@4の1 『第一の刺客・白雪姫』
「白雪と申しますう」
「ああどうもどうも、外崎龍王です。こっちは今慎太郎でこっちは」
「ウラシマちゃんですう。よく知ってますよお」
めっちゃふわふわした喋りで、見た目からしてフリルたっぷりゴスロリ衣装のふわふわ白髪な、ふわふわ少女はウラシマ少年の知り合いであった。
「ええっと、白雪さんは…あれかな? 超魔ヤナギダだっけ? の手下で、俺への刺客なのかな?」
「よくご存知ですう。申し訳ないんですけどお、死んでくださあい」
実に申し訳なさげな表情で深々と頭を下げる白雪嬢であった。オトギキングダムっていうのは頭のイカれたやつしかいないのだろうか。どうしてそんな殺伐とした内容を、うちの犬が吼えかけてごめんなさいくらいの軽い調子でいえるんですか? おかしくないですか?
「ほら! だから言ったじゃない! タツオさんがダラダラしてるからもう刺客が来ちゃった!」
すげえ勝ち誇ったように胸を反らすウラシマ少年の、その高く伸びた鼻っ柱を物理的にへし折ってやりたいと感じることは人として誤りでしょうか? 俺がその刺客とやらに困り果てればいいのだといわんばかりの態度であった。クソすぎる。
「なるほど…話をまとめると、トノが俺の先輩で、第八話くらいでマミる役なんですね?」
第八話ってなんだよ。ただでさえややこしいのが収集つかなくなるからお前は黙ってろ。
「あー…」
頭痛がしてきた。なんで俺はこんな目にあってるんだろうか。こんな気の狂った連中を部屋に入れて、明日から俺はご近所からどう見られるのだろうか。というか、すでにアパートから追い出されるフラグが成立してないだろうか。
「…とにかく、ここじゃいろいろアレなんで場所を変えましょうか。どっか山ん中とか。ご近所に迷惑なんで」
「えー…ご近所へのご迷惑はあ、もう遅いと思いますよお…だってえ」
外から絹を切り裂くようなけたたましい絶叫が響いた。
「キャー! 大橋さん! しっかりして! え!? 船渡さんもどうしたの…って、うぐっ!?」
バタバタと、人が倒れるような大きく鈍い物音が連続する。
「…え?」
「私がさっきからあ…毒ガスを出してますからあ…」
「…は?」
それはとても申し訳なさげに、肩をすくめて小さくなりながら。
少女がテロルを宣告した。
※
玄関ドアを開け放ったら、そこにあったのは叫喚地獄だった。
苦痛のうめきをあげながら横たわる、近所の人たち。声だけではない。痙攣、嘔吐を伴うその状態は、素人目にも一目見て危険な水準だとわかる。
一刻も早い治療が必要なことは明らかだった。
「なんだ…こりゃ…」
立ち尽くす。年だけは大人になったつもりでも、こんな緊急事態に突然放り込まれて的確な行動ができるほど、俺は冷静でも出来た人間でもないようだ。
とにかくこの人たちを助けなけりゃいけないってことばかりで思考が空転し、いま何をすべきかが浮かばない。
「…シンタっ、救急車呼べ!」
「そんなことよりタツオさん、白雪を連れていって! 早く街から離れないと!」
「…ああっ!?」
ただでさえテンパってるというのに、そこにかけられたウラシマの指示の意味不明さに、簡単に俺の理性が発火点を越える。いや待て落ち着け。いまはキレてる場合じゃない。人命がかかってる。
「…どういうことだ」
「この人たちは白雪から離してしばらく置けば大丈夫だから! それより、白雪が居ることで発生する周辺への空気汚染がやばいんだよ! 白雪は全身が毒で出来てるようなもんなんだ! 何十分もこんな人の多い場所に居たら本当に誰かが死ぬ! くそっ、ごめん、すっかり忘れてた!」
「全身が毒でできてる、居るだけ毒ガス女だあ…? そんなもん…。そんなもん、居るか。ああちくしょうっ、いきなりリアルにファンタジーっぽさ出してきやがって!」
「と、トノ! 救急車どうするんすか!?」
「いいから呼んどけよ! あと、そこどけ!」
叫びながら、シンタを無理にどかす。部屋にとって返し、この騒ぎに罪悪感で世界の終わりみたいな顔してる青ざめた白雪姫を抱き上げた。
ウラシマの説明が事実なら、いま抱いたこの腕のなかに居るのはテロリズムで使われるレベルの毒の塊だ。
「ひあああぁぁぁ」
俺の突然の乱行に白雪が奇声をあげてむずかる。いやいやして降りようとする。構ってられるかそんなもん。
しかし。
「連れてくたって、どこに! どうやって!」
ここらへんは弘前の中心からは外れるとはいえ、周辺すべてずっと人里なのには違いない。完全に人が居ない場所なんて山くらいしか…久渡寺山か。
場所は思い浮かんだが、でも、どうやって行く?
「くそっ原付しかねえぞウチぁ! どうやってヒト一人運ぶってんだよ!」
「二本の腕と足があるでしょ! いまのタツオさんなら出来るよ! 早く! 早く!!」
「そういやそうだったあ!」
そうだよな、そうだった。そもそもそんないらねえ能力もらったせいで、こんなトラブルに巻き込まれたんだともいえる。くそったれ、せいぜい有効活用してやらあ!
俺は玄関を走り出る、ウラシマとすれ違うその間際、ついでのようにウラシマの腕を引っつかんでかつぎあげた。
「…へ? ちょっと!? 私は違うよ!?」
「道すがら詳しい説明してもらうってんだよ、このクソボケ!」
左腕のなかに白雪姫、右肩にウラシマ少年を座らせて、人間特急出発進行である。
※
「だいたい、なんで白雪姫が毒女なんだよ! そこからしておかしーだろうが! いじわるな継母女王ならともかくよ! 白雪姫つったら毒盛られてやられる側だろ!」
いちおう人目を避けて幹線道路は使わないように走ってるが、それでも人間二人を担いだまま異常な速度で全力疾走してる俺とすれ違うたび市民のみなさんが目を丸くする。
飲んでいたジュースの缶を落とした人も居た。これでメイン道路なんて走った日にはどうなるか想像するだけで怖いが、そろそろそっちルートを使わざるを得ない。
すべての道がローマに通じてりゃいいんだが、クソ田舎だけあって入り組んだ裏道の先が普通に行き止まりや崖なんて事態はザラだ。
「それってこっちの世界バージョンの御伽噺でしょ!? 白雪のお母さんは実のお母さんだよ!」
「あ、あのおー…私の前で私の話をしないでくださあいい…」
「「あんたは黙ってろ!」て!」
「ひあああううう」
※
むかしむかしあるところに、白雪姫というそれは美しいお姫様がおりました。
王様も女王様も、たった一人の姫である白雪姫を目の中に入れても痛くないかわいがりよう。白雪が何をしても叱りませんし、何か欲しがれば国中探してもすぐに与えるという具合です。
そんなに甘やかされてはたいへんな子供になりそうなものですが、たったひとつのクセを除いては、白雪は優しく素直なよい子に育ったのでした。
「白雪! またそんなものを食べて! いけないと言ったでしょう!」
「まあまあ后や。小さな子供にそんなに怒るものではないよ。ゆくゆくは白雪だっておのずから分別がついてこういうことはしなくなるさ」
「あなたは甘やかしすぎるんです! 白雪に何かあったらどうするのですか!?」
しかし、そのたったひとつのクセというのが、大問題なのでした。
※
「…食ってたの? 毒蜘蛛とか、毒蛇を、生のまんま?」
「あとはあ、蠍とかあ。大好物はフグの丸揚げですう」
どうしよう。そんなわけにはいかんのだが、この左腕をエンガチョして今すぐ開放したくなってきた。
「白雪の悪食は有名な話で、もっとちっちゃかったころは私たちの伝説だったんだよ。白雪の国の人たちは面白がって色んな毒のある生き物を献上したりしてたみたい」
「止めろよ。自分たちの姫だろ。というかお父さんが止めろよ。自分の姫だろ。まともな人はお后様しかいなかったの?」
「お父様はあ、毒を飲むのも毒に馴れて暗殺を防ぐ王族の訓練だからあ、って笑っておいででしたねえ」
まともな人はお后様しかいなかった。お后様かわいそう。娘が毒虫食いで、旦那と国民がネタでそれを煽るとかどんな悪夢だ。
「でもそれがだんだん笑い話にならなくなってきたんだよ」
※
はじめは侍従長でした。
でもおじいさんだったので、老け込むのが早いと思われただけでした。
その次は白雪付きのメイド長でした。
後から妊娠していたことがわかって、あれはつわりだったんだということになりました。
その次は庭師でした。
仕事熱心で雨に当たりすぎたんだといわれました。
その次は料理人でした。
ねずみの多い仕事場ですから、どんな病気にだってなる可能性があります。
その次は仕立て屋でした。
その次は大臣でした。
その次は衛兵頭でした。
その次は牢番でした。
その次は。
その次は。
その次は。
※
「きゃいっ、いたっいたいですう」
「ちょっとひどいよタツオさん! いきなり離したら白雪がかわいそうじゃん!」
空気がギャグに戻ってきたと思って安心してたら、サスペンス通り越してホラーになってた。
「いや…まあ、ごめん…ていうかお前に言われるがまま抱き上げたけど、俺はこの子を抱いてて大丈夫なの?」
「タツオさんはまあ病気とかきかないし毒もだいたい大丈夫なんじゃないかな…」
「『だいたい』とか『かな』とかあやふやな表現やめてくんない? たった一つしかないかけがえのない俺の命なんだと思ってんの?」
「大丈夫だと思うよ、いや大丈夫だよ。大丈夫だって、私を信じて」
「俺とお前の間に信頼関係と形容できるものはひとかけらだってありはしないんだけど、お前の何を信じろって?」
「あ、あのお、なんなら白雪は自分で歩きましょおかあ」
「「どうぞどうぞ」」
「は、はいぃ…。だから喧嘩はあ、やめてくださいい…。んん、あれ…仲良しなのかなあ…」
俺とウラシマ少年が仲良しということは万一にもないが、この白雪姫が天然なのは疑いないようだ。
※
白雪をずっと庇い続けていた王様が、とうとうお倒れになりました。
病気の床で、うわごとのように「すまぬ…白雪…すまぬ」と繰り返しておいでとのことでした。
もう国民の誰も、白雪が毒女であることを知らない人はいません。
毎日毎日王宮に押し寄せ、白雪を出せ、この国から追い出せと怖い声で叫びます。
それをもっと怖い顔でにらみつけて、衛兵に追い払わせるのはお后様です。
けれど、最近はお后様が命令しても兵士たちが言うことを聞かないようになってきました。
終わりのときが近いことを、お后様はわかってしまいました。
王宮の地下、牢屋よりもっと深くてじめじめした場所は、大事な国宝がたくさんしまわれた王家の宝物殿です。
お后様はそこを一人の供も連れずにたった一人で下っておりました。
そして目当てのものの前にたどり着くと、身も世もなく崩れ折れて、それにしがみついて叫びます。
それは大きな大きな鏡でした。
「鏡よ! 鏡! あらゆる遠見鏡よりなお貴い、この世にたった一枚の明日見の鏡よ! 引き換えにこの城でも、この国でも、我が命でもなんでも差し出す! 白雪を救っておくれ! お願いだから! お願いだからあ!」
お后様の持ち込んだランタンの明かりに照らし出されるだけだった鏡が、みずからぼうっと青白い光を放ちました。
「后よ。それは無理なことだ。白雪はすべての民に憎まれている。白雪を守るものはもはやどこにもない」
「なぜじゃ! 白雪が何をした! 人に恨まれるような何をした! すべては甘い父親と、そんな夫と娘を許したこの馬鹿な母の過ちぞ! 報いならこの身にせよ! 差し出せというならこの先何回生まれ変わったあとの生命もすべて渡す! もう人に生まれようとは思わぬ! 慈悲なく踏み潰される路傍の蟻の一匹でよい! だから…お願いだからぁっ!」
「后よ。すでに定められた道理が覆ることはない。白雪はこの世を追われ、もはや帰らぬ」
「なぜ…なぜこんなことになったのです…あなた、白雪…」
それから数日後のことです。
お后様は、白雪姫を死刑にしたと発表なさいました。
国民の誰も最初は信じませんでしたが、眠ったように棺に横たわり、ぴくとも動かない白雪を見ては、納得しないわけにいきません。
毎日王宮に押し寄せた群衆は波が引いたようにすっかりなくなりました。
お后様は手ずからリンゴを白雪に与えたのです。
それは深い眠りにつくためのものでした。
死んだように目覚めず、冷たく、固くなる眠りです。もうずっと目覚めることはありません。
白雪はもちろん拒みませんでした。言うことを聞かないで困らせたお母様にできる、それがたったひとつの親孝行と思ったのです。にっこりと笑って、白雪はリンゴをかじったのでした。
白雪はそれからずっと眠りました。
その眠りは死んだように。
その眠りは死んだように。
そうしてずうっと長い時がたちました。