@12の3 『リアル野望の王国』
「あの、ちょっとなんですかそれ? 変なもの持ち込まれたら困ります」
「構わんでよい。ワシはこんな店で食事しに来たんじゃないからな」
「お客さんじゃない人の入店はもっと困ります! あ、ちょっと!」
なんだか言い争いの声が入り口のほうから響いてきた。
なんだなんだ、と桃様を除いて俺たちみんなでそっちに頭を出して見てみるに、なんか妙にガタイのいい白髪のオッサンと、同じようにガタイのいい喪服みたいな黒スーツの連中が店員さんと押し問答しているところであった。
押し問答というか、押し合いにも問答にもなってなく、オッサンと黒スーツが勝手に押し通ろうとしているようだったが。
そして喪服みたいな黒スーツとぼかした表現をしたが、そんな格好で統一されたガチムチ体型のやつがいっぱい居るのだから、つまりヤクザの集団にしか見えない。ラーメン屋にヤクザ軍団がなんの用であろう。いやヤクザだってラーメン食う権利くらいはあるだろうが。
俺たちが一様に訝しく思っていると、白髪のオッサンがそのヤクザどもを引き連れて、どんどんこっちにやってくる。まさか、俺たちに用でもあるまいと思ったら、そのままオッサンは俺たちの座敷の横に立つ。
そして、後ろにつき従う黒スーツにアゴでサインを飛ばすと、黒スーツどもは手に手に持った箱からバラバラと何かをばらまく。
それは、なにかの紙片と思われた。紙片は吹雪のように盛大にテーブル上で乱舞して、俺たちのラーメン釜に平等に降りかかる。どんなに美しいものもどんなに醜いものも、雪がすべて覆い隠すかのように、俺たちのラーメン釜が紙に埋もれる。
「あ、あ、あーっ!」
悲痛な叫びを上げたのはウラシマである。
俺たち四人がほぼきっちり自分の分を食い終わったのを横目に、まだまだ半分以上も残していたウラシマである。
「私のラーメン…」
悄然とつぶやいて、何かの紙片がたっぷり漬かったラーメン釜を、未練深くかき混ぜたりする姿はとても哀れみを誘うものである。
「オッサン、てめえ自分が何したかわかって…」
額にぶっとい青筋を浮かべていますぐここで刃傷沙汰に及びかねない感じになってる猿ウマリ君を別として、俺とシンタはいまいち何が起こってるのか状況自体が把握できずハテナマークだし、桃様はまったく動じた様子もなくお冷をくいっと傾けている。桃様が飲んでるとコップに入ったただの水が清酒に見えるなあ…。
「お前が桃太郎とかいうチンピラか」
猿ノボリ君を完全無視してオッサンが野太いしゃがれ声で言う。桃様に面と向かってチンピラとかいえる奴がまさかこの世に居るとは。してみると大物なのかもしれん。
「わざわざワシが出向くのもどうかとは思ったが、人間というのは身分があるのだということを野良犬に教えてやらねばならんと思ってな」
何が起こってるのかはさっぱりわからんが、このオッサンが大昔の漫画みたいにわかりやすい嫌な奴なのはとてもよくわかった。身分を教えるとか人を野良犬呼ばわりとか、いまどき本宮ワールドでしか見かけなさそうな人間性はある意味尊敬に値する。天然記念物ものだ。
「その紙が何かわかるか? お前の不正の証拠だ」
「あ、これ投票用紙だ」
いまだにラーメン釜をこねこねやってたウラシマがひとつの事実に気づく。
俺もシンタも自分の釜からその紙片を引き上げてみてみると、なるほど確かにそれは投票用紙なのだった。それも、つい先日行われた弘前市長選挙の用紙である。ただし、ひとつ不審な点がある。
投票対象者の記入欄に、ある人の名前が書いてあるのだが。
桃様。ももさま。ももたろうさま。桃太郎。
もちろん、その人が弘前市長選に立候補した、などという事実はない。というか、弘前市民ではないどころか日本国籍すら持たないはずの桃様が公職に就くことはできんはずである。
というかふつー、選挙の投票用紙ってフルネームで書くはずだ。全部ひらかなで書くにしてもだ。それがみんなこぞって桃太郎とか、あまつさえ桃様とかももさまとか、同胞たる弘前市民の頭のゆるさに俺はちょっと諦念の涙をこぼしてしまいそうだ。
「先日の市長選。どこの馬の骨ともしれん奴の名前が不正に記入されるという事件があった。その数実に1万票。選挙の結果そのものに影響を及ぼしかねん数字だ。いたずらにしても度が過ぎている。これは新しく弘前の全権を預かる身として見過ごしにできん。なにか申し開きはあるか小僧」
桃様すげー! 飲み屋とヤクザはだいたい友達な弘前生活を一ヶ月ちょい続けただけで一万票っておめー。県内のもうちょっとちっちゃい村とかならそのまま当選しちゃってる数字だよ。みんなそんなに桃様が好きなのか。まあ目の前のオッサンより好感が持てることだけは間違いないが。
「あ、この人新しい市長だ」
ウラシマがいう。
いやマジか。
この投票が終わったあとは速やかに処分されるべきはずの投票用紙を、勝手に持ち出してこんなとこで紙吹雪にしやがったこのどうしようもないオッサンが新市長か。こんな性根が真っ黒に根腐れ起こしてそうなオッサンが新市長か。弘前市マジで金と権力があればなんでもできるな。もしかしたらここは日本じゃないのかもしれない…。
「ぐうの音も出んようだな。たとえ法の目をくぐったとしても、この唐牛貴の目は誤魔化せんものと思え。最近になって鍛治町あたりで騒いでおるようだが、ワシの目が黒いうちは貴様ごとき虫に大きな顔なぞさせんからな。そのつもりでいるがいい」
言いたいことだけ言うと、市長のオッサンはバッと踵を返し、黒服を従えて颯爽と店を去る。後にはおそらく一万枚の紙の山に埋もれた俺たちのテーブルが残されるのみである。ぐうの音も出ないつーか、桃様は相手にするのがアホらしく感じてるだけだと思うが。
「なんだ…なんだなんだ、なんだよあの野郎はよお…!」
しかしここでマジでキレてる子が居るから始末に負えない。
「兄貴ィ! なんであんなクソ野郎ほっとくんですか! ここでぶっ殺してやればよかったのに! あいでっ!」
ここまで動きらしい動きを見せなかった桃様が、猿ヒトリ君のぶっ殺発言にはすぐさま反応して拳骨を落とした。
「昼日中の堅い商いの店で殺生など口にするでないわ、たわけ」
「だって兄貴!」
「くどい。姫巫女、うぬにはこの店のらうめんはいずれまた俺が奢ってやろうゆえ、ひとまず退散いたすぞ」
絡まれた当事者の桃様が特にどうということもないなら、俺やシンタやウラシマがどうこういうのも筋違いである。その筋を違えても怒りを発散したい感じな猿フシギ君を無視して、迷惑料と称して万札を10枚渡して店員さんに大変恐縮されている桃様はどうみても平常運転である。
とりあえず、その場はひとまずそれで収まったのだが。
※
「政治家たるもの国民の信頼を付託された身として誠心誠意髪の毛の先まで奉職せいなんつーつもりは別にないけど、だからってアレはないと思うんだ。誰だよあんなのに投票したやつ」
「アレはいくらなんでもやばいっすねえ。ギャグ漫画みたいな分かりやすい悪人だったっすよ。他に投票する人間居なかったんすかね」
「弘前市民って目ついてんのか? もしくは頭に欠陥あるんじゃね? そうじゃなかったら俺が知らない間に投票の謝礼の前払いでもばら撒かれてたんじゃね? くそっ俺はもらってねえぞ」
「なんかすごい好き勝手言ってるけど投票権あるのに投票所にすら行ってないタツオさんたちには何も言う権利ないよね…」
ごもっともである。どうしようもない大人二人は顔向けできずにあさっての方を見るしかない。
ミソがついたところの騒ぎではない不愉快なシメになった昼食会を終わり、釜ラーメンから退店して、午後三時。桃様と猿ヤスリ君に借金のお礼を厚く述べて別れ、今は三人連れ立って鍛治町に向けてぶらぶら歩いている。目指すところはもちろん、鬼婆の住処だ。この重たい懐のものをさっさと無くさなければならん。
「ところでトノ、さっき桃様からいくら受け取ってたんすか?」
「え? 確かめてないけど50万じゃね?」
シンタくんはかわいそうな奴なので100万割る2という算数もできないようだ。それとも猿ウマリ君が土手町から100万回収してきたつってたのを聞いてなかったのだろうか。
「ごじゅっ」
算数のできないシンタくんはかわいそうな奴なので一般的なマナーも弁えてないので天下の公道で鼻水を噴出したりする。きたねえ。死ね。
「ちょ、トノ! それ全部ウラシマちゃんのお姉さんに渡すんすか!? なんてもったいないカネをドブに捨てるようなことするんすか! 俺に半分くださいよ!」
脅迫された挙句にその脅迫に負けて支払いするために借金までするという、カネの使い道として最もあってはならないことをしてる自覚はある。しかしシンタにくれてやるのは同じくらい無駄な使い道だと思わないか。こいつにあぶく銭をやっても読みもしないラノベや聴きもしないCDをジャケ買いして積み上げるという、本当に目も当てられないほどクソのようなことにしか使わないのがわかってるのだ。
でもなあ。今回はあっさり桃様から借金できたけど、借金ってのはいつか返さなきゃいけないわけだし、だから桃様からまた借りるわけにもいかないし、そもそもなんで一足飛びに借金などという最終手段に至ったかといえば、それ以前に三桁万円積み上げてた貯金を根こそぎ鬼婆に巻き上げられてほぼ素寒貧になってたからで、こんなその場しのぎの金策を繰り返してもジリ貧になるのは目に見えてるんだよなあ。
もうあれだな、あのババア殺すか…殺さなきゃ…俺が殺されるかも…いやもう臓器屋さん連絡行ってる可能性もあるし…。やっぱ先手必勝は基本だよな…。
「ストップ。ストップ。タツオさんすごい顔になってるから」
「は。いかん、やっぱ殺すか」
「ストップストップ。どーどーどー。はい、もう着いたからねー。お姉ちゃんに会う前に深呼吸してねー。自分を取り戻してねー」
我が子を攫われた王蟲のように顔面真っ赤にして歩いているうちに、気がついたら鬼婆のアジトに到着していたのだった。
※
「ああ、あの馬鹿坊ちゃんですか」
部屋に上がり、寝起きなのか化粧を落とした化け物ヅラの鬼婆に封筒を渡し、というか50万の借金を背負って作ったカネなのにあまりにも当たり前のように受け取られて、かなり忸怩たるものがあったりもするのだが、そのまま立ち去るのもなんだというのでウラシマがお茶入れてくれるのを待ちがてら、くだんの市長様の話題を振ってみたわけだが、かの人に対する鬼婆の人物評というのは無残な一言のみであった。
「いや、坊ちゃんっつー年でもなくないですか」
「あの年までまともに働いたことがない脛かじりなんですよアレ。坊ちゃんという以外呼びようがないと思いますけど」
それなりに年嵩であろう相手に向かって、本人が居ない場とはいえ『アレ』というのもすごいが、しかしまあ確かにあれだよなアレ。残念ながらそれはわかる。
「なんかあの人と悶着あったんですか?」
「私が、というより弘前の夜の店全般ですね。まともな人生経験がないからろくに話もできないで、ひたすらこっちから話題振られるの待ってるんですよ、いい年こいて。しかもこっちから振ってあげた話題にも反応できないからすぐ静かになってしまうんですよね。そのくせ男の子みたいに頬を赤らめたりして。いくらお金もらって相手してあげるプロだからってこっちも人間ですから、木偶人形とお喋りはできないじゃないですか。それも頬が赤い木偶人形とはお喋りしたくないじゃないですか。おまけにそんな風なくせにケチくさくて安酒しか飲まないし。ちょっと鬱陶しくなってきたので『お店に来るより家でお母様とミルクでも飲んでらしたら?』って諭してあげたら人目もはばからずにぼろぼろ泣いて店から走って出て行ったのには大笑いしましたけどね。白髪のおじさんがって」
「はあ」
「そしたら何を逆恨みしたのか、うち以外のあちこちの酒場に現れてはお店の女の子のほっぺた札束で叩くような真似して『お前ら淫売は結局コレが欲しいだけなんだろ!』って決め台詞吐き捨てるようになったんですって。挙句、『いまに見てろ、私はこの街で一番偉い人間になるんだ!』とか言って、本当に市長になっちゃうんだからもうマジウケルー」
「おめーのせいじゃねーか!」
悪魔かこの女。悪魔だった。これは果たして逆恨みといえるだろうか。
なるほどおっさんがああいうどうしようもない感じになったのはしっかりと元凶があったのだ。老いらくの恋を裏切られた憎しみが発端だったとは…。
「ええ? 私のせいですの? 50過ぎたおじ様にはもう少し年相応の振る舞いをしてほしいですよね。なのに、うちの常連さんなんて盛り上がっちゃって。あの人のご両親やお祖父さんにお世話になった人ばかりで、『とうとう貴くんが立つときが来た! バンザーイ!』とか言ってて、あなた方がそんなだから今の今までよちよち歩きもしない人生だったんじゃないですか? 貴『くん』て。って突っ込まないようにするのが大変でした。なんでもひいお祖父さまが弘前銀行の創設者で、お父さまが弘銀の前頭取で、お母さまが弘廉会病院の現理事長の妹さんなんですって。すごいですね。一生外に出ないで暮らしていけるんだから一生外に出なければよかったのにって思いません?」
鬼かこの女。鬼だった。
箱入り息子が齢50にして頑張ってみたら、お外には魑魅魍魎が居たのです。そんでちょっとキレちゃったのです。本当はいい子なんです。いや、わからんが。
とにかく、引きこもり親父の恨みパワーは市長選を制したということだ。まあ、血筋だけでいえばまさしくサラブレッドなので支援も受けやすかったことではあろう。
しかし、人生において積み上げたものが何ひとつなく、血筋以外なにも誇れるものがないオッサンとしては、どこの馬の骨かわからんのに選挙活動どころか立候補もせず一万票集めてしまった桃様は、絶対に許せない存在となったということだろうか。
なんでそこで怒りの矛先が桃様に向かうのだろう。今俺の目前で絶頂長広舌を振るってるクソババアと刺し違えてくれれば少なくとも俺は貴くんにこの世で唯一心から感謝する人間となるであろうに。なあもっと頑張りどころ考えろよ貴くん。使えねーな貴くん。
「で? なんでアレの名前が出たんですか? ひょっとしてそれこそ外崎さんがアレと悶着でもありました? アレを潰してくれるなら上納金のノルマをちょっと考えてあげなくもないですよ」
あ、上納金ってハッキリ言いやがったこの鬼婆。いやまあ、どっからどう見ても上納金だから取り繕う意味もないっちゃないが。いちおうは貴金属の換金手数料って名目は維持しろよ。やる気なくなっちゃうだろ。もう全然ないけど。
お茶持ってきてテーブルに配膳するウラシマがドン引きしている。紛れもなくお前と血を分けた姉だぞこれ。
「いや、別に俺的にはあの人と争う義理もないんすけど」
「そうですか? 上納金を今の9割5分から7割に下げてあげようと思ったんですけど」
「やります。やらしてください」
具体的な金額を聞いた瞬間に態度の裏返った俺を見てウラシマがドン引きしている。紛れもなくお前が一生に一度の召喚術で召喚した勇者だぞこれ。いや、しょうがないんだ。カネは命より大事なんだよ。お前もそこらへんの機微がそろそろわかってきたんじゃないか。
「横からいいかな…お姉ちゃんなんでそんなにあの人にこだわるの?」
「だってムカつくじゃない。あんなにこっちに色目使ってたくせに、やっと金離れがよくなってお大尽らしい客筋になったと思ったら、そのお金は他店にばっかり使ってうちにはまったく落とさないなんて。道理に合わないってこのことだわ」
「じゃあ唐牛さんがお店来たらちゃんと相手してあげるの?」
「するわけないでしょう! 門前払いよ! ほほほほほ!」
マジそろそろ地獄に落ちろよこの女。