@21の3 『日本一の桃太郎(3)』
ホバリングするヘリから降ろされた梯子が地につくのも待ちきれないのか、ウラシマがそのまま飛び降りてきた。
「タツオさん! お姉ちゃんは!?」
「知らん」
姉孝行な妹の気持ちは尊重してやりたいが、天守閣内部に突入して大暴れしてきたのは桃様だけであるからして、オトヒメさんを最後に見たのは桃様ということになる。
「どうなんです、桃様」
「そういえば」
桃様はそこで言葉を切って、しばし黙考する。
「城内には姫巫女の姉もおったはずじゃが、影も形もあらなんだ」
「へ?」
「へ?」
「からくり仕掛けの中枢でいかにも奇態を示しおるゆえ、すわこれがこの大人形の魂魄かと思い、引きずり出しはしたが」
桃様がモノリスを見た。
「現にこうして動きを止めたのだからあながち誤りであったとも思わぬが。しかし、そうか。この中に姫巫女の姉が入ってゆく後ろ姿を俺も見ておったわ」
「ええとあれだ。つまりこうだ。桃様的には別にオトヒメさんとの決着とかリベンジじゃなくて、単に城が暴れたから命がけで止めに来たと」
「弘前の市街が半壊するほどの被害ぞ。止めぬでいかがする」
うんまあ、そりゃもちろんごもっともなわけだが。
俺としてはオトヒメさんというラスボスとの決戦のつもりだったわけだから、なんかこう、すごいモヤる。
…うーん。
「え、じゃ、じゃあお姉ちゃんは? どうなったの?」
「それなあ…」
桃様が半鷲形態で天守閣の3階にぶっ込んだところは俺も確かに見てる。
そんでそこにはモノリスとオトヒメさんが揃ってたはずなのだが、桃様が見てないということは蒸発でもしたのか、あるいは消えてなくなったということか。
オトギキングダムの連中の生態はまっこと謎である。
俺としてはなんかもう決着とかはいいんで、天守閣ロボのコードに呑まれて一体化して消えてしまったとかそんな結末で結構なのだが。
「お姉ちゃん!?」
「まー待て! 待てまて」
もちろんウラシマにそんなこと許容できるはずもない。
ウラシマが青い顔で天守閣に飛び込もうとするのを、俺はなんとか背中から羽交い締めにして止める。
いで! いでででででで! いでえええぇぇぇ!
肩の付け根とか肋骨とか、そこかしこが全部痛すぎる!
どんだけ念入りに複雑骨折してたら骨折や打撲でこんな痛みに襲われるのか…。
また、姉を思うウラシマが馬鹿力なもんだからやばい。
しかしいくらコアっぽいもんを引きずり出してぶっ壊したとはいえ、まだまだ近づいていい状態とは思えない。
なんせ城に手足が生えて白神山地まで歩いてきやがったのだ。
どんな予期せぬ事態が起こるか、わかったものではない。
だいたいだいぶ色が戻ってきているとはいえ、ウラシマの右腕はまだ変色して奇妙な膨れ方をしたままだ。
俺やましてや桃様ほどじゃなくても、満身創痍には違いない。
あんな危険の玉手箱みたいなもんに近づけることはできない。
「離してやれ、龍王。何かあれば俺が動くゆえ」
だというのにこの人はまたこういうピントのずれた仏心を発する。
どーやってだよ! と突っ込んでいいだろうか。動けねえじゃん。
今の桃様なら俺でも勝てそうなほどなのだ。
いいか、俺だぞ。俺が桃様に勝てそうなんだぞ。
そんなありえん確信を俺に持たせるほど、一部の隙もない半死半生のマグロっぷりの人に保証されてもですね。
「ぐぼあっ」
桃様に呆れていたら、俺の臓腑をうがち抜く衝撃。
今日一日まったく閑がなくてモノを食ってなかったからあれだが、そうじゃなけりゃ盛大にすっぱい固形物を大量リバースしてたとこだ。
「ごめ…ごめんねタツオさんっ…後でちゃんと謝るから! …お姉ちゃーん!」
制止のために俺が伸ばした手を振り切って、ウラシマが一直線に天守閣へ駆け寄る。
まさに人の形をした矢のような勢いで、銃眼から飛び込もうとしたウラシマの手が、天守閣の外壁に触れようかというそのとき。
『触レルナ、下郎』
なんか聞いたような声が夜闇の雪山にこだました。
※
「お姉ちゃん!?」
声はすれども姿は見えず。
この機械音声っぽい、でもあきらかにオトヒメさんの声な音声はどっから流れてきてるのか。
って答えは一つしかないようなもんだが。
『モハヤ姉デハナイ。私ハコノ白神山地ノ龍脈ト結縁シタ。生キナガラ精霊ト一体トナッタ私ハ、現人神トシテコノ山地ノスベテヲ自在ニ操ル力ヲ得タノダ』
「…は? なに言ってるのさお姉ちゃん。つまんない冗談やめてよ。もうこんなことやめて早くおうち帰ろう。今日はいくら飲んでも止めないから。録画したスマスマ見て、見よう見まねで真似した料理作ってみよう。だから、だ、だから」
『信ジヌトイウナラ、証拠ヲ見セテヤロウ』
天守閣ロボの屋根が割れる。そこから、しゃちほこのように何かが出てきた。
それは身にまとうものもなく顔と胴体だけを突きだした、ある種の剥製のような姿だった。
オトヒメさんの姿だった。
目を閉じ、死んだように身じろぎもしない、裸のオトヒメさんだった。
「うわ、わ…うわあああぁぁぁ!」
それを見たウラシマが発狂したようになって遮二無二突っ込んだ。
いや、突っ込もうとした。
前触れもなく、地が揺れた。
もしもこの場にビルなどの人工物があったら、ひとたまりもなく倒壊して粉々になっていただろう。
そう思えるほど強烈な横揺れで、その場から動けていなかった俺や桃様はともかく、足下も見ずに駆けだしていたウラシマはたまらずすっ転んだ。
「なんだこれ、でけえぞ!」
激しすぎる揺れに踏ん張りがきかず、地面に手を突きながら俺は叫んだ。
人生でこれまで経験したことがないほどの地震。
もしこれと同じ揺れが人の住む街に起きたなら、どんな立派なコンクリートの街並みも砕け散ってがれきの山になるだろう。
これがオトヒメさんのいう『証拠』だとすれば、この地震を引き起こしたのはオトヒメさんだということになる。
いったいどんな方法でやってるのかはわからんが、すさまじい力であるといわざるを得ない。
まさに人知を越えている。
そんな俺の感想など、軽々と越えてのけるような事態が直後に続いた。
横倒しになったきり沈黙していたと思われた天守閣ロボが、にわかにその身を直立させたかと思えば、そのままどんどん天に向かって伸び上がり始めたのだ。
なにが起きてるんだ、と思う暇もなく、気が付けば天を圧するほどの高みに天守閣ロボの姿があった。
月の光が遮られる。
その天守閣ロボの下には、土石でできたようなこれもまた巨大な人の形ができていた。
天守閣を頭部とし、土石を四肢とした、ダイダラボッチのような巨神の姿があった。
その異様はまさに古い時代の神としか言いようがない。
「なんだこりゃ」
アホのようにポカンと口を開けて見上げるしかできない。
でかいということはそれだけで威厳であり恐怖だ。
ここまで何度も常識をひっくり返すような状況に会ってきたが、それらすべてひっくるめた衝撃より、このひたすら巨大な土石の神に睥睨される体験のほうが俺の心身を竦ませた。
そのとき、何かがゴッと俺の後頭部に当たった。
「いって!? なんだよ! わっぷ!?」
振り返って当たったものを確認しようとしたら、顔面にそのなにかがそのままぶつかってきた。
それはヘリから降ろされた梯子だった。
ウラシマを降ろしたときのままに、梯子を降ろしっぱなしでヘリが上空にホバリングしていたのだ。
もちろんホバリングのプロペラ音は鳴り響き続けていたが、それすら些事として意識の隅に追いやられるほどの事態の連続に、正直半分忘れていた。
見上げると、ヘリから身を乗り出すようにしてスーツ姿の女が身振り手振りしていた。
「ーー××××××」
それはどうやら、桃様とウラシマを指しているようだ。
二人をかついで、この梯子に捕まれということだろう。
…いや、難易度高いな! やるしかねえけど!
こんなズタボロコンディションでやりきれるかまったく自信ねえぞ!
いまだ微妙に揺れ続ける不安定な地面を走り、俺は桃様とへたり込んだウラシマをそれぞれ左右の脇に抱えて、ヘリの直下に舞い戻る。
そして梯子に足を絡めて、逆さまにぶらさがった。
「早く! 早く上げてくれ!」
「ーー××××××」
女が機内に振り返って何事か叫ぶ。
するとすぐに梯子が機内に巻き取られ始めた。
逆さになって見下ろす視界が、みるみる地上から遠ざかっていく。
そうかと思えば、何か巨大なものが俺たちのすぐ下を通過した。
いうまでもない、それは土塊の魔神と化した弘前城の腕だった。
地面に巨腕が突き立つ。
地がえぐれ、岩が弾け飛び、轟音が山野を揺るがす。
その巨大質量の衝突は、もはや隕石が落ちたのと同じだ。
白神山地の地形が変わる。
神の暴威を呆然と見下ろしながら、俺はヘリに揺られ空へと上がった。
※
「きゃあああぁぁぁ!? 桃太郎様!? どうして!」
俺たちを収容した機内で、特にひどい桃様の惨状を見た女が悲鳴をあげた。
なんか見た顔だなあ、と思ったらあれだ。
正月の特番で貴くんの相手役に抜擢されてた女子アナだった。
「…案ずるな、死にはせぬ」
と桃様はおっしゃるが、それは桃様のなかでのみ通用する常識であって、一般的な見地からすれば死にはしないどころか、もう死んでないはずがないほどの重体なので、案ずる女子アナのほうではまったく不安が払拭されないようだった。当然である。
桃様の容態の問題もさることながら、いま何より考えなければいかんのは、あの白神の山地から生えた、としか表現ができない天守閣ロボのことだ。
俺たちに隕石パンチをかましてきたことから見ても、かなり自由な挙動が可能であることは間違いない。
もうなんつーかマジで土下座でもなんでもするんで自衛隊早く来てくれといったところだが、弘前市街が石器時代に戻されたほどの被害を受けたというのに、自衛隊のじの字も見えない現状を俺たちはいかがするべきか。
やっぱ弘前公園襲撃に米軍が加わってた関係で、高度に政治的なアレがアレして自衛隊も動くに動けんのだろうか。
じゃあ自衛隊がどうやっても来てくれないとしましょう。
じゃあ誰がアレを止めるんか。俺たちか。桃様か。
仮に俺たちの五体が万全だったとしても、山そのものが動いてる表現して差し支えないほどの質量の怪物を、徒拳にてどうにもできるわけがないではないか。
なにこれ日本滅ぶん?
弘前発信、日本滅亡!
…頭悪いことを考えてる場合ではない。どうするんだよマジで。
ヘリの窓から遙か遠ざかった後方を見る。
夜の帳のなかとはいえ、その神話的な巨体はよく目立つ。
威圧的な影を世界に被せていた。
「…浜田さん、スタジオにつないで」
「え、え、そりゃまずいよ綾野さん、記録しておくだけって指示でこのヘリ飛んでんだから」
それまで泣きそうな顔で甲斐甲斐しく桃様の手当をしていた女子アナに呼びかけられたスタッフが、慌てて答えた。
ちなみに今このヘリのなかには、俺と桃様ウラシマと女子アナのほかに、カメラや集音機材を抱えた撮影スタッフと思わしき人が3人乗っているのだが。
「…いいから! クビになってもいいし! 責任は全部私が取るから! 弘前で生まれたわけでもない人が、弘前城のせいでこんな目にあったのに、私たちは関係ないって顔してていいの!? そんなことできるの!? 弘前が戦後の東京みたいな焼け野原にされて、しかもあんな化け物まで出てきて! これを報道しないならなんのためのジャーナリズムなのよ!」
「あのー、横からすいません。なんか、話だけ聞いてるとこれって報道しちゃいけないことなんです?」
スタッフと向き合って激高しとる女子アナというか綾野さんに水を差すようで悪いが、捨ておけないフレーズが聞こえて俺はつい問いかける。
綾野さんは俺を振り返って、悔しそうに唇をかんだ。
「…はい、弘前が破壊されたことも含めて、弘前公園に米軍が出現したことを境に一連の事件に報道管制が発動されています」
一般市民のみなさんに申し訳もない、と頭を下げられた。
なるほど。
こんな戦後70年以来空前の大事件なのに、その割に公権力の反応が鈍いとは思っていたが、すでに見捨てられていたとは弘前市。
「でも、それもここまでです。事件の全貌を、今ここでなにが起きてるかを全国民に知らせます。もちろん全国ニュースのスタジオにつながってるわけじゃないですけど、一度電波に乗せれば、どんな風にでも情報は拡散するはずですから」
綾野アナが決然とした顔つきでいう。
「…よし、やろう。でも、待った。スタジオにつないだってあの石頭のディレクターが局方針に逆らうはずがない」
「じゃあどうするっていうんですか!」
「なにも地上波だけが報道じゃない。電波に乗せればこっちのもんだって綾野さんも今自分で言ったじゃないか。おい石上、お前ARBラジオの角田さんの番号知ってるよな? つないでくれ」
浜田と呼ばれたスタッフが、別のスタッフからスマホを借り受けて、どこかと通話を始めた。
「あ、もしもし、お疲れさまです。はい、AABの浜田です。このたびは大変なことになって…はい、それでお願いがあるんですけど…ええ、わかります、そっちも報道禁止されちゃってるでしょ? こんな地方局管制したってしょうがねえだろって思いますけど、ええ。それで、あれ借りれませんか? お宅でいつでも使えるようにしてありますよね? そう、Uストリームの同時放送。はい、はい、はい! それじゃよろしくお願いします! …ふう」
通話を切って、浜田さんがなんか誇らしげな顔で綾野アナや俺たちを見渡した。
「やれるぞ。地上波がダメならネットだ」