@7の2 『濡れ手に粟とはこのことか』
「クソ雑魚ですう」
「あ、あれえ…? ぜんぜん成長してない…」
直後。
ワンミニッツどころか10秒で殴り倒されて、土の味を確かめながら頭からぷすぷすと煙を吹く俺がいた。
「かなり激しく動き回ってたから、相手の攻撃を見切る能力とか手に入れてると思ったのに…。タツオさん、なんか必殺技編み出したみたいなこと言ってなかった…?」
「ある意味この前より殴りやすくて完全にパンチングマシーンだったですう。必殺技ってなんのことですかあ?」
俺は恥をしのんであのとき地下空間でやったことの詳細を語った。
「つまりそれって…」
「あの、はい。こちらに気づいてない奴を不意打ちで後ろから蹴り殺すための必殺技です」
地面に倒れ伏す俺を見下ろしたままに、ウラシマ白雪両人が「うわあ…」という顔をした。
「そんなの戦闘経験でもなんでもないじゃん…」
「なんの訓練にもなってないですう」
「妙に報酬が多すぎると思ったんだよなあ…。そっか、とにかく数をこなしてレベルあがったのかあ」
そんなにか。そんなにいかんことか。足止めて正面からどつきあうことが左様に偉いか。古代ローマのコロセウムみたいなモラルを法治国家に持ち込むんじゃあない。いいじゃないか不意打ちしたって。人の子だもの。命を惜しんでいいじゃないか。
「問題はあ、それじゃいつまでたっても強くなれないことですう。もういっそ空手道場とかでプロに教えてもらいますかあ?」
「え、わざわざこの年で格闘技を…? え、普通にやだ…」
「…」
白雪ちゃんが食卓に上がったナメクジを見るような目で俺を見下ろした。
そういうのじゃなくて、この「異世界からの刺客に襲われる」って状況自体が降って湧いた事態なわけなんだから、もっと俺自身も降って沸いたような適当で楽な感じで強くなりたいの。別に俺が自分から頑張りたいとか思ったわけでもないのに頑張りを押し付けられるのが嫌なの。決して道場通うのが無理とか辛いとか、そういうこととは話が違うの。わかんねーかなあ。わかんねーだろうなあ若い人には。
「いや、んー。でも、とにかくレベルは上がったんだからなんか能力は鍛えられてるはずなんだよ…なんなんだろ」
「それがわかるまでとことんやってみますかあ? はっきり言って白雪はこれじゃ消化不良なんですけどお」
ぶんぶんと肩を振り回す姿はバトル漫画の筋肉系エネミーのごとき白雪さんだ。
え? とりあえず状況終了で『※』印が出て場面展開じゃないの? このシーン続くの? 続く意味なくね? このおじさんからこれ以上なんの鉱脈を掘り出すつもりでいるの? ホワイ?
ゴオン
とか思ってたら、ものすごい一発が来たので俺は反射的に体を起こした。一瞬後に俺の頭があった場所の地面がパンチで抉れ飛んだ。もちろん犯人は白雪姫。バトルマニアのバーサーカーです。というか、空気が押し出されるようなすっげー重苦しい音がしたんだけど、女性のパンチからそういう音出ていいの? だいじょうぶ? 道交法に違反してない?
「うまく避けたですねえ。そのラッキーが続くといいですけどお」
「冗談じゃねえよ!」
即座に身を翻し、俺は逃げた。どう逃げようとかどこに逃げようとか、そういう小難しいこと抜きにして本能の命じるままの生存をかけた全力疾走だ。
無論のこと白雪ちゃんは俺を追ってくる。だがこないだとは状況が違う。なんか今日は妥協して足を止めたらそれが俺の人生が止まるときな気がする。俺は諦めず必死で脚を動かした。
「は…はやっ!? なんですかあ!? 早すぎじゃないですかあ!?」
さっきまでウジだカスだの扱いだったくせにいまさらそんな持ち上げられたって騙されるかクソアバズレが! あばよー毒女あ!
※
「おかえり白雪」
「あんなの絶対追いつけないですう…でも外崎さんの新能力はわかりましたよお」
「私もわかったよ。つまりあれだよね」
「「逃げ足」」
※
その後、スマホごしに絶対なんにもしないからとかいう甘言を並べてきやがったウラシマに、その言葉の真実たるを神とスパゲティモンスターに誓わせ、やっとこうして俺の部屋での邂逅を果たす運びとなったわけだが。
「はあ。なんかもういろんなことがどーでもいいや。早速新しいライアードリアル手に入れるんでしょ? もうどういうのにするか決まった?」
「おうよ。早く一覧見せろよ」
「はいはい」
投げやりな感じになってるウラシマが空中に向けて両手をぱっぱっぱ、とパラパラっぽく動かすと、電気の光が灯る室内だというのに若干の薄暗さが部屋を満たし、ウラシマの手の中であの日のようにライアードリアル一覧のスクロールが始まる。
「ほう。ほうほうほう。あ、これいい。ちくしょうこれもいいな。やべえこれもいい」
「せいぜい後悔しないようにね…レベルさえ上がれば好きなの全部選べるんだから、ちゃんと戦いの役に立つのを…ただでさえ『逃げ足』なんて戦いに全然無意味な能力進化させちゃったんだから」
「…」
うっせーな! さすがにいい年こいたおじさんが、いの一番に進化した能力は逃げ足でしたなんて聞かされたときはちょっと凹んだんだぞ!
「ま、まあまあですう。逃げ足の速さもきっと役にたちますよお。生き残ることが一番大事ですからあ」
ウラシマと違って戦いが絡んでないときの白雪ちゃんは本当にいい子だな…。これもすべて人の世の争いが招く悲劇か。世界が平和になりますように。
そのような気持ちを込めて、俺はひとつの能力を選びとった。
「よし、いくぜ」
「はいどーぞ」
やー、この感じ。久々だなあ。
左手のひらを受け皿に、額で右手親指の突きを受ける。渦巻くような力の奔流が、俺の腕を媒介にして頭のなかへ雪崩れ込んでくるのを感じる。
「『分け身作成』我願う、うつつよまことになりたもう」
ズキューン!
つー感じで、入った。さっきまで名前もよく知らん力だったのに、今では使い方がよくわかる。実に久々のこの感じ、いいね!
「え? よりによってそれ? タツオさんの強さで分身作ったって全然意味ないよ、次の刺客どころか白雪に瞬殺だよ」
なんせ俺本体が白雪ちゃんに瞬殺だからな。さもあろう。でもいいんだ。
「べつにいいぜ。だってこのライアードリアルで敵と戦う気ねえし」
「…? …? どゆこと?」
俺のいうことの意味がさっぱりわからんと全身のジェスチャーでウラシマが示す。
「わかんねーかな。地下封印空間で化け物退治して金稼ぐのは別に俺じゃなくていいんじゃない? って話だよ」
「…え…え? …えー!? ちょっと!? ちょっと何考えてんのタツオさん!? 次いつレベル上がるかわかんないから慎重に戦うスキル選んでっていったのに! それどころかもう修行に行かないための能力選んだってこと!?」
「うっせ。うっせ。胸倉掴むな。揺らすな」
「揺らすよ! めちゃくちゃ揺らすよ! なんでそんなに危機感ないのさ! 病院で頭取り替えてもらったほうがいいんじゃないの!?」
ひどい言われようであった。
大人というのは、そういう生き物なのだ。
損得のデジタルな計算だけしたら、総合的に見て得をする選択肢があるというのがわかっても。その総合的な得を取るために、一時的にだろうと損とか引いて辛い思いをするのがまったく耐えられないのだ。
中年という生き物は仕事上の苦労だけで人生いっぱいいっぱいで、私生活でそれプラスαの重荷を背負う余裕などまったくないが故に、いくら後でそっちのが得だと理性で理解しても、その場そのときに一番楽で楽しい選択肢しか選べないのだ。
なんでっていわれても困る。中年って、中年以降の人間ってそういう生き物なんだ。嘘だと思うならお父さんに聞いてみよう。すごく悲しい顔をして頭を横に振って、君への回答を拒否するだろうから。それが答えだ。
「だいたい、よく考えてみろ。お前は簡単に俺に修行しろ修行しろって昔捕まった宗教の教祖っぽく言うけどな、俺は自分の生活費を自分で稼いでるし、いま勤めてる店でもそこそこ責任ある仕事を任されてて、簡単にほいほい仕事投げ出したりできる立場じゃねーんだわ。社会人つーのはなんに対して責任があるかって、世界とかそういう大それたもん以上に、現在目の前の自分の仕事に最大の責任があるんだよ。だからほんとは休日はしっかり休んで心身をリフレッシュさせて、一週間全力で仕事に当たるのが社会人たるものの使命なわけよ。つまり休みの日っていうと修行とかいってわざわざ疲れに行ってるのはある種の職務放棄つーか責任放棄に近い行為なわけ。わかる? わかんねーだろうなお前みたいな責任負ってないガキにはさあ。こっちは大人だからおままごとで生きてるわけじゃねーんだよ。俺が仕事で失敗したら店も取引先もお客さんもみんな迷惑するの。仕事ってそういうもんなの。お前すぐ殺し文句で命がいらないのかとかいうけど、俺は思うね。仕事への責任をまっとうできてない大人なんて社会人として死んでんのと同じだって。殺されるまでもなく、死体だって」
なお最後の『仕事への責任をまっとう〜』から始まる一連の台詞は対馬弘大くんの過去発言の引用であって、俺がそれを聞いたときは俺にはついていけない考え方をするやつだと恐怖したものだが、しかしながらその恐怖の対象に拾われて一緒に働いてるんだから人生ってふしぎね。
そして大人を振りかざした物言いで俺に詰め寄られたウラシマはガキの本性を丸出してぐじゅぐじゅと泣きが入っているのだった。あ、いやごめん言い過ぎた。いやごめんて。マジで。
「で、でも、でもお…でもおっ」
「ま、まーあれよ! 今は俺準社員って待遇で働いてっけど、もっと貯金ができて余裕ができたらパートタイマーとかアルバイトにしてもらって一日のうち午前中だけ働くシフトとかにしてもらってもいいしさあ! そういうときのためにお金貯めてくためにこの能力をフル活用してこうって思うんだよね! そしたらまた修行にもいけるんだしさ! な!」
「…うん」
長い、ながあああぁぁぁい沈黙のあと、涙と鼻水垂らしたまんまで、ウラシマ少年が頷いてくれた。これにて一件落着!
白雪ちゃんがなんかすっごい非難を込めた目で睨んできてるのは見ないことにした。
※
プレステ4(プレーンステイツよん)買いました。
いやWeeV持ってるしさ、俺もめっきり老け込んできて最近古いゲームばっかしてるからいらねーかなって思ったんだけど、フォールアウト4が。フォールアウト4が出るんだよおおおぉぉぉお! おめ、そんなもんおめ、ゲームオタクの端くれとしてさあ! お祭り騒ぎですよ! 個人的には相変わらず車で街中暴走して通行人のジジイ殴って30分で飽きたGTA5(パソコン版)は比較にならねーカーニバルなんだよ。カーニバルだよっ! ハロウィン100回分くらいのすげー熱量が俺を中心として日本から立ち上がり、ベセスダのスタジオに届けこのハート!
で、それまで待ちきれないからってプレステ4のローンチで出たFPSを適当に買って遊んでんだけど、これがまー、面白い。
いやゲーム性はさあ、まあこの10年何やってたんだよつーくらいエネミーテリトリーとか初代BFから進化が見えねーんだけど、銃撃ったときの反動とか重量感とか人を撃った反応とか画面の質感とか、グラフィックと音が超すごいつーだけでFPSってジャンルはこれほど面白くなるのかと驚愕しきりですよ。没入感マジ半端ない。うちはアパートだから必然的にそうしてるけど、やっぱヘッドホンプレイ推奨です! たのしい!
分け身ちゃんのほうはわりと順調に稼動してるみたい。何日かに一回、ウラシマと一緒に高照神社まで行って、こんなことしてていいのかなって全然納得できてない顔のウラシマをなだめすかして門を開かせ、分け身を突っ込ませて数時間放置。
全自動で死ぬまで戦ってくれるので、何時間か後に今度は自分で潜ってみると、そこらじゅうに金銀宝石が散らばってるって寸法よ。まあ俺が自分でドロップキック祭りしたときの効率には、時間単位の質も全体の量もまったく及んでないが。
オトヒメさんとの取引も順調だ。ここ二週間ほどで俺の口座の預金額は100万を越えた。こうなってくると気が大きくなってくるつーか、ゲーム機くらい頑張ってる自分へのご褒美で買ってあげていいじゃん? あ? なにを頑張ってんのって? わざわざ岩木方面まで2ケツで出かけてるだろ定期的に…大変な手間だよ。片道30分もかかるんだぞ…。
そんなこんなで俺の生活は極めて順風満帆なのであった。
「順風満帆なのであった。じゃないよ! こないだの説明じゃお休みの日は自力で修行してもいいはずなのに、なんで分身突っ込んで速攻戻ってきてまたゲームしてるのさ! ていうかこれなにプレステ4!? なんで次世代機増やしてるの!? がんばる気なさすぎじゃん!」
この定期的に現れるお邪魔キャラさえいなければ。
「ばか、おめーばか。こないだちゃんと説明したろ。休みの日は仕事に向けて英気を養わないといけないんだよ…」
「じゃあゲームしてないで寝てなよ!」
なんて恐ろしいことを言うやつだろうか…娯楽もストレス発散もなく仕事と飯食って寝るだけの生活をしろとは…そんなアホみたいな人生に耐えられる人間を俺は弘大以外見たことがない。
「あーもううっせーうっせー。お前こそ深夜まで働いてるのになんでそんな元気なんだよ」
「若いからだよ!」
「…」
あ、聞かなきゃよかった。わりといま素直にダメージ入った俺。うん、俺がこんなやる気ないのはおじさんで疲れてるからです。わかってたことだけど直視はしたくない、自分がアラフォーである現実だった。
俺がこの恐るべきクソガキにどうやって人生の悲哀をわからせてやろうか頭を悩ませていると、新たな訪問者があった。
「ちわー。トノいるっすかー?」
馬鹿が増えた。
馬鹿は玄関先から叫んだきり、俺が了承を与えもせんのに堂々と入ってくる。
「よう馬鹿。その後に変わりはないか」
「べつになんにも変わるようなことはないっすねー」
大嘘である。
ウラシマによって連れ帰られ、目が覚めて、こいつが最初にしたことは家族に自分の新たな人生、セカンドステージが始まったことの説明だったという。
そして妹ちゃんに「どこも変わってないじゃん。元の馬鹿兄貴のままじゃん」と看破され、半狂乱になって泣き喚いて俺のところへ泣き付いてきた。「俺は覚醒したんだ! 本当の自分を見つけたんだ! 証言してくれよトノ!」もちろん俺は、夢でも見たんじゃねえのかと切り捨てた。
かわいそうだ。かわいそうだが、ここで変に同情したらもっとかわいそうなことになるのは明白だった。俺は心を鬼にした。途中で合流したウラシマも口裏を合わせた。俺が馬鹿を蔑む目でシンタを見てるのに比べ、口調が露骨にまごつくウラシマは嘘のつけない奴だったが。
次に会ったときはすべてを忘れて、元通りのシンタに戻っていた。口調も「〜っすよ」という舎弟語に戻っており、すべては日常に回帰したのだと俺は悟ったのだった。それがシンタが自分の心を守るために自分についた嘘から生まれた、儚くも悲しいバリアに守られた日常だっとしても俺は歓迎しようと思う。
「そんなことより、お客さんっすよー。途中で道を聞かれたんで案内してきたっす」
「は? 俺んちに来る客なんてお前と弘大とウラシマ以外に誰が…」
「お初にお目にかかる。うぬが外崎龍王かや」
シンタの後ろから、すっと人影が現れでる。
まず、美形であった。
絵筆で引いたように乱れなく弧を描く柳眉、猛禽を思わせる切れ長の瞳は、他を圧する凶猛さを示しながら、同時に覗き込むものの心を捉えて離さない引力を放つ。気位の高さを象徴するように鼻筋が高くまっすぐに伸び、全体に細面のなかでなお細い唇が赤くみだらに艶やかである。
まさに描いたような美形の上で、ひっつめたオールバックの髪は不可思議な桃色だ。
果たして肉がついているのか、という疑問を覚えるほど、ベージュのチノパンに装われた足が細く長く、特徴をつけすぎたマネキンのようなのに、それがこの人物にあっては少しも不自然でなく、むしろかくあるべきという印象を与える。
反面、ブラウンのセーターに覆われた肩幅は広く、そこだけが頼もしく性別を感じさせた。
要は、美しすぎる男性であった。
「え、あん。あのー。来るとこお間違えじゃないっすかね…」
弘前の汚いアパートじゃなくてパリとか少女マンガにご出演されるべきかな、と思わざるを得ない人の突然の登場に、俺は狼狽を余儀なくされせざるを得ない!
そんな俺の混乱に拍車をかけるべく、俺の背後で絶叫しやがるやつがいた。
「え…え、え、うそ? うそ? も、桃太郎さんだーっ!?」
「おう、オトヒメのところの姫巫女か。久しいな」
知り合いか。知り合いだろうな。見た目ですでにこっちの世界の人じゃないのが一発でわかる。モンゴロイドであることは間違いないのに、どういう目線で見ても最強の美形ってそれは矛盾してるとモンゴロイドである俺は思うのだ。てか、え? 桃太郎さん?
「姫巫女とともに居るのであれば相違あるまい。うぬが外崎龍王だな。いま呼ばれたとおり、俺が桃太郎じゃ。存知おろう」
はい。よっく存じ上げてます。
「やば、やばいよ…桃太郎さんはやばいよお…」
完全にべそかきの泣き声でウラシマが言う。
あ、そうなんだ。そうなんだろうね。それについての説得力がありすぎるオーラを放ちながら、桃太郎さんは俺に向け、嫣然と微笑んだのであった。