1-03 バベルとタビビト
気づけば草原の只中にいた。先ほどまであったはずの森も山もなく、なだらかに丘陵が続くだけになっていた。少女はきょろきょろと辺りを見渡す。座り込んだ足元では小さな雑草たちがゆらゆらと揺れ、足に触れるたびに心地よいくすぐったさを感じさせる。
少し離れたところには建物が見えていた。どうやら村のようで、活気のある声や匂いが伝わってくるかのようだ。
少し下に視線をずらすと、先ほどの妖精がこちらを見つめていた。少女の目線の高さに飛び上がると、小さな手で手招きをする。少女はつられるように立ち上がり、妖精についていく。
妖精は少しずつ村に近づいていく。村に入ってもまだ少女は止まることはない。
そこは、雑然という言葉が似あう場所だった。あぜ道の左右にウッドハウスやログハウスが並んでいたかと思えば、白壁の四角い家がいきなり顔を出す。道を曲がればレンガ敷きの道に代わり、もう一度道を曲がればまたあぜ道へと変わった。洗濯物が干されたレンガ造りの家の横にはテントと洞窟が並び立ち、その前で背の低い男たちが談笑している。水瓶を持った美しい絹のドレスの女性が、彼らに声をかける。いくつもの文化がまじりあったような、不思議な村がそこにあった。
いくつかの道を曲がると、喧騒は遠くなる。人影は通りに比べると疎らになっていた。少し背の高い建物に囲まれ、空が遠くなる。
そこにあったのテントのようだった。ゲルを思わせる様相で、少女があと少しでも背が高ければ、背を伸ばして立つことは難しかっただろうほどの高さしかない。妖精は一度振り向くと、誘うように中へ入っていく。
「お、お邪魔します」
入口の布を押し上げ、少女は恐る恐る中に入る。奥には人影が見えた。傍では先ほどの妖精が何やら興奮したように話している。それをいなす老女が一人、中央に鎮座していた。傍で香しい香りを立ててキセルが煙を上げている。
その老女は不思議な様相をしていた。胡坐をかく足には皮膚の代わりというように、ぬらりと輝く群青の鱗が顔をのぞかせている。先端に行くにつれ細くなり、つま先には指の代わりにヒレが輝いていた。足首にはアパタイトを思わせる不思議な煌めきのアンクレットが輝いている。ヒレに穴を開けて通されたいくつかのリングに、痛くはないのかと場違いな心配が顔をのぞかせた。
妖精のことばが止み、老女の目が立ち尽くす少女を射止める。真っ直ぐに見つめてくる瞳は、群青の空に翡翠をちりばめたかのようだ。知らず見惚れ、見つめ返す。老女の唇が弧を描き、皺がれつつもなお美しい声で、何事かを呟くように歌う。
大きく口を開けているわけでもないのにテント中に音が響き、反響し、一人のためのステージとなる。浪々と語り歌う声は大きくなっていき、少女の頭の中を回り始める。世界に二人だというチープな錯覚に陥り、その感覚が心地いい。
光暈がどこからか舞い散り、暗い室内をほのかに照らす。老女が歌いつつ左手を翳すと、徐々に掌に集い、円の中に十字――太陽十字を形成する。
やがて一瞬の静寂。閉じられた口が再度開き、一言だけ紡ぎ落された。
『バベル』
光暈が光を強くし、四方へ。漂っていたものは少女へと集い始めた。やがて光が消え去り、テントの中は元の姿を取り戻す。先ほどの妖精はいつの間にか老女の隣へと小さく腰かけていた。
老女はゆったりとドレープの効いた裾を揺り動かし、片足を立ててその上に膝を置いた。傍でくゆるキセルを取り上げ、ゆっくりと吸い、またゆっくりと吐いた。煙が鳴りを潜める。
「さて、と。チュンから話は聞いたよ」
老女がその皺がれた声を上げ、灰吹きにキセルを軽く打ち付けた。灰がコロコロと落ちていく。少女は落ちた灰を見つめていたが、老女の目線を感じ、慌てたように正面を見据える。
そこではてと気づいた。今、この方はなんと言っただろうか。自分に聞き取れる言葉を語りはしなかっただろうか。
「キーヤトーブへようこそ、異界のタビビトよ」
惚けた顔の少女を放置し、老女はひどく楽し気に笑った。
手元にプロットなどの資料がない状態で書いたため、もしかしたら変更が加わるかもしれません。
ルビの付け方を忘れました。てへぺろ。光暈→こううん、です。→ルビつけられました。ハレーションのことです。
老女は老けているのではなく老いているのだという意味で老「女」としました。
今回はなんとなく参考資料とか書いてみる。
参考:
http://kiseru.blog.jp/archives/1019984977.html
http://chiken.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-23f8.html
http://pinkabsinthe.deviantart.com/gallery/
http://ocn1.net/sengoku/gallery_rojo.html
作業中BGM
https://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_3458316745&feature=iv&src_vid=_VM85AnbkEE&v=Ww4Gshif2QI
https://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_3226483341&feature=iv&src_vid=UdajGPuZ5dY&v=Gon37wpszkw
https://www.youtube.com/watch?v=_VM85AnbkEE&index=7&list=RDpKw1sbKCEAA
あと、前回に続く翻訳ヒント。まあこの先出てくることはないと思います。老女の歌。
アーシアーオトゥニキーヤトーブエタルスナートイ。
キーヤトーブオトゥニアーシアーエタルスナートドナ。
2018.09.10
一部変更。