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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第12章 甚だしい思い違い

「菫のような愛らしい目というと、西の対の女房の近衛さんかも知れないわね。」

「肌が白くて綺麗なのは、北の対の讃岐よ。」


 西の対の釣殿で春香を囲むように、もみじ姫、鈴虫、松虫は春香の主人の歌の相手を探していた。


 今日は天気がいい。

 釣殿から見える池から冷たい風が微かに吹いてくるが、麗らかな日差しと相まってそれがなんとも気持ちいい。


 今日はここで歌の相手を探しましょうとは鈴虫の提案。

 ここなら、時折通る女房を盗み見れる。

 一応、春香が他の目に留まらないように白い衣を頭から被せる。


 春香は歌の相手探しにさして力を入れているわけではない。

 むしろどうでもいいのだが、楽しそうなもみじ姫の手前、行儀よく幼い子どもの振りをして礼を言う。


「ねえ、春香君。あなたのご主人様は他にお歌を送られないの?これだけでは相手の方に思いが届くとは思えないわ。」

 二人の女房が内大臣家自慢の美人女房の特徴を挙げている横で、もみじ姫が何の気なしに聞いた。

「そうだね。でも、これだけで自分の存在に気付いてほしいみたいだよ。他に…何もおっしゃられないが。」

「そう。」


 なるほどと納得しつつ、あの十四文字だけで存在が分る間柄なのに、どこの誰か分からないとは不思議な縁だともみじ姫は感心した。

 

 ―わたしは口に出して伝える以外に術を持たないのだけど、どうすれば、思いとは伝わるのかしら。


 紙に女房の特徴を書き出し、春香に見せる鈴虫と松虫を見やりもみじ姫は複雑そうに微笑んだ。


 伝えたい思いは綾乃へ。

 どうすればうまく伝わるのか。もみじ姫にはうまい言葉が浮かばない。


 春香や二人の乳姉妹に聞けばいい提案をくれるかもしれない。

 でももみじ姫はこのことは自分の言葉で伝えなければいけない気がするのだ。それに綾乃は勘が鋭いから、すぐにもみじ姫の言葉かそうでないか見破ってしまう。


「女性を花に喩えるなんて、まるで源氏物語のようですわね。」

「お前のご主人様はこの方をなんとお呼びになっていたの?」

「藤波。髪が流れる藤のようだったって。」

「まあ!素敵!!」

 春香の言葉に二人は騒ぐ。

「髪の美しいのは殿の女房の常陸に、北の対の小暮に小納言、東の対の伊予さんかしら。」

「そうねえ。後は九条に、葉月に、卯の方も豊かな髪をお持ち。」


「綾乃も綺麗よ。」


 二人の言葉にもみじ姫が口を挟んだ。

「綾乃様かあ…。確かに御髪は美しいですわ。でも、あの完璧な綾乃様の色恋は考えられないなあ。」

 もみじ姫の言葉を鈴虫が切って捨てた。

「そうね。美しいから恋をなさる殿方も多いでしょうけど…。」

「全部切って捨てそう。」

 厳しい鈴虫の言葉にもみじ姫は苦笑する。

 その通りな気がした。

「綾乃様って前の…。」

「そう!とぅっても厳しいひぃ様の一の女房!だから春香の君も気を付けなさい。」

 鈴虫の言葉に、春香は素直に大きく頷いた。

「可愛い!」

 春香の素顔を知らない二人は、そんな春香に顔を崩す。


「ひぃ様、そろそろお開きなさいますか?さすがにずっとここには居れませんわ。」

 松虫の言葉にもみじ姫は頷く。

 それを見た二人の女房は釣殿に持ってきた紙や硯の類を手に片付けに入る。

「しばし、ここでお待ちください。あちらの用意をしてきますわ。」


 冷たい釣殿の板の間にもみじ姫と春香だけが残った。

 去った二人のほうを見やり動かないもみじ姫に春香は不思議そうにもみじ姫の髪を引いた。


「心ここにあらずだね。どうしたの?僕と一緒にいるのに僕を見てくれないなんて、冷たいな。」

「えっと…。」

 困ったように微笑むもみじ姫に、春香は艶やかな偽善者の笑みを浮かべた。

「どうすれば、僕を見てくれる?」

 髪に口を寄せ、ここぞとばかりに自分の魅力を最大限発揮する。

「あの、えっと。」

「なに?」

 甘い空気が寂しい釣殿に流れる。


「春香君!お願いがあるの!」


 春香の作り出した空気を破るようにもみじ姫は大きな声を出した。

 思わぬ言葉に春香は目を大きくして驚く。

「な、何?」

「あのね…。」



 もみじ姫は春香を釣殿に残し、西の対屋の渡殿急ぐ。

 目指すは綾乃の局。


 ―実物を見れば綾乃だって分ってくれるわ。言葉ではうまく伝えれないけど、百聞は一見にしかずとというし。


 うまい解決策が見つかったともみじ姫は上機嫌だった。

 ちょうど、西の対と寝殿の辺りまで来た時、もみじ姫は寝殿の方から来る人影に気付いた。

 見ない顔にもみじ姫は首を傾げる。


 縹色の直衣を着た、ごつい体躯の男君。

 家の家令ではないとすぐ分かる立派な衣に父の友人かしらともみじ姫は勝手に納得した。


 ―姫とばれなければいいのだわ。父君のご友人なら、失礼してはいけない。

 頭だけ下げて通ろう。


 その衣の高価さから一発で姫であると分るなどもみじ姫は思わない。

 一応持っていた扇を出し、顔を隠しつつ、その男君の近くで止まると小首を傾げるように愛らしい会釈をした。

 


 左馬の頭は大輔の部屋で新春の宴で行う雅楽の打ち合わせをしつつ、心はそこになかった。

 

 ―内大臣家の中の君か。小君は幼いと言ってはいたが、あの何者にも染まらぬ可憐さがなんとも言えず愛らしい。

 一つ一つ男を教えてやりたくなる。

 

 気持ちの悪い笑みを浮かべつつ、妄想は尽きない。

 

 ―それにしても侍従のと同じ年ということは、年頃の姫ではないか。

 何の噂も聞かぬがどういうことだ?

 

 現実は他の姫の所為で噂が立たないだけなのだが、左馬の頭の頭には違うことが過ぎる。

 

 ―内大臣家の大君は女御。

 なれば、次女である中の君の夫こそ次の内大臣家を受け継ぐ者。

 内大臣はそれを探して、あえて姫を隠しているのではないか。

 なら内大臣の期待が一番篤い俺がその婿になる可能性も…。

 

 勘違いも甚だしく、左馬の頭の妄想は絶好調。

 そんなつもりではなかった大輔の言葉が妙な説得力を帯び、俄かに左馬の頭はもみじ姫の顔を見てみたくなった。

 

 ―ちょ、ちょっとくらいいいよな。

 

 だれに同意を求めているのか、自分の中で勝手に納得しつつ左馬の頭は席を立った。

 そして、釣殿に向かう途中、寝殿の辺りから西の対からこちらにやってくる可憐な人影を見つけた。

 

 ―中の君ではないか。

 

 なんという偶然。

 たった一人でこちらに来る姫に左馬の頭は運命を感じずにはいられない。

 しかも、愛らしく顔を隠し、こちらに会釈している。

 

 ―これは気に入られたも同然。

 

 やる気満々に左馬の頭は、自分とは反対方向に行こうとするもみじ姫の袖をつと掴んだ。


「おやおや。冬だというのにこんなところに可憐な撫子が咲いているとは。」

 まさか引き止められるとは思ってもいなかったもみじ姫は驚き、身を硬くする。

 

 ―姫だとばれたのかしら。これじゃまた綾乃に怒られてしまう。

 

 もみじ姫の心配は一にも二にも綾乃。どれだけ普段から綾乃が厳しくしているかが分るというもの。

 

 ―ん?でもこの方、撫子とおっしゃたわ。

 まさか、北東の対の撫子ちゃんと間違っているのかしら。

 それは困るわ。撫子ちゃんに迷惑をかけてしまう。


「ここには撫子は咲きませんわ。撫子が咲くのは北東。誰かとお間違いでは?」

 おどおどした、それでいて可憐な声に左馬の頭は更に頭に血を上らせる。

 

 なんと奥ゆかしい姫だと思いもしない方向へと話は進む。

 もみじ姫は恥じらいからおどおどしていたわけではなく、本人は女房のつもりで話しているのでばれないかと冷や冷やなのである。


 しかし、左馬の頭はそんなこと気にしない。

「撫子でなければ、なんと言う名の花ですか?この私に教えてはいただけないのですか?」

 そう言い、もみじ姫の肩に手をかけ、力任せに自分の方へと向ける。

 もみじ姫は驚き、身構えるように扇を持つ手に力を入れた。


 ―何?怖い。


 何の言葉も出ないもみじ姫に、左馬の頭はここぞとばかりにもみじ姫の扇を持つ細い腕を掴んだ。


 ―嫌も嫌も好きのうち。

 女は少し乱暴な方が惹かれるというもの。

 

 都合のいい解釈で、もみじ姫を引き寄せる。

 少しではなく、かなりの乱暴さにもみじ姫は身を引きたい思いだった。

 強い力に抗えず、持っていた扇を思わず落としてしまった。


「あっ。」

「おっ。」


 二人の声が重なった時。


 もみじ姫の顔の前をゆるりと扇が舞い落ちてゆく。

 興奮気味にそれを見詰める左馬の頭。

 

 しかし、扇が舞い落ちる前にもみじ姫の顔を白い衣が覆った。


 ―えっ。


 怖さのあまり身を縮めていたもみじ姫はいきなり目の前が白くなったことに驚き、顔を上げる。

 白い衣から甘く、爽やかな春の香りがする。


「な、何者だ。俺と中の君との間を邪魔するとは。」

 

 ―やっぱり姫だとばれていた。

 

 今更なことにもみじ姫は衝撃を受けつつ、はたと衣の正体に気付く。

「は、春香君。」


 小さな人影の方を見ようとしたもみじ姫の頭を春香はぐいっと下に向ける。

 そして、小声で囁く。


「茶番が終わるまでじっとして。声も出さないで。」

 

 いつもの春香らしくない、厳しい言葉にもみじ姫はびくりと身をすくめた。


 ―あきれられたのかしら。


 白い衣を被衣し、動揺を隠せないもみじ姫を守るように、左馬の頭との間に立った春香はもみじ姫の扇を素早く拾い、それで顔を隠すと艶やかな笑みを浮かべた。


「おやおや、左馬の頭ともいう方がこんな乱暴をなさるなんて。」

「俺が左馬の頭と知ってのことか。このガキが!」


 ごつい顔を剣幕に、大声で怒鳴る左馬の頭に、春香はそれを軽く受け流すように軽く小首を傾げた。

 いかにも様になる流麗な身のこなしに、幼い童であろうと品格の差を見せ付けられたように思い、左馬の頭は更に頭に血を上らす。


「俺はそこの中の君の婿となる者だぞ。こんな無礼が許されると思っているのか!」


 勝手な思い込みを事実のように怒鳴る。

 さすがのもみじ姫もその言葉に恐怖を忘れて、ポカンとした。


 ―わたしの婿殿?知らなかった。


 ごつごつした巨木のような男君をつと見上げ、うまくやっていけるかしらと不安げになる。


 ―どうしましょう。

 どんな男君が来てもお父様が選んでくださった方に間違いないと思っていたけど、なんだか釈然としない。

 結婚するなら、春香君のような優美な…。

 ダメダメ!春香君はそんなんじゃなくて。


 もみじ姫の頭はこの場の事態とはまったく違うほうへと進む。

 先までの恐怖を他所に顔を赤らめる。


「中の君の婿だと。お笑い草もいいところ。中の君は内大臣の殿が亡き北の方の形見と大事にしている姫。そう簡単に婿と名乗れば、内大臣の怒りを蒙ることになるのに。なんと哀れな男だ。温厚な内大臣だが怒れば、そう簡単に怒りは解けまい。それに先月の三条の中納言の奥方との噂、知らぬと思っているのか。」


 熱い左馬の頭とは違い、どこまでも冷めたような春香の言葉。

 朗として、響くその声に我を失っていた左馬の頭は急にうろたえだした。


「ようく考えられよ。ここで、大声を出されたら困るのは貴方だ。」

「う…。」


 どこまでも冷酷な、魅惑の笑みを浮かべ、春香は更に左馬の頭を追い詰める。


「今日を最後に、今見たものを全て忘れるというなら、許してやろう。中の君もこの私も、全て。凍える冬の幻影だと、けして人の口の端の上らせるな。もしも、そのようなことあらば、内大臣家の怒りがお前の全てを奪う。」

 

 左馬の頭は衝撃を受けた。

 こんな幼い童に追い込まれる自分が悔しくてならないが、その実、内大臣家の怒りという言葉に恐怖を感じた。

 

 確か、中の君が物語を所望した時、内大臣家の女御も参議も中将までもが用意したというではないか。

 春香の言葉の信憑性に、自分の身の大事さを感じ、左馬の頭は苦し紛れにふんと鼻を鳴らし、足早にそこを去っていった。



「まったく、野心ばかり大きくて、中身のない男には困ったものだ。」

 左馬の頭の姿が見えなくなるの待って、春香は小さくため息を吐き、扇を下した。

「もみじ、大丈夫?」

 白い衣を捲り、春香は先ほどと打って変わって優しげな声をもみじ姫にかける。

 その声にやっと安心したのか、もみじ姫は顔を上げ、大丈夫と笑おうとするがうまく笑えない。

「あれ?」

 気が付くと何故だか目じりに涙が浮かんでいた。

「もみじ…。」

「ち、違うの!これは!」

 

 笑ってごまかそうとしたもみじ姫を春香は衣の上からぎゅっと抱きしめた。


「は、春香君!」

「大丈夫。衣を被っているから誰ももみじ姫とは思わないよ。」

「でも。」

「だから、泣いていいんだ。俺が守ってあげるから。」

「…。」

 

 小さな春香が精一杯手を広げ、もみじ姫を守るように包み込む。

 全力の優しさに、もみじ姫は言葉が出ない。胸の奥から熱い感情が涙となって溢れてくる。


 ―なんでこんなに優しいの?


 涙の訳は、恐怖からの解放か、はたまた思わぬ婚約者の登場に対する落胆か…。 

 どれも違うともみじ姫は心の奥で思った。

 結婚すれば、今のように春香と会えない。

 はたとそう気付き、心千切れる思いだった。

 

 いつか終わる夢なら、今しばらく…。

 このまま春の香りにもう少し酔わせてほしい。

 



 

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