@21の4 『日本一の桃太郎(4)』
「国民のみなさん、ごらんください。これは特撮ドラマでも、映画でもありません。今このとき、現実に起こっていることです。弘前城を頭部として、月にも届きそうなほどの巨体の怪物が歩いております。白神の世界遺産たる国有林が一息でなぎ倒されています。そして怪物は、すでに弘前市を破壊し尽くして、現在まっすぐに南下しています。確かな情報筋によれば、あの怪物の目的地は東京都だそうです。繰り返します。これは特撮ドラマでも、映画でもありません。現実の世界で起こっている、日本国民の危機です」
女子アナが切迫した調子で言うその内容は、用意された台本でもなんでもなく、たった今綾野アナがひねり出しているアドリブだ。
その報告は当然青森市に存在するAABの緊急特番スタジオではなく、その脇を通り越してARBの現在は何も番組を収録していないはずのスタジオに届けられている。
そこから間接的にUストリームのARBアカウントへと上げられ、映像と音声がネット上で垂れ流されるって寸法だ。
実況のとおり、再始動した天守閣ロボはこのヘリの後方でゆったりとした歩みを見せている。
ゆったりとはいってもサイズがサイズだ。
時速になおせば80キロとかそんなスピードになるだろう。
「つか、直接こっからネットに上げることもできるんじゃないんですか?」
俺のような素人考えだとまどろっこしいやり方にも思える。
この方法じゃ、もしARB側に拒否されたりしたらその時点で放送が終わってしまうし。
そんな俺の疑問に浜田さんが即座に答えてくれた。
「こういう混乱のさなかに一番大事なのは、信用できるかどうかってことなんだよ。得体の知れないどっかの誰かが上げた情報なんて、信憑性がないし、もし信用が得られても悪い風にねじ曲げられたりする。伝言ゲームは悪意に弱いからな。震災のときだって大変なときなのに面白がって強盗や殺人犯がうろいつてるなんて話を触れ回った奴なんかもいた。普段から信用を得てる公的な機関が発信してる情報だって建前が大切なんだ」
なるほど。
確かにいまこの場から発信されてる情報はふつうに考えたら突拍子がなさすぎて、くだらんいたずらをするなと叱られて無視されそうな内容だ。
それなのに、「ほら」と浜田さんに示されてタブレットをのぞき込むと、そこに映ったARBの公式Uストチャンネルはその視聴者数をガンガン伸ばしていく。
1万人、2万人、あっという間だ。
「すごいなあ。下手したら接続数多すぎってUストの運営から規制かけられそうだぞ。ARBのUストチャンネル開設以来初めてじゃないか? こんなのって。こんなとき不謹慎だけど、角田さんたち喜んでんだろなあ」
浜田さんが心底驚いたようにつぶやいた。
いきなり戦争以上の極限状況に突き落とされた弘前人はもとより、その弘前人とSNSなどで連絡を取り合っていた外部の日本人たちも、情報に飢えていたのだろう。
報道管制が敷かれた以上は表のテレビ番組はまったくの平常進行なのだろうし、にも関わらずTwitterやFacebookからは次々と何かとんでもないことが起きてることを知らせる情報が上がってくる。
この国の表と裏で、いまとんでもない温度差が発生しているということだ。
その異常さに気づいた人々が、『確かな』立場で情報を発信しているARBのUストチャンネルに殺到しているのだ。
弘前人や青森市民のなかの、さらにITに明るいごく一部だけが上げる声に終わらず、国民的に情報が共有され政府が突き上げられれば。
むしろ、そうしてきちんと自衛隊が動く以外には、もうあの怪物をどうにかする手段があるとも思えなかった。
「いま流している映像は、つい先ほど録画された、破壊された弘前の市街地です。これはつい先ほどの映像です。中東の戦争や震災被害の映像ではありません。たったの数時間前に記録されたものです。そしてこれと同じことが、東京都、そしてこの白神山中から東京へ至る進路上のすべての都市で起こりえるのです。みなさん声をあげてください。情報を拡散してください。これほどの事態になっているのに、いまだに自衛隊の出動がないのはなぜでしょう? 国民のみなさんの声で政府を、自衛隊を動かしましょう。お願いします、みなさんのお力をお貸しください」
綾野アナのアナウンスが続く。
みんな希望に満ちた顔でタブレットの画面を見ている。
AABのスタッフたちも、ウラシマも。
しかし俺には一抹の不安が拭えなかった。
国自体が情報の隠蔽に動いてるというんなら、こんなしょぼい『発信』をしたところで何も変わりやしないんじゃないかと。
1億2000万人もいる日本人のなかの、ほんの数万人にこの声が届いて共有されたって、そんなものを叩き潰すのは国にとっては容易いんじゃないかと。
数万人を集めて声を届けるってのはすごいことのように思えるが、1億2000万人の力を結集してそれを意のままに使う権限を持つ国からすれば、結局ゴミみたいなもんなんじゃないだろうか。
その俺の不安に正体を与えようとでもいうように。
それは俺たちの進路上の空に現れた。
※
かと思えば過ぎ去った。
音速に迫るスピードの物体に横切られたために、ヘリが突風を受けたように揺れる。
「うわあああぁぁぁ!」
「なんだ、なんだよ!?」
機体のなかがたちまち叫喚に包まれる。
「い、一瞬すぎてよく見えなかったけど! あれって、戦闘機じゃないかな!?」
ウラシマが、ヘリの窓に顔を張り付けて、物体が過ぎ去ったほうを見ながら叫ぶ。
「なんでそんなもんがここにくるんだよ!」
「なんでってそりゃあ…」
俺の当然の疑問にウラシマが口ごもる。
体勢を直したAABのスタッフ陣や綾野アナが一様に青ざめた。
「そりゃあ…俺らをぶっ殺すためか」
大勢に影響のないネズミのような小さな喚き声とはいえ、国の方針に都合の悪いことを言っている奴らがいる。
しかしそいつらは自ら誰にも見咎められることのない場所にいる。
答えは簡単ってわけだ。
「…」
あくまで民間の報道用ヘリだ。
反撃能力はおろか、防御能力だってしれたもの。
戦闘機が発射するミサイルなんて受けたら、一撃で粉砕されることはわかりきってる。
一時の熱狂に冷や水を浴びせられたように静まる俺たち。
その沈黙を破ったのは、やはりこの人の声で。
「龍王。俺を抱き上げてくれぬか」
「…桃様?」
「はよういたせ。あれが反転して戻ってくれば、次はないぞ」
床に横たえられてまさしく半死半生の桃様が要請する。
俺はしかし、せっつかれても逡巡してしまう。
いったいこんな状況で、何をするつもりなのか?
それが、なんとなくわかってしまうから。
それでも言われるがまま桃様を抱き上げた俺に、やはり桃様は予想通りの声をかける。
「この戸を開けよ。そして俺が合図いたさば、俺を後ろへ向かって放り投げるのじゃ。ミサイルは俺が必ず防ぐ。それで起こる爆発を奇貨として、地上へ降りよ。あとのことは、あとで考えればよい」
バカなことを言っている。
腹に大穴のある男の発言ではない。
大人しく寝ていろ、といえたらどんなによかったか。
しかし、確信してしまう。
それは俺だけじゃなく、きっとウラシマも。
逃げ場のない空中で、数分後にも戦闘機による追尾ミサイルが襲ってくるというこの状態を打開する方法は、桃様の言うとおりのものしかない。
「何言ってるんですか桃太郎様!? あなたはもう一歩も動けないような容態なんですよ!? ちょっと、あなたも離して! 彼を離しなさい!」
それがわからない綾野アナが、俺に食ってかかる。
ウラシマは俺たちを見て、どう言ったらいいのかわからないというように眉根を歪ませて泣きそうな顔をした。
常識的に考えれば、まったく彼女の言うことのほうが正しい。
俺は自分で立って歩くこともできない人間に対して、それが本人の望みでもあるとはいえ、してはならないことをしようとしているのだ。
「そなた」
桃様が制御のままならない手を無理に伸ばして、ぽんぽんと綾野アナの頭を撫でた。
それは、祖父が孫にするような慈愛に満ちた手つきだった。
「心持ちのよい娘じゃな。なんとしてもその命長らえさせようぞ」
そしてにっこりと微笑んだ。
すべてを受け入れるような、それでいてなんとしても我が意を通そうというような、包容力と鉱石のような固い拒絶がないまぜになった矛盾した笑顔だ。
その笑顔を向けられては、綾野アナも沈黙するしかなかった。
「なに。俺は殺しても死なぬゆえ、憂いはいらぬ。さあ、そろそろじゃ。頼むぞ龍王」
俺は桃様にうなずき返して、ウラシマに目線でジェスチャーを飛ばした。
ウラシマが顎を引いて、ドアをスライドさせる。
ゴウ
と風が機内に吹き込んできた。
「ねえ、ちょっと! ダメよ、絶対ダメ! 離しなさいあなた、自分が何をしようとしてるかわかってるの!? 人殺し! 人殺し!」
またも綾野アナが俺に掴みかかってきた。
しかし俺は腹を決めた。
どのみち、これをしないなら桃様ごと全員が死ぬだけの話だ。
俺は綾野アナを肘で突き飛ばし、桃様の体を機外に突きだした。
「御者よ! 俺が合図したら舵を切って地上へ降りよ!」
何がなんだかわからないというように、振り返ってこっちを見ていたパイロットが、桃様の迫力に押されるようにコクコク首を振る。
そして時がきた。
「いまじゃ、龍王!」
俺は全力で桃様を放り捨てた。
手のなかから人の重量感とぬくもりが消える。
高空の冬の風が冷たく手に吹き付ける。
バアアアァァァン
夜の闇に、一瞬焦がすような光が走り、爆裂音が轟いた。
※
「…」
息を潜めるように地上へ降りてプロペラの回転を弱めたヘリから、ぞろぞろとみんなで脱出する。
たまたま、本当にたまたまヘリが降りられそうな平地があったからよかったが、積もった雪のせいで着地したヘリが傾いた。
パイロットの話だと、こうなったらもう飛び立てるかわからないという。
いまだ広大な白神山地から脱したわけじゃないが、こんな身動きもできない状態でヘリごと攻撃されたりしたら、棺桶に自分たちから収まってるようなもんだ。
とりあえず出るしか選択肢はなかった。
「桃様は…」
暗い。
座標的にいえば爆発があった地点からほとんど離れてないはずだが、夜の山中で人一人を探すことは困難を極める。
俺とウラシマ以外は悲壮な顔をしている。
逆に俺とウラシマは、あれだけのダメージを受けたとしても、やっぱり桃様は死んでないよう気がしてるが。ほぼ確信として。
もちろん綾野アナたちにはそれはわからないので、さっきから露骨に距離を置かれている。
というか綾野アナに至っては俺たちを親の仇のように睨んでいる。
まあ、仕方ないことだろう。
俺はとりあえず、雪中に足を踏み出す。
が、すぐに足を取られて転びかけた。
「うおっ」
…まあ、かんじきも何もなしにまっさらの新雪の層の上なんて歩けるもんじゃねえというのは、雪国の人にならご理解いただけるかと思うが。
とりあえず次またいつ戦闘機の襲撃があるかもわからん以上、一刻も早くこのヘリのそばを離れないといけないんだが、雪中行軍の装備なんてあるわけもなく、俺に限らずウラシマもAABスタッフ連も全員悪戦苦闘の有様だ。
「きゃあああぁぁぁ!」
そのときいきなり、森閑とした空気を切り裂く悲鳴。
振り返ると、首だけ後ろに振り向けた綾野アナが、腰を抜かしてへたりこんでいる。
その綾野アナの向こう側。
そこには、数え切れないほどの熊と野犬の連合軍が俺たちを伺っていたのだった。