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TS100ものがたり 01:地方空港のカウンター

作者: 私

ちょっとした国内旅行のため、家から一番近い地方空港に足を運んだ。そしてチェックインをするために、予約していた空港会社のカウンターに赴いた。小さい空港なので中は閑散としており、特に並ぶこともなかった。

カウンターには空港会社の制服を着て首にスカーフをまいた二十代前半ぐらいの若い女性がたっていた。落ち着かない様子で首のスカーフに手をやっている。近くによると名札のしたに研修中とのプレートがかかっている。そしてその後ろには三十代ぐらいのベテランと思われる女性が看守のような面持ちで立っていた。

4月に入社して研修を終えてつい最近初めてカウンターに立ったんだろうなぁと思わせる井出達であった。顔の化粧もどことなく拙く、顔は緊張で引きつっていた。

「ご希望の席はございますか?」

定型的なことを尋ねてはパソコンに打ち込んでいく。

「お預かりのお荷物はお一つですね」

彼女は私の荷物を計量計の上になれない手つきで載せようとした。彼女の細腕ではかなり重たいだろう。私は咄嗟に手伝ったが、彼女は侮辱されたかのように顔を顰めたが後ろからの厳しい視線を感じるとすぐに笑顔に戻った。

「ありがとうございます」

彼女は女性らしい仕草で頭を下げた。チェックインが終わり、出発までまだ一時間以上あるので空港内のお土産物店をぶらぶらと歩いていた。別に買うつもりもなく色んな商品があるんだなぁと適当に物色した後、トイレに行くことにした。

用を足し洗面台で手を洗っていると、誰かがトイレに入ってきた。気配を感じそちらを見ると、驚くべきことにさっきのカウンターの新人女性だった。まさかカウンターとトイレ掃除が兼業とは思えないし、スカートにスカーフというとても掃除をしそうな姿とは思えない。私の驚きの表情を見て、彼女も気が付いたのか、「ごめんなさい。間違いました」と小声でつぶやき踵を返した。急ぎ足であるものの、履きなれていないハイヒールのせいか、それともタイトスカートのせいか、とてもぎこちなく見えた。ハイヒールのかかとにはストッキングの下に絆創膏が貼られているのが見えた。

彼女の姿が見えなくなり我に返った。幾ら新人だからと言って男子トイレに間違って入ったりするだろうか。もしそうだとしたら相当のおっちこちょいである。それとも業務が忙しすぎて頭の整理がつかなくなっているのだろうが。確かに自分も新社会人の時はいろいろとミスを重ねたものだと思いつつ外にでた。当然彼女の姿は見えなくなっていた。

さっきまで空いていた障碍者用トイレに誰か入っているなと思ったが特に気にせずその場を離れた。

その後ケータイをチェックしようかなぁと思いカバンをあさった。しかし見つからなかった。おかしいなぁと思いまだ時間があるので駐車場まで戻ってみた。端の方しか空いておらずエントランスからかなり遠くに停めてあるので戻るのは一苦労だったが、ケータイ無は非常に困る。なんとか戻りよくよく探したら座席の下に落ちているのを見つけた。

一安心し、メールをチェックして空港に戻った。またメインエントランスまで戻るのは億劫だったので、駐車場の端にある入り口からはいることにした。どう見ても従業員用の出入口だったが、関係者以外立ち入り禁止とも書いてなく鍵も開いていたのでそこから入った。

空港の近代的な風景とは異なる殺風景な廊下が続いていた。すこし歩くと扉の奥から女性の怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。

「〰入ろうとしたでしょう!!何度言ったら分かるの!!!」

「下手したら訴えられるのよ!それに障碍者用も使っちゃダメって言ったでしょ」

なんとなく会話の内容が気になったのでふと足をとめ耳を欹てた。半分泣きそうなか細い女性の声が聞こえる。

「無理です。・・・・もう終わりにしてください・・・・お願いします」

彼女の声はか細くよく聞き取れない部分があった。ただ恐らくあの新人女性が上司に怒られている場面であることは想像できた。

「別にやめるのは勝手だけど、元には戻れないわよ。その姿でどうやっていきていくのかしら?」

「そんな・・・」女性の絶句が聞こえた。

「ほら、泣かない!またメイクやり直しになるわよ!!」

いまいち会話の内容が分からなかったが、とにかく怒られていることは分かった。あの女性、男子トイレを覗き見する癖でもあるのだろうか…。そんなことを考えるとおかしな気がして苦笑した。そしてその場を去った。そろそろ時間もいいころだしと思い、保安検査場に向かう途中、例のカウンターを見た。予想通り新人女性の姿はなかった。

心の中で頑張れよ…と唱え、私は搭乗ゲートへと向かった。


その年の年度末、再びその空港を利用する機会に恵まれた。今回は連休前で短いながらも列ができていた。その列に並ぶと、例の新人のことをふと思いだした。あの時の新人、どうしているかな…そう思いカウンターを見まわしてみた。すると一年前とは異なり、髪形も化粧も格段と見違え、ものこなしも遥かに可憐になった彼女がてきぱきと仕事をこなしていた。もう胸に研修中のプレートはなかった。私の対応は彼女ではなかったものの、自然な笑顔で業務をしている彼女を見て安心した。


今回は連休前ということで、多く時間を取られると思いかなり早めに空港についていた。出発まで時間があるのでラウンジで休んでいた。そしてケータイを取り出そうとしたとき、またカバンのなかにないことに気が付いた。彼女の進歩に比べ自分は何をしているんだ…と恥ずかしくなった。例の薄暗い廊下を抜けて駐車場に向かった。扉から出ると、妙な声が聞こえた。すすり泣きのような嗚咽のようなものが建物の裏から聞こえる。何だろうと思い建物の裏に回ってみた。すると建物の角で、制服姿の女性がしゃがんで泣いているのが分かった。

「だ…大丈夫ですか?」私は余計なお世話かもしれないと思いつつ声をかけた。

驚いた様子でこちらを向いたのは例の新人女性だった。さっきまでの笑顔が嘘のように涙で顔がぐちゃぐちゃになっている。

「なんでもありません」彼女は顔を背け逃げるように建物の中に入っていった。彼女の動作は一年前とは違い、スムーズで素早かった。私は呆気にとられてなにもできなかった。

ふと彼女にいたところを見ると一枚の紙が落ちていた。それを拾い上げる。勝手になかを見てはいけないと思いつつ、好奇心から紙を広げた。

『辞令 4月1日より国内線キャビンアテンダントとしての業務を命ずる。4月1日より○○の研修所へ異動すること』

そう書かれていた。私が思っていた内容とは全く別の、どちらかというと嬉しい内容の文章だったので驚いた。彼女はどう考えても絶望感から泣いていた。そんなにCAとは嫌な仕事なのだろうか。しかし普通に考えるとCAなんて女性のあこがれの仕事のように思える。なにか別の事情があるのだろうか。とにかくこの紙を彼女に返さないと…と思いポケットにしまった。

ケータイをとりフロアに戻った私は、カウンターを見た。しかし彼女の姿はなかった。内容的に彼女に直接渡した方がいいと思うし、できることならどういうことなのか一二言聞きたかった。まだ出発まで時間はあるし、昼食でも食べてまたきてみるか…と三階のフードコートへ向かった。

おいしくない割に値段は高いラーメンを食べていると、すぐ後ろの席に空港会社の制服を着た女性二人が陣取った。横目で見ると、一人はあの新人の上司と思われるベテラン女性だった。もう1人も今日私の対応をしてくれた女性だと思う。

最初はどうでもいい世間話をしていたが、ある気になる話題に入った。

「今日加藤さん、元気なかったけどなにかあったの?」

「今日、辞令が来たでしょ。なんか、CAに選ばれちゃったんだって!」

「えぇ!あんなに本社に戻るために一生懸命頑張っていたのに!?」さらに彼女は声を低くしていった。「じゃあ、当分あの姿のまま?」

「当分じゃなくてもう一生じゃない?」上司の女は楽しそうに言った。「一年目で戻れないともう絶望的っていうし」

「そっか…、そうなんだ。でもあなたなんか嬉しそうね」

「だってあたしの狙い通りの結果だもの」

「ひっど…、もしかしてあなたがCAに推薦したの!?」

「推薦なんかしてないわよ。ただ事実をきちんと報告しただけ。非常に女性らしくエレガントに上品に振る舞い、お客様の好感度も抜群ですって」

「確かにそれは言えてる。始めの頃なんか、パンツスタイルじゃなきゃ絶対いやだ…なんて泣いてたのに。それに、男子トイレに侵入したりしてたんでしょ」

「そー。始めは大変だったわ。日常生活でもスカート強制、トイレにも必ず付き添ったりしてね。でも、そんなんじゃ一生グランドスタッフとして飛ばされたままになっちゃうよと脅したら、いうことを聞くようになってね」

「最近じゃ本人も楽しんでいたみたいじゃない。この前なんか、積極的にスカーフの蒔き方工夫していたりしてたし」

「やっぱりそう思う?あたしも、自発的に女性らしく振る舞うようになったなと思ってたの。だから案外、この人事もショックじゃないかもよ」

「いやー、でも可哀想よ」

私はその会話を箸も動かずに聞き入ってしまった。ただその会話をつなぎ合わせるとすべてが明らかになる気がした。つまり彼女はきっと総合職で入社したけれど、何かのミスで飛ばされてグランドスタッフをやらされた。きっと一年という約束だったのだろう。ただ男性に憧れているのか、男性的に働きたいのか、そう考えていた彼女にとっては苦痛以外の何物でもなかった。そこで最初はいろいろ抗議していたけれども、途中から心を入れ替えて仕事を頑張ることで本社勤務に戻ろうとしたのだろう。しかしそれが裏目に出て、CA勤務を命ぜられた。だから、あの涙だったわけか…。

私は妙に納得し、残った伸びた麺を啜った。

私はこの辞令を彼女に直接返し、なにか一言かけてあげたいという気持ちが非常に強くなった。しかしカウンターを覗いてみても彼女の姿はない。出発まであと30分を切っていた。トイレに行ってそれでもダメなら他の人に渡すか…そう思いトイレに入った。

用を足しながら、女性が男性並みに総合職として働く大変さを思った。きっと彼女は女性を捨て、男性のように働くことを誓ったのだろう。しかし受付業務をするうちに、女性的な感覚が高まり、抑えられなくなってきた。彼女のうちに女性らしく生きる願望が隠れているなら、そう不幸な結果ではない気がした。

勝手な考えを持ちながら洗面台で手を洗った。一年前のように突然彼女が現れないかと思いながら。そのことについて自分の中で釈然としないものがあった。いくら男性的に生きると決めたからと言って、普通男子トイレに侵入なんかするだろうか。服装だって、いくら今の仕事が不本意でも、スカートを穿くことを徹底的に拒絶などするだろうか。盗み聞きだったので、なにかそのように聞こえただけなのかもしれない。

当り前だが彼女は現れず、私はトイレを出た。するとその時、向かいの女子トイレの前に立ちすくむ一人の女性の姿があった。私はすぐに彼女だと分かった。

「すいません」私は咄嗟に声をかけた。

振り向いた彼女は、目を赤くし涙でメイクは崩れていた。髪も乱れ、制服も皺くちゃであった。首を彩っていたスカーフは外されていた。私はその姿に凄み、呆気にとられた。

「あの、これ、落としませんでした?」私は恐る恐るポケットから先ほどの辞令を差し出した。彼女はじっと動かなかった。

「自分の希望とは違うのかもしれませんが、あなたなら女性らしく生きていけると思います」私は必死の思いでそう言った。

しばしの沈黙が流れた。彼女は差し出した紙を受け取ることもなく、じっと私を睨みつけた。

「あなたになにがわかるんですか!」彼女はきつい声でそう言った。「女子トイレに入るたびに自分は女でしかないって実感させられるんです。座って用を足すしかない。他の女性たちは当り前のようにしかみなさない。でも自分はどこかで男性として女性を見ている。こんなスカートも、歩きにくいハイヒールも、ストッキングも化粧も長い髪も、すべてが嫌なんです」

噛みしめるように彼女は言った。私は相当重症だと思った。私の手には負えない。病院かそれなりの機関で治療を受けるしかないのではないだろうか。

「こんな姿になって一年間、戻るためだけに頑張ってきたんです。どんなに恥ずかしくても上司の言う通り女性らしく振る舞うように努めました。何度も怒られてやっと足もきちんと閉じられるようになったし、化粧も時間をかけないでできるようになったし、ハイヒールで走ったりもできるようになりました。でもそれが段々自分の中で当り前になり始めているんです。足を開いて座るなんて考えられないし、ノーメイクで仕事なんか出られないし…。それに段々、女の人に対してなにも感じられなくなってきて…」

彼女は殆ど涙声になっていた。

「ごめんなさい。ありがとうございます」彼女はそういうと、私の差し出した紙を奪い取り、女子トイレの中に消えていった。


私は彼女の魂の告白を聞いた気がした。しかし一体何と返したらいいのか、いや彼女の考えていること自体がよく分からなかった。そんな時空港内を私が乗る飛行機が間もなく出発するので搭乗手続きを早く済ませるように促すアナウンスが響いた。

私は釈然としない気持ちのまま、保安検査場へと向かった。保安検査場の長い列に並びながらトイレの方を見ると、階段を下りてくる彼女の姿があった。もう涙の跡はなく、メイクはきちんと整えられ、服に皺もなく華麗な歩き方にはスタイルに対する自信さえ感じさせた。。さっきの叫んでいる姿はもう嘘のようであった。


飛行機の中で、色々と考えを巡らせたが、納得のいく答えは何一つ出なかった。


数年後…

ある国内線の飛行機。私が本を読んでいると、CAが「飲み物はいかがですか」と声をかけてきた。特に振り向きもせず、スープを頼んだ。暖かい紙コップを私の前に置いた彼女の長い薬指には真新しい銀の指輪が輝いていた。

ふっとCAの方を見上げると、もう彼女は次の列への配膳を始めていた。ただその後ろ姿はどこかで見かけた気がした。


おしまい



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