其の9 徳川に伝わる「天海記」
城内から1人の男が偶偶其れを視ていた。
「あの男たちは、もしかして・・・」門前にすっ飛んで行った。
「まて!皆の者、まて」
「こ、これは大鳥様」
○大鳥 圭介(おおとり けいすけ
天保4年2月25日(1833年4月14日) - 明治44年(1911年6月15日)。
日本の西洋軍学者、幕臣、軍人。明治後、官僚、外交官。正二位勲一等男爵。
慶応3年(1867年)1月。伝習隊創設を進める幕府の勘定奉行小栗忠順に頼み、大鳥は歩兵隊長として士官教育を受け、幕府陸軍の育成や訓練にあたった。
慶応4年(1868年)1月28日、歩兵頭に昇進。鳥羽・伏見の戦い後の江戸城における評定では小栗忠順、水野忠徳、榎本武揚らと共に交戦継続を強硬に主張する。江戸開城同日の4月11日、伝習隊を率いて江戸を脱走し、本所、市川を経て、会津で土方歳三等と合流し転戦し、母成峠の戦いで伝習隊は壊滅的な損害を受けたが全滅は免れ仙台に至る。仙台にて榎本武揚と合流して蝦夷地に渡り、箱館政権の陸軍奉行となる。箱館戦争でも、徐々に追い詰められ、明治2年(1869年)5月18日、五稜郭で降伏した。東京に護送され、軍務局糺問所へ投獄された。
明治5年(1872年)1月8日。特赦により出獄後、新政府に出仕した。
「須佐殿ですか?拙者、大鳥圭介と云います」
「大鳥?」武角も兜太も知らなかった。
「失礼致した。ご無礼お許しを。拙者、陸軍軍人でございます。あなた方は将軍宗家では始祖からの伝説になっております。信じられませんでしたが、今、目の前に立っている・・・一目視て確信しました。さ、さ、此方へ」
大鳥は2人を城内に連れて行った。
「武角さま、何やら善いみたいですね」兜太が安堵して、にやけて云った。
「ご老中!」
「何だ?大鳥」
2人は廊下でヒソヒソと話し始めた。
「真か?それは?あの怪しそうな者たちが?」
「如何にも」
「忍びの殺し屋・・・上様を殺しに忍び込んだのではないか?」
「あの澄んだ眼をご覧下さい、伝説の通りです。門番を手も触れずに突き飛ばしました」
「う~~~む。上様に伺ってみるか」
○徳川慶喜
江戸幕府・最後の将軍、征夷大将軍。第15代征夷大将軍(在職:慶応2年(1866年)12月5日 ‐ 慶応3年(1867年)12月9日)。
大政奉還や新政府軍への江戸開城を行なった。明治維新後、従一位勲一等公爵、貴族院議員。
将軍の間の前で伺った。
「上様」
「何だ?」
「急ではございますが、出雲より須佐殿たちが接見したいと申しております」
「須佐殿が?!其れは是非会いたい。接見の間に通せ。直に行く」
「御意」
将軍接見の間である。須佐たちが待っていると慶喜がやって来た。
須佐は将軍接見時の礼儀を守って頭を垂れ、手を就いた。老中たちと大鳥も一緒である。
「出雲須佐一族族長・武角でございます。此のお忙しい時に急な申し出を受けていただき誠に有り難き・・・」
「同じく、須佐兜太です」
「かしこまらなくて善い。頭を上げてくれ。顔が視たい」
2人は顔を上げた。
「善い顔をしている・・・・第一級の武士の顔だ・・・」慶喜は思った。そして確信した。「此の者たちはまぎれも無く須佐だ」
「須佐殿、あなた方のことは徳川宗家、家臣たちにも多く知れている。おい、あれを・・・・」
老中は間を出て何やらを探しに行った。暫くして戻って来ると然る、書物らしき物を持って来た。
「須佐殿、此れが何だかお解りになりますかな?」
「何でしょう?」
「手にとって視てください」
「こ、此れは?!天海記?!」
「天海殿が自らの人生をお書きになったものです。家康公が進めたのだと謂われております」
「こ、こんな物が・・・・」
「門外不出の書です。江戸にも後2冊残っています。此れは(天海記 弐の巻)。素志て最後の著者名をご欄ください」
武角は最後の頁を視た。
著作 咲庵-惟任光秀
「咲庵・・・惟任光秀・・・」
「咲庵とは雅号ですな。惟任は朝廷から賜った姓・・・」
「慶喜公!此れは天海僧上が明智光秀だと云う確固たる証拠では無いですか?!公表しないのですか?」
老中と大鳥はビクッとした。何故なら御上の名を呼ぶことは憚れていたからである。
「公表して何になります?徳川幕府に叛旗を起こす大名が出るやも知れぬ。其れより中身をご覧ください」
「須佐と共に暮らした出雲部落の日々・・・」
出雲・須佐部落で密かに暮らし始めた。此処は外界と空気が違う。時もゆっくり流れているようだ。心地善い。下界では山崎の戦で、私は死んだと思われているだろう。族長の武角殿が、何時迄も居て善いと云う。そうも行かぬ。わたしも武士の端くれ。羽柴に復讐せねば。しかし兵はもう居ない。
須佐の子供達が居る。塾があり先生が居る。皆、勉学と実技に勤しんでいる。将来の志能備だ。塾長は役小角殿。法力の達人。忍術の先生は服部半蔵保長(やすなが~伊賀出身の忍者。代々「半蔵」を通称した服部半蔵家の歴代当主、保長は初代。世に知られる服部半蔵は其の子・ 服部半蔵正成)。小角先生は如何程の時を生きて来られたのか。
わたしも子供たちの中で其れ等を教わった。武角殿が才能があると笑って褒めてくれた。
小角先生が教えてくれた。此処は異世界の空間であると。そういう空間は幾つもあって、天界も、魔界も、地獄も其の中の1つだと云う。須佐部落は法力で現世に出すことも消すことも出来るのだと云われた。此の空間は人世の世界とは時の流れが異なる。ゆっくり流れる。だから此処に居れば人間でも長寿を全う出来るのだと。
幾年経ったのだろう、わたしは須佐殿たちの反対を押し切り、下界に降りた。武角殿の計らいで比叡山天台宗に僧と成る可く赴いた。数年の修行の後、慈眼大師(千里眼を持つ僧)などと呼ばれるようになり、家康公と出会った。
「須佐殿、最後をお読みください」慶喜がそう云った。
武角は頁を捲って最後の言葉を読んだ。
須佐どの、常世からなら、また会いに行けるだろうか・・・
「光秀殿・・・・・」
武角は書物を愛おしそうに撫でた。
「後二巻、壱巻は織田信長との確執、本能寺の変、信長の死体が何故視付からないのか書かれてあった。三巻は江戸に掛けた呪術の説明。此の巻は何故須佐一族に助けられたか、素志て須佐の全容、部落での日々が中心です。全三巻です。
須佐殿、徳川は此れを読み、遥かな須佐部落を思った。知っての通り、江戸は天海殿が呪術を施した。我我は天海殿に、あなた方に、感謝している。其の昔、服部半蔵正成を連れ、此の書を携えて出雲に赴いたこともあった。しかし、部落は見付からなかった。あなたに会うのに300年待ったのだ。京に此の巻を持って来たのも運命かもしれない」