@15の4 『突入・唐牛邸宅』
走る。
闇の中をひた走る。
俺たちは黒衣に身を包んだ三人の黒ヒョウだ。
どこの誰の目にも留まらず、風より早く、光より瞬く間に、陰から陰へと駆け抜ける。
時刻は丑三つ時、まさに草木も眠る真なる闇夜。
電灯はおろか月明かりすらない黒の世界を、飛んでいく。
「…なんでだ?」
「…」
当然の疑問が口を突いて出た俺のほうを向き、併走するウラシマが今日何度目かわからない両手を合わせて拝み倒す謝罪のポーズを取った。
いま俺とウラシマと白雪ちゃんは、まったく凹凸も飾りもない、完全な黒タイツという格好で、深夜の街を走っていた。夜間に黒タイツって。しかも3人。
いま俺たちをおまわりさんが見かけて、そのおまわりさんが仮に非番で、成人を迎えた子供たちにこれから結婚記念日のお祝いでちょっとお高いバーで記念パーティーを開いてもらう、という場面だったとしよう。
それでも子供たちの真心を投げうって職質しなければいけないというくらい怪しい。満貫だ。
このシチュエーションもこの格好もシンタならさぞ喜んだことだろうと思うが、俺にとっては百点満点のつらみしかない。俺はどういう罪業によってこんな罰を受けてるのだろうか。
「まあまあ、ですう。しょうがないですよお。オトヒメさんに頼まれちゃったら嫌っていえないですう」
と、ガソリン供給のストップを宣言されて、お願いという体裁の命令によって動かされた白雪ちゃんがいう。
そう、年も越したというのにこの子はいまだに久渡寺山中のキャンピングカーで寝泊りしているのです。そりゃ周辺は完全に雪に埋もれた氷点下の世界で暖房ストップを宣言されたら嫌っていえねーよ。凍死するわ。
「あ、それは誤解ですう。白雪もこちらの世界に馴染んできたですからあ。キャンピングカーのエアコンにばかり頼ってると燃料代が大変ですから、最近はもっぱらストーブを炊いて、あとは厚着でじっとしてるんですう」
「なるほど、そしてそのストーブの灯油代もオトヒメさん持ちだから結局命令に逆らったら凍死するんだね?」
「…ですう」
「…」
あの女の周辺にはあの女に生殺与奪の権を握られてる人間が多すぎる…。
ウラシマが俺と白雪ちゃんに向かって無言の謝罪を繰り返す。まあ、今回の件に限っては原因が珍しく鬼婆ではないのだが。
誰が原因だろうが、こんな馬鹿な格好で夜の街を疾駆するという逮捕案件のちんどん屋パフォーマンスを今すぐやめたいことには変わりないのだが。
「そうこうする間についたですう」
ええ…。そうかあ、ついちゃったかあ…。
弘前という青森県下有数のメガロポリスでは、誰もが猫額のように狭苦しい敷地に雀のお宿のようなチンケな家を建てて住んでいるというのに、弘前市からそう遠からぬ立地でありながら、その館はいわば記念碑的な巨大さと威容を持って闇夜に浮かび上がる。
こんな場所が弘前近郊に存在したのか、という衝撃が突き抜ける。
敷地全体の広さでは数十万平米はくだるまい。東京ドーム10個分。弘前公園に匹敵する。それを瓦葺の古めかしくも立派な漆喰塀がぐるりと囲んでいる。その中心に屹立するもの。それはまさに巨館であった。
遥かに遠い闇夜の向こうでもありありと白亜の外壁が浮かび上がって見えた。よく手入れされいつでも輝きを失なっていないことの証明であろう。
なんにも増して目を引くのはその巨大さだ。階数は3階建てながら、横幅は両翼を広げた白鳥のようにどこまでも広く伸びて、相対するものを押しつぶさんとするかのような威圧感を覚えさせる。
弘前市長・唐牛貴くんのおうちであった。
「…マジでいくの」
「白雪的には行かないって選択肢が一番有り得ないですう。この屋敷に居る人全員よりオトヒメさん一人のほうが無限倍怖いですよう」
「それについてはまったく同意だけども。いいかね、これから俺らがしようとしてることは法的には完全に犯罪なのだよ?」
拉致を目的とした不法侵入である。どの国のどういう法に照らし合わせても前科になるだろう。
ウラシマが謝罪しすぎて地面にまで謝りだした。
「なんか問題になったら私が全部引き受けますから…お願いします、お願いします」
平身低頭しすぎて人生を引退間近のばあ様のように腰が曲がっていた。
さすがにそこまで気に病まれるとこっちも逆に気が滅入るぜ。もうどうしようもないんだしほんと気にすんなよな。
まあ、そもそもお前がヘロンくん召喚なんてしてなけりゃこんなことになってないんだけどな!
コトの起こりはこうである。
新年いただき○トリートを終えて帰宅したウラシマが、コートを脱いでとりあえずちょっと冷えたからココアでも飲もうかな、と台所に向かうと、寝起きの寝癖も見苦しいボサボサ頭の玲姉が台所に隣接したリビングでテレビに向かって寝ぼけ眼のままコーヒーを飲んでいた。
そして開口一番、こう言ったのだそうだ。
『なんでオトギキングダムに居るはずのヘロンくんが唐牛さんに捕まってるのかしら?』
即日俺と白雪ちゃんが召集され、このような事態になった。
そしてオトヒメさんの指令で集められた俺たちに会うなり、ウラシマは謝罪する機械になっていたのだった。
※
金持ちってなんでこう際限なく金持ちなんだろう。
すごいのよ奥様信じられます? しみったれた一般家庭だったらご主人の書斎の机の足元にも敷けないような、ふわっふわかつしっとりした極上の芝生めいた踏み応えを返す最高級のカーペットが廊下全面に敷き詰めてあるの。
そんで廊下には数メートルごとにどっかで見たような覚えがかなりある有名そうな名画ばっかりガンガン飾ってあんの。
天井が高くて、照明は飾り彫りのついたランプ調だ。
どんな悪いことしたら弘前ごときでこんなにカネ集めれるんだろう。すごいなあ。庶民にはうかがい知れない錬金術があるんだろうなー。
「ここらへんの絵の一枚でも持って帰ったらしばらくオトヒメさんのノルマやんなくてよさそうだな…」
「駄目だよ!? それは完全に窃盗だからね!?」
そうはいうがウラシマよ。こんだけの品々をまっとうな手段で揃えたとは考えられないだろう。どう考えても弘前市民の血と涙を絞って作り上げた金による調度の数々ではないか。ではこれを俺が手に入れて売るのは単に市民が自分のものを自分に還元しただけということにはならないか。
「えええ。これってそんなに高いんですう? じゃあ白雪なら持って帰っていいですかあ?」
「もっと駄目だよ! 今日の目的はヘロンくん! ヘロンくんです!」
ウラシマの突っ込みが冴え渡っていた。
なんで人んちの屋敷に忍び込んでおいて、こんな大声で漫才ができるのか?
答えは、忍び込んでいないからであった。
※
時間は幾分さかのぼる。
とりあえず塀の近くまで行って、来たはいいがさてどうやって進入するんだ? たぶんこの庭ってドーベルマンとか放ってあんだろ? いや、ドーベルマンが居ないわけがない。こんな無駄に立派すぎる庭でその持ち主があの貴くんなのにドーベルマンが居なかったらガッカリだ。
と俺が疑問に思っていると、おもむろに白雪ちゃんが塀を乗り越え、上半身を塀の向こうに突き出して、「はあ〜〜〜っ」と息を吐いた。
10秒。20秒。
闇を見守る白雪ちゃん。それを見守る俺とウラシマ。そのまま一分ほど過ぎようとした辺りで、塀の上の白雪ちゃんが親指と人差し指でわっかを作った。
「オッケーですう」
「はあ」
何がどうオッケーなのかわからんが、促されるままに塀を越える俺とウラシマ。塀の上に立った俺たちの視界に飛び込んできたのは、戦慄すべき光景であった。
人人人。犬犬犬。合計すれば50近いであろう黒服ガードマンやドーベルマンが、広大な庭のあちこちにうつぶせや仰向けや、時には折り重なって倒れ伏している。
そのうちここから一番近い場所に転がってる連中は、見るからにヤバイ水準の痙攣で激しく体を波打たせながら、紫色の顔色でだらだらと涎を垂らしていた。
「待って。これ大丈夫なの?」
「1時間以内にしかるべき処置を受ければオールOKですう」
少しもオーケーじゃないしオールじゃなかった。
ちょっと犯罪としても超弩級というか、憲政史上稀なる大犯罪の助犯にさせられていた。それも俺自身がまったくあずかり知らんうちにだ。だから俺この子と行動をともにするの嫌だったんだ…。
「…早くヘロン君を助けて救急車を呼ぼう!」
ウラシマが無駄に前向きな姿勢になった。そうだね。もう僕たちに人として正しい行いはそれしか残されてはいないね。頑張ろうね。
「女子も三日会わざれば割目して見るべし、ですよお。伊達にお山に篭ってたわけじゃないですう。いまや白雪の毒は効果範囲も毒の強さも白雪自身の意思で自由自在。蟻んこを動けなくする麻酔毒からザトウクジラを即死させる猛毒まで何でもござれですう」
俺たちのドン引きにまったく気づく様子もなくドヤ顔で自分の毒体質の進化を開陳する毒女が居る。ちょっと待て毒女。おめえ自分の毒を世間様に対して無害化するための『真空呼吸』の練習って名目で山に居た建前なんだぞ、わかってんのか。わかってる様子がまったくないが。
「特に修行なんてしたわけじゃないですけど、『真空呼吸』で出口がなくなった毒を自分で吸引し続けたおかげでしょうかあ? 気がついたらこんなことが出来るようになってましたあ」
こっちが聞いてもいない世にもおぞましい内容を、勝利投手インタビューを受ける高校球児のようにてらいなく照れ照れと語る毒女が俺は恐ろしい。『こんなこと』というのが学校のグラウンド数個分の広大な面積に散らばる人間を一斉に毒殺することなのだから、いつ中東からスカウトが来てもおかしくなかった。
なんということだろう。こないだまではせいぜい数メートル圏内のご近所さんを昏倒させる程度で済んでいたのに。社会復帰するための『真空呼吸』で、まさかずっと一人蠱毒してやがったとは…。素材となるありとあらゆる毒があらかじめ体内にあるもんな…。一匹の巨大な毒虫になる条件が揃いすぎてた。
「もたもたしてられないよ! 早くしよう! ほんとに!」
ウラシマが無駄に前向きにわき目もふらずダッシュし始めた。
こいつはもう少し友達を選んだほうがいいとおじさんは老婆心で思う。
※
というわけで、このような理由によって、今はいくら騒いでも構わんが1時間以内に救急車と消防車が大量突入してくる予定なのである。というかさせる予定なのである。
つまり毒で正面警備を無力化した俺たちは、夜間の人んちに正々堂々玄関正面から押し入った
ので、もはや隠密性など投げ捨てて、一秒でも早く事態を解決することだけが求められているのだった。
「居たぞ、不法侵入者だ!」
こっそり忍び込もうが正面から勝手に入ろうが、なるほど家主が招いてないので不法侵入者には違いなかった。すみません。
心の中で謝りながら、立ちはだかる黒服をそのままぶん殴って意識を刈り取る。
もちろん俺は桃様たちのような達人ではないので、多くの場合はまったく意識が刈り取れなくて、被害者は粉砕骨折した肩を抑えて激痛にのたうち回ることになるのだが。それも含めて先に
謝っておく。すみません。
俺が殴った奴らは一律全員苦悶の声をあげているのだが、ウラシマや白雪ちゃんが殴った相手は一発で眠るように静かになってるので、さすがだなあと思いました。まさか永遠に眠らせてないよな?
「この屋敷、いったい何人ガードマンが居るんだよお!」
とウラシマが叫んだのは、走りながら立ちはだかる障害を屠り続けて30人くらいぶっ倒したころである。ちなみに俺が20人で、白雪ちゃんもだいたい30人だ。庭で再起不能にした奴らも合わせれば100人を裕に越える。さらにそれで打ち止めどころかまだストックが出てくるようだ。
すげーな唐牛家。べつに臨戦態勢でもない平時でこれとか、中南米あたりのちっちゃい国なら軍隊なみの規模だぞ。この私兵軍団はなんのために存在してきたのだろう。オトギキングダムという名前だけメルヘンチックな修羅の国出身者どもの前では嵐の前の灯火と同じだが。
ところで、コトは完全に刑事事件の管轄に入ったはずなのだが、なぜか迎撃に現れるのは唐牛家の黒服ばかりで一向にポリスメンが出てこない。サイレンの音も聞こえない。通報してないのだろうか。こんだけの大事件なのに。してないのかもしれない。きっと余人、特に治安機関には見せられないもんがいっぱいあるんだろうなあ。
「そしてどうやら到着ですう」
白雪ちゃんの言葉を聞いて視線を遠くへ転じると、なるほど一際豪奢な飾り彫りが為された、色合いや材質からして他と違う扉が俺たちの向かう先にあった。
すっごい趣味悪いなあ。これが貴くんというか唐牛家当主の居室だとしたら、そんなにまで自己顕示しないと気がすまないのかとびっくりする。自分ちの扉なんて同じデザインで統一したってよかろうに。誰に対するアピールだよ。
俺たちが、というか俺が、これがまさか貴くんの部屋ではありませんように。との願いを込めて扉を開くと、そこにはなんと!
「いい加減にしろ騒がしい! いったい何をしておるの…だ…」
そこには激昂するパジャマ姿のオッサンが!
知ってた。
俺は知ってたが、貴くんはそうではない。思わぬ乱入者に、口をあわあわとさせたかと思うと、唾を飛ばして叫んできた。
「貴様、外崎龍王!? なぜ生きておる! ワシの刺客に殺されたはず! おのれ化け物め、あの世から帰りおったか!」
「あ、どーもどーもその節は」
なるほど。件の番組で俺がご紹介を受けずに済んだのは、俺はすでに死んだものと報告されていたからなのだった。確かにあの襲撃者二人的にはそれしか落としどころはなさそうではある。だって、また行けっつわれて弘大ともう一度出くわすなんて絶対にゴメンだろーからね!
しかし、こんな堂々と「私はあなたを殺そうとしました」とか言っといて、もはや護衛もいない自分の状況が見えてないのだろうかこのオヤジ。俺が当然の自己防衛とか報復措置として今すぐこれから実力行動に及んでくるとかちっとも考えないのだろうか。
「ふざけおって…この唐牛家にこんな狼藉を働いて、タダで済むとはまさか思わんだろうな…? この屋敷には100人を越える私設防衛団が詰めておるのだぞ…。もう生きては帰さんから、そう思え」
青筋浮かべてピクピクと怒りに震えながらなんかのたまう貴くんであったが。
俺と、ウラシマと、白雪ちゃん。
ちょっと気まずそうに顔を見合わせてしまう。
え、マジで? 多いとは思ったが、でもあれで全部?
もう本当に守るものもいないじゃん貴くん。どうしようこのオッサン、めちゃめちゃ勝ち誇った顔してる。
ベッドから立ち上がった貴くん、壁際の警報機と思わしきボタンに歩み寄り、バン! つってそれをかっこよくぶっ叩いて、このように叫んだ。
「何をしておるか無能ども! 侵入者がワシの部屋まで来ておるぞ! 5分以内にこいつらを片付けなければ、貴様ら全員減俸かクビだぞ!」
もちろん、答えるものもない。
シーン。
貴くんは首をかしげて、警報機横のスピーカーを覗き込みます。でも、なにも起こりません。
どうやらその通信設備は警備員の詰め所か何かに繋がっているようだが、もうその詰め所にも誰もいないようだ。
全員出撃して名誉の戦死を遂げたか、それともとっくに逃げさったか。
100人でかかって100人が返り討ちにあうような奴と戦えっつわれたら、まあ俺なら給料なんぼもらってようが逃げるが。
なんだかとても納得いかぬ、という様子で、貴くんはバン! バン! バン! バン! と警報機のボタンを連打するのだが、無論なにも起こらない。
「…故障か?」
俺たちがこんなとこに居る時点で、故障よりもっと確率が高いケースがあると思うのだが、貴くんはその事実を直視することができないようだ。
「…」
かける言葉が見つからない。シンタもそうだが、俺はこういう人種に対して現実を突きつけるということがどうもできないタチのようだ。なんかヒットマンを送り込まれたこと含めどうでもよくなってきた。
「…えっと、あ、ヘロン君見っけ。じゃあ、あれだね。帰ろうか」
「…そ、そうですねえ」
部屋の端っこの鳥かごに、都合よく愛玩龍のヘロン君が収まっていたのを見つけ、ウラシマと白雪ちゃんがそちらに駆け寄り、持ち上げた。
とりあえず目の前で起こっていることが痛ましすぎて、何も見てないように振舞うことにしたようだ。オトヒメさんに次いで人の心がなさそうな白雪ちゃんにもそういう神経があったことに俺はちょっと驚くのだが。
「じゃあ、帰っかあ」
「うん」
「はいですう」
とにかくヘロン君を奪還して目的は達したのである。
俺たちは、さっさと帰宅することにした。
「ま、待てえええぇぇぇい! そいつはワシの、ワシのものだぞ! この泥棒! この唐牛貴から盗もうとはただの窃盗罪では済まされんぞ! 死刑だ! 全員死刑にしてやる! 電気椅子にかけて」
「白雪」
「はいですう」
白雪ちゃんが振り返って、ふうっと一息。
フローラルな香りが貴くんに届くのと同時に、貴くんは夢の国へと旅立ちました。
「きゅう」
「「「…」」」
俺たちはもはや後ろに一瞥もなく、無言の帰途についたのだったが。
それにしても、電気椅子かあ。弘前市はいつから独自に、国も認めてないような方法で死刑執行する権限を得たのだろうか…やはりこの街に法はないのかもしれないなあ…。まあ完全に貴くんの妄想だろうけど。