表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
須佐妖戦帖 第5章「幕末逢魔乱」  作者: 蚰蜒(ゲジゲジ)
14/25

其の14 龍馬の思案

「孝明天皇が崩御した!!」

慶喜は喜んだ。

「尊王攘夷の強健だった孝明天皇が居なくなった」


須佐たちは自責の念に叩き潰されていた。

「1200年前、皇子(聖徳太子)を殺され、今度は天子を殺された・・・・我らの甘さだ」

須佐たちは、一度、出雲部落に戻ることにした。


「須佐殿、そんな!我々はどうしたら善いのですか?!魔物がまた襲ってきたら」

「当分は無いでしょう。奴は1つ計画を叶えた。慶喜公を動きやすくしたはず。その経過を視るでしょう」

「どういうことですか?」

「開国です」


神戸港を開き、洋式軍艦を多数、手にする。薩摩は既に手にしていた。長州も海援隊を経て、薩摩から軍艦を手にしていた。彼らより上回る艦数と武器を計画していた。「奴らに対抗出来る・・・」慶喜はそう思った。「最新の銃だ!機関砲だ!農民の寄せ集めの奇兵隊なんぞに負けては武士の恥ぞ!」


「あなた方は?」

「長州にも赴いてきます」

そういうと須佐たちは京を発った。


慶応3年(1867年)1月9日(1867年2月13日) 明治天皇即位

1月11日(1867年2月15日) 徳川昭武、パリ万博のため出発

2月6日(1867年3月11日) 徳川慶喜、大坂城でロッシュと会見

3月25日(1867年4月29日) 徳川慶喜、各国公使を謁見(~29日)。兵庫開港を確約する。

4月14日(1867年5月17日) 高杉晋作死去

5月4日(1867年6月6日) 四侯会議(松平慶永、島津久光、山内豊信、伊達宗城)

5月24日(1867年6月26日) 徳川慶喜、四侯会議を制し、兵庫開港の勅許を得る。会議側の敗北を受け、薩摩藩は武力倒幕の方針を固める。


其の間、須佐は長州、薩摩にも赴き、情報を得ていた。そして京に舞い戻った。

若日子わかひこは、やはり動かなかった。そして高杉が死んだ・・・長州はどうなるだろう」

「薩長連合ですよ。幕府と全面戦争です」

「もはや、我らの出る幕じゃない」

「土佐の人斬りの情報を得たではないですか」

「うむ、長州の預かり知らぬ処と云っていた」

「土佐は・・・・」

「土佐者たちは奴を無視していたのだろう?」

「そう、視得ました」

「思うに、催眠術のようなものだ。土佐者を装って京で情報を得ていたのだ」

「何をする気ですかね」

「わからん、確かなことは幕府が血気盛んにさせたことは云える」

「慶喜公に何か進言したのでしょうか」

「・・・・・坂本は・・・」

「はい?」

「坂本はどうしているのか?かんぱにぃは、どうなったのか?」


其の頃、土佐藩参政・後藤象二郎は、藁をも掴む気で長崎を訪れ、龍馬に会談を申し込んでいた。

土佐は脱藩浪人衆の海援隊をよく思っていなかったが、時代の流れである。土佐は時代に出遅れた。土佐藩主・山内容堂は佐幕、勤王と揺れていたのである。時代はどうみても勤王派だ。


「坂本さん、止めなさいよ」

「沢村、何故じゃ?」

「あんな奴ら!斬り捨て御免などと云って、我々郷士を遊びで斬り殺してきた連中です。武市さんだって・・・土佐勤王党の悲惨さを思うと・・・許せません!」


沢村惣之丞さわむらそうのじょう1843年0月0日-1868年2月18日。満25歳没。

海援隊隊士。浪人の子として生まれ間崎哲馬から学問を学ぶ。土佐では、武市半平太の土佐勤王党に入党。其の後、吉村虎太郎と共に脱藩した。一時帰国したが、坂本龍馬と再び脱藩し、勝海舟の門下生となる。神戸海軍塾、神戸海軍操練所に入る。


神戸海軍操練所では、後の海援隊の同志らと英語・数学・航海術などを学んだ。沢村の学力は抜きんでていた。特に英語が堪能で、海援隊では外人応接掛の重要ポストを担当していた。

1968年、混乱により無人状態の長崎奉行所に自主で入居し、治安維持に勤めた。

ある日、酒帯びで抜刀している暴漢を射殺したが、後、薩摩藩士・川端平助だった。 沢村は薩摩・土佐間を悪化させぬため、自刃して果てた。

沢村は龍馬をとても慕っていた。


土佐勤王党とさきんのうとう

幕末の土佐藩において、尊王攘夷を掲げて結成された結社。武市瑞山(ずいざん〜半平太)らによって結成された。一言で云えば、土佐閣僚などを暗殺する殺人結社だ。その先方が岡田以蔵である。京都でも暗殺を繰り返した。其の後、党の者は、次々と土佐藩に捕われて獄死、切腹、斬首とあいなった。


「半平太・・・・」龍馬は、幼なじみの無念さを思った。

「沢村、皆、死んじまったな。無念だったろう。・・・だが、俺は後藤と会うぞ」

「坂本さん!」

「会談はする。それで話がこじれた時は・・・」

「其の時は?」

「斬り殺してやる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ