@10の1 『磯野ー。野球しようぜー』
「そういうわけだ、このバッティング勝負に俺が勝ったらおとなしくあっちの世界に帰ってもらうぜ!」
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
大爆笑された。
「トノ…度重なるストレスでとうとう…」
「もう精神が限界だったんだねタツオさん…」
うるせえぞ外野。
※
ということで、本日我々は安原のバッティングセンターに来ているのだった。
各種スピード設定はもちろんのこと、変化球用打席、果てはピッチング練習場まで備えた至れり尽くせりの心強い強力設備である。
弘前は人口20万人に達しないクソ田舎のくせに、なぜかバッセンだけは市内だけで4軒も存在するというバッセン王国なのだ。さすが毎年甲子園に出場する学校が大阪から選手を仕入れすぎて第二大阪代表とかいわれるほどの野球好き県の中心地だけはある。
そんな弘前に生まれ育って青春を過ごした俺はもちろん、野球部に入部したことこそないが、バッティングに一家言ある。
カ○プの前田の真似をしたフォームで130キロコースでも半分以上はヒットにできるのはちょっと、いやかなり我ながら自慢なのだ。伊達に運動といえば店の仕事とバッセン遊びくらいしかない人生を送ってきたわけではない。
いかに武術の達人だろーが、野球不毛の地どころか野球がないとこから来た野球素人なんぞ、いくらなんでもバッティングのような高等技術をこなせるわけもない。
この勝負、この俺に呆れるほどのアドバンテージがあることは明白なのだった。
「アドバンテージっていうかそんなくだらない勝負を桃様が受けると思ってるとこに呆れるっす」
「殺し合いの話をしてるとき野球が上手いって、だから何? どころの騒ぎじゃないよね…」
うるせえぞ外野。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
桃様は桃様でウケすぎである。
「は。よかろう。余興であるわ。その勝負受けてくれる」
「「「いいんだ!?」」」
三人の声がハモった。
「なんでタツオさんまで驚いてるの…」
俺はこいつにどう思われてるのか知らんが、こんなアホみたいな話がマジで通ったらそりゃ驚く。
「え? マジで? 後からやっぱなーしね、とかって駄目なんですよ桃様?」
「俺が約定を反故にする程度の小人と思わば思うがよい」
思わず確認してしまったが、桃様の信頼感絶大なこのアンサーである。いやほんとそういう約束ごとではなんかものすごい信用ある桃様。
すげえ、完全にやけっぱちだったのに、いきなり運が開けてきやがった。いやなんでも言ってみるもんだわ。
桃様もなんか自分というものにすげー根拠のない自信を持ってるみたいだけど、野球ってスポーツの150年の積み重ねがそんな甘っちょろいもんじゃないと教えてくれるわ。
「して? 何をどうしようというのだ」
そっからか? バッティング勝負つってそっから説明しなきゃ駄目か?
ふふふ、この様子じゃテレビで野球中継すら見てない真なるド素人のようだ。相手にならぬわ。
「いいですかあー? ここにお金を入れてえー、そうするとあそこからビューンって早いボールが出てくるんでえ、それをこのバットで前に打ち返すんですよおー」
「わあ…なにあの顔」
「テレビのクイズ番組で常識レベルの問題が正解できなかったイケメン俳優見てニヤニヤ勝ち誇るオッサンみたいな顔っすね…人間としてどこも勝ててないのに…」
うるせえぞ外野。マジうるせえ。いいだろ、ちょっとくらい勝ち誇っても。こんなのしか勝ってるとこないんだから。
「…ま、まーとりあえずやってみてくださいよ。案外ゲームとしても面白いもんですよ」
「え? 桃太郎さん完全に初心者なんだしふつうは経験者がまずお手本見せなきゃお話にならないんじゃ」
外野うるさすぎてすげえ。ぶっ殺したくなってきた。俺がお手本なんか見せたら桃様はしょっぱなから完璧にこなしかねんだろうが。この本気で完全に何も知らん状態ってのがいかに貴重かわかんねーのか。主に勝負のスコアリング的な意味合いで。
「トノのことだからその右も左もわからない適当バッティングの桃様も一敗にカウントするつもりっすよ」
シンタはシンタでさっきから俺の心を読むな。読んでも決して口には出すな。
桃様が動いた。
最速設定130キロのケージに、ゆらりと気負いない身のこなしで足を踏み入れる。
そして、ボール受けのネットのまん前に立った。
通常の野球のバッターボックスでいえば、ホームベースがある場所に立っている。しかも、バットを剣のように構え、ピッチングマシーンに正対したものである。
ピッチングマシーンと桃様、真正面で向き合う勝負の姿勢であった。
「ぐっ…」
こらえろ。ここでウケてはならん。これは桃様の無知が俺に与えてくれたサプライズプレゼントなのだから、遺漏なくそれを受け取らなくてはいけない。
いま俺たち以外に客がいないことは幸いだった。時速130キロの硬球ごときがぶち当たったところで桃様にはなんのダメージにもならないと俺たちは知ってるが、そうでない人が居たら間違いなく今すぐ制止に入るほど危険な光景である。
桃様には心置きなく凡打とデッドボールの山を築いてもらおうじゃないか!
「野球って前に見たけどあそこに立つのは間違ってるよね?」
「桃様ー。立つのはその隣っすよー」
お前らはマジで今日ここになんのため何しに来てるの? 俺の味方ができないなら今すぐ家に帰ってくれない?
隠し切れないほど青筋を浮かび上がらせながらボンクラどもを睨む俺を尻目に、桃様目掛けてピッチングマシーンから第一球が射出された。
桃様はそれをバットを上段にまっすぐ構えて迎え打つ。バットを持ち上げ気味にしたフォーム、という意味ではなく、そのまま剣道なんかでよく見る剣を掲げ持つ上段だ。
いうまでもないがそんなことしたらバットで視界が遮られ、球が見えない。そんなもんで球が打てるかドシロートが! クハハハハハハ!
球が来る。桃様がバットをまっすぐ振り下ろす。
カキーン
快音が鳴った。
「ふむ」
「…」
高速回転して地面にめり込んだボールがぶすぶすと煙を上げていた。
は、ははは。いや、クソ当たりっすわ。だって、上段からの面打ちだぜ? 剣道の試合じゃねーんだから。そんなダウンすぎるダウンスイングでボールが飛ぶわけねーべ。これだから素人はよー。
「これで球が飛ばぬは道理であるな。なれば」
即座に桃様がフォームを修正する。今度は、地をこするように剣先をつけるような下段の構えだ。そこから繰り出される斬撃はもちろん逆袈裟であろう。やめてえ…。
カキーン
今度は高々とほぼ直上に飛び上がった球が天井にめり込んだ。
「球が前に飛ばないっていうことは引き付けすぎてるのかな?」
「あと、単純にバットの軌道が縦すぎるんすね。ボールの反発角度が上方向にしかないから」
決めた。お前ら後で生まれてきたことを後悔するような目にあわすわ。つーかウラシマに至っては俺がこの勝負で負けたらどうなるかとか少しでも考えてんのか。頭んなかにカニミソでも詰まってるのではないか。
クソどもの会話を聞いたのかどうなのか、桃様がまたフォームを修正した。
「なるほど抜き胴か」
なんか掴んだらしい。桃様が掴んだそれは、間違っても野球におけるバッティングの極意ではない別のなんかであることは理解しておいてもらいたい。
結果的にレベルスイングに形がコミットした桃様は、そのあと野球系ゲームのTAS動画のようにほぼ同じ場所に打球を打ち返し続け、気がつけば10球中8球という実にご立派の成績を収められたのであるが。
つかなにあの打球? ミサイル打法? 全部すげーまっすぐ球が飛んでったんだけど。
「鉄砲の弾を手で弾ける人が130キロのボール打てないわけないっすよねえ」
「気ついてたんならなんで早く言わねえの? ぶっ殺すぞお前」
「と、トノの番じゃないすか…?」
俺はそろそろこの馬鹿を十和田湖に静める権利をもらってもいい気がしてきた。
…いや待て。思考も発想もテンパりすぎてチンピラみたいになってきてるぞ俺。大丈夫さ落ち着け。あっちは10点中8点、パーフェクトじゃねーんだぜ。
そもそも、予感はあったのだ。弾丸を手で落としてた件は度忘れしてたが、桃様だったらなんでも余裕綽々にこなしそうつーか、野球もなんかできそうな気はしてたのだ。
にも関わらず、なぜこの勝負を挑んだか?
いうまでもあるまい、俺自身がこの勝負に自信を持ってるからだぜ…。
さっきも言ったように、もともと、体動かしたいなって思ったらバッセン来てたくらいにはバッティングが趣味なのだ俺は。
そしてそのアドバンテージに加えて、俺はいまや勇者としてのスーパーパワーを得たハイパー外崎龍王くんなのだ。これだけの条件が揃ったらバッティングのひとつやふたつお茶の子さいさい朝飯前つーか赤子の手を捻るつーか。
俺がその気になったら今から○人の入団テスト受けてドラフト外入団で36歳のオールドルーキー中年の星として東スポを騒がせてやってもいいと思ってるくらいなのだぜ?
まあ俺は目立つのが嫌いだからそんなめんどくせーことはしないがな。
「ふう…ちょっとはしゃぎすぎたようですね桃様…しょうがない、本当のバッティングってやつをお見せしますよ」
「桃太郎さんぜんぜんはしゃいでないよね」
「とりあえずちゃんとバッターボックスに立つだけで桃様に比べたら本当のバッティングっすよね」
クソどもを黙殺し、俺はおもむろにケージに入る。
そして、ピッチングマシーンに向けてバットを指す。
「ホームラン予告ってやつだよね?」
「バッセンにホームランってないっすけどね」
…さあて、見てるがいい子猫ちゃん。外崎龍王、東北地方都市の片隅で伝説が産声をあげるぜ。
ピッチングマシーンが起動し、もったいぶるような動作から、やおらに腕を振りぬいて第一球を投じる。
おらっホームランだ!
ズドン
目を閉じてもわかる。ボールはまさに飛び上がって夜空の星になった。
ズドンって耳が痛くなるほどの快音が…ズドン?
俺はゆっくり振り返る。そこには、ころころとボールが転がってるのだが、はてゲーム開始したばかりなのにこのボールはどこから湧いて出たのだろう? 店のサービスかな?
「掠りもしないどころかまったくボールと別の場所をバットが通ったよタツオさん…」
待てよ。何言ってんだ? 幻覚でも見たんじゃねーかお前。
いかん、次の球が来る。ボンクラ一号に構ってる場合じゃなかった。
いや、我ながらちょっと余裕かましすぎた。プロの選手もよく言うもんな、ボールを最後までよく見るのがバッティングのコツって。最後に目を瞑るのはパフォーマンスにしてもちょっと野球を馬鹿にしてしまったようだよ。これじゃ野球の神様に怒られちゃうぜ。
今度は本気だ。本気で仕留めに行く。見とけ、こっからワンミスもねーから。
ぶん、と次が来た。
全力で行く。
ズドン
「…え?」
「今度はバットがボールよか下すぎっすねえ…つか目ついてんのかレベルっすけど」
「何これ? なんか仕込んでない? 責任者ちょっと呼んでこいよ」
「桃太郎さんのときとスピードもなにも全然変わってないよ」
は? いやいや、馬鹿おめーそんなわけねーだろ。俺を誰だと思ってんだよ、セ界の王になるかもしれない新星(見込み)だぞふざけんな。あんだけ完璧に当たってる脳内イメージがあるのに当たらないわけねーべちょっと待てよコラ。
「トノ、もう次きてるっすよ」
「死ねおらあああぁぁぁ!」
必殺の気合を込めて雄たけび振った。
ズドン
「もう負けたじゃん」
「3ミスでゲームオーバーっすね」
「…?」
意味がわからない。何がどうなってこうなってんだ? 誰か俺をハメようとしてないか? このバッセンの店長とか。昔っから贔屓にしてやってたのに、ちょっと最近足が遠のいてたからってこの仕打ちか? 行くか? 闇で行かないと駄目な展開か?
「なんかすごい物騒な顔になってるっすけど、もう打たないんすかトノ」
結果。
俺のバットは残り7回中6回空を切り、一回はボールを横のネットに食い込ませて終わったのだった。
「だいたいタツオさん、バッティングセンター最後に来たのいつなの?」
「い、一年前くらい…」
「つまり能力もらってから一度も試してないってことすよね。そりゃ上手くいかないっすよ。だってバイクのスラロームを時速200キロしか出ない単車でやるようなもんじゃないっすか」
「そんなのぶっつけ本番で出来たら逆にすごいよね」
過ぎたるはなお及ばざるがごとし。俺のオーバーパワーはバッティングのような繊細な技巧を要する行為をこなすには大雑把すぎたのだ。初めて気づいた。
「いや、でも、桃様はあんな無茶苦茶な打ち方でも完璧だったじゃん? なにそれズリー。ズルすぎ。イケメンだったら何やってもいいのか? イケメンだったら人殺してもいいみたいな話か?」
「そりゃ桃太郎さんは自分の能力完璧に使いこなしてる人だし」
「ぽっと出の棚ぼたでもらったトノとは全然違って当たり前っすよね」
「ふざけんなふざけんなこんな勝負無効だろお前こんなもんだまし討ちだろつーかお前らそういうの事前に気づいてたような口ぶりしやがって何なんだ? なんで気づいてんのに止めねーんだ? 俺の命かかってんだぞ」
「いやだって…」
「なんかトノ、それ一発で世界平和が実現できるなみのビッグアイデア閃いたみたいな顔してるし…」
「止められないよね…」
息合わせてんじゃねーぞクソどもなんだこいつらいつの間に仲良しか?
いやおかしいわ、この勝負はおかしいわ、こんなのに命はかけらんねー、やめさせてもらう。
「ではそろそろ腹が決まったか、外崎龍王」
「決まるわけねえーだろ! いや決まるわけないです桃様、ちょっと待ってください」
無効試合でやり取りできるほど俺の命は安くねーんだボゲ! と啖呵を切りたいところだが、もちろん桃様にそんな態度を取れるわけもなく、俺は早急に命をつなぐアイデアを捻出する必要に迫られた。
「しかし野球と申したか。こなたの世ではずいぶんに全盛のようじゃが、これだけ娯楽に事欠かぬ世の中で、みなこの程度の遊戯に興じておるとは面妖なこともあるものよ」
勝手きわまる言い草である。
俺がこんなバッセンの球ごときで俺ツエーさせたがために、野球そのものをこうも愚弄されようとは…。
こんなチンケなクサレチンポマシーンを打って調子に乗ってんじゃねえよ、本当のピッチャーの生きた球ってやつ見たことあんのか。ヤンクスのマー様のスプリットなんて見たら、あんたなんざ打ちもしないうちからきりきり舞いだぜ。
いや、まあ、なんか打ちそうだが。
しかしそれにしても野球王国日本に住まう王国民の一人としては、このまま野球を侮られるのは忸怩たるものがあるのも事実である。
「いや、桃様相手に機械なんか持ち出したことが間違いだったんですよ。はい、反省しました。今から本当の野球の楽しさを教えますよ」
「ほう」
「ええ…まだ野球にこだわるの…?」
「素直に他の勝負にしましょうよトノが勝てそうな勝負って思いつかないっすけど」
外野うるせえ。いや、今からこいつらは外野ではなくなるのだった。
「いいから岩木川の河川敷行くぞ」
弘前市が誇る一級河川岩木川の河川敷というと広すぎてスポーツできる広場すらあるほどの市民の憩いの場である。なにも異世界姉妹の収容施設だけがあるわけではない。
「私たちも? 野球で平和的な勝負してるしもう別にいらなくない?」
「そっすよ、桃様だってそんな無茶言ってこなさそうだし」
「い・い・か・ら。さっさと来いよチームメイト」
「「え?」」




