜当たってませんよ〜だ!ただあの秘め事を忘れてもらっては困るな。そしてそのために私も尽力しつるってことも。」

 そう言いながら宮は扇で口元を隠し、そっぽを向く。

「私がいるから君は姫に会えるんだよ?」

「あ〜はいはい。感謝してますよ。」

 すねる梔子の宮を相手にしない春香。

「気持ちがこもってない!」

 梔子の宮は悔しげに春香を見やる。

「まぁまぁすねるなよ。こっちがうまくいけば、自ずとそっちもうまくいくんじゃない?それに今のところ、怖いくらい調子よく進んでいるんだ。」

 自信ありげに笑う春香を梔子の宮は渋い顔で見つめた。


「なんでそんなに自信を持てるのかね?いつか足元を掬われるよ。」

「杞憂な心配をありがとう。でも俺は掬われる気はないんでね。それに…俺には切り札があるんだ。」

「切り札?」

 不思議そうに聞き返した梔子の宮に答えず、春香は自信に溢れた不敵な笑みを浮かべる。

「さて今宵も秘密の逢瀬に行こうかな?」

 立ち上がり、御簾を開ける春香の後ろで梔子の宮は顎をしゃくった。


「ふむっ、どこまでも自分が完璧と思っているのだな。」


「ん?なんか言ったか?」

「いやいや、何も。」

 何かを思いついたのか、梔子の宮は自分に背を向ける春香を見つめ、口元に浮かんだ忍び笑いをそっと扇で隠した。




 冬の凛とした空気を震わすように、雅な楽が内大臣邸に響いた。

 新年の宴に向けて、楽を合わせているのだ。

 都中の若い公達が集まり、いつになく内大臣邸は賑やか。


 皆、御簾の奥にいる美しい姫に一目会えはしないかと心を弾ませている。

 もちろんかの侍従の君もその一人。

 少しでも自分の笛がもみじ姫に届けばと、いつになく真剣。


 しかし、その意中の人はそんなこと露にも知らず、綺紅殿で一人ぼけっとしていた。

 楽の後は決まって飲み会になる。

 そのために綾乃や松虫、鈴虫は借り出されてしまい、周りには誰もいなかった。

 

 遠くから聞こえる美しい演奏に耳を傾けながら、もみじ姫は簀の間の高欄に肘をつき冬の闇夜に浮かぶ大輪の月華を眺めていた。


「月にウサギが住んでいるって本当かしら?あんなに眩しく輝いている月に住むのは大変でしょうね。」


 一人変なことに感心している。


「ふふっ。遠い月のウサギの心配をしてるなんて、もみじぐらいじゃない?」

「は、春香君!」


 急に声がかかったことに驚き、もみじ姫は庭の影を見やる。

 がさがさっと音がし、暗闇から現れた春香に優しい月影が降り注ぐ。

 青白い月に照らされた春香は日の下と違い、どこか妖艶で、冬の冷たい空気と相まって幻想的に見えた。

 春香の違う一面に気付かされたように、もみじ姫は冬月に漂う春の香りに吸い込まれる。


「な、なんで?」

 もみじ姫は驚き、思わず出た呟きに春香は魅惑的な笑みを浮かべた。

「なんで?さぁなんでだろうね?会いたいと望みすぎたからかな?体から心が離れ、気がついたらもみじの側にいたんだ。」

「ええっ!体から離れたの!だ、大丈夫?」

 春香の口説き文句に、真剣に答えるもみじ姫。


「ははっ。冗談だよ。会いたいから、忍んで来たんだ。」

「冗談…よかった。戻らなかったらどうしようかと思ったから。」

「心配してくれてありがとう。もみじは優しいね。」

 

 春香は微笑し、簀の上のもみじ姫を仰ぎ見た。

 そしてもみじ姫に向かって、手を伸ばす。

 しかしもみじ姫のいる簀の間は高く、春香の背では高欄の向こうのもみじ姫に触れることも叶わない。

 頑張って背伸びをする春香に答えるようにもみじ姫も高欄にかけていた手をおずおずと春香の方に向けた。


 指と指が微かに触れて、冷たい手に確かな感覚が広がる。

 見えているのに繋がらない。

 そんな不安定な距離感。

 それはまるで今の二人のようで…。


「は、春香君。あのね…。」

 もみじ姫はくすぐったい感覚に手を引っ込め、顔を赤らめながら春香から顔を背けた。

 しかし春香は少しばかり触れた手を胸の前で、ぎゅっと握りしめながら、切なそうな顔をする。


「やっぱり届かないか。少し背が伸びたと思ったのに。」

「春香君…。」

「へへっ。残念。もっとしっかりもみじの手が握れたら、このままさらって行こうと思ったのに。」

「春香君!何言ってんの!そんな冗談…。」

 もみじ姫は顔から火が出るほど真っ赤になり、目を潤ませる。


「冗談じゃないよ。今度は本気!俺は今日ここに来て宴の練習とは裏腹に美しい姫君の心を得ようと躍起になってる馬鹿な男達のように正当法では勝負できないんだ。せめて同じ舞台に上がれたら、もっと本気出して意中の姫を口説けるのに。」

 

 悔しげに言う春香にもみじ姫は顔を赤らめる以外にできない。

 意中の姫とは自分のことであるのは、どんなにもみじ姫がぼけっとしていても今までの春香の行動から分る。

 それを正面切って、清々堂々言われるとより事実として気付かされた気になる。

 しかし、裏技でここまでもみじ姫を翻弄しているはずの春香が、今更正当法もないのではと思ってみたり。

 今までのではまだ満足できないと言う、どこまでも貪欲な春香。


「あの、十分だと思うけど。」

 照れたままもみじ姫は言った。

「何が?」

「その、春香君の気持ちは十分…どころか十分以上に分かるというか、分かりすぎというか、もう少し抑え目でお願いしたいくらいで。」

 もみじ姫の言葉に心外だとばかりに春香は目をくりくりさせる。


「十分?その割には手応えがないんだよね。一度も気持ち聞けてないし。」

 意地悪な笑顔を向けられ、もみじ姫は返答に困った。

「えっと、それは!」

「それは?」

 楽しそうに春香は首を傾げる。


「もう!春香君のイジワル!わ、わたしはまだ、好きとかその…。」

 いっぱいいっぱいなもみじ姫は、どんな顔を春香に向ければよいか分からず、袖で顔を隠した。

「ごめん、ごめん。もみじを困らせるつもりはなかったんだ。」

「…。」

「信じてよ。今日来たのは、正当法ができる他の男と対抗するために来たんだから。」

「えっ?」

「これ!」

 不思議そうに春香を見たもみじ姫に、春香は意味ありげな表情を浮かべた。



「笛?」


 側に来た春香にもみじ姫は不思議そうに首を傾げた。

「そう。馬鹿な男が笛の音でもみじの気を惹こうとするかもしれないでしょ?それにそんな奴らの合奏をもみじの耳に入れたくなかったんだ。もしもみじが音に聞き入ってしまうんじゃないかと思うと気が気でなくて。」

 自らの懐から見事な細工の横笛を出した春香は、もみじ姫の側でにやりと笑った。

「そんなことないわよ。あの人たちはお正月の宴の合奏の練習に来てるだけで、わたしのためなんかじゃ。」

「甘いね!実に甘い。練習にかこつけてここに来るかもしれないんだよ?それに、俺としてはどんな演奏でも他の男の演奏なんてもみじの耳には入れたくないんだよ。」

「は、春香君!」

「言ってるだろ。俺はもみじの全てを手に入れたいんだ。もみじの目に映るのも、耳に残るのも俺じゃなきゃ嫌なんだ。分る?」


 春香は吸い込まれそうなほど深い目でじっともみじ姫を見つめる。

 そしていつものように魅惑的な笑みを浮かべた。


 もみじ姫は心が跳ねるのを感じた。

 何度となく言われた言葉。

 どこまでも心を酔わす甘い科白は、月夜の下で聞くといつに増して艶に聞こえる。


 春香がそっともみじ姫の手を握った。

「は、春香君、ダメよ。その、そんなこと。」

「そんなことって?具体的に言ってくれないと分らないな。」


 いつも通りの意地悪な科白に、この後待っている甘い悪戯がもみじ姫の頭をよぎる。

 体中の血が熱く流れ、心の臓が早鐘を打つ。

 いけないことと分っているのに、言葉とは裏腹にそれを望んでいる自分がいて、そんなことない必死に打ち消そうともみじ姫は試みた。


「だ、だから、いつもの。その…。」

「いつもの?」 

 顔を真っ赤にし、もじもじと言葉を紡ぐもみじ姫を逃すまいと春香は握った手に力を込め、更にもみじ姫に顔を近づけた。

「く、口付け…とか。」


 春香から逃げるように身を引くもみじ姫を高欄の隅まで追い詰めると、春香はもみじ姫の熱い頬に手を添える。


「口付け?いつもそんなことしてたかな?それってもみじがそう望んでるんじゃないの?」

「ち、違う!そうじゃなくて!」

「僕は手を握っただけだよ。それでもみじがそんこと想像するなんて、やっぱりしてほしいって証拠だよ。ねえ、嘘はよくないよ。素直になりなよ。」


 魅惑的な笑顔で、心をくすぐる愛らしい声で、甘美な取引を迫る目の前の小悪魔に負けてしまいそうになる。

 もみじ姫は春香の拘束から逃げ出そうとするが、隅に追いやられて逃げ場もない。


「あ、あのね、春香君!」

「なあに?」

 一生懸命頭を働かし、もみじ姫は春香の間の手から逃げようとするが、相手が悪すぎる。

 春香は余裕綽々の笑みでじっともみじ姫を見つめながら、もみじ姫の長い髪を一房掴み、そっと口を付ける。

 

 何故だろう。

 髪には何の感覚もないのに、体の奥が痺れる。

 これは甘い罠。

 闇夜に紛れて来た小悪魔はもみじ姫の心を手玉にとって、心の奥まで入り込む。


「春香君、もう、よ、夜も遅いよ。帰らなきゃ。」

「心配してくれてありがとう。僕は大丈夫だよ。お供が外で待ってるから。それに、それは僕が望んだ答えではないんだけどな?ねえ、もみじ。ちゃんと答えて。今、もみじがほしいものは?」

「ほしいものなんて、ないよ。」

「嘘。じゃあなんでさっき、咄嗟に口付けなんて頭に浮かんだの?」

「そ、それは…。」

「ふふ。僕は心の底からもみじが欲しいんだ。だから、さあ、もみじが望むものを言って欲しいな。」

 楽しそうにもみじ姫を追い込みながら、春香はそっともみじ姫の耳元で囁いた。

 素直なもみじ姫が雰囲気に酔って、自ら求めてくれるのを期待して。 

「わ、わたしが望むのは…。」

「望むのは?」

 期待を確信に変え、春香はもみじ姫の頬に自らの頬を寄せた。

 

 ―さあ、早く言って。甘い言葉を。この言葉をどれだけ待ったか。


「それは!」

 

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