@6の2 『地下マラソン大会』
「なるほど」
「だからまー、どういう理屈か知らんけど死なないんだよシンタは」
「それは死なないね。なんだろ? 実は取替え子で本当はオトギキングダムの出身とか?」
取替え子というのはヨーロッパの古い民間伝承に時折語られる事象で、生まれて間もない赤ん坊のころに妖精のいたずらで取り替えられた人間のことを指す。多くの場合、取り替えられ連れ去られた赤ん坊のほうの消息は明かされない。主に、人として生を受けながら、超人的な能力を発揮した人間の、その超人性を説明する理由として用いられることが多いようだ。
「わかってると思うけど、そんな話あいつの前ですんなよ。今慎太郎34歳の病気が進行する」
「わかってるよー」
ウラシマ少年が実にいい感じで気の抜けた返事をよこす。ついさっきまで一秒を争う勢いで、必死の形相で俺の原付に2ケツしていたのだが、もはや完全に気分が弛緩している。
上記のような話がまるっとに俺のホラ話で、シンタがほんとはちゃんと命の危機に陥ってたらどうするのだろうか。ちゃんと命の危機ってなんだ。いや、ホラでもなんでもないのだが。
そして何が悲しいといって、この話のオチはシンタが何があっても絶対死なないチートクラスのディフェンススキルを持ってるだけのまるっきりの常人というか、人に誇れる能力・技能を持ちえたことがただの一度もないという事実である。
高校のころから一貫してそんな感じであり、子供のころから培った特別なプライドと現実の狭間で苦悩の深奥に落ち込んだシンタくんは、思い切って漫画とアニメの世界へと救いの手を求めたのである。救われなかったが。
むしろコミュ障はオタクの世界ですら用無しだという冷厳なトドメを刺されて帰ってきたが。
そりゃお前、先輩声優に酒のおごりで誘われて「あ」とか「う」しかいわねー奴に仕事は回ってこねーよ。
で。
「馬鹿話をしてる間についちゃったね。あー、またあの門引き出すのかあ…あれほんっと疲れるんだよお…」
「馬鹿野郎、俺なんかまたあそこに潜るのをどうにか回避できないかって思考をフル回転させてんだぞ」
「いやー無理。門の召喚のあとは演技でもなんでもなく一歩も動けないから。あくまで救出はタツオさんがやってくれないと」
「情けねーないい若いもんが。若いうちに頑張れないやつに幸せは来ないぞ」
「タツオさんにだけは言われたくないよ!? …はー、たく。よっこらっしょお! はいどーぞ」
こないだは禍々しい空気感とかいろいろ演出の描写があったのに、シンタの話に花が咲いたせいで今度は今度で空気が軽い。軽すぎだった。
「まあちょっくら行ってくるわ」
「気をつけてねー」
※
一人、微かに発光する石壁の階段をくだる。
話し相手もなく、俺自身の足音とそれに呼吸の音だけが、やけに耳障りに反響する。
孤独と心細さが神経を逆立たせる。
「…すっげえ怖い」
怖い。なんてもんではない。
シチュエーションでいえば、この先に何も無いことがあらかじめわかってる、単なる廃墟の階段を降りている、ってシチュエーションだとしても死ぬほど怖い。まして、今この先の地底には異形の魑魅魍魎が蠢いていることが確定してるわけだ。
なんで一人で来ちゃったんだろう。前回あんな目にあったけど、なんとか拝み倒して白雪ちゃんも連れてくるべきだったか。べきだったな。
いや、ほら、流れでさ。あと空気とか、雰囲気とか。わかるでしょ? やっぱやーめた、準備整えて後からにしようぜ、とか言い出せる感じじゃなかったじゃん? 大人っていうのはさ、そういう流れとか大事にするんだよ。あえて逆らわないの。
うん。これからはせめて自分の命がかかってる場面ではもうちょっと真面目になろうと思う。俺はシンタみたいな異能生存体とは違うのだ。どてっ腹に穴でも開けばちゃんと死ぬのだ。
「しっかし」
階段の終点に到着し、ぐるりと頭をめぐらして、ちょっくら考える。
高照神社最下層はやっぱり異様に広い。一目見て果てしなさすぎてちょっとクラッと来るくらい広い。
俺は東北の田舎もんなので行ったこともない東京ドーム何個分つー例えは出来ないんだが、たぶん札幌ドームとかKスタだったら軽く6つは入る規模だと思う。だって壁とかがギリギリでも視認できる距離にあるなら、多少なり光が反射してその存在が確認できるはずだろう。
なんぼプロ野球のスタジアムがこんなもんが都市部にあるのはおかしいぞってくらい馬鹿でかいにしても、いくらなんでも端っこに立ったら向こうはじの壁が見えないってほど広くはない。そう考えると、野球場6杯どころかもっともっと広いかもしれん。
しかも薄暗くて、先が見通せない。ぼやっとしてて、闇の中からいつ何が現れてもおかしくない感バリッバリ。
こんなとこを探すのか…親兄弟でも彼女でもなんでもない、たった一人のシンタのために。
「…」
うわあ、なんかもうすげえげんなりしてきた。
いまちらっと俺の脳裏をよぎったアイデアは、ここで百人力に強化された肺活量を使って、ワギ○ンなみに叫んでやろうという、そんでシンタの返事があればよし、もしなかったとしても捜索に当たって最大限の努力はしたのだが、準備不足(主に白雪ちゃんなどお助けキャラの助力がない)であることは否めず、二次遭難の危険があるために捜索を断念した、という名目で今すぐ回れ右して帰ろうというものだったが、もしそれをして化け物が大挙して押し寄せたら俺が即死してしまうので却下だ。
「えっと…こんな、こんなだっけ」
人体ってやつがもっとも効率よく素早く走行するための基本形というのを、義務教育では陸上部関係ない子供にも一律で全員に教えてるよね。なんのために? って当時は思ってたけど、なるほどこんなときのためだったか…。人間いつ化け物の群れから自分の足で逃げなきゃいけなくなるかわかんねえもんな…。そりゃ命に関わるから学校で教育すべきだわ。
でも先生、教育委員会の人たち、文科省の人たち、片手落ちです。その目的をきちんと説明せずにやり方だけ教えたって真面目に覚えるわけがない。ほら、俺どんなだったか全然思い出せねえもの。まあ仮に化け物から逃げるためですなんて説明されたら体育教師の山口が発狂したかと思って当時の俺は爆笑しただろうが。なんにせよやっぱ意味ねーわ体育の授業。
「…まあ適当でいいか」
さっきから覚えてすらいないランニングフォームの確認とかを入念にしてるのは、その必要があるからではなく、走り出すそのときをなるべく引き伸ばすためでしかないのだった。
だいたい都合四日間近くもこんなとこに放置しといて、いまさら血相変えて助けに行くなんて逆に残酷なんじゃないか? 俺はちらちら思い出してたがウラシマとか白雪ちゃんは完全にシンタという人間の存在を忘れてたのだ。
つまりシンタくんを心配してるウラシマは虚構であり、この四日間のリアルはシンタを存在しないものとして扱ってたウラシマのほうなのだ。それをいかにも「ボク心配してましたあ!」なんて白々しいと思わないか?
俺だったらそんなの逆につらいね。四日もほっとかれたんなら、もうむしろ逆にそのままあと二日や三日はほっとかれてもいいわ、って思うね。思うわ、シンタだって男の子だもんな。プライドってもんがあるよ。よし。
『なんで階段のぼってる?』
「何いってんだこれは武者震いからくる屈伸運動だよ目腐ってんじゃねーのかお前」
『そっちの映像が見えるわけじゃないけど、タツオさんの位置情報は掴んでるからね…? 最下層に着いたかと思ったら、ずっとそのまま動かないからどうしたんだろ? って聞こうとしたらタツオさんの位置情報がゆっくり階段踏んでるようなリズムで上にあがりはじめたんだけど、どゆこと?』
「ちょっと待て、その前になんでお前は俺とテレパシーできてるの? そんな能力の説明あった? 後付でどんどん新要素増やしていくのはクソのやることだぞ」
どこの誰がクソであるかはあえて言明しないが。
『そんなのできないよ。ただタツオさんの背中にスピーカー機能つきの携帯型集音機をつけてるだけ』
「言葉濁してんじゃねーぞテメー! 盗聴器じゃねーか!」
『お姉ちゃんからもらったお下がりだから文句はお姉ちゃんに言ってね』
あの女いったい何してんだ。こっちの世界への染まり方がダークネス通り越してんぞ。こっちの世界にもともと住んでるアウトロー100人並べても盗聴器の使い方に慣れ親しんでる奴なんて10人切るだろ。
「くっそふざけた真似しやがって、くそっ」
『あ、体が固いタツオさんじゃ絶対届かない場所につけてるから諦めてね』
「…お前おじさんにこんな過酷な運命背負わせたくせに自由まで取り上げるの…? 音声も位置情報も手に入れ放題ってなによ…。つーかこんな地下でGPS情報はどうやって取得してんだよ」
『そっちは召喚主は被召喚者がどこに居るかわかるんだよー』
「結局そっちの能力もおかわりすんのかよっ!」
そしてどんどん後付設定で盛られていく能力と現代科学知識を合わせて、生きてるだけで世の中に対する罪になるようなクソストーカーが生まれるんですね。わかるわ。
『いいから早く行ってよー! シンタさんかわいそうじゃん!』
「…」
いま究極に可哀相なことになってるのは俺だ、死ね。
※
だーっしゅだーっしゅ。
「らんらんららーん」
走る。走る。どこまでも走る。足の向くまま動くまま、もし俺に時速計がついていれば、おそらく時速50キロ以上は絶対出てる。ものすごいスピードでオブジェクトが視界の端を流れていくのでそれがよくわかるのだ。
遮るものひとつないだだっ広いだけの無の空間じゃないのかって?
いや、あるだろ物体。
全長2メートルから6メートルまでの可変。四肢があるが、四つとは限らない。頭部はあるときとないときがある。頭部がない場合は、そこから触手状の何かが生えているのが大勢である。千変万化の姿を持つが、おおむねいえることは総じておぞましい姿ということだ。
つまり神社地下に封じられた化け物どもだ。
こいつらが意外と鈍い。俺がついつい勢いまかせで最接近しても、奴らが俺に気づいて動き出すのは俺が数十メートル彼方に走り去ったあと、つーことがほとんど。白雪ちゃんの説明どおり、サイズが小さいほど敏感かつ敏捷になる傾向があって、そういうやつは一発くらいは攻撃を放ってきたりもするが、それですら俺が2秒前に通り過ぎた場所であって、クンフーが足りないとしかいいようがない。
間抜けどもを置き去りにして、敵の間を縫うようにして目的に向かい駆け抜けるこの感覚。そうだ、俺はこれをどこかで体験してるはずだ。記憶の一番大事な部分に鎮座する、俺の人格形成に重大な影響を与えたその記憶。
これはそうだ。
ああ、そうだ。
○○○ガのシンボルエンカウントだわ。
なかでも3は死ぬほどやったなあ。同じRPGを13回クリアしてる人間というのは日本中のゲーマーを探してもなかなかいないはずだ。なかでもトーマスでだけ8回クリアしてるのは、俺が3をやりたくなるときというのはトレードやりたい熱が燃え盛ったときのついでだからなのだが。クラウディウスに頼ってるうちは三流トレーダーだと思え。
「しかしなんだな、あれだな」
相変わらず一定感覚でポップしては過ぎ去ってく化け物ども。ポップつーか、別に闇から生まれてるんじゃなくてこいつらが立ち尽くしてる闇のなかに俺が突入してるんだろうが。
それはいいとして、あまりにも立像のごとく無様な立ち尽くしっぷりなので、俺のなかでひとつの実験を試みたい衝動が高まってきた。危険じゃないか? 馬鹿、危険を避けてばっかりで男の生き様が立つかよ。言ったなこいつう。よしやってみよう。男ならやってやれだ。
走りのギアをさらに一段あげ、時速を上げていく。そしてやおら、走り方をホップ、ステップ的なリズミカルなそれに切り替える。たぶんこのホップステップが一番早いと思います。いやマジで時速60キロオーバーでホップステップしたホップステッパーは人類史上他にいないはずである。
それだけの超推進力を何に使うかというと、つまりこうだ。
「よっこらー…おらあっ」
ずっと避け続けてきたモブどものうちの一体に狙いを定め、俺は宙を舞った。
両足先を美しく揃えた、生傷男ばりの美しすぎるドロップキックだ。
すべての衝撃力が俺の両足裏に集まり、それがただ一点、哀れな化け物の頭部にぶちあたる。
ビドン!
妙な音がして、衝撃に弾けて伸びた化け物の頭が、そのままの勢いで飛び出そうとして化け物自身の首の皮膚で引き戻され、銭湯で股間にタオル打ち付けるおっさんのタオルみたいな要領で、化け物の肩にぶち当たる。そのままぐねっと頭があらぬ方向に曲がったままの化け物が、数秒立ち尽くしたかと思うといきなりバターンをぶっ倒れ、数秒して光に変わった。
「…こう簡単にいくとなんか逆にあれな」
思わず、両手を合わせて拝んでしまった。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
でもこの『足で行く』ってのは使えるぞ! こないだのあれでしばらくトラウマになって生き物へのパンチはできそうにないからな!
なんとか楽して頭数だけこなそうというこの態度で、修行とやらになるのかというのはこの際忘れよう。それより大事なことが今はある。
「これだよこれえ…けへへへへへ」
化け物が消え去った空間から、爽やかな青い光を放つ石ころが現れた。宝石の鑑定眼なんぞ持ち合わせない俺だが、なんかすごい高貴な輝きを感じるので、こいつはたぶんサファイアってやつだと思いますよ奥さん。
それを拾い上げ、いそいそポケットにしまいこむ。万感迫る思いがある。ドロップキック一発で明らかに日給以上の稼ぎを得てしまった。勇者の英雄的義務に対する責任感が胸を浸す思いだ。
『タツオさん? またいきなり止まったけどどうしたの? なにかトラブル?』
「ああ、いや、うんトラブル。ちょっと化け物の集団に当たってな」
『集団!? 大丈夫なの!?』
「大丈夫大丈夫ちぎっては投げしといた」
『そっかー、ならよかった。早くシンタさん探してあげてね』
はい、すっかりシンタくんのこと忘れてました。てへぺろ。