@5の2 『初めての地下探索・ダンジョンもの始まったな』
ところで、オトギキングダムに帰らない白雪ちゃんが何をしてるかというと、実はいまだに山のなかで暮らしてるのだが。
冬場に野宿させるとか鬼か、と思われるかもしれんが、まだ『真空呼吸』を完全に使いこなせてるとはいえない白雪ちゃんを人里に暮らさせると、なんかの拍子ですぴょっと毒が漏れたとき洒落にならない事態になる。
そういうときに俺やウラシマみたいな、あるいは他の誰でもいいけど対処できる人間がそこに居るとは限らんわけで、事故を起こさないためのやむを得ぬ予防措置だと思っていただきたい。
代わりといったらなんだが、オトヒメさんの仲介でキャンピングカーを借りて、さらに山の所有者に許可を取って、夜間から朝方にかけてはずっとアイドリングしっぱなしという非常に自然環境に悪い生活をしてもらってる。あ、もちろんそれらにかかる諸費用はオトヒメさんが出した。え? 俺が出すの? なんで?
で、いくらアイドリングだけとはいえキャンピングカーなんてそんな燃費いいわけもなく、結構頻繁に燃料補給が必要になるのだが、白雪ちゃんはその支度をウラシマにしてもらってるというわけなのだ。
え? 車なんだから自分で給油しに行けばいい? 白雪ちゃんが免許なんか持ってるわけねえだろ。なに考えてんだ。
しかしあのホスト狂いがこうも他人に施しを与えるとは、お大尽になったものと思わないだろうか。そんなに余裕があるなら袖摺りあうも他生の縁で俺を養ってくれてもいいのではないだろうか。
※
「ふー、ついたあ。やっぱタクシー移動はきついよぉ、後部座席3人は無理があるって。タツオさん車買わないの? 車持ってない男は論外ってお姉ちゃん言ってたよ」
俺はてっきりオトヒメさんは異世界から来た人だと思ってたけど、バブルからのタイムスリッパーだったことが判明した。30年前のチャラい漫画でしか見たことないような価値観である。今度から本人の居ないところではバブルババアと呼ぼうと思う。
何はともあれ到着した。平日の昼前だけあって、当然ながら人っ子一人の気配もない。
「サービス業で正社員ですらないヒラが普段乗りもしない車の維持費なんか出せるわけねえだろ寝言は寝ていえ」
「これから毎日使うことになるじゃん」
毎日? 俺はこれから毎日この岩木くんだりまで来るの? 来ないけどな。ふつーに来るわけないけどな。まああえて否定して愚昧の白昼夢をつぶす必要はないので口には出さないが。
「で、こっからどうすんだよ」
「えーと、ちょっと待ってね」
と、俺たちを制してウラシマがてくてくと本殿のほうに歩き出す。
「このあたりが直上かな? えいやっと」
それは暗がりの部屋で、電球のスイッチ紐を引っ張るような動作だ。
ウラシマに『引っ張られた』空間が、目に見えてぐにゃりと歪んだかと思うと、収縮の反動で歪み、圧縮された部分の下側から空間が『裂けた』。
「おお…」
どの角度でどう聞いても人間への限りない憎悪が伝わってくる、百点満点の怨嗟の声が場に漏れ、やがて満ちる。
その声の発生源は明らかにウラシマが開けた空間の裂け目である。ウラシマはそこに手を突っ込んだかと思うと、めりめりとそれを力任せにこじ広げはじめる。
いや、俺がまったく知らんだけで高度なオトギキングダムの術とかを使ってんのかもしれんが、見た目に行われてることは実に野にして蛮な光景である。
ウラシマが裂け目を全開まで広げきったと思わしきところで、『穴』がひとりでにぶるぶると震え、ついでそこから真っ黒なものが飛び出した。
いったいどこにあったのか。どうやって隠されていたのか。そしてどうやって引き出されたのか。高さも幅も、ともに5メートルに喃々する、魁偉極まる黒曜の『門』が現出した。
「おおおおおお! これっすよ、これえ! 80年代から90年代のオカルトブームでよくあったあれ! ○都物語とかそういうの的な! 地下から現れる謎の門! これこそまさに非日常っすよおおおぉぉぉ! 俺はこういのがリアルに見たくて今日まで生きてきたんすよ!」
「なんでついてきたのお前? 呼んだっけ?」
「ちょっと、その態度はいくらなんでも残酷すぎないっすかトノ?」
ごめんあまりにテンション高すぎて本気でウザくなって、つい。
「はあーあ…つ、疲れたあー! ほんと一歩も歩けない…。もう後は任せたから、白雪おねがいー!」
「え? えええ? ど、どういうことですかあ? ウラシマちゃん、白雪はガソリンもらいに来ただけなんですけどお…」
流されるままに流されて、気がついたらタクシーで30分の神社にまで連れてこられた、流される女白雪姫。ちょっと流されすぎじゃないですかね。
「タツオさんには今からここで修行してもらうから、監督役とか助言役とかヘルパー役おねがい。引き受けてくれないならしばらくガソリンもなしね。夜はいっぱい厚着して寝てね」
脅迫だった。
この寒空に人にこんな仕打ちをしたら、たとえ相手が自分の家族であっても一発通報一発アウトの所業である。さすが法が関係ない世界から来て、法の外にある世界に飛び込んだ姉弟は俺のような常人と価値観が違う。
「えええぇぇぇ…ひど、ひどいですう…。わか、わかりましたあ。外崎さん行きましょおう」
そしてわりとあっさり引き受ける白雪ちゃんだ。日ごろからオトヒメ姉弟の世話になってる関係上、断るものも断れないのだろう。だから他人への恩義などはボールペン一本拝借する程度でさえ作ってはいけないと俺は常々思っているのだ。
※
「ところで白雪ちゃん、こういうダンジョン潜るときって武器とか用意したほうがいいの?」
「え? 武器用意してないんですか?」
「え? そんな有り得ないものを見たような顔をするほどの無用心なの?」
「えっと、はい、有り得ないですう」
門をくぐり、高照神社の地下洞窟へと向かう、薄暗い石段。
階段も周囲の壁も天井も、すべて石作りでできている。というより、巨大な岩盤層をぶち抜いてくりぬいて作ったような通路だ。
白雪ちゃんが哀れみの目で俺を見る。
「いや、でもほら俺百人力の勇者なわけだしさ。そんじょそこらの魔物どころか、本来超魔ヤナギダをやっつけるための存在なわけじゃん? いわばラスボスの天敵なわけで順位付けるなら世界的に二番目のパワーの持ち主でしょ? 潜在的にって話だったとしても世界二位なわけでしょ?」
「外崎さんは喧嘩の素人ですよねえ?」
「はい」
白雪ちゃんは俺の話を一顧だにしてくれなかった。
「素手で効率よく敵にダメージ与えるのって、経験がないと実はかなり難しいんですう。たとえると、喧嘩したことない子供が素手で殴りかかるのと鉄パイプ持って殴りかかるのとどっちが強いかってことでえ、それは考えるまでもなく後者なんですよお。拳の握り方とか腰の入れ方もわかってない人のすっとろいテレフォンパンチなんて、どんな馬鹿力でも怖くもなんともないんですう。とにかく得物さえあればどんなド素人でも喧嘩の体裁は出来上がるもんなんですう。腕っ節に自信がない人がどうしても喧嘩しなきゃいけないとき最初に考えるべきは、棒っぽい何かを探すことってくらいですよお。百人力の素人パンチなんてどうせ当たりもしないけど、百人力で棒でぶったたいたら、だいたいどんな人でも死ぬんですう。あ、ナイフとかはリーチがないから論外ですけどお」
かなり堂に入ったレクチャーが始まって内心ビビる。しかし考えてみれば俺はつい先日この子のパンチで命を刈り取られるとこだったのだ。真実味を感じざるを得ない。
「いや、でも現実にいま俺は手ぶらなわけだし、どうしたらいいの。しょうがないから今日は戻ろうか」
「うーん。一戦もしないで上に戻ったら、ウラシマちゃんに何いわれるかわかんないですう。外崎さんもですけどお、白雪も監視役の仕事してないとか怒られるかもですよお。だから上に戻るのは却下ですう」
あれ? 流される女白雪姫が流されてくれないんですけど? ひょっとしてこれは白雪ちゃんの中で、俺の人間としての席次が相当低いことになってますか?
「まあ、いざとなったら助けに入りますからあ。一度頑張ってやってみますかあ」
「極限に悪い予感がしてきた」
「ファイトっすよお! 俺のぶんまで頑張らないと駄目っすよお、人としてえ! トノの両肩には俺から奪ったでっかい夢が乗ってるじゃないっすかあ!」
いざとなったらこの馬鹿を盾にして逃げればいいや。
まあやってみなくちゃわかんねえ、やんべ。
※
ずっと石段を下っていくと、なんだか開けた空間についた。
いや、開けすぎじゃないか? 薄暗くてずっと先まで見わたせるわけじゃないが、光源さえあれば地平線なみに遠い場所に消失点が位置してそうな広さっぷりだ。少なくとも30や40メートル四方とかそんなちゃちなレベルではない。下手な体育館の数倍の広さがあることは確実だ。
「すっげ…。神社の地下にこんなとこがあったのか、って」
思わず漏らした独白に、ふざけて編集したようなとんでもないエコーがかかった。
あったのかってあったのかってあったのかってくわんくわんくわん。
「うお、めっちゃ声響く」
「そしてその声に釣られてさっそく登場ですう」
ふっと。
ただでも薄暗かった地下空間内に、なお濃厚な影が落ちる。闇が広がる。
なにかと思ってそちらを見たら、そこには『鬼』がいた。
いったい何メートルあるのか。尋常ならざる巨体のなかでも一際でかい頭部は、俺たち程度の大きさの人間ならひとのみに噛み砕き飲み下せそうな、恐るべき洞穴を真ん中に開けている。
そこに、大人一人くらいの大きさと同等の超巨大な牙が乱雑に並んでいるから、そこはおそらく口なのだろうと認識できるが、その化け物の頭部と思しき部分には目も鼻も耳もなく、ただザンバラに振り乱した髪と、乱杭歯の大口だけがあった。
短腕短足の体躯は裸体で、腰蓑のひとつもつけていない。その露出した肌色は、これもまた人ならざる緑色だ。
影が落ちたと感じたのは、わずかな光源をこの化け物の巨体がすっかり塞いだからだったのだ。
「ファイトですう」
「え?」
「いけますう」
「行ける要素がどこに?」
俺が想定してたのは超強い○る人形とかのデッサン人形みたいなあれか、せめてもうちょいちゃんとした人型であって、こりゃ純然たるバケモンじゃないか。俺はこんなのとやりあうとは一言も聞いてないし、言ってもいない。責任者はどこだ? 責任者を出せ、出るとこ出てもいいぞクソッタレ。そういや責任者は今頃地上でへばってた。
「あ、これとやりあう前にひとつだけアドバイスがありますう」
なになに? 俺は実はすでに不死の体を持っているとか、この地下空間は仮想空間的なソレなのでここでいくらダメージ負っても怪我しないとかいうあれ?
「ただの打撲なら白雪とウラシマちゃんでどうにかしてあげられますけどお、さすがにこの化け物に噛み下れたり飲み込まれたらおしまいなので気をつけてくださあい」
期待したのと真逆の話すぎた。
というか、何をどう気をつけろというのか。
用心するというなら俺のなかの用心回路はいますぐここから逃走しろと告げまくってる。
「シンタ。シンタ、俺はどうしたらいい。何かいいアイデアはないかシンタ? シンタ?」
藁にもすがる思いで呼びかけたら、シンタはすでに泡吹いて仰向けにコロンとしていた。使えねえええぇぇぇ!
「はあ。ここまできといてぐずぐずしてもしょうがないですよお。さっさと行ってくださあい」
俺がなお一生懸命作戦を練っていると、俺の背後に立った大本営が無情の特攻を指令した。指令したというか、俺のケツを蹴り飛ばした。化け物のほうへ向け。
「…のおおおおおお!?」
あ、死ぬわ。