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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第11章 忘れぬる今は昔の春の香は

 あの、春の舞を見た日から小君は不機嫌な表情で、イラつく日々を送っていた。


 ―なによ、ちょっと見た目の良い童を見つけたからって!


 小君の心を捕らえて離さないのは、優美な物腰の、麗しい童。

 彼の強い眼差しで歌を詠まれてから、寝てもさめても彼のことが忘れられない。


 ―なんであの中の君のところにいるの?私のところに来てくれば…。


 そう思い、ほうっとため息をつき、はっと気付いたかのように素早く首を振る。


 ―って別に好きとかじゃなくて!私は東宮様のお妃になるのですもの。あんな童にかける心なんてありませんわ!幼い中の君とお似合いですわ!

 

 と誰も聞いていないのに心の中で言い訳をする。

 と言いつつも、屋敷に籠もりがちな姫としては、他にすることもなく、気がつくと、あの美しい舞姿を思い出してしまう。

 

 で、色々言い訳をしつつも…。


「小君…。お前、何をしているんだ?」


 東の対屋の南の庇の柱から対になる西の対にある釣殿をこっそり覗いている妹姫に同母兄である大輔は不審な目を向けた。

 淡々とした声と変わらない表情からは分かりにくいが、これでも彼は心の底から驚いている。


 気位の高い妹姫は内大臣家の姫であることを誇りに思い、幼いながら都に噂の轟く姫たらんと心掛けている。

 だから自分の部屋を抜け出し、こんなところでこそこそと盗み見してるなど、兄であっても見たことはなく青天の霹靂だ。

「お兄様!盗み見なんて下品ですわ。」

「それはお前のことじゃ…。」

「私!?大変失礼ですわ!同じ母を持つ兄にこんな無体なこと言われるなんて!私は…そう!観察中なのですわ!」

 図星を指されつつも、気位の高い小君は頑として認めず、苦し紛れに勢いよく西の対を指差した。


 大輔はゆっくりと妹姫が指差した方を見る。

「もみじ?」

 釣殿から凍った池を見やり、もみじ姫が白い衣を被衣した花色の水干姿の童と仲睦ましくしている。

 傍にはもみじ姫の乳姉妹の鈴虫と松虫が控え、筆と紙で何かをしている。何をしているか分からないが、少人数ながら華やかな集まりに見える。


「見ない童だな。」

 そう言いつつ、大輔が妹姫を見やると小君はいつも冷たい眼差しをきょどきょどさせ、頬をほんのり染めている。

「…ほう。」

 何かを察したように、大輔は無表情のまま顎をさすった。

「なによ!わ、私は別にあの童が気になる訳じゃ…中の君のくせに、目立つことをしてるからちょっと…。って、何勝手に頷いてんのよ!ムカつくわね!」

 ふむふむと頷く兄に顔を真っ赤にした小君が噛みつく。

「俺は何も言ってないが。」


 淡々とした声で言われると、一人叫んでいるのが恥ずかしくなる。

 小君はこれでもかとぶすりと膨れ上がる。

 これはどうしたものかと大輔は頭を掻いた。

 気性の激しい小君はこうなると手がつけられない。

 面倒くさそうにため息をついたが、その実、大輔は妹姫のご機嫌取りに心底困っていた。

 

 そんな時に、天の助けという折に衣擦れの音とドカドカとした足音が響く。

「なんだい。式部大輔、客を待たせるなんて。」

 気軽な声が御簾の向こうからかかる。

 背の高い、実直と素直がそのまま顔に出ている柔らかい面差しの、年の頃、大輔と同じくらいの青年と背はあまり高くはないが、がっちりとした体付きの、むさ苦しい顔つきの男君がやってきた。

 背の高い方が気安く、大輔の肩を叩き、傍にいた小君に気付くと、笑顔を向けた。


「おや、久しぶりですね。小君殿。」

 普通の姫なら、家族でもない男君に顔を見せない。

 もちろん小君ももみじ姫と違い、普段なら御簾の奥に隠れるのだが、知った顔に安心したのか、ふんと鼻で笑っただけだった。


「まったく。いくつになってもそんな挨拶しかできないから、いつまでも侍従なんて役職なのよ!」

 きつい小君の言葉にいつも通り衝撃を受けつつも、侍従の君は懸命に笑顔を作った。

「あ、相変わらず手厳しいな。」

「ははっ。こちらが式部大輔自慢の小君殿か、利発でいらっしゃる。」


 傷つく侍従の君の後ろから快活な声がし、小君は初めてがたいのよい男君がいることに気付いた。

 素早く扇で顔を隠すと、兄の後ろに隠れる。

「侍従の君だけじゃなかったのですか?」

 少し甘えた声で兄を睨む。

 今更取り繕っても仕方ないのだが、しかしそこは姫中の姫を自負する小君。

 侍従の君への厳しい一言を相殺させる雰囲気作りに励む。


「はは、お初にお目にかかります。私は左馬の頭、評判の小君殿にお会いできて、心から嬉しく思います。」

「まぁ現物を見て失望なさいました?」

「いやいや、噂と違わぬ眉目秀麗な姫とお見受けしました。」

 大輔や侍従の君より年かさの左馬の頭は、満遍の笑みで世辞を言う。

「こんな所で立ち話なんて失礼ですわ。お兄様、早くどちらかにお通ししなければ。」

「あ〜はいはい。」

 しなを作りながら言う小君の言葉に、早くここを出て行ってほしい意図を察した大輔は淡々と客の二人を自分の部屋の庇へと導く。


「おや?釣殿が何やら華やかですな。」

 簀の間からふと庭を見やった左馬の頭は足を止め、釣殿を眺める。

 白い衣を被衣したものの陰に、愛らしいなよやかな女君を見つけ、左馬の頭は思わず息を飲んだ。

 その横で同じように息を飲んだのは侍従の君。


「もみじ…。」


 目は釣殿に奪われたまま、侍従の君は思わず心の声が表に出る。

 大輔とは幼なじみの侍従の君。

 もちろん幼き時分、もみじ姫と遊んだこともある。

 年と共に会うことはなくなったが、今も昔も侍従の君の心を離さないのは、優しいもみじ姫の笑顔。

 分け隔てない優しさと偽らない心。

 素直で、思い込みの激しい侍従の君。

 会えない時が侍従の君の心をこんなに清い姫は他にはいないとまで思わせた。


「もみじ?侍従の、そなた知り合いか?」

 侍従の君の小さな呟きを聞き流さず、左馬の頭は興味深けにする。

「あ、いや…。」

 ごつい顔を近付けられ、侍従の君は自分の過ちを悔いた。

 誤魔化すように明後日を見つめる。


 左馬の頭は色好みで有名。

 また数々の女君との武勇伝を吹聴する。

 しまったと思った時には後の祭り。

 困りきった侍従は大輔に助けを求めたのだが、それよりも先に我が意を得たとばかりにしゃしゃり出たのは小君。


「あれは私の姉姫、中の君ですわ。侍従の君とは同い年ですの。私の口からは憚られるのですが、女御様と私と同じ姉妹なはずなのに、毛色の変わったと申しますか、幼い姫ですの。知らぬ振りをしてくださいまし。」

 

 もみじ姫が話題になるなど以ての外。

 我の強い小君は適当に姉姫の悪口を言った。

 流石の大輔もこのままもみじ姫の話題をしているのは賢明ではないと悟り、それとなく話題を逸らす。

「左馬の頭殿、あれは父である内大臣が亡き北の方の形見と秘蔵しているのですよ。家庭のこと。父の手前、私もあまり詳しくお話できないのですよ。」

「しかし侍従のもよく知っているようではないか。」

 自分より年も位も上の左馬の頭の言葉に大輔は表情一つ変えない。

 その代わり侍従の君は顔色をころころ変えて忙しない。

「ああ、侍従は私の幼友達。かの姫とも童姿の折からの付き合いなのです。」

 ふ〜ん、と左馬の頭は侍従の君を見つめる。


「それよりも新春の宴の打ち合わせをいたしましょう。父は特に左馬の頭殿に期待されているのです。」

 流石に内大臣の期待を実の息子からほのめかされると、左馬の頭も悪い気はしない。

「そ、そうか。」

 などとご機嫌の表情。

 素早くこの時を得たりと大輔は女房を呼び、部屋に案内するよう指示する。


「私は妹姫を送り届けてきます。成人しますと実の兄妹といえどもなかなか顔を合わさない。妹もそれでついこんな所まで来てしまったのです。左馬の頭殿、どうか妹の失礼をお許し下さい。」

 無表情で寡黙な大輔の饒舌に、さしたる違和感も感じていない左馬の頭は上機嫌のまま、女房の先導に付いていった。


「おい、ぼけっとしてないで、お前も行け。」

 大輔は一人ポカンとしている侍従の君の肩を叩いた。

「大輔、おれ…。」

「お前の迂闊さはいつものことだ。別に内大臣家はもみじの存在を隠しているわけではないからな。ただ言う相手を間違っただけだ。」

 大輔は特に意識して言った訳ではないが、結果その言葉に侍従の君はずんと沈んだ。

「すまん。」

「だから気にするな。」


 そう言うと、大輔は小君の腕を掴むとずりずり引きずるように連れて行く。

「まぁなんてことなさるの!乱暴ですわ。」

「お前の存在が今は乱暴だよ。なんでもみじを目の敵にするかな。」

 きゃんきゃん騒ぐ小君にため息をつきながら、大輔は北の対へと向かった。




 もみじ姫はうつらうつらと悩んでいた。

 気になるのは春香のことではなく、春香のことを未だ言えない綾乃のこと。

 昨夜も兄の中将との語りの最中でも傍に控える綾乃の表情がなにやら暗かった。


 ―勘の良い綾乃のこと、知ってるけどあえて口には出さないのだわ。


 ため息をつき、御簾越しに見上げた空は、冬らしい雲空で、更に気を重くさせる。


 ―やっぱり綾乃に言おう。

 

 そう心に決めたもみじ姫は大きく頷いた。

 どこの者とも知れない童に姫であることがバレたことは怒られるかもしれない。

 でも、よく考えればいつものこと。

 春香についてもけして…人に言えないような間柄ではない。

 

 ―たぶんだけど。


 和歌を教えてくれる代わりにお歌の人を探す。

 これほど分かりやすい図式はない。


 ―でも子どもから和歌を習ってるなんて聞いたら、それこそ呆れてしまうわね。


 いや、それだけではなく、春香を追い出してしまうかもしれない。

 綾乃は女房として申し分ない女性で、宮仕えに出ても他の者に引けを取らない優秀さを持っている。

 こんなところで収まる人ではないのに、何故気苦労の多いわたしの側仕えなどしているのかと、もみじ姫は常日頃綾乃のことを勿体無く思っているのだが、その優秀さからもみじ姫に不必要と判断するものは素早く切り捨てるところがある。


 ―でも…。


 大切な人に嘘は付きたくない。

 麗らかな日差しの下、今日も訪ねてきた春香に笑顔を向け、もみじ姫はそう心に決めた。

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