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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
19/75

第18章  忍ぶれど色に出にけり我が恋は?


「もみじももみじだよ。楽しそうにしてさ。」


 ぶすりとした春香はすっかりすねていたが、ここで引き下がるような男ではない。

 辺りを見回し、塗籠に置かれた黒い唐櫃を見つけると嬉しそうににまりと笑った。

 廂では楽しそうな声が聞こえる。

 

 ―侍従風情がしゃしゃり出てくるなんて、気に入らないな。そこは俺の場所なんだよ。

 

 悪意に満ちた笑みを向けられているなど露も知らない侍従の君は背筋に凍るものを感じた。


「そ、そういえば、先ほどの琴の音、あれはもみじが弾いていたの?」

 一瞬の寒気に不思議そうにしながら、侍従の君は確信に近付こうとする。

 もみじ姫には文を送りあう男の存在があるのだろうか…。

 なんとしてでも、その者より先にもみじ姫の心を得なければいけない。

 侍従という身分では簡単にもみじ姫との結婚と請えるものではないが、愛があれば絶対に幸せに出来ると侍従の君は信じていた。


「とても上手だね。」

「ありがとう。小君ちゃんほどまでにはいかないけれど、最近よく合奏をするからわたしだけ下手にできないし。」

「合奏?」

「ええ、春香…。」

「春香る折に殿にお聞かせしようと思って、私たちと練習しております。」

 綾乃はなんと言うことなく、もみじ姫の言葉を遮ると扇で顔を隠して、もみじ姫にだけ見えるように睨んだ。

 

 ―春香の君を隠した意味がないでしょう。


 恐ろしい一瞥にもみじ姫はびくっと背筋を伸ばした。

「どうしたの?」

「いいえ?そう、春の香りがするころ…皆で合奏するの。」

「そう、とても心に響く音だったのは父上の内大臣を思って弾いていたからか。俺はまた別に思う方でもいるのかと…。」

 扇で口元を隠しつつ笑う侍従の君。


「いないわ。」


 間髪いれずに答えたもみじ姫は屈託なく笑う。

 この反応には綾乃もうまく補えずに、ため息を吐くしかない。

 

 まあ、この間まで恋に興味の欠片もなかったもみじ姫である。

 多分、思う方という言葉も言葉通りにしか思ってはいない。

 これくらいあけすけない反応の方が変な噂も立たないものだ。


「そ、そうなのか。でも、もみじの花の盛りの年だし、文も来るだろう。そう思うと俺も落ち着かないというか…。」

 

 しどろもどろになる侍従の君。

 もみじ姫は意味を分りかねてぽかんとしている。

 もみじ姫の目には侍従が困っているように見えた。


「何か困っているの?わたしに出来ることなら言ってね。」

「ありがとう。もみじの優しい心に触れると冬であるにこの胸に春の風が吹くようだ。」

「はあ。」

「今日はここに来て本当に良かったよ。琴の音が誰に捧げられていたのか分っただけでも嬉しい。」

 急に言葉の調子の変わった侍従にもみじ姫は首を傾げた。

 

 その時、もみじ姫の後ろにある几帳から呟くような声が聞こえた。


「忍ぶれど色に出にけり…この歌を口ずさんでみたらどうかな?あれだけ勉強したんだもの。成果を試してみたら?」

「は、春香君…。」

 

 隠れていたはずの春香の声にもみじ姫は驚く。先ほど自分から春香の存在を仄めかしていたのに、バレしないかと焦る。


「どうしたの?もみじ。」

「早く、もみじ!」


 二人に挟まれ、もみじ姫は歌の意味を気に留めず言われるままに口に出した。


「し、忍ぶれど色に出にけり我が恋は

         物や思えど人の問うまで…。なんてお歌も…。」


「しのぶれど!」


 その歌には侍従、他その場にいる者が驚いた。

 綾乃だけは几帳の影にいる人物に冷たい視線を向けている。

 

 人知れず恋忍んで思っていますが、あまりに思いすぎて人に問われるほどです…。

 

 それが歌の意味。

 先ほどの琴の話と合わせると、誰かに捧げていたと言われるほど、私の恋は色に出ているのですねとなる。

 もちろん、恋する人と問う人は別にいるのだから、侍従の君は問う人になる。


「や、やっぱり思う人が…。」

「はぁ?」


 驚愕の侍従の君に不審そうなもみじ姫はその場の全員の視線が自分に集まっていることに驚いた。

 そして、はたと歌の意味に気付く。


「春香君の馬鹿!」


 後ろの春香に小さく言うが、何の答えも返ってこない。


「ええっと違うの!思わず口に出てしまって。あのね…。」

「思わず口に出た…。」

 侍従の君は衝撃で立ち直れない。

 

 泥沼である。


「えっとあのね。」


 もみじ姫は頑張って言い直そうとするが、侍従の君には届かない。

 綾乃が小さくため息をつくと助け舟を出そうとする。

 

 その時、もみじ姫の後ろの几帳から衣の擦る音がした。


「失礼致します。」

 

 几帳の影から現れたみずらの髪を解いた春香が今様色の袿を羽織って愛らしく微笑んだ。

 美しい女の童の登場に、その場が一気に華やいだ。

 春香を知らない他の女房達は扇で顔を隠しつつ、まあと感嘆する。


「は、春香く…。」


 驚くもみじ姫を他所に艶やかな所作でもみじ姫の横に腰を下し、首を傾げるように侍従の君に会釈した。

「春香と申します。どうぞ、良しなに。侍従の君。」

「ああ。」

 いきなり現れた不思議な少女に侍従の君はポカンとしていた。


「ねえ、もみじお姉様。なんのお話をされていたの?」

 純真な子どものような、あどけない表情で春香がもみじ姫に笑いかける。

「えっと…。」

「何かお歌が聞こえたわ。お歌を歌い合いっこしていたの?」

「そ、そうなの。で、思わず知った歌を口ずさんでしまったの。だから、侍従の君、あの歌に意味はなくて…。」

 頑張ってもみじ姫が言い訳するが、その懸命さがかえってあやしいのだが、必死なもみじ姫は気付かない。


「じゃあ、私もお歌を一つ。

 春の夜の夢ばかりなる手枕に

      かひなくたたむ名こそおしけれ。

 ちゃんとお歌の勉強してるでしょ?前にお姉様がこのお歌を歌われた人みたいに簡単に御簾の中に手を入れてくる人は嫌だって言ってたから。」


 春の夜の浮ついた雰囲気に酔ってあなたの腕枕で寝て、変な噂が立つのなんて嫌。

 というのがこの歌の意味。

 

 春の夜に夜更かししていた女君の眠たいけど、枕がないわという言葉を聞いた男君が、枕ですとそっと御簾に手を入れた時に女君が詠んだ歌なのだ。

 

 春香は、琴の音に惹かれたなど浮ついた理由でここに来て変な噂が立つのをもみじ姫は嫌っていると言いたいのだ。

 

 これには流石の侍従の君も青冷めた。

「いやあ、思いのほか長居したな。もう失礼するよ。また、文を送ってもいいかな。」

「ええ、それはもちろんいいけど…。」

「では、侍従の君。お送りしますわ。」


 綾乃も立ち上がり、女房たちは急に現れた可愛らしい女の童に不思議そうな顔をしながら、綾乃だけに送りにいかせるわけにもいかず、侍従の後をついて行く。


「もみじお姉様、気にしなくて大丈夫よ。咄嗟に歌の一つも返せないなんて、あの程度の男なんだから。」

 もみじ姫の手を取ると春香は愛らしく微笑んだ。他の女房もいる手前、一応女の子の振りをする。

「で、でも可哀想だわ。」

「お姉様は私と侍従の君どちらが大事なの?私はお姉様に変な噂が立たないようにしてあげたのに。ひどいわ。」

「ち、違うのよ。でもね…。」

「違うなら、ちゃんと言ってくださらないと分らないわ。ねえ、お姉様、いつものように春香が一番と言って。そして、いつものように頬に口付けして。」

「ええ!ほ、他に人が…。」

「いいじゃない。女同士ですもの。ねえ、早く!」

「でも…。」

「やっぱり、お姉様は私が嫌いなの?」

 

 大げさに被りを振り、目頭を袖で押さえる春香と動揺するもみじ姫に周りの注目が集まる。

 とめるべき綾乃、松虫は離れており、一人事情の分っている鈴虫は面白がって野次馬に回っている。


「は、や、く!」

「もう!大人をからかっちゃダメ!」


 もみじ姫はぷくりと頬を膨らませ、春香の頬をつねった。

 春香は自分の頬をつまんでいる手をそっと握ると、手の内に軽く口付けした。


「かくとだにえをはいぶきのさしも草

        さしも知らじな燃ゆる思いを」


「えっ…。」

「俺の燃えるような心分かっていないから、そんな簡単に俺をかわすんだね。」

「春香く…。」


「はい!お触り禁止です。」

 二人の間を急に扇が割って入った。

「あ、綾乃。」

「お約束が守れないのは困ったことですね。春香の君。」

 綾乃がため息混じりに二人を見詰めた。

「恋とは時に、罪深きものなんだよ。」

「たいした言い訳ですこと。」


 綾乃と言い合いを始めた春香に、もみじ姫はほっとしたような少し残念のような複雑な気持ちを感じた。

 

 ―でも、春香君の袿姿、見れて良かったかな。

 

 一人嬉しそうに微笑むもみじ姫を綾乃と春香は不思議そうに見詰めた。

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