@3の2 『カネか? カネが欲しいのか?』
鍛治町に来た。
飲み屋街は夜の街。まだ昼前で日が高いとあっては閑散としたものだ。
「それだけは、それだけはやめてよお姉ちゃん! 王家に伝わる家宝で一生身につけなきゃいけないものだって言ってたじゃん! 絶対駄目だよ!」
「離しなさいウラシマ。私の持ち物を私がどうしようと私の勝手でしょう!」
訂正。閑散どころか悲痛極まる金切り声の家族喧嘩が展開されていた。思わず回れ右したくなる。
「今日中にレンのノルマを達成してあげないといけないのよ!」
あれ…? このお姉ちゃんがハマってたホストってシュウヤって名前だった気がするんですけど…。
俺が深刻な情報の齟齬について思い悩んでいると、ウラシマ少年が弾き飛ばされた。
いかに女と男の性差があれ、大人と子供の体格差のほうが大きかったもののようだ。あるいは、レンくんにかけるお姉ちゃんの執念が圧倒的に上だった。
「うう、うぐぐうううう、ひっくひく、こんなのってないよお…!」
オトヒメさんは羅生門のババアのような勢いで髪振り乱して駆け去った。もはや姿はない。
取り残されたウラシマ少年は、家族を失った幼子のような哀切に満ちた泣き声をあげて地面につっぷしている。
ここで俺に二つの選択肢がある。
この悲劇を見ぬふりをして立ち去るか、あるいはあくまで己の本願を果たすかだ。
俺は後者を選んだ。
「泣きたいだけ泣くといい。少年の日の涙の塩味は人生のガッツを養ってくれる。ハン○ンも言ってた。あれ、ハン○ンじゃなくてハン○ン編のキャプションで梶○一騎が言ってたんだっけ…」
「あ、あああ、あー!」
親切に肩をぽんぽんとしてやったら、振り返ったウラシマ少年が絶叫した。
「外崎龍王ー! あ、あ、あんたのせいで! あんたのせいでえええー!」
「やっぱ俺のせいかなあ…」
個人的には巡り合わせの悪さ説を押したいところなのだが…。
「ちきしょうー! 返してよ! 優しくてきれいで気品があったお姉ちゃんを返してよ!」
さっきちらっと見たオトヒメさんはキツくて眉毛がなくて普段の化粧のケバさを彷彿させたので全部真逆であった。男子三日会わざれば割目してみるべしというが、数週間という時間は一人の可憐な淑女をバケモンにさえ変容させるのだな。勉強になった。
内心においてはウラシマ少年の主張にまったく同感なのだが、しかしそれを表に出すには俺はおじさんになりすぎていた。
「ばか、お前、弟としてそんな言い方あるかよ。まるでいまのオトヒメさんが優しくなくてきれいじゃなくて気品がないみたいじゃないか」
「ないよひとつも! 全部ないよ!」
ブン
という風きり音を俺の聴覚が捉えたその次の瞬間、俺の目前でウラシマ少年の頭がありうべからざる角度と速度で吹っ飛んだ。
もちろんそれを成したのが弟の罵声を聞いてか神速で戻ってきたオトヒメさんの打ち込んだ肘鉄であることは説明するまでもないのであったが。
「あら、外崎さんではありませんか。ごきげんよう」
「ご機嫌麗しく姫様」
斜め45度のおじぎとか昔居た会社の社員研修以来、何年ぶりかでやった俺であった。
※
「お金儲けですか? それをあえて私のところに聞きにいらっしゃる?」
久しぶりに会ったオトヒメさんは、発するオーラも言葉も研いだ包丁の如くであった。
まあ、この質問をするに当たって、すこし悩んだものではあるのだが。
なんせ目の前で家宝を質草にしようとする現場を見せられたのだから、(ホストに貢ぐための)カネが欲しいのは誰あろうオトヒメさんだろう。
「ほら、なんつーか、召喚のときの顛末でウラシマくんにざっとライアードリアルで何が出来るのかは見せてもらったんですけどね、なんせざっとだったもんだから、たぶんいまいち全部は把握できてないだろうなーって思って」
ちなみに、現在地はオトヒメ・ウラシマ姉弟がシェアしてるお部屋である。広さとか景色とか設備とか、いちいちすべて俺のアパートとはレベルが隔絶しており、このふかふかのソファに腰掛けてると、あの雀のお宿みたいなしょぼい部屋で現代文明の素晴らしさをドヤ顔で語った記憶がふつふつと蘇り死にたくなる。
それはそうと、なんで俺を自分たちのプライベートルームに入れてくれたかというと、外で話して俺みたいなおっさんと関係があると噂されてそれがレンくんの耳に入ったら絶対嫌だからだというのですよ。
女ってコエー。怖くない? 本当にこないだの箱入りっぽいあらあらまあまあなお姫様と同じ人なの? あとこっちだって眉毛のないバケモンと関係したくないし、万一関係あったとしてもたぶんレンくんもシュウヤくんもそんなこと1ミリも気にしないと思うから安心していい。
「オトギキングダムでなら、あなたの力で冒険すれば金銀財宝など思うが侭だったのですけどね」
「なんぼ稼いでも全然使い道のない場所で、金銀財宝ざっくざっくしてもしょうがないでしょ?」
「…確かに」
一発でご納得いただけた。
その同意が故郷に対するディスリスペクトであることに姫様はお気づきでしょうか。
「まあ、もしこっちの世界で金銀なんかバンバン手に入れたとしても、出所の説明ができんし換金のしようもないしでどうしようもないんですが」
「換金できますよ?」
「は?」
「交換レートは表相場より多少足元見られますけど。活動実態がない会社からの振込みということで口座に入金もしてもらえますし」
「…」
このお姫様はどこまで堕ちれば気が済むのであろうか。俺の背筋に冷たいものが走る。この会話を横で聞いてるウラシマ少年はさめざめと泣いている。詳細な意味はわからなくても、これがクリーンな内容でないことはわかるのであろう。悲劇である。
「…なるほど、じゃあ後はどっかからゲンブツを手に入れればいいんですね。ってそれが難しいんやないかーい」
ノリツッコミしてみた。
オトヒメさんは冷め切った目でこっちを見るだけだった。
こういうのやめてほしい。おじさんにとって何がきついって、オヤジギャグを飛ばして相手にされないほど悲しいことなんかないんだ。無言の態度が人の心を切り刻むって知ってほしい。
「…はあ。まあ、こっちの世界でもそれらを無限に手にする方法はありますよ」
やれやれしょうがねえおっさんだわ、という内心を隠す気もない態度でオトヒメさんが言う。
「オトギキングダムなら鬼が島や空の宮殿なんかが著名ですけど、こちらの世界ではそういった幻想の領域に属するものは、すべて地底に封じられているようですよ。特に、徳川家康が築いた『オーエド』の地下深くには巨大な封印空間があって、そこでは今でも活発に魑魅魍魎が蠢いているのです」
「あの、オトヒメさん?」
「はい?」
「ボクはですね、金儲けの方法をお尋ねしてるんですが、なんかバケモンと戦う方向に誘導なさってません? しれっと」
オトヒメさんが馬鹿を見る目をしてボクを見たのでボクは大変傷つきました。
「貴金属、宝石というのは人の欲望がモンスターのなかで集約されて結晶化したものですよ。古来から英雄的闘争こそがそれらを得る最短の方法です。それはこっちの世界でも同じなのですよ?」
「…」
ふつうに初耳だった。というか吟味するまでもなく頭のおかしな人の発言だった。
「馬鹿なのですね」
理解できない俺に向けて、もはやオブラートをかなぐり捨てた言葉の暴風が襲う!
「ん…いや、あー。えーと、仮にそのお話が本当だとしてですね。オーエドってあれでしょ? 東京でしょ? ちょっとさすがに田舎者の中年はいまさら東京まで出向くのはちょっとなあ、って感じるんですけど」
「クズなのですね」
「…」
働かずしていい思いがしたいという俺の発言がクズであることは争えない事実なので否定しないが、この女はレンくんに見捨てられて発狂して死ねばいいと思う。
「まあ近郊でいえば、オソレザンという土地が最大の鉱脈でしょうか。あとは、タカテルという神社の地下にもそれなりの規模の邪悪が巣食っているようですよ」
恐山は有名だから説明を省く。青森県を3つのエリアに割った場合の、南部地方に属する有名な霊山である。そして西の津軽から東の南部へ行くには、車で数時間の曲がりくねった山道越えを要求されるので論外だ。車どころか原付しか持ってないし。この季節に原付で山越えとか自殺行為以外のなにもんでもない。
一方の高照神社は、昔の弘前藩のお殿様が建立したという由緒を持つ歴史ある神社である。よくある田舎っぽい住宅街のど真ん中に、かなり樹齢がありそうな立派な林に抱かれて佇む姿はかなり荘厳ではある。雰囲気だけでいえば岩木神社よりそれっぽい。
だが。
「一番近くて岩木かあ」
弘前市街地方面から見ると、岩木川を越えた先というのはひたすらずっと山という印象しかない。昔は岩木町という自治体が存在し、弘前市とはべつの組織であった。というか今でもべつの組織だと思ってる人は多い。俺とか。あっこらへんを弘前っていわれてもちょっと困っちゃうよね。実際、この鍛治町あたりを出発点として高照神社を目指すなら、車でも30分近くはかかる距離である。べつに信号の多い市街地を突っ切るとかじゃないにも関わらずだ。弘前っていうのは田舎だけど、街なんだよね。山すそから中腹に向かって延々ずーっと数十分も上り坂し続ける山道っていうのは弘前に含まれちゃいけないと思うんだよねボクぁ。
「ご不満ならおやめになったらいいのでは。ご自由になさいませ」
「うーん」
仕事終わったあと、もしくは貴重な休日に、わざわざ自ら好き好んで山んなかの神社へ行くのかあ…。しかも戦いに。戦いて。現代地球の法治国家日本では、もっと世間に存在が許されてはいけない類の概念である。なんだよ英雄的闘争って。俺の命かかっちゃうの?
「いやもっと楽な方法ないかな」
「でもよろしいのかしら、修行のひとつもなさらないなんて、ずいぶん余裕がおありですこと。もうすぐオトギキングダムから、超魔ヤナギダの手先が襲い掛かってくるというのに」
「…へあ?」
「来るのですよ、この世界に刺客が。驚くほどのことですか? あなた自身が、誰の手ほどきも先導も受けずしてあっさりとこの世界へ帰還できたでしょう? そんなあなたをウラシマがすぐさま追えたでしょう? こちらの世界の人々が考えるほど、異世界とは珍しい存在ではないし、すこしのコツさえ掴めれば両者の間の壁を越えるなど容易いことなのですよ」
「ええ…いまさらそんなこと言われても…いや、だって俺がオトギキングダム行かなきゃ、國男的には邪魔者来ないわけだしそれでいいんじゃないんすか…」
「國男って誰ですか。しかし、馬鹿なことを。見くびりましたね、オトギキングダム一万年の歴史を。その歴史が生んだ、500年に一人の天才姫巫女であるウラシマによる、一生にたった一度の特殊召喚の意味を。あなたは召喚されたそのとき、オトギキングダム王室が守り伝えてきた秘奥を開放するための、いわば生ける『鍵』となったのです。超魔ヤナギダが遠い過去に封じられた自分自身の力の精髄を取り返し、完全なる覚醒を持ってオトギキングダムのすべてを手に入れるためには、あなたという『鍵』が必要不可欠なのですよ」
なんだか話がすごい壮大になってきた。まるでいま勢いで考えたような設定だ。この話はちゃんと後で整合性が取れるのだろうか? この女はこの話の責任を取るつもりがあるだろうか?
「そして、この話が事実だとすれば、この姉弟はそんなもんが手ぐすね引いて待ち受ける場所に俺を放り込もうとしていたのである」
「結局は同じことなのです。オトギキングダムで力を得た後であろうと、こちらの世界でそのままの能力であろうと、超魔の繰り出す魔の手を跳ね除ける戦いの宿命があなたに降りかかるのには違いないのですから」
「同じじゃねえだろ」
ふいっと顔をそむけられた。
やはりクソ女だった。
「す、すごいやお姉ちゃん! タツオさん以外で超魔に立ち向かう手段を作るために、オトギキングダムに帰らなきゃいけないと思ってたけど、本当に大事なのはここでタツオさんに力を貸すことだったんだね! 私、お姉ちゃんがそんなこと考えてたなんて気づかなかった!」
久方ぶりにウラシマ少年がとてもきらきらした目をしている。憧れの姉への尊敬100%の眩しすぎるきらきらぶりである。
「ふふふ。まさか私が本当にただのホスト狂いだけでこの地に留まっていたと思っていたのですか?」
眉毛のない女がなんかほざいていた。
仮にそれ「だけ」が目的でないことを百歩譲って認めるとしても、そのウェイトが全体の99%を占めたであろうことを言い訳できるつもりなのだろうか。
いまの話で、ここまでの醜態を相殺できるつもりなのだろうか。
俺はオトヒメさんの厚かましさに目の前が暗くなる思いがする。
「お姉ちゃん!」
ウラシマ少年がうれしそうにオトヒメさんにひっつき、オトヒメさんは微笑んでそれを受け入れていた。微笑ましい家族愛の光景というには影がありすぎる眺めであった。