其の20 大政奉還
其の騒動を聞き、会津藩100名と新撰組がやって来た。主人はあわあわと未だ、玄関先で腰を抜かしている。2階だ。新撰組と会津兵数名が駆け上がって行った。其の他は旅籠を囲んだ。
部屋はガラクタ同然だ。窓も無い。血吹雪である。
「須佐殿!無事ですか?」
「1人、斬られた。介護を頼みます」
「奴らは?」
「もう、逃げた」
「須佐!何があった?犯人の顔を視たか?」
「土方さん、近藤さん・・・覆面をしていた・・わからない」
「何故?あんたらが狙われる?人世の魔の一派か?」
「そんな者は居ない」
武角は薩摩の名を出さなかった。
須佐たちは手当を受けるため、階下に降りた。
「近藤さん・・・」土方は思った。
「最近、須佐たちは、土佐藩邸に出入りしていた。何か関係があるに違いない」
「トシ、何か裏でとんでもないことが起きているか?」
「うむ、薩長は須佐を神の如く崇めている。土佐に須佐とは無関係だった。其れが何故、最近、土佐と随意になっている?」
「犯人の目星は付くか?」
「混沌とした世だ。一時前は同志でも、一時後は敵と云う世の中じゃないか」
土方はあまりにも不自然は状況を察した。
「須佐たちの力があれば、暗殺集団を皆殺しにするなど、わけが無い筈・・・何故、全員、逃がした?新八、此の騒動の裏を調べろ」
「わかりました」
「若日子は何をしている?・・・」武角は、ふと思った。
半年ほど、動きが無い。
「奴が何か関与しているのか?いや、此れは世の中の動向だ。・・・半次郎は(土佐と何を企む?)と云った。・・・どんどん混沌として行く。坂本の案を中心に・・・」
9月中旬、土佐から密書を携えて、谷が船で京に来ると連絡が入った。
象二郎が龍馬に伝えた。「龍馬、谷が京・薩摩藩邸に来る。お前はどうする?」
「谷は建白書を持って来るんだろう?」
「其れしか無い」
「やったな、象二郎」
○谷 干城
天保8年2月12日(1837年3月18日)ー明治44年(1911年5月13日)
土佐藩士、明治後、軍人、政治家。
1859年、江戸に出て安井息軒に学んだ。其の後、土佐に帰国して藩校・致道館で史学助教授となった。このとき、武市半平太と知り合い友人となり、尊王攘夷運動に傾倒する。しかし1866年、藩命で長崎を視察したとき、ここで後藤象二郎や坂本龍馬と交わって、攘夷の不可なるを悟り、次第に倒幕へ傾いていった。
龍馬暗殺に怒り、暗殺犯を新撰組と決め込み、近藤勇、捕拿後に板橋刑場にて熾烈な拷問を行った。
「中岡が京に来る云うだ」
「慎太郎か。奴はどうだ?」
「わしの案に怒っているそうじゃき」
其の後、京土佐藩邸に建白書を携えて、谷が着くと皆が緊張した。「容堂公が大政奉還に賛成したとは・・・信じられない」
「視ろ、殿の名が刻まれている・・・」
龍馬たち、社中の者達は「ふん!」と馬鹿にした。
建白書は後日、土佐藩主・山内容堂の名で二条城に出された。
10月3日 土佐藩主山内豊範(容堂)、「大政奉還」の建白書を徳川慶喜に提出。
須佐達は御所に居た。無論、暗殺事件などの安全面に於いて、此処は最も安全な場所である。
「須佐殿、客人でございます」
「どなたですか?」
「幕府の高官です」武角達は彼らを部屋に通した。
「須佐殿、怪我の具合は?」
「伝七は腕を斬られて、この通りです」肘から先が無かった。
「実は殿が会いたいと申してまして・・・」
「慶喜公が?」武角は悟った。既に土佐が大政奉還案を出したことは聞いていた。
「二条城に出向きます」
「須佐殿たちが二条城に?」
「慶喜公と会談か?我々を差し於いて・・・」
龍馬はニタニタしていた。「当然だ。徳川始祖の代からの天海僧正からの恩、服部家の恩、出雲への憧れ・・・」
二条城では武角と佐助が慶喜に会った。
家老・大久保一翁が同席した。
○大久保一翁
文化14年11月29日(1818年)ー明治21年(1888年)7月31日
幕末から明治時代にかけての幕臣、政治家。東京府知事、元老院議官を務めた。早くからの開明派である。勝海舟と仲が善く、龍馬とも随意だった。
「須佐殿、土佐から提案書として大政を奉還・・・と云う案が出た。ご存知だろう?」
「はい。土佐は不届きもの・・・と、思われますか?」
「思わない・・・ただ・・・悩んでいる」
「当然でございます」
「此処にいる大久保一翁は、早くから開明せよ!と訴えていた者だ。勝などと同じく」
武角は大久保を視た。「大久保殿、此れは容堂公から・・・と、お思いですか?」
「思ってはおりません。思うに坂本あたりでしょう?」
「其の通りです」
「坂本?坂本とは誰じゃ?」慶喜が知っているわけが無い。
「土佐の浪人集団の長です。彼は唯一、新時代の構想をしっかりと持っております」
「一翁・・・浪人の案を土佐が同意したのか?」
「参政・後藤象二郎の力でございましょう」
「慶喜公、徳川幕府は洋威を防ぐため、初期から鎖国制度を引いてまいりました。しかし、其れも時代の流れ、ペルーは大統領の命だと云う親書を携えて、堂々と日本に開国を求めた」
「艦砲を強引に打ち込んでの。空砲だが」
「彼は南海から北海への捕鯨ルートの中心辺り、日の本で物資、燃料の給油などを行いたいため、國の代表として来ました」
「そうだが、特使を送れば善いものを、軍艦数隻を従えて来た。侵略と視て当然だ」
「其れが彼らのやり方ですが、其の裏には商売、貿易と云うものがございます。彼らは日の本を属国にするなど考えてはいないはず」
「貿易国として開国を望んだ・・・」
「そうです。其れには國の体制と、かんぱにぃが必要です」
一翁は思った。「須佐殿がこんな発言をするとは・・・まるで龍馬が乗移ったみたいだな」
「かんぱにぃ?」
「国際法によって利益を守るのです。其れには近代独立国家であることが必要です」
「国際法?」
「数年前、尾張徳川が長崎の商社船と追突事件を起こした・・・」
「知っている・・・彼らか?彼らが坂本か?」
「そうです。彼らは損害賠償を徳川三藩に行っても、泣き寝入りだとわかっていました。で、国際法に乗っ取って賠償を行い、勝訴した」
無論、慶喜は国際法なるものを知っている。しかし、日の本にはそういう観念は無かった。
「慶喜公、諸外国には商売と偽って属国したらんとする國もございます」
「知っている。其れが悩みの種の一つだ」
「あなたは若日子に何と云われた?」
「・・・外国が手を出せば守ってやると・・・」
「信用したのですか?」
「していない。・・・していないが、曖昧な返事をした。側近たちが、あの化け物に粉々になって殺された。あんな死に方は嫌だ」
「大政を奉還しますか?」
「武士では時代を守れぬか?」
「外国からも、志士からも・・若日子からも・・・」
「敵が多すぎるな」
「坂本はあなた方を敵とは思っておりませぬ」
「どういうことです?須佐殿」
其の後、会談は進み、別れた。
10月14日 徳川慶喜、政権返上を明治天皇に上奏(大政奉還)した。
朝廷、これを受け、薩長に倒幕の実行延期の沙汰書を下す。倒幕の大儀を失った薩摩藩は、江戸で放火・掠奪・暴行などを繰り返し幕府を挑発する。
武角は語った。「坂本は、此れで幕府からも志士からも恨みを買うな。幕府側の者達は江戸時代を終わらせたとして、志士たちは振り上げた刃の向けどころを無くされたこと・・・双方が血を視なければ収まらない」
「若日子も肩すかしですか」
「奴は何を考えている?」




