@13の2 『でも藤崎町はいいとこだよ。ほら、あれ、モツ鍋とか…』
「はあなるほど、だから仲間の誰も知らんうちに一人でカタつけようと」
桃果会の溜まり場へと戻り、とりあえず飲もうぜってことになって、五人でウィスキー一本空けたところである。
バー『からぽねヤミー』。
いかにもチンピラのたまり場らしい、間接照明なんてムーディーなもんではなく、ただ単に薄暗い照明と、ただでさえ安物のくせに掃除が行き届いてなくて薄汚れて傷だらけの調度、テーブル。もくもくとヤニの煙が充満しているから、乏しい明かりがなお行き届かず、芳香剤も多勢に無勢であって無きがごとし。
当然のことながら貴くんお気に入りのお店とは真反対の世界である。
そこに20人近い桃果会のメンバーが詰めていて、俺たちとは別テーブルながら大声で「ロシア人とやりてー!」とか「ベガス行きてー!」とか至極頭の悪いことを叫んで騒いでいる。女の子がいない店で、店員といえばバーテンさんしかいないのだが、その馬鹿どもの騒ぎに包まれている桃様は心なしか楽しそうに見える。
こいつらにさっきの貴くんとの顛末は伝えんほうがよかろうと俺は思ってたんだが、俺の心配をよそに桃様は店に戻るなりの開口一番、自分から「唐牛めに頭を下げて参ったが、話がこじれた。俺に考えがあるゆえうぬらは俺の指示あるまで軽挙妄動を慎め」とか打ち明けてしまった。イワンのばか。
桃様にそうまで言われては、手下一同不承不承従うしかないのだろう。ちょっと騒ぎが起こりかけたがすぐに静まり、それぞれ席について酒盛りとあいなった。しっかり統制が取れているようで何よりである。
しかしここで一人だけ、手綱がついてない馬鹿が居た。
誰あろう猿仕掛け君であった。瞬間湯沸かし器のようにソッコー頭をフットーさせて、胸元に何かを突っ込んで駆け出そうとするのを、ただちに桃様に殴られて止められた。
そして猿もじり君も無理やり席につかされ、飲み始めた次第だが。
「そうですよ! 最初っから俺一人で行ってりゃ喧嘩っぱやい桃果会の奴らだって変に騒がないうちに何もかも終わってたってのに!」
釜ラーメンでの一幕は、やはり猿威張り君以外のメンバーは知らんかったらしい。猿看取り君がこれは表ざたに出来ないと秘密にしたからだ。
しかし、一般の飲食店で昼間に行われた事件だったから、噂になるのもすぐだと思った猿腐り君、そのとき後追いで桃果会のメンバーが事実を知ったらどんな暴発が起こるか知れたものではなく、そんなことになれば桃様に大迷惑がかかる。
ここは一発俺がやらなきゃいけねえ、と意気込んだのが、クラブ『ノブレス』に行く前に俺たちと邂逅したあのときだったようだ。どう考えてもこいつが一番喧嘩っぱやく、この平成の世の中でチャカ持ってカチコミかけようというのが暴発でなく何であろう。
「猿ちゃんちょっと熱くなりすぎだって…」
「うっせえんだよ雉! てめえは兄貴が舐められて悔しくねえのか!」
「そりゃ頭にくるぜ、でもよお…」
といって、桃様を伺うように上目遣いに見たのは、さっき雉野と名乗った男だ。こいつもどっかで見たツラだと思ったら、桃様銃撃事件のときに猿まくり君と一緒にいたやつだった。どうやら猿だべり君の相方のようだ。
桃様はあらぬ方を見ながらグラスをくぴ、と傾けるきりで猿禁止君にも雉野にも応えない。
侮辱された当人が気にせず流す、というのではいかに部下がヒートアップしてもしょうがないと雉野は感じているんだろう。
「おかげで兄貴が頭下げるようなコトんなったんじゃねえか!」
これがふつうの親子関係(ヤクザ的な意味で)なら、やり返さない親は相手にビビってるんだと子分のほうで血気にはやるか、親に愛想をつかすかしてもいい場面ではあるが、桃様の場合は黒服のガードがついた市長ごときは100人くらい束にして捻ってねじって絞って使用済みの近藤さんみたいにしてやるだけの力もあるし、さらに法的束縛を気にかけるような人でもないことは前身が元桃様被害者一同の会である桃果会の面々なら重々承知のことである。
それでも桃様がやらないというなら、やらないだけの理由があるのであって、それは舎弟が口を挟むような領分の話ではないということだ。この真実が猿江口君以外のメンバー全員にはよくわかったのでみんなたちまち沈静化したのだし、わからない猿ゲリラ君は頭が悪いのか導火線が短すぎるのか。いずれにせよ、相方の雉野としても対処がないらしい。
他のテーブルは男子校の休み時間かよってくらい鬱陶しい喧騒でガヤガヤしてるのに、俺とシンタと桃様と猿と雉が座るこのテーブルだけ、勝手に吼える猿一人を除いて完全にご焼香のお時間だ。いや、桃様もなんでか楽しそうな雰囲気なんだけど。
「おいシンタ。なんかこの空気を打破するような一発ギャグやれ」
「しぶ? え、あべ、あ、なんすか?」
こいつはこいつでまったく役立たずになっている。
そういえば店に入って、そこにたむろしていたチンピラご一同に一斉に入室チェックのガンつけをされてからというもの、戦前は床屋だった戦犯のように貝殻にメタモルフォーゼしていた。こいつさっきから一言も口きいてねえ。
いかに中二病ライクの無敵妄想を20年も暖めてきた大馬鹿野郎とはいえ、現実に反社会的勢力の人に相対するとキャンとなっちゃうのは一般人というかオタクの悲しい性ではあろうが。
「いや、あのおー。ぼく、あの」
ぼくときた。体育館の裏でカツアゲされてる高校生かお前は。
「使えねー…。もうこうなったらもっと飲むしかねーな。マスターロックでおかわり」
「はい」
30秒と待たずすぐにおかわりが提供される。『兄貴のアジトのバーテンは一流でないと駄目』という桃果会のこだわりによって、仙台からスカウトされてきた人らしい。仕事が速くて美しい。
「なんすかその言い方。そりゃトノは勇者だからいいかもしんないっすけど!」
まったくもってその通りで、そういえばなんで俺が猿ピピン君を筆頭に、どう見てもアウトローなこいつらやこの空間がまったく怖くないのかとよくよく考えると、仮に1対20とかで喧嘩になったとしても負ける気が全然しないからなのであった。てへ。そりゃただのオタクのシンタには怖いよね。てへ。
「スコッチくれよ! 瓶で!」
「おいおい猿ちゃん…」
無茶なオーダーだが30秒で通った。止めろよ。有能なのか怠惰なのかわかんねえこのバーテン。
提供されたパーチーの瓶をそのままラッパ呑みで呷りだしやがる猿を雉が心配して押しとめようとする。俺は猿の体より、もう口をつけてしまって返却がきかないであろうその酒の支払いをどうするのかが心配だ。あ、どーせ全部桃様持ちなのか。こういうとき舎弟って立場便利ね。
「とにかく俺は認めねえー! 今度街中で見かけたら絶対ぶっ殺してやるあの野郎!」
絶叫、腹の底から魂を解き放って、直後テーブルに猿が沈む。
「雉。隣室のソファにでも寝かせてやれ」
「あ、うっす。わかりました」
雉に連れられ猿がフェードアウトした。
シンタはとりあえず目の前のチンピラ空気濃度が減衰したので露骨に安堵のため息をつく。
三人だけになったテーブルにしばらく無言の時間が続く。
「実際問題、どうするんです? 考えがあるってどんな考えが?」
「ない」
「「は?」」
思わずシンタとハモってしまった。
「考えなどはない。なるようになるであろう。何が来ても都度処すればよい」
すっごい場当たり的であった。まあ、実際桃様ならそれで何とかなりそうではあるのだが。しかし。
俺はつい、猿と雉が去った隣室を見てしまう。
「あいつはそれじゃ全然納得しないんじゃないっすか」
だって、それって要するに完全に桃様への敵対を決め込んだあの市長のオッサンに、これから好き放題なんでもやらせるということである。
「考えはないが」
と、桃様は猿羽振り君の遺産のパーチーを手酌でコップに移しながら、ぽつりとこぼした。
「思うところはあってのう」
くい、とそれを一息に干して、それきり桃様は黙ってしまった。
だから俺とシンタは顔を見合わせて、何も言えなくなってしまった。
※
「「ベ○! ベ○! ベ○ーーー! 溶解人間っ!」」
イ○プレッサの車内で響き渡るオッサン二匹の大熱唱であった。いや、やっぱ究極かっけえーわ、ス○パラバージョン。北欧のアニオタおじさんのジャズコンピレーションでも何枚目かに含まれてたが、やっぱり俺やシンタの世代で溶解人間アレンジつったらス○パラなんだよ。たまんね。
「うーるーさーいー!」
後部座席でウラシマが耳を塞いで悲鳴をあげる。シンタは週の半分しか仕事がないほぼニートなのでともかく、こいつもいっつも俺の休みつーと一緒に居るけど大丈夫なのだろうか。そもそも同年代の友達とか白雪ちゃん以外いないのだろうか。
まあ、職業ポン引きで学校にも行ってないやつが同年代の友達を作るのは相当難しくはあろうが。
そんなのかわいそうだろ力を貸してやれよと思う向きもあるかもしれないが、力を貸すつったって俺に中学生くらいのでかい子供を引き取る能力などないし、そもそもここはこいつの生まれ故郷ではないのだ。
オトヒメさんとは違ってウラシマはオトギキングダムに愛着があるんだし、帰るなら帰ったほうがいい。こっちの世界に根を生やすようなことはせんほうがいい。いやマジで。俺が大人としての良識や責任を放棄してるわけではない。
「あーやっべ燃えてきた。次美しく燃える杜かけようぜ」
「えー、アニソンじゃなくそっちすかー? そっちいっちゃいますー? まあもちろん録音してありますけどっ」
シンタが喜び勇んでカーナビのパネルを操作する。呼び出されましたるはもちろんス○パラの曲目一覧だ。ハンドルを握りながら横目に確認すれば、あ、あれもある。これもある。全部聞きてー。
「めんどくせーちまちま一曲選んでねーで全部かけろ! 今日はス○パラドライブだ!」
「うひょー出たー! トノのドライビングオーケストラが始まるっすう!」
お互いテンションあがりすぎて発言がわけわかんなくなってるおじさんたちを、非常に迷惑そうに見るウラシマがルームミラー越しに見えるが、黙殺。
考えてみれば最近は休みが全然休みになってないことも多かったし、たまには羽目外して大騒ぎすることも人生には必要だと思うの。というわけで、今日は高照神社行きも中止で、シンタに車出させて当てどもない小距離旅行へ飛び出したのだった! うひょー楽しー。
で、純粋に遊んでるだけなのになんで今回もウラシマが居るかっつーと、今日は完全になんもしないお休みデーである旨を告げたら、それならせめて買出しを手伝ってと要請されたからである。
今日中に確保するべきものとしてオトヒメさんに渡されたというメモには、子供一人が持ち歩くのはどう見ても不可能な量の酒の数々がリストアップされていたのだが、どっからどう見てもローティーンのウラシマにどうやってこんなの買出しさせるつもりだったのか、あの鬼婆。
少なくともうちの店で買おうとしたら即お断りして追い出してる。俺個人としては中坊が酒飲んでも別にいいんじゃん? って思うけど、そういう法律に触れることを許すとうちの店の主任が俺を許さないので、仕方ない。俺も許さない。
「いつもは近所の酒屋さんに注文して配達してもらってるんだけどねー。店主さんが腰やっちゃってしばらく配達できないどころかお店休むからって」
なるほど、いつも子供に酒買いに走らせる昭和初期の終わってる家庭みたいなウラシマ一家を想像したのだが、さすがにそうまで腐ってはないらしい。
「しかしいいのかねウラシマくん。俺の車に便乗して買い物の足に使おうなんて、走り出したら簡単に止まんねーぞお」
「止まってよ。というか、松原のベ○マでいいよ」
松原というのは弘前南部の幹線道路を含む一帯である。ただでさえ幹線道路で交通量がクソ多いくせに道幅が狭く、冬場に雪が積もりすぎるとちょいちょい交通不能になるというひどい場所だ。
しかもそこにトドメを刺すごとく、道路の両脇にうちの店とは比較にならない大型のスーパーが林立しており、そのうち一軒であるベ○マは地場のスーパーマーケットとして大手には真似のできない小回りの利いた一風変わった品揃えが自慢で、道路の対岸に全国チェーンのスーパーがあるにも関わらずいつも駐車場を満杯にする客を誘引している。
イ○ンにもC○○Pにもイ○クにも負けない客入りは青森県民のちょっとした自慢ではある。あるが、つまりそれはちょっと思いつきで行くにはうんざりするような道路状況を乗り越える必要があることも意味する。
「…五所行くかあ! やっぱ買い物つったら五所川原のエ○ムだべ!」
五所川原つったらたぶん立ちねぷたが全国的に有名だと思うんだけどどうだろう。
津軽域外の人が一言ねぷたって言われたとき想像する姿は、弘前近辺の本家本元の扇状をしたアレより、五所川原の立ちねぷたのほうなんじゃねーかと個人的に思ってるのだが。なんか全国ニュースで取り上げられる映像はそっちのが多い気がするし。すいません謝ります。あれは五所川原のものです。弘前のねぷたはなんかこうもうちょっとしょっぱい感じです。ガッカリしないでください。
実際、昔働いてた会社で北海道出身のやつとねぷた見に行ったら「ええー、これがねぷたあ? なんか思ってたのと違う…」とか言われた日にはぶん殴ってやろうかと思ったが。気をつけよう。津軽衆は自分たちでいつも積極的に津軽を馬鹿にしてるくせに、域外のやつに同じこと言われると突然キレたりするよ。
で、エ○ムっていうのはそんな五所川原に所在する、たぶん津軽最大のショッピングモールである。エ○ムにはなんでもある。なんでも買える。正義も夢も女の裸も何もかも。少なくとも津軽衆はそう信じている。
「ごしょがわらってどこ?」
「藤崎町のさらにずっと先っすね! しかもエ○ムだったらこっからだと40分くらいかかるっすよ!」
藤崎町とは弘前市に隣接する自治体である。昔はさぞ栄えたんだろうな、と往時を偲ばせる、見本のようなシャッター街を誇る。面積こそこじんまりしたものだが、青森弘前間を貫通するバイパス道路が、町のほぼ全体に通っている。
道路条件からいっても立地条件からいっても、青森市と弘前市のいいとこどりになりそうなもんだが。
所在でいえば津軽平野のど真ん中で、領域に山も谷もなく、かつ川があるため水量は豊富。信長の野○・創造的な見方をすると、さぞかし肥えた良田に溢れそうなもので、本来弘前の立場にあるべきはこっちなんじゃないか、と思わなくもないが、現実は設えられた条件にのみ沿って展開するシミュレーションではないということだ。
今の藤崎町はシャッター街と後継者の居ない田畑の溢れる過疎地域でしかない。世知辛いなあ…。これだけの条件の土地、もし関東にあったらベッドタウンにして良し商業地にしてよし工業団地を作ってよしだったろうに。
で、その藤崎町に行くために現在地から20分かかる。さらにその先である。
「いーやーだー! おろしてー!」
「「はははははは」」
大笑いである。さあー、今日はこのまま夜までかっ飛ばすぜー。ところでこの車、妙に加速がいいつーか良すぎるんだけど、聞いたらガソリンはハイオクなんだって。すげー。ハイオクってマジで使う人いるんだ、しかも青森に。もちろん燃料代を払ってんのがシンタでないことは語るに及ばず。
バイパスに乗り上げ、さあ快調に行くぜ! とアクセルを踏み込んだとき、それは起こった。
パン
という破裂音。
アクセルへの踏み込みが上滑りするような頼りなさ、続いて襲いくる浮遊感。
「あ?」
車が回る。