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コイハナ〜恋の花咲く平安絵巻〜  作者: 秋鹿
もみじ愛ずる姫君
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第9章 月の使者は春を舞う


「月からの使者?」


 春香の言葉に、三人は目を点にする。


「とりあえず、小君の歌を見せてよ。返歌を考えないと。」

「で、でも春香の君、誰が返歌を考えるのです。こう言ってはなんですが私たち、ひぃ様とはどっこいどっこい。歌上手な小君様お付の女房には敵いませんわ。」

 強引な春香に付いていけず、松虫は困惑した。


「大丈夫。歌は僕が考える。」

 そう言うと松虫の手に握られた料紙を取り上げる。


「色づきてにわかに散りし秋の葉よ

     音の響くは雪月の花」


 薄い青の料紙に綺麗な字で書かれた歌。


 その歌は、恋物語に俄かに興味を覚えたもみじ姫を皮肉ったもの。

『恋などに色づいても、季節は冬ですもの。葉紅葉はすぐに散るしか出来ませんでしょ?どうせ恋物語に夢見ても現実に散るしか出来ないのですから、葉っぱはそこで悲しく月から降る花のような雪を眺めて、私の上手な琴や私の噂を聞いて悔しがっていなさな。おほほほっ。』


 実に歯切れのよい嫌味である。

 自分に自信がないと詠めない歌。


「ふ〜ん。いい感じに月という言葉を使ってくれているじゃないか。もしかして、あちらももみじ姫が竹取物語をお気に入りと知って歌にいれこんだのかな?」

 楽しそうな春香を前にもみじ姫はどうしていいか分からない。

 歌を代わりに詠んでくれるのは嬉しいが、あまり小君を刺激するのは可哀想と思ってしまう。


「そんな心配顔しないで。ちょっと現実を教えてあげるだけだから。だって、もみじも何時までもこのままではいけないと思うだろ?」

「だ、だけど。」

「大丈夫だよ。もみじには迷惑はかけない。僕に任せて。もみじも僕の歌の実力は知っているでしょ。」

 春香は、もみじ姫と出会って何度も歌を送っている。しかも即座に。

 もみじ姫に出来る芸当ではない。

「ねえ、鈴虫、松虫お姉さん。」

「な、なに?」

 春香はにやりと笑った。

「用意してほしいものがあるんだ。」



「小君様。」


 北の対にある小君の部屋に小君付きの女房が困り顔で入ってきた。

「ねえ、あちらの姫のお歌はまだ来ないの?それともお歌が詠めないのかしら?どっちにしろ私の相手ではないわね。おほほほっ!」

 少し吊り目の、まだ幼さを残した勝気そうな少女が大勢の女房に囲まれ踏ん反り返っている。


「あの、綺紅殿の中の君様がお歌の返歌を。」

 自信満々の小君に対して、対応する女房の顔色は悪い。

「まあ、あの姫にしては早い返歌だこと。それで、お歌はどこに?」

「そ、それが、お歌の使者が小君様に直接返歌を渡すよう、中の君様から仰せつかっているとのことで、小君様にお目通りを求めているのですが…。」

「歌の使者?どうせ鈴虫と松虫でしょ。別にかまいはしないわ。自分の主人に代わって、恥をかきに来たんだから褒めてあげないと。」

 どこまでももみじ姫を見下した言葉を口にするが、傍にいる女房は当惑気味に更に進言する。

「あ、その使者というのは…。」

「誰でもいいのよ!早くして!!」


 感情のままに声を荒げる小君に女房は何も言わず、困り顔のまま素早く下がる。

 そして、すぐに綺紅殿からの使者を連れて戻ってきた。

「どうぞ。」


 その女房の後ろに続いたのは白い初雪の襲の鈴虫と松虫、そして唐紅の袿を羽織ったみずら髪の春香。

 思いもしない春香の登場に場は騒然とする。


「まあ、なんて美しい童なのかしら?」

「白に、唐紅の映えること。まるで物語のように優雅ね。」

 小君付きの女房は艶やかに微笑み、畏まっている春香を見やり、頬を染める。


 鮮やかな赤を雪の中に浮かべたように春香を真ん中に、簀の間に控える三人は小君の言葉を静かに待っている。


「こ、小君様。」

 思いもしない春香の登場に呆気にとられ、春香の美しさに目を奪われていた小君は隣の女房の言葉にはっとする。

「わざわざ、三人で歌の返歌を届けにくるなんて、なんと仰々しいこと。軽く季節の歌をお届けしただけなのに。」

 気を取り直した小君は扇で口元を隠し、これ見よがしに嫌味を言う。ふふんと鼻で笑う小君に春香はこれでもかというほど美しい笑みを浮かべ、小君を見詰める。


「いつも季節のお歌を送ってくださる小君様に、我が綺紅殿のもみじの君から贈り物がございます。雪深き折、何かと心塞がることも多いかと。少しばかり早いのですが、一時、春の夢などいかがでしょうか?」


「え?」


 意味が分からずに、春香を見詰める小君に小さく首を傾げると春香はすくと立ち上がった。


 手に扇を持ち、春香は静かに歩を進める。

 そして、扇を返すと徐に舞を舞い始めた。

 何の楽もなく、今様を口ずさみながら優雅に舞う春香。

 幼さを残しつつも朗々と響くその声に、その場に居たものは心奪われただ見つめるしか出来ない。


 寒々しい冬の板の間に赤い大輪の花が咲いたように、華やいで春めきたる。


 さすがの小君も目を奪われて、何も言わず春香を見詰める。

 

 どう振舞えば人を魅了できるか、春香は自分の見せ所を分かっているようで、節目がちに見やる様に年甲斐もなく女房たちは頬を染めた。


 北の対に来るまで、春香が何をしたいのか分からないでいた鈴虫、松虫も思わぬことに目を奪われる。

 が、はたと自分たちの仕事を思い出す。

 袖に隠していた香炉を取り出し、そっと板の間に置く。袖に隠れていた淡い春の香りがたおやかに広がった。


 春の香りと春の舞、華々しい艶に包まれ、息の吐く暇さえ与えない。

 春香が舞いながら後ろに控える二人に目配せをした。


 舞の最後。


 二人は顔を見合わせ、そっと立ち上がるとその場を去った。

 しかし春香に目を奪われている皆はそれに気付かない。


 春香は最後の見せ場と大きく回り、そして小君の傍に近付く。

 小君の前で唐紅の袿がふわりと広がり、ゆるゆると板の間につく。


「もみじの姫からでございます。」


 春香が差し出した扇の上に赤い料紙が置かれていた。

 優雅な世界から未だ元に戻れない小君は動揺し、手紙を受け取れない。


 春香はくすりと笑うと色めいた声で歌を詠んだ。


「雪月の下は白き花なれど

      来いて見つるは春月の紅」


 小さく笑うと春香はその扇を残し、音もなくその場から去った。


 後に残ったのは小君の傍に置いてある赤い料紙と春の香り、そして鈴虫松虫のいた簀の間においてある山茶花の赤い花ばかり。

 まるで全てが夢であったかのようで、皆一様にため息を吐き春の香りが消えていった方を見やる。


 そんな中、はたと気付いた女房が放心状態の小君の袖を引いた。

「こ、小君様。」

 小君は我に返ると、心奪われた自分を恥ずかしく思ったのか真っ赤に頬を染める。

「な、なによ。ちょっとばかり意をついたお返しをしたからって。」

 扇を手に、癇癪を起こしたようにそれを振る。


 放心していても歌はちゃんと耳に残っている。

 あの朗たけた美しい声とともに。


『月の下で降るのは確かに雪だけです。でも、月の都に来て見てみれば春に咲く美しい花が見れますよ。』


 もみじ姫からの返歌。


 恋を知らなきゃ、こんな美しい花の咲くところには来れませんね。

 可哀想だから少しだけ月の都の優美さをお届けします。


 あの舞が俄かに意味を帯び、小君は感動してしまった自分が悔しくて溜まらない。

 しかし歌も舞いも、香りでさえも今小君の手元には残っていない。

 あるのはただ、赤い花ばかり。


「く、くやしい!あの姫にこんなお返しが出来るなんて!」

 感情のままに憤る小君にお付の女房たちは困り顔で顔を見合わせる。

「小君様。そちらのお手紙は?」

 傍の女房が場をつくろうように声をかけた。

「ん?そういえば。」


 赤い料紙を広げてみるとそこには見慣れたもみじ姫の文字で、手紙が書かれていた。


 女の子らしい、可愛らしい文字で


『冬は寒くて、心惹かれるものも少なく寂しいですね。よき折あれば、ともに物語などして春の夢を見ませんか。一人より二人で読めば物語も更に楽しくなると言うものです。』

 と書かれている。


 傍でその手紙を見た女房はこれはと密かに感心する。

 嫌味ばかりの妹姫に、このような誘いの文を送るなんて。


 先ほどの歌と合わせてると恋物語のある綺紅殿は春の香のする月の都で、こちらに来れば春の月を見れますよ。

 そうなる。

 しかし、この気位の高い小君がこんな歌を貰って素直に遊びに行くわけもなく、その辺のことを分かってのあえての慰めだろう。


「あら?」


 一番、庇の間の端にいた女房が何かに気付いたのか。

 簀の間にある山茶花の下に置いてあった絵巻物を手に小君に渡す。

「絵巻物ですわ。」

 密かな贈り物。

 仰々しく送るのではなく、そっと気付かぬように届ける粋な計らい。

 

 ―今回は、小君様の完敗ですわね。

 

 傍にいた女房は困り顔で笑った。




 一人綺紅殿でお留守番のもみじ姫はぼけっと端近で庭を見ていた。

 けしてぼけっとしている訳ではなく、心底三人を心配しているのだがそう見えないのがもみじ姫。


「や、やっぱりとめた方が良かったのかしら?」


 うんうん考えているもみじ姫は遠くから聞こえる衣擦れの音にはたとそちらを見やる。

 白い初雪の襲を着た二人の父姉妹が足早にこちらに来る。


「ひぃ様!大成功!」

「春香の君の舞のすばらしきこと!あれを越えるお返しはなかなかないことと思いますわ。」


「そ、それで春香君は?」

 

 心配げにするもみじ姫。


「すぐにいらっしゃるかと。私たちは舞の途中で抜けてきましたから。」

 そう話しているうちに春香が頭から袿を被り現れた。


「春香君!」


「ふふっ。これで少しは高慢な妹姫も懲りるんじゃないかな?」

 唐紅の袿をそっともみじ姫の肩にかけ、にこりとする。

「こ、小君ちゃんは怒ってなかった?」

「さあ?僕が出て行った時は呆けていたから?でも、少しばかり嫌味の効いた歌を詠んだから、今頃はどうだろう?」

「可哀想に。」

「もう、ひぃ様がいつもやられていることなんだから、同情は必要ありませんわ。」

「そう。それに小君の耳には残っているだろうけど、歌は形には残っていないからね。後から何を言われても証拠はない。むしろ、小君からの嫌味な歌しか残っていないからあっちが誰かに言いつけてもこちらに落ち度はひとつもない。」


 自信満々に微笑む春香に鈴虫、松虫は感心しっぱなし。

「凄いわ!春香の君!」

 しかしもみじ姫は浮かない顔。

「ねえ、春香君。助けてくれてありがとう。でも、これで小君ちゃんや北の方様は嫌な思いをされないかしら?」


 自分の作戦をほめるどころか、相手方の心配ばかするもみじ姫に春香は少しむすりとする。


「もみじの手紙だけ見たら泣いて喜ぶんじゃないかな?物語を一緒に見ましょうとしか書いてないし。」

 その言葉のつれなささにもみじ姫は春香の気持ちを察し、取り繕うように春香の袖を引く。


「あ、あのね、春香君に感謝しているのよ。本当に。わたしと小君ちゃんが仲良かったら、今回のお返しはとっても素敵なものになるはずだったのに。お歌だって、わたしじゃすぐに作れそうもないし…。」

 たどたどしい言葉に春香はくすりと笑う。

「そんなとってつけたような慰め言われてもな。」

「本心だもん!」


 分かっている。

 嘘で飾られた言葉など、この姫はけして口にできない。

 そう知っているから思わず、口元が緩んでしまう。


「もみじ、心配しなくて大丈夫だよ。あちらが何か言ってきてもいつものもみじらしく振舞えばいいのさ。そうすれば、北の方も困ることはない。少し間が開けばまた小君が歌を持って挑戦してくるさ。ちょっとだけ、お歌の質をあげてね。」

 ほっとしたように肩を撫で下ろすもみじに春香は安心させるように微笑んだ。


 小春日和に、暖かな光景。

 傍にいる乳姉妹も微笑んでいる。


「そういえば、なんで春香の君はひぃ様のこともみじって呼んでるんですか?」


 小君騒動で突っ込み忘れていたことをはたと思い出し、鈴虫が興味深げにもみじ姫を見る。

「あ、そういえばそうね。ばたばたして忘れてたけど、もしかしなくてもひぃ様のこと、春香の君にばれてしまっているのね。」 

 乳姉妹二人に見られ、今までほんわりしていたもみじ姫はあっと口を開けた。


「あの、これには色々ありまして…。」

「まあ、春香の君は救世主ですもの。何も言いませんけど。」

「そうね、後は春香の君のお心次第というもの。ひぃ様のこと、あなたのご主人には内緒ですよ?」

 困り顔で春香を見る松虫に春香は可愛らしく首を傾げる。

「大丈夫だよ。僕はもみじが大好きだから、もみじの困ることはしない。」

 まっすぐな瞳と言葉に乳姉妹二人はまあと息を飲み、顔を赤らめる。

 そんな二人よりも真っ赤なのはもみじ姫で、顔が上げられないくらい下を向いている。


「でも、今回のことのお礼が欲しいな?」


 春香が優美な顔に底意地の悪い笑みを浮かべた。

 その裏のある笑みに、また口付けでも強請られるのかともみじ姫は顔を真っ赤にしたり青くしたりと忙しい。

「お礼…ですか?」

 春香の素顔を知らない乳姉妹は首を傾げた。


「僕が、ここに遊びに来れる名目が欲しい。そうだね、お歌の先生とか。」


「歌の先生?」

「そう、もみじ、歌が苦手なんでしょ?だから僕が教えてあげる。それなら、いつでもここに来れるでしょ。」

 名案とばかりに微笑む春香に、意外な言葉ながら春香にすっかり感心の二人はそれは名案だと頷く。


 しかし、その春香の可愛らしい顔に裏を感じずにはいられないのがもみじ姫。

 楽しそうに春香は笑うと、そっともみじ姫の耳元で小さく囁いた。


「恋愛ごっこに乗ってやるってこと。だって歌がなければ、愛は語り合えないでしょ?」


 その言葉に動揺し、思わず身を引くもみじ姫に春香はあどけなく笑う。


「どうしたの?もみじ。」


 そんな二人を見て、乳姉妹は顔を見合わせて笑う。

「本当に仲のよきこと。」


 そうじゃないの!


 と心で叫ぶもみじ姫の声は春香にしか聞こえない。

 もみじ姫は泣きそうな顔でちらりと春香を見る。


『覚悟してね。最高の恋歌が詠めるように、心も体も教えあげる。』

 

 そんな含みのある笑みに、世間知らずのもみじ姫は意味も分からず漠然とした不安を覚えたとか。


 


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